東京中野に用があって出かけ、夜遅くなるので吉祥寺に泊まった。さて、翌日は長野へ帰るだけ、まっすぐ帰るのもつまらないねと、ホテルの窓から電車を見ながら話す。「高尾山へ行ってこようか」と言うと、夫はすぐ検索して、「ここからならそれほど遠くないね」、決定。
高尾山へは二人で五回くらい訪れている。私は学生時代にも一度登っているが、あまりに昔のことなのでほとんど覚えていない。3歳の孫と一緒に登った時のことが記憶に鮮やかだ。
高尾山にはいつも沢山の人が訪れていることは知っていたが、平日だからそれほど人もいないのではないかと思っていた。だが、それは大きな間違い。どうやら、日本一登山者が多い山らしい。
中央線で高尾まで行き、京王線に乗り換えて一駅。登山靴を履いた山支度の人がたくさんいる。それでも駅前広場やケーブルカー前の広場に人が溢れているという景色はなかった。駅からケーブルカー乗り場までは途切れることなく人が歩いていたけれど。
高尾山にはいくつかの登山ルートがあるが、私たちは前日の用のままの服装だったので、山道ではなく一般参拝の1号路を行ってみることにした。途中までリフトを利用することにする。満開のヤマボウシの下を揺られ、リフト山上駅へ。ここからは舗装された道を進み、薬王院へ向かう。
過去に登った時はゆっくり足を止めず先を急いだが、今回は山門の四天王様に挨拶し、見事な木造建築の御本堂の前に出る。ふと見ると『飯縄大権現』と書かれている。薬王院のご本尊、飯縄大権現は、平安時代から修験道の霊山として栄えてきた長野の飯縄山にまつられた権現様が原点なのだそうだ。今では最も身近な山になった、長野の飯縄山とここで繋がるとはびっくりだ。不動または無動の不動明王は、白狐に乗った天狗として表されるそうだ。孫が大きな天狗の像を見て驚いていた顔が忘れられない。
階段を登り、色鮮やかに施された彫刻の御本社を見て進む。
山頂 599mに到着したのは10時半、山頂広場には沢山の人が寛いでいる。山頂風景は20年も前に来た時と大きく変わらないような気がするが、中央に太い山頂標示柱が立っていた。広場の西に視界がひらけた場所があり、冬に訪れた時は富士山が目の前に綺麗に見えたが、今日は霞んでうっすらと見える。
山頂で少しだけ休んで景色を眺めてから、下ることにする。道々花を探しながら歩いてきたが、目当ての小さな花を見つけることができなかった。高尾山のリーフレットにも紹介されていたイナモリソウ、残念ながら数が減ってきたようだ。日の光を浴びてマルバウツギが純白の花を揺らしている様子は見事だが、その足元に咲く小さな花も見たいものだ。シャガ、フタリシズカ、タツナミソウなどはきれいに咲いている。高尾山といえばスミレの種類が多いことでも知られているが、5月も後半になるとさすがにスミレは実になっている。
「来た道を帰るのはつまらないね」と夫。登山用の準備をしていないし、時間もあまりかけたくないし・・・、でも同じ道は嫌だし、となれば行く道は一つ、3号路だね。
稲荷山コースを登り、6号路を下りたことが2度ある。孫と来た時は4号路を歩いた。今日は1号路に沿った山道の3号路を歩こう。
下り始めると深い森の中、右はきれ落ちた斜面だ。ただ高低差が少ないので、歩く人は多い。途中で小学生が登ってくるのとすれ違った。4年生という彼らは笑顔が素敵だ。「もうだめ」「疲れた」と大きな声で叫びながら、どんどん登っていく。小学生の元気な後ろ姿を見送って進む。遠足なのだろう。人数も少ないし、足取りも軽そうだったから気持ちよくすれ違ったけれど、一律にみんなが同じことをしなければいけないという登山には疑問を感じる。子供の頃に自然と触れ合うというのは素敵なことだと思うが、それはある日特別に1日だけ頑張るというのではなく、日々少しずつがいいのかもしれない。都会生活では難しいのかな。
森の中を下りていくといくつか沢を越える。小さな橋がかけてあり、橋の下を水が流れている。稜線を歩いていた時は乾いた印象だったが、沢が多いので驚く。細い道は木の根の出っ張りに足を引っ掛けると危ないから気をつけて歩こう。
いくつか沢を越えた狭い道で、足元に小さな花が見えた。「あった!」、先を行く夫に声をかける。引き返してきた夫に「イナモリソウが咲いてる」と指差す。今回の山歩きで見たのはこの一株だけ。あまり立ち止まらずに歩いていたせいかもしれないけれど・・・、いやそれでも注意深く見ながら歩いていたつもりなんだが。やはり個体数が減っているのだろうか。
道の途中に植生保護中の看板がいくつもあったけれど、人がたくさん訪れるということはつまり、道が荒れるということなのだろう。少しの我慢で、花を復活させようというようなことが書いてあったけれど、囲いを作って入れなくすることが我慢なのか。可愛いバンビちゃんなどといって生態系を乱す鹿の増加に目をつむることはどうなのか。自然は、殊に日本の里山の自然は人の営みと密接に関わって守られてきたところも多い。ところが今、人は都市に集中し、山里は荒れ放題、たまに人が入ると開発とかいう名の下に重機で押し潰していく。「美しい自然と言っても食べられない(金銭的価値?)」という声も聞くが、本当にそうだろうか。どんどん消えていく美しい自然や草花を守る社会に魅力を感じる人たちが世界規模でじわじわと広がっていることも確かだ。
