玄関から登山靴を履いてそのまま歩き始められる、裏山。ちょっと疲れていても、明日は予定があっても、青空が気持ちよい日には『行ってこよう』と出かけられるのが地附山。
里山に登ってみると、その山が地域の人々に大切にされてきたことが分かる。山頂にノートが置いてあって、パラパラめくると何千回も登っている人がいる。そんな人は1日に2回も足を運ぶことがあるようだ。2千回達成などという大きな幕を持って記念撮影した写真を置いてあることもあり、それはそれですごいことだと思う。
一方にはそんな山歩きをしている人もいるが、私たちはよく言えば自由気まま、まぁ気概のないのらりくらり山歩きをしているので、一つの山に繰り返し登ることは少ない。しかし、地附山はその数少ない山の一つだ。理由は冒頭に書いたように、玄関から登山靴で歩き始められる山ということが一番だが、この山、標高は低いけれど様々な花が咲く山なのだ。
長野に引っ越して来てから登るようになったのだが、季節ごとに様々な花が目を楽しませてくれる。また、コースもいくつかバリエーションを作れる。地附山そのものもいくつかのコースを持っているが、隣の大峰山や、桝形城跡に足を伸ばすのも楽しい。そして、我が家から登山口まで行く道もまた、舗装道路をゆっくり行く道、急な階段を上る道、沢に溜まった水に映る鳥の影を見ながら草の中を行く道、温泉宿の中庭かと思える細い急坂を登る道・・・、 楽しみ方は幾通りもあるのだ。
そんな地附山を今年は毎月登って季節の変化を楽しんだ。と言っても、月に1回限りという訳でもなく、花の季節には蕾を見つけて開花時期にまた行くなどと、一月に何回か登ったことも、もちろんある。そんな地附山の12ヶ月を思い出してみよう。
1月2月には、雪の少ない長野でも積もることがある。山の上は押して知るべし、か。さすがにこの季節はまだ花が見つからない。冬の澄んだ空気の向こうに、飯縄山、黒姫山、妙高山を眺めるのを楽しみとする。途中のパワーポイントからは長野市街の向こうに志賀方面から、菅平、浅間山までが見渡せる。
しかし、雪の日の楽しみは澄んだ空気ばかりではない。雪の上を見ると、鳥や動物の足跡が残っていることがある。地附山にはイノシシが多いと見えて、地面が畑のように掘り返されているところが多いが、雪の日はイノシシの足跡も見える。親子だろうか、大小の足跡が重なっていることもあって面白い。地面が掘り返されて草花が消えていくのはもちろん嬉しくないが、この雪の中をイノシシたちはどのように生きているのだろうと思うと、自然の営みの計り知れない奥深さをも実感する。
3月の声を聞くと山は春めいてくる。山肌はまだ茶色一色の冬景色なのだが、大地が暖かく動いてくるような気がする。この季節は森の中に鮮やかな黄緑色に光るフキノトウを見つけて嬉しくなる。見つけたフキノトウはフキ味噌にしていただく。ほろ苦い春の香りにご飯がすすむ。
森の中には鳥もたくさん飛んでいるのだが、近視の私たちにはなかなか見つけられない。コゲラやアオゲラは地附山でも時々見かける。シジュウカラやツグミ、ヒヨドリもよく見かける鳥だが、彼らはわが家の庭にもやってくるので、山で会ってもなんだか感動が薄い。今年3月には近くの木で幹を走るように動くコゲラを見つけて目が離せなくなった。
そうそう、今年の3月にはもう一つ、思わぬものを見つけてしまった。大峰山との分岐を通って下山し、物見岩から下る途中、登山道端にイノシシの死骸が横たわっていたのだ。腹から下は骨になっていたが、頭はまだ残っていた。冬に飢餓死したのだろうか。すぐ近くにお寺があるので、成仏してねと話しながら通り過ぎた。
歩いている時にはあまり出会わないが、山には蛇やモグラもたくさんいることだろう。山道にモグラの小さな死骸が転がっていることもある。そんなときは、自然を生き抜く生物界のごくごく一部の姿を見せてもらった気持ちがする。
4月、いよいよ大地が動き出す。木々は頭上高く芽吹きの緑を広げ、葉の影に隠れるように地味な花をぶら下げる。草々も負けずと伸びてきて、花の季節の始まりを告げる。
地附山はショウジョウバカマが多く、森の奥までピンクの彩りを見せてくれる。ショウジョウバカマは白に近い淡い色のものや濃い紫がかったピンク、そして花の終わりの頃にはオレンジがかったピンクや肌色に近いものまで、個体差が大きく、楽しめる。
