長野に引っ越してきたのが2013年5月。そしてすぐ登ったのが『裏山』こと、地附(じづき)山。長野市民にとって最も身近な里山だからまずは挨拶と、登った。それから折に触れ、ぼちぼちと登り続けてきている。そして今年、人類未曾有の感染症COVID19が蔓延し、私たちは皆、人と人が関わる空間を避けるという悲しい現実に放り込まれた。できるだけ出かけず家にいること、もうリタイアした身なので、そのことに大きな問題はなかったが、山の空気に触れたい思いは変わらず強い。宿泊、公共交通・・・などを避けながらとすれば、自分の足だけが頼りだ。こうして今年は一気に裏山登山の回数が増えた。
「もう百回は登っているんじゃないの?」と、夫が何気なく呟いたのをきっかけに数えてみた。夏を前に長雨で閉じ込められている頃。「さすがにまだ100回にはなっていないでしょう。あら、でも80回は超えてる」と気づくと、その後は自然に数えている。特に目指してきたわけではないが、100回はなんだかおめでたい気がする。
たかが733メートルと言うなかれ、標高は低いけれど、地附山は季節ごとの変化が楽しめる。昔はスキー場があったというだけに、冬は雪に埋もれる斜面がある。と言っても最近の積雪量は少なく、一面の雪景色という風景は見られないけれど。
花の種類も多い。春はヤマブキの黄金、秋はカエデの深紅、落花で道が白く染まるエゴの花もニセアカシアの花も初夏の彩り。ついカメラを向けてしまう。
何回歩いても、また登るたびに新しいものが目に入る。何回も登るから、同じ花の変化が目に見える。春一番に咲く、とても小さなセンボンヤリの、秋の花はするすると伸びて花びらはない。花を楽しみ、実をつけたらまた楽しむ。自然の移ろいの中で植物もそれぞれに変化していくのが面白い。続けて登るうちにそんなことに気がついたが、考えてみれば当然のこと。実際に歩いて初めて気がつく私は相当のぼんやりさんなのだと自覚した。
それにしても7年目にして、また新しい花を発見したのはこの山の奥深さを物語るのかもしれない。とはいうものの、これはあくまでも私の話。地附山には『愛護会』があって、そこに所属する人たちはとうにご存知の花なのだろう。さて、私が今年『発見した』花は、たぶんトンボソウ。ラン科の地味な花。これまでになじみだったカキランやクモキリソウより少し遅れて、薄緑色の小さな花を開く。何度も登って、そのゆっくりとした変化を追いかけて、ついに花が開いたのを見た!
里山というと、登っても人に出会うことが少ない山が多いのだが、地附山は違う。まだよちよち歩きの幼児の手を引いて登る人もいれば、両手のストックに頼りながら一足一足探るように足を出しながら歩く老人も、アルプスに登る間の足鍛えと言う人もいる。都心近くから朝の新幹線でやってきたという人もいれば、市内から自転車で麓まで来て登る人もいる。障害者と呼ばれる人たちのグループも楽しそうに歩いていれば、一瞬にして駆け抜けていく人もいる。本当に様々な人に出会うことができる。
100回登るうち、誰にも出会わなかったことはおそらく1割あるかないかだろう。人気の秘密は登山口に広々とした公園を抱えていることだろうか。地滑りの事故があった悲しい歴史を忘れないようにと『防災メモリアル地附山公園』と名付けられた公園には子どもたちの声が響く。我が家の孫や友人たちも何回か訪れている。今年多くの遊具が対応年数を超えたとかで撤去されてしまったのが残念だ。全身を動かして遊べる木製の遊具が、広い公園に点在しているのは楽しかった。
春は桜に始まって・・・とよく口にするが、地附山はショウジョウバカマとシュンランに始まる。頭上にはダンコウバイが黄色く広がる。桜が散ると、ヤマブキが一面に開き、小さなウメガサソウが蕾を膨らませる。
