一気に気温が下がって、猛暑を忘れそうになるころ、所要あって息子たちがやってきた。金曜日の仕事を済ませてから出発したので、我が家に到着したのは真夜中の3時近く。太平洋岸から車を飛ばして長野までやってきた。
若いというのはすごいと感じるのは、自分が年取ったからか。
真夜中に着いて眠り、土曜日の朝少し遅めに起きてきた息子たちは、「今日はどこへ行こうか」と話している。用があるのは日曜だから、前日は休養日と思っていた私と夫はびっくり。我が家からあまり遠くないところにちょっと行ってくるのもいいかと思うが、志賀高原は初雪だそうだし、標高が高いところは雪化粧が始まっているようだ。ネット検索をしていた、花の好きな息子のつれあいが「まだコスモスが咲いているみたい」と言う。黒姫高原だ。検索の画面を見るとキバナコスモスはまだ見頃とある。赤や白のコスモスは終盤らしい。我が家の庭では真夏に萎れていたコスモスが息を吹き返し、赤白、桃色のコスモスが花盛りだから、まだいいのかもしれない。
夏にやってきては長野周辺を歩いている息子一家だが、黒姫高原にまだ行っていない。黒姫高原にはスキーに出かけて吹雪に煽られ、諦めたことがある(※1)。大晦日だったせいか豪雪だったせいか、道の駅しなのも閉まっていたから、駐車場は広い雪の原になっていた。孫たちは道の駅の駐車場に積もった新雪の広場で遊んで帰った。あの時高原まで行けなかったから、今回は高原まで行ってみようかと、みんなで出かけた。
長野市内でお昼を食べてから高原へ向かった。神奈川から来た息子たちは長野の寒さに驚き、コートなどをしっかり用意して出かけた。到着した高原は風が冷たく、時々太陽が雲の向こうに隠れると寒いくらいだったが、日がさせばふわりと暖かかった。
高原に着いて斜面を見上げると、コスモスはほとんど散ってしまっているようだ。端の方に見えるのはコスモスかダリアか。まだ見頃と紹介されていたキバナコスモスは斜面に黄色い帯となって咲いているようだ。だが、遠くから見る花は晩秋の風の中に小さくなっているようだった。
営業していたペアーリフトに乗り、みんなで丘の上まで空中さんぽと洒落込んだ。広いコスモス畑の上を登っていくリフトだ。緩やかに高度を上げていくと、後方の野尻湖が見えてくる。前方の黒姫山には雲がかぶさっている。
そして一番楽しみだった足下のコスモスはほとんど咲いていない。見頃との紹介だったキバナコスモスも葉が茶色に枯れているものが多く、精彩を欠いてしまっている。やっぱりちょっと遅かったみたいだ。それでもリフトを降りて、広い高原を見渡す丘の上に立つと、気持ちまで広々と広がっていくようで気持ち良い。
秋の黒姫高原には何回か訪れているが、いつも誰かを案内してきている(※2)。一度、友人を案内するための下見と称して夫と二人で来たことがある。黒姫駅まで電車でくる友人をどんなコースで案内しようかと、楽しみながら高原を散策した。童話館の上から遠く黒姫山の斜面に咲くコスモスを見たが、その時も山には雲がかぶさっていた。車で黒姫駅まで行き、駅中の蕎麦屋さんで蕎麦を食べたことを覚えている。
さて話を戻そう。残念ながらコスモスの盛りは過ぎていたが、高原の爽やかな空気に包まれて散策する人は思ったより多く、花の中に続く道を歩く人影が見えている。コスモスの華やかな色の代わりに散歩道に沿って植えられたダリアの花が鮮やかに咲き始めている。私は野の花は大好きだが、人の手で変化させられた花にはあまり興味がない。このダリアにも名札がつけてあるところを見ると、工夫して作られた品種なのだろうが、名前を覚えようという気持ちはあまり湧いてこない。
高原を降りてキャンプ場併設のお店があったのでのぞいてみた。木片に焼きごてで絵や文字を描くウッドバーニングや、キャンドルなどを手作りできるコーナーがあった。壁飾りにもなりそうなウッドバーニングに挑戦した孫は真剣な顔。
作品を仕上げての帰り道は大好きなりんごをたっぷり購入した。お店のりんご畑に立ち、たわわに実る真っ赤なりんごの隣で笑顔が弾けた。