頭上の樹の花、足元の草花・・・様々な花に春の訪れを感じながら歩く我が家の裏山、足取りもつい軽くなる季節だ。
5月の風が吹くと、近くの善光寺さんには参拝客が多くなり、庭のバラの蕾も膨らんでくる。地附山も賑やかになる。山笑うとは、昔の人はよく言ったものだ。中腹を覆うヤマブキはまず一重が、そして追いかけるように八重ヤマブキが山を黄色に染める。数年前までは登山道もタンポポが黄色に染めたのだが、数が減ってしまった。
命の活動が活発になる季節、花だけでなく虫こぶなども多くなる。偽リンゴと言われる虫こぶを見つけながら歩くのも楽しい。オトシブミも多いがこれも虫の住み処だ。手も指もない虫がどうやってこのきれいな葉巻を作るのだろうか、自然界にはチッポケかも知れないけれど想像もできない豊かな世界があるのだと思う。
清々しい空気の中、山頂からの展望を楽しみながら我が家の特製おにぎりを食べるひととき、自然の豊かさの中に身を浸す濃密な時間が流れる。
山頂から少し足を伸ばすとモウセンゴケの自生地がある。いつ登っても乾燥しているように思える地附山になぜモウセンゴケが自生しているのか、不思議だが、この辺り昔はスキー場があったそうだから雪が残る地形なのかもしれない。しかし、私たちが登るようになってから5年ほど経つが、降雪量が減ってきているせいか、自生地が狭まっているような気もする。
自然の変化に対してヒトはなかなか有効な働きができないが、いつまでも楽しませてもらいたいものだと思う。
6月はある意味地附山のハイライトかも知れない。貴重な植物ウメガサソウが咲く季節だ。毎年この季節には続けて何回か登ってしまう。ウメガサソウは蕾の時間がとても長い花なので、そろそろ咲くかなと思って出かけるとまだまぁるい蕾。そんな風に楽しみの時間を重ねてようやく開く花は下向きにそっとうつむいていて、地味な花なのだ。
もちろん6月といえば山の花が賑わい始める季節、地附山とて例外ではない。ハナニガナ、シロバナニガナ、ウツボグサが咲き、クモキリソウの地味な花が開いてくる。7月に近づけばモウセンゴケの可憐な白い花が一面に咲くのだが、今年はまだ蕾の頃と実になってしまってから登ったので、小さな白い花には会えなかった。けれど、エゴのまっ白い花が一面散り敷く純白の絨毯の道を歩くことができるのもこの季節。登山口辺りの完熟サクランボが楽しみなのもこの季節なのだ。
そして今年、前方後円墳を回って下りるコースを行くと、一面にオレンジ色の恵みが揺れていて、何十回と登っているのに初めて出会う地附山の森の味だった。歩きながらいただく木いちごの豊富さに、来年は篭を持ってこよう!と心のメモにしっかり書き留めた。
いよいよ7月、夏山のシーズンだ。どうしても標高の低い山は足が遠のきがち。それはやはり暑いから。つい裏山を敬遠して標高の高い山に足を向けてしまう。けれど、7月の地附山には見逃せない花が咲く。6月末から咲くモウセンゴケやクモキリソウも楽しみなのだが、7月に入ってから咲く花にカキランがある。群落にはならず、ブッシュの下などにこっそりと咲いていることが多い。これを見つけるのが楽しい。また、純白の小花を揺らすオカトラノオが多いのもこの山の嬉しいところだ。ノギランとネバリノギランが並ぶように生えているのも面白く、夫に「これはどっちでしょう」などと問題を出して楽しむ。正解は触ってみてくださいと、笑いあう。
ただ、やはり暑い。今年山頂で写真を撮った後、モウセンゴケを見に行こうと歩き始めたら、夫がダウンした。気持ち悪いとしゃがみ込む。汗びっしょりで一回着替えたのだけれど、それでもまだ汗が噴いてくる。水はもちろん必要だけれど、もしや・・・と、塩せんべいの袋を出した。「食べられなかったら、袋の底にある塩をなめるだけでもいいから」と。
いや、何も口になんか入らない・・・と呟きながらひとなめした夫が「うまい」と言う。たった今まで萎れきっていた青菜が水を吸ってしゃんと背筋を伸ばしたように、一瞬にして元気になった。塩せんべいを少し食べ、水を飲み、元気を取り戻してわが家に帰ることができた。熱中症の手前にいたのかも知れない。今年の夏、街は40度を超えるほどの酷暑、どうやら私たちの経験値では計り知れない未来の扉が開き始めているのかも知れない。