追いかけるようにモウセンゴケもクルクルと丸まった花穂を伸ばしてくる。そして気がつけば夏。登山道脇にはハナニガナの黄色、シロバナニガナの白が風に揺れている。緑濃い森の足元にはラン科の花が隠れるように咲いている。ミズヒキやキンミズヒキが乱れた糸のように散らばり、明るい陽光を跳ね飛ばすのもこの頃からだ。
花を愛でながら訪ねるうちにキキョウの蕾がふくらみ、山頂にはマツムシソウが開いてくる。ママコナの赤が目立つようになると、季節は少しずつ秋に傾いていく。
秋雨が長引けばキノコがたくさん顔を出す。いろいろな色や形のキノコは図鑑で調べても名前がわからないものが多いので、採取はせず、目だけ楽しませてもらうことにしている。
秋が深まると宝石のようなウメバチソウが純白の花を開き、センブリもその繊細な花びらを空に向ける。木や草の実に目を引かれるようになるのもこの頃だ。
花が豊かなこの山には、様々な蝶や虫が飛ぶ。毎年アサギマダラに会うのを楽しみにしていたが、今年は珍しいスミナガシに会った。スキー場跡に立ち止まって飯縄山を眺めていたら大きなチョウが飛んできて、私たちの周りをせわしなく飛ぶ。バチバチと聞こえるほどの羽音を立てながら、8の字を描いて私と夫の周りを飛んでいたが、何を思ったか、夫のシャツに着地した。それからしばらくの間、前に後ろに、夫の体にとまっていたが、ついに収穫なしとみたか、飛んで行った。
そう、虫といえば、地附山ではごくわずかの時間だけ会えるハチがいる。初めて気がついたのは2年ほど前だったか、私の大好きなマツムシソウを見ていたら、青い色のハチがやってきた。緑の昆虫は時々いるが、青い色、それも輝くような綺麗な青い色のハチは初めて見た。その後、夫が何かを調べていて見つけたらしい、「あの青い蜂は幸せを呼ぶ蜂と言われているそうだよ」。
今年、マツムシソウを眺めていたら、また会えた。けれど、マツムシソウに会いに何度も登っているけれど、会えたのは1日きり。生存数も少なくなり、希少種なのだそうだ。いつまでも地附山で会えるといいなぁ。
そして、見事な紅葉。一面の赤の中にいるような心躍るひとときを楽しめる。霜が下りるまでのわずかな時間だけれど、その美しさは特筆するべきだろう。
防災のための工夫がされた森には小鳥の声が響いていて、木の葉が落下した明るい森の中を飛び交う姿を見ることができる。葉が茂っているときは、私の目には捉えることができないけれど。紅葉が進んでくると、花々に会えない寂しさはあるが、鳥に会える喜びが増してくる。
鳥の姿はなかなか見えないけれど、時に落とし物を見つけることがある。灰色や黒い羽は大小時々見かけるのだが、綺麗なブルーの羽を見つけた。落とし主はどんな鳥なのだろう。
森の中には実に様々な命が暮らしているのだが、クモや刺す虫にはあまり会いたくない。今年はクモが多くて、申し訳ないけれど杖を振り回して露払いならぬ蜘蛛の巣払いをしながら歩くようだった。
我が家から歩いて登ることができる地附山、いくつかのコースがあり、楽しみながら歩くことができるが、一番近いコースに、舟継石がある。山の中に舟とは?どうやら、善光寺の北側は窪地になっていて沼が広がっていたらしく、舟を使って往来したそうだ。その時の舟を係留していた大きな岩がここに立っている。地附山に登り始める最初の傾斜地だ。さらに東へ歩くと、石畳の『タツネ』坂があり、ここは中腹の駒弓神社への参道という。
私たちは駒弓神社から登る登山道を最も多く歩いているが、時には西へ回って物見岩を経由して登ることもある。隣の大峰山と合わせて登る時は、登り下りいずれかには必ず通る道だ。昔、謙信が川中島の合戦時にこの岩から武田軍の様子を見たというだけに、善光寺平が見渡せる。休日には岩登りの訓練をする人が掛け声をかけていることも多い。
