2013年5月、長野に引っ越してきた。善光寺平の北の端、市民に親しまれてきた歴史ある地附山の麓。引っ越してすぐ、玄関から山靴を履いて歩き出した。以来、四季の移り変わりを楽しみながら登っている。
私は「じつきやま」と呼んでいたが、最近知った『地附山トレッキングコース愛護会』のガイドブックを見ると「じづきやま」とルビがふってあった。この冊子を見ると、地附山の歴史や自然だけでなく、コースを整備するときの苦労などもよく分かる。中腹には昭和60年(1985年)に起こった大きな地滑りを忘れないようにと、『防災メモリアル地附山公園』と名付けられた公園がある。
初めて登った5月半ば、花々が動き出す季節。登山口の駒弓神社の鳥居をくぐるともう森の中だ。神社に頭を下げ、奥の金毘羅宮にも行ってきますと挨拶して歩き始めた。
整備されている道を進むと、真新しい看板があった。近づいてみると標高634mを示す看板だった。東京スカイツリーと同じ標高だという。さらに登ると見晴らしの良いテラス状の広場に着く。パワーポイントという看板がある。長野市の北側から須坂市、小布施町方面の扇状地形が見渡せる。その向こうには菅平高原、志賀高原の山々が一望だ。
後ろの斜面にはヤエヤマブキの濃い黄色が斜面を被うように重なっていて美しい。ここで一息ついて、あとは一気に山頂まで。森の中を抜けると、正面右に雪をかぶった妙高山が眩しい。手前に黒姫山、そして大きくそびえる飯縄山。
その後、中腹に咲くというウメガサソウを見たくて出かけたが、最初の年はみんな実になってしまっていた。しかし、思いがけず山頂奥にモウセンゴケの群落があり、その花盛りだった。今まで見た中で最も葉の小さなモウセンゴケ。くるくると巻かれた蔓のような花穂がどんどん伸びていって、その先から小さな花が順番に開いて行く。5枚の白い花びらが眩しい。
翌年6月に入ってすぐ出かけたら、今度はまだ蕾ばかりでふたたびがっかり。しかしこの時は公園へ降りて行く広い道がエゴノキの花びらで敷きつめられて、どこまでも真っ白という素晴らしい景色に出会えた。
何回かこの季節に登るうち、クモキリソウの地味な緑色の花を発見したり、ヤブの奥に華やかに咲くカキランを見つけたり、小さな里山ではあるが嬉しい発見も多い。
もちろん、ウメガサソウの咲く時期には何回も登って、まぁるく膨らんだ蕾や、うつむきかげんに咲く花々を眺めて歩いた。とても小さな株が落ち葉に埋もれそうになっていて、枯れてしまうのではないかと心配になってしまう。そっと被っている大きな落ち葉を取り去ってみたこともあるが、あまり人がいじらない方がよいのだろうかとも思って、眺めるだけで過ごす時もある。
夏の里山は暑いからあまり歩きたくない気がする。でも、神奈川から遊びに来た小学生の孫たちと虫取り網を持って登ったことがある。カブトムシを捕まえたくて大きな網を買ってきた男の子たちは、疲れも見せず山頂まで歩いた。目当てのカブトムシは一匹だけ捕まえることができた。彼らはその後もう一回公園まで遊びに行き、そこで出会った男性から一匹カブトムシをもらってきた。飼育ケースの中で長野の土に潜り込んだ地附山の二匹のカブトムシは、神奈川まで旅をすることになった。
9月も半ばを過ぎると長野は一気に秋の気配が濃くなる。地附山にも、オケラ、ワレモコウ、センブリと、秋の花が咲く。マツムシソウが風にそよいでいるのを見つけた時は「わぁ〜」と叫んでしまった。私の大好きな花だ。一息ついて、スキー場跡に行けば、ウメバチソウも柔らかい純白の花を開いている。
この季節にはキノコもたくさん見られる。森の中を歩いていると、奥でガサリと音がしてびっくりするが、キノコ採りの人がのっそりと現れて「こんにちは」などとあいさつしてまた森へ消えて行く。
私たちは写真に撮って帰るだけだが、その写真をキノコ図鑑で調べても、なかなか名前が分からない。色や形が独特で特定しやすいものは分かるのだが、同じような色のキノコはお手上げ。
11月になると、山は眠りに入る準備をしている。最後の響宴とばかりに、森は赤に黄色に染まる。花々は少なくなるが、ツルリンドウの花が控え目に咲いている。花の隣には実が鮮やかな赤紫に膨らんできている。とてもつややかな実だ。ヒヨドリジョウゴのオレンジの実も輝いている。
もう空気は冷たくじっとしていれば寒さに震えるのだが、澄んだ冷気は遠くまで視界を開いてくれる。善光寺平の向こうの青い山なみの上に浅間山の噴煙が白くたなびく様子を見ることもできる。
春の訪れは、雪の下からそっと忍び寄る。2月になれば、日差しの当たる暖かい斜面では花の芽がこっそり顔を覗かせているのを見つけられる。山頂付近の日陰にはまだ雪が残るが、その下で大地が目を覚ましているのだろう。
それからの山は大忙しだ。毎週登っても見飽きないくらい、生き物の響宴が始まる。一日一日変化している。
霞がかかることが多い季節だが、朝のうちは清々しく遠山も見渡せる。そんな朝一番に登ることもある。山頂での朝ご飯に、庭で採れたミョウガの味噌漬けおにぎりを食べるのも楽しいものだ。
時には一人で登ることもある。地附山を一周して花にあいさつをし、ゆっくり桜坂を我が家に向かって下って行くと、木々の間から遠く下に我が家が見えてくる。カメラを望遠にすると、家の前で手を振る夫が見える。
長野も4月半ばになると桜が満開になる。花見の宴が開かれる頃、私たちは桜を見ながら登り始める。上がるにつれダンコウバイ、キブシなどの黄色い花が迎えてくれる。だが、山の上の森はまだ茶色一色の冬景色だ。この頃は所々にフキノトウの黄緑がみずみずしく、目を奪われる。
山頂近くなると、シュンランやショウジョウバカマが森の中で春を告げている。地附山の山頂付近はどのコースを歩いてもショウジョウバカマの赤やピンクの花が私たちを迎えてくれる。
山頂付近には前方後円墳や、それを囲むように古墳群があり、古くから開かれた『ムラ』だったことが分かるそうだ。稜線を辿れば山城の跡(桝形城跡)もあり、いくつもの時代の重なりを感じる。
今年(2016年)の6月には、ウメガサソウを見にやってきた弟と登った。登山口の駒弓神社辺りには桜の木が多いのだが、どの木も赤い実をいっぱいつけている。私と弟は、その甘酸っぱい実をつまみながら歩き始めた。
ウメガサソウは花が終わってしまっているものが多かった。それでも、大きな株に大輪の花をつけているものを見つけ、私たちは大喜び。
帰りは公園に降り、弟が入れてくれた美味しいコーヒーを飲みながら久々のおしゃべりをした。晴れれば善光寺平から菅平の方まで見渡せるのだが、残念ながらこの日は曇っていて山は見えない。それでも、私たちの『山の話』はいつまでもつきない。