7月が猛暑なら8月もまた・・・当然ながら暑い日が続く。8月は盆を真ん中に抱えているので、せっかくの『山の日』という祝日も、我が家では子ども達との賑やかな時間となる。子ども達の近くに暮らしていた頃は、週末などに会えるから、盆にまとめて会うこともなかった。また仕事も忙しい頃だったため、数日まとめて休める夏休みは少し遠くの山に出かけるチャンスでもあった。
しかし長野市民になってからは、気づくと8月は客を迎える月になっていた。これまで地附山にも一度も登っていなかった。孫とカブトムシ探しに行った夏の地附山は7月の末だった。
今年は後半になってポツリと日が空いた。登り始めると案外暑くない。木々の葉が日差しを遮ってくれて、心地よい風が吹く。キキョウやマツムシソウ、ツルリンドウなど、秋の花が咲き始めた。暑い季節に登ることが少なかったから、足下にひっそり咲くミヤマウズラにも久しぶりに会った。森の端にポツポツとたくさん顔を出しているのが嬉しい。
思わぬ気持ちよい山歩きに満足して、ゆっくり山の上を楽しんだ。
さわやかな風を感じる、山の9月。けれど、今年の9月は雨が多かった。木の葉を打つ雨音に耳を傾け、霧のようにけぶる稜線を眺めるのも趣があると言えるが、それでも山の中で雨に降られるのはあまり嬉しくない。ましてわが家の裏山、わざわざ雨の日に出かけたいとは思わないのだ。
なかなか晴れ間が見つけられなかったが、その見返りはやっぱりあるようだ。山はキノコでいっぱい。どこもかしこも見たことのないような大きなキノコに小さなキノコ、白に赤に茶色に黒。山はキノコの大パレードだ。どうやら今年の9月はどこも雨ばかり、そしてキノコの豊作だったらしい。美味しそうなキノコもあったけれど、私たちはキノコを知らな過ぎる。見て楽しむだけ。ヨーロッパのとある町では、採ったキノコを市場に持って行くと鑑定してくれるプロがいるそうだ。
今年は山頂辺りで籠をぶら下げた二人の男性に出会い、たくさん採ったキノコを見せてもらった。そして、目の前にあった食べられるキノコを教えてもらった。アミタケ。
うっかり踏んでしまいそうなほどたくさんあって、美味しいのか、虫が食べた穴もたくさんあった。男性たちは「とりきれないほどあるから、虫の穴の無いきれいなものだけ採って行くといいよ」と、笑いながら教えてくれた。
最後に見つけたのは巨大なキノコの王様、家に帰って調べたら、これはアカヤマドリという食べられるものらしい。あまりに立派なので、とってしまうのがもったいなくて残してきたが、ちょっと残念だった。
採ってきたアミタケはゆでて紫色になるのを目で楽しみ、煮物に、炒め物に、しばらく楽しませてもらった。
山道にはオケラの花やワレモコウが色を添え、山頂付近にはマツムシソウが風に揺れる。秋の気配を濃くして、少しずつ木々が暖かい色になってくる。山頂にあるナツハゼが黒い実になるのもこの頃、甘酸っぱくておいしい。少しだけいただく。
そしてこの季節、足下を見ると芸術品のような美しいセンブリの花を見つけることができる。薬用としても使われたセンブリは今では絶滅危惧種の仲間入りをしてしまったそうだ。大切にしたいものだ。
センブリの造形美を眺めてのんびりしていたら、アサギマダラが飛んできた。秋になると南下するものが多く、南西諸島まで2千キロもの飛行をするものもいるという。マーキングして放し、その移動の様子、生態が研究されているそうだが、地附山で見た個体はマーキングされていなかった。どこで見つけてもすぐ分かる派手な色をしているが、これは毒を持っているよ〜という警戒色なのだそうだ。
まだどこか夏の気配を残している9月から10月になると、一気に秋たけなわという感じになる。善光寺さん周辺に観光客が増えるのもこの頃だ。それでも、長野はまだ紅葉シーズンとは言いきれない。まず善光寺裏のイチョウの木が黄色に耀く。それから城山公園の桜が赤く色づいてくる。少しずつ色濃くなってくるのを楽しみに、10月後半の地附山を歩いてみた。標高の低い里山の最も静かな季節かも知れない。アカツメクサやアキノキリンソウがぽつりぽつりと花をつけているけれど、ほとんどの草達は冬の準備を始めている。道には様々な森の木々が葉を落としている。