じっくり先を見通した自然への関わりが必要なのだろう。何しろ自然は子孫から預かっているのだから・・・。
さて、山道に戻ろう。ミヤマカタバミやナガバノスミレサイシンらしい葉はたくさんあるが、花はもう終わったみたいだ。その後、タマノカンアオイの花を見つけ、ケーブルに向かう足取りは軽くなった。セッコクの花が満開の木の下を通ってケーブルの客となった。
夫と初めて高尾山に登った時は、小仏城山 670mを越えて、相模湖まで歩いた。春から夏への移り変わり、カエデの緑がとてもきれいだった。遠く相模湖を見下ろす道からは、はるか下にホオノキの花が満開だった。思えばずいぶん若かったのだ、城山山頂の小屋でおでんを肴にビールを飲んだらしい。らしいというのは、忘れていたからで、取り出した古い写真に写っている。今では昼間にビールを飲んだら、その後は歩けなくなってしまうだろう。
3歳の孫と一緒に登ったのは冬だった。孫は当時電車が好きだったので、色々な電車に乗るたびに大喜び、山歩きプラス乗り鉄の楽しい旅だった。八王子で特急あずさを間近に見て、車掌さんに頑張ってねと言い、出発していくのを見送った。小さな手でバイバイをする孫に車掌さんがニコニコ手を振ってくれた姿が忘れられない。
ケーブルカーに乗って高尾山に登り、山頂でおにぎりを食べた。寒い季節だったけれど、陽だまりがあったから山頂でのんびりしても震えることはなかった。
帰りは4号路を歩いた。孫の足取りは軽く、自然の中を歩くことを面白がっていたので、山道もいいかと思ったのだった。木の根が張り出している道を楽しそうに歩いている笑顔は、冒険家になったような自信を感じた。大きなホオノキの葉に穴をあけたお面をつけて「天狗さん」と笑う。細い吊り橋も孫にとっては楽しい冒険の場だったようだ。
この孫の弟が3歳になった時、再び高尾山を訪れた。「たくさん電車に乗ってお山へ行く」と、お兄ちゃんが嬉しそうに弟に話して出発。だが、この時は人が押し寄せた感じで、ケーブルカー前の広場は人でごった返し、乗車を待つ長い列ができていた。
私たちはケーブルに乗るのを諦め、稲荷山コースをゆっくり行けるところまで歩くことにした。少し登って旭稲荷様に挨拶してから、最初は急な山道を登る。子供たちは思ったより元気でなんだか楽しそうに登っていく。時々立ち止まり、駅でもらってきたリーフレットを開くのはお兄ちゃん。弟が何かたずねて兄が答え、再び歩き始める。ふむふむと頷きながらリーフレットを見る孫の顔に思わずこちらも笑みが出る。
気持ち良い森の中をしばらく登ったが、この日はお弁当を持ってこなかったので、時間を見計らって下ることにした。電車に乗ることと、山の空気に触れること、そして途中で美味しいご飯を食べること、それがこの日の子供達二人の楽しみだった。
再び真冬の高尾山に登った時は、孫と途中まで歩いた稲荷山コースを選んだ。主尾根の南にある尾根のコースで、道は思ったより広かった。長いけれど、後半はあまり高低差も厳しくないので歩きやすい。冬は空気が澄んでいるので、遠くの景色を楽しむことができる。登山道は森の中を行くので視界はあまりないのだが、山頂近くなると南アルプスが見える。そして山頂につくと、目の前に富士山が美しい。
帰りは6号路の沢沿いを下った。
長野に引っ越すことが決まった時、関東の山にはしばらく登れなくなるだろうと思い、その前に高尾山の花に会いに行ってきた。5月の引越し予定の一月前のことだった。
4月初めはスミレの花が咲く、気持ち良い季節だ。アオキの実が赤く色付いてきた稲荷山コースを登り、山頂へ。スミレは白、薄紫、濃い紫と、何種類かの花が咲いていたけれど、名前の特定は難しい。白いのはタカオスミレか、濃い紫の香りがあるのはニオイタチツボスミレか、などと頭の中で名前を想像しながら見ていく。
山頂は桜が満開。花霞で富士は見えないけれど、広々とした山頂でのお花見もなかなか良い。山頂のお店で蕎麦を食べてから下りることにした。何度か登っているけれど、ここでお蕎麦をいただくのは初めてだ。
さて、楽しみの沢コース。ミヤマカタバミやニリンソウが崖に沿うように咲いている。ヤマルリソウの青がきれいだ。エンレイソウの花も俯き加減に咲いている。そして水辺の湿った崖にはネコノメソウがあった。ハナネコノメは終わりかけているので、赤い葯が痩せている。それでも会えて嬉しい。ヨゴレネコノメも実になりつつあるようだ。ユリワサビの花も揺れている。
この沢を作る崖は粘板岩でできているそうだ。昔は海の底だったという。長い年月が砂や泥を岩にしたのだと思うと、その悠久の営みに息を呑む。
さらに下ると琵琶滝に出る。滝を見上げてから駅に向かった。
何度か歩いた高尾山、花の名所と言われているが、たくさんの人が訪れるという喜びの一方で、山が荒れ、花が減るという出来事も起こっている。これはどこでも抱える問題なのかもしれないが、一人一人が胸に刻んでいかなくては。 そんな人間の思惑は知らぬげに、山は季節それぞれに美しい。