土曜日から一人で我が家に泊まりにきていた孫と、筑波山に出かけたのは真冬のことだった。3歳半になる孫は、私たち『じぃ』『ばぁ』と一緒にお出かけするのが好きだった。
今年(2020年)、高校生になった彼とたまたま一緒に山道を歩くチャンスがあり(※)、その後の話のついでに古い山登りの写真を見た。
「覚えている?」と聞くと、もちろん「覚えていない」との答え。彼が覚えていないのは当たり前だけれど、私は雪道を一生懸命歩いていた孫の姿を思い出させてもらった。
当時住んでいた神奈川の町から車で、筑波山の麓まで首都高速、常磐自動車道を通って3時間弱の道のり。途中のSAなどでゆっくり遊びながらではあったが、ずいぶん遠かった。筑波山ケーブルカーの乗り場に着いたのはちょうど正午。電車が好きだった孫はもちろんケーブルカーにも興味がありそう。筑波山ケーブルカーはぐるっとカーブしている。2台の車両がケーブルで繋がれて行ったり来たりすることによって動く仕組みのケーブルカーの構造としては珍しい。車両を繋ぎ、導くケーブルの誘導滑車数が多いのだろうか。
ケーブルカーに乗って山頂駅に着くと、思っていた以上に雪があった。筑波山には二つの峰があり、山頂駅から近いのは男体山871m。最高点の女体山877mまでは少し遠い。
思っていたより多い雪に驚いたが、元気な孫に力づけられるようにして女体山を目指して歩き出した。
岩混じりの道をどっこいしょと登っていく。小さな体の孫にとっては、腰まであるような大岩を登る感じだ。日陰になっているところは雪が凍ってツルツル滑る。けれど、3歳という怖さ知らずの子どもらしく、小さな手を繋いでもらって元気に登っていく。途中にあったカエルのような形をしたガマ石を見つけ、ひと息つく。
筑波山といえば『たら〜りたら〜り・・・』のガマの油売りの口上を思い出すが、この石はその口上を考え出したことに由来する名前らしい。口のように見えるところに石を投げ入れて、石がそこに入ると金運が上がるとか、願い事が叶うとか言われているパワースポットなのだそうだが、そんなことは知らず、大きいねぇと言いながら見上げて通り過ぎた。
雪は残っていたけれど、日が当たる斜面はポカポカと暖かく小さな孫の冒険心を満たしていたようだ。
雪に触ったり、どっこいしょと登ったり、少し休んだりしながら女体山の山頂に到着。35分ほどかかっていたから、一般のコースタイムの2倍強というところか。頑張って歩いた。
山頂の岩に腰を下ろすと、はるか下の里が見渡せる。ここではさすがに怖くなったようで、孫は下の風景から目を逸らすようにしている。それでもいじっぱりなのか怖いとは言わない。自分で歩いてここまで来たという誇りのようなものがあるのかもしれない。
筑波山には、もっと昔、息子と娘を連れて登ったことがある。つまりこの孫の母親も、3歳の時に登っている。親子揃って小さな頃に連れてこられたというわけ。その時は6月だったので、道は歩きやすかった。電車で、常磐線から筑波線に乗り換えて行った。1両電車が広い田んぼの中をトコトコ走り、田んぼには真っ白いコサギがたくさんいた。筑波線は1987年4月に廃止されたというから、今では乗ることができない。
数少ない当時の写真を見ると、駅に止まっているタクシーの車体にも時の流れを感じる。
さて、話を戻そう。山頂には人がたくさんいたので、少し戻ったところにあった木のテーブルでお昼を食べることにした。周りには雪が残っているが、陽だまりはほの暖かい。山頂では大好きなトマトを頬張るだけだったので、お腹が空いていたらしい孫は、おにぎりをしっかり食べた。
腹ごしらえをしたので、ケーブルカーの駅に戻る。朝とは色違いの車両が待っていた。
ケーブルカーから降りると、麓の筑波山神社にお参りした。大きな鈴を鳴らして大喜び。宇宙の卵と銘のある巨大な卵も見つけた。科学万博つくば85 のシンボルだったそう。公衆電話の屋根に乗っていたこれまた大きなガマガエルの像も見つけ、遊びながら車に戻った。
元気とはいえ、さすがに3歳の足に雪道はキツかっただろう。車に戻るとゴロンと倒れ込んでしまった。
車は来た道を走り、家路に向かう。登ってきた筑波山を眺められるところで車を止め、ゆっくり眺めてから帰る。夕陽をあびて輝く草原を、あっという間に元気を取り戻した孫が走り回る。孫の顔も夕陽を浴びて輝いている。
首都高速を走っていると富士山がくっきり浮かび、その向こうに空を赤く染めながら太陽が沈んでいった。