山頂の落ち葉が積もった斜面に鮮やかな黄色が顔を出している。何かと思えばキノコの一種だ。腐植土に生えるというカベンタケ。あっちにもこっちにもぽつりぽつりと顔を出しているのが可愛い。近くにはツルアリドオシの赤い実が転がっている。いや、転がっているように見えるけれど、緑の葉の間にしっかりついているのだった。
山頂からモウセンゴケのある斜面まで足を伸ばすと、まだ咲いていた!ウメバチソウ。透明な純白の花弁を開いて耀くようだ。隣には緑の実になりかけているものも多いから、やはり遅れて咲いている花に間に合ったのだろうか。10月も後半、期待していなかっただけに嬉しい。
11月、空が一段と澄んでくる。きっぱりとした空気の中を歩く。真っ赤なトンネルの中を行く。地附山はどこもかしこも鮮やかな色の氾濫。中腹の公園には子どもの声が響き、山に親しむよい季節なんだなぁと思う。もちろん、2千メートルを超すような山はもう冬のただ中になるのかもしれないが、我が家の裏山は最高におしゃれをしている。
まっすぐに伸びた黄色い柱はポプラ。街から見上げると、黄金色に輝いて公園の位置を教えてくれる。ポプラは公園を作る時に植えたのかと思ったが、自然に生えたものだそう。
1985年、長引く梅雨のあとに発生した地すべりで地附山の東斜面は大きく崩れ、被害も大きかったそうだ。その後、大規模な防災工事が行われ、跡地に地附山メモリアル公園が作られた。その時施行にあたった会社のホームページを見ると、『山肌を覆っていた豊かな緑は失われ、防災工事直後にはのり枠やアンカーで固められた地附山はまさに、外科手術後のギブスをまとったように痛々しい姿』だったとある。
今、緑が復活し、豊かな動植物が戻ってきた地附山を歩けるのはなんとありがたいことだろう。地附山メモリアル公園にはアンカー工、のり枠工など地すべり土塊を固定する抑止工や、地すべり発生の最大要因である地下水を取り除くための集水井などが説明板とともに展示してあり、地滑りに悩む全国からの見学者が訪れるそうだ。
公園から山頂までの緩やかな道には豊かに樹木が茂り、小鳥の声がする。カエデが様々な色を見せているのが面白く、もらって帰ってひとときの部屋のオブジェにして楽しませてもらった。
例年11月を過ぎると一気に寒くなり善光寺平にも雪が舞うことがあるのだが、今年は秋口に寒さが押し寄せたあと、再び暖かくなった。サクラが咲いたなどというニュースもあり、確かに我が家の庭にも春咲く花が間違えて顔をのぞかせている。12月に入っても善光寺平にまだ雪を見ない。
12月と言えば師走(しわす)日本の古い言い表し方を全て覚えていなくても、『師走』は人々の口にのぼることが多い。年の暮れから正月への、気持ちが急くような、それでいてどこか心が浮き立つようなこの季節を、私たち日本人は待っているのかもしれない。
12月初旬の日曜日、いよいよ冬型到来か雪の予報が続くようになったので、その前に出かけることにした。山は木の葉を落とし、明るい。遠くの山も見えるようになったが、木の葉が茂っている間は隠されている森の中が日に照らし出され、倒木が折り重なる荒れた姿が丸見えだ。毎年、地附山の生き物たちはどのように冬を越すのだろう。イノシシの食事の後が耕した畑のようになっている。だいぶ下まで降りてきているようだ。
花の咲かない冬山、誰にも会わないだろうと思って出かけたが、さにあらず、今年一番の人出だったかもしれない。山を走る人、小さな子どもと一緒の家族連れ、足を鍛えるために用がなければ登っていると言う地元の人、数人のパーティで賑やかに歩く人たち、一人でゆっくり歩く人・・・、そしてビックリしたのは新幹線で、今朝関東からやって来たと言う男性、駅から歩いてきたそうだ。
・・・そうか、冬は高い山にはなかなか登ることができないから、裏山が人気になるんだね、きっと。街ですれ違っても挨拶も交わさない人と、山の中で会えば言葉を交わす。自然の中にいてヒトもまた自然そのものなのだとうなずかせてくれる山はありがたい。私たちもまた来よう、わが愛する裏山に!