100回歩くうちには、好きな花の写真をずいぶん撮った。群生地と知られているショウジョウバカマ、センブリはもちろん、他の低山ではみられないウメガサソウ、モウセンゴケなどの小さな花、一面風にそよぐオカトラノオの群生も見事だ。
撮影してきた花々は、ざっと数えて150種以上あるようだ。まとめてここに載せようなどと意気込んでいたのだが、とてもまとまらない。今までに載せてきた花(※)は割愛し、小さな花、目立たない花たちの写真だけ選んでみた。
時には草と呼ばれ、路傍にあって踏まれたり、刈られたりする花たちも、近寄ってみると、思いがけない美しさで一瞬の時を輝いている。
森はマツクイムシの被害や台風などの自然災害による倒木で荒れていることもある。昨年2019年秋の大型台風では太い木が何本か倒れ、登山道にかぶさっていた。いつも丁寧に整備されている地附山の登山道ではあまりみられない光景だ。しかし、一歩森の中に足を踏み込めば、枯れ木が何本も倒れている光景を見ることができる。山全体を手入れするのは大変な作業なのだ。
私たちも登山道に倒れた枝などを拾うことはあるが、端に除けるのが精一杯、里山の美しさは人の手が入ってこそと、実感する。春の山菜採り、秋の茸採り、そして冬の薪拾い・・・昔、山は生活にとても近かったのだろう。
私たちも大きな袋を持って山に入り、落ち葉を拾って帰ったことがある。庭の隅に積んで堆肥作りをしたのだ。けれど、以前住んでいた神奈川と違って、庭に積んだ落ち葉が堆肥になるためには時間がかかることがわかった。狭い庭に発酵途中の山がいくつもできたのでは庭に花を植える場所がなくなるという、笑えぬ話になってしまう。以後堆肥は我が家の草や落ち葉、野菜屑などだけで作るようにしている。
春夏秋冬、晴れた日も、雲に覆われた日も、時には小雨の中でも訪ねては憩いの時間をもらってきた。
たくさんの人が登り、憩いを求める里山だけれど、私たちは平日の朝早く、あるいは夕方など、あまり人がいない時間帯を見計らっていくことも多いので、のんびり優雅な二人じめの時間を過ごすことだってある。ぼんやりと北から東、南の方向まで善光寺平を挟んで広がる山並みを眺める。
山頂からは北に飯縄山の勇姿、その奥に小さく黒姫山と妙高山。さらに東側に目を凝らすと木々の向こうに斑尾山が見えることもある。ヤマブキの咲くパワーポイントからは目の前に志賀の山々、菅平、浅間山も見える。湯の丸や烏帽子の独特な形も晴れの日のご褒美に顔を出す。自分たちが登った山の頂を発見して、思い出話に花が咲くことも楽しみの一つか。
6月のウメガサソウの季節には花開くのを待って、何度も登るので、地附山公園からも入る。友人を案内したり、孫を連れて行ったりする時には公園の駐車場まで車で登ったこともある。公園までの車道から見下ろすと、善光寺平が大きく広がっている様が圧倒的に迫ってくる。
「100回はおめでたい?」かどうかわからないけれど、せっかくだからと夫がボードを作ってくれた。誰もいない山頂で『100』と書いたボードを持って記念撮影、こんなイベントも日常のちょっとした彩り、楽しいではないか。
そうそう、忘れていた。今年4月に登ったら山頂標識が新しくなっていた。太く立派になった標識に、これからも何度も会いに行こう。
(※ 今までに載せてきた花は次をご覧ください。 6 地附山の四季、61 地附山の12ヶ月、65 長野市花めぐり4月、70 長野市花めぐり5月、71 長野市花めぐり6月、73 長野市花めぐり7月、76 長野市花めぐり8月、79 長野市花めぐり9月 )