新潟県育ちの私は、いつか新潟県の県境を分けない最高峰火打山に登りたいと思っていた。そして妙高山にも。妙高山は新潟県に位置する山だけれど、北信五岳に数えられ、長野県北部の人にはその美しい姿が様々なところから望める山だ。
仕事が忙しい時こそ、休みがうれしくなる。夏休みを有効にと、私たちは山の花が最もたくさん咲き乱れると言われる7月下旬に新潟へ向かった。1日目は午後出発、信州中野のホテルに泊まる。
朝早くホテルを出発。笹ヶ峰の駐車場に車を停めて、歩き始めたのは8時20分、もう少し近くに宿を取った方が良かったと思うのは、後の話。黒沢の出会いまで40分は豊かなブナ林の中の気持ち良い道。2018年6月にこの道を歩いてみたが(※)、ほとんど全行程に木道が敷かれていた。たくさんの人が歩くから、土がえぐれてしまうのだろう。もちろん、木道の道より、自然の土の道の方が足には嬉しいのだけれど、こうやって山を守っていけるのだから、ありがたいことだ。
さて、黒沢を越えると、十二曲がりのジグザグ急登が始まる。この道にはシラネアオイが咲くそうだが、もちろん真夏の今はもう実になっている。少しずつ高度をあげていく。豪雪地帯らしく、道の脇の樹木が雪に押された時のカーブを描いたまま大きくなっている。樹高は低くなってきた。
その大きく曲がった木の幹の間に白いものが見えてきた。あれは・・・キヌガサソウ。すごい、一面キヌガサソウの大群落。登山道から木々の間を見ると、ずっと奥まで続いている。私たちは大喜び。これまでにも数輪咲いているのを見たことはあるが、これほどたくさん咲いているのを見るのは初めて、しかも今を盛りに!素晴らしい。
登山道を黄色く彩るオオバミゾホウズキもどこまでも続いている。森の淵にはゴゼンタチバナ、マイズルソウの可憐な花もたくさん見える。もっと暗いところにはギンリョウソウがひっそり咲いている。
黒沢の出合いから1時間半ほどで富士見平に出た。それまでの大きな岩がゴロゴロしている急坂から広々とした高嶺の雰囲気になる。空気が澄んでいれば名前の通り富士が見えるそうだが、この日は夏の湿った空気だったからか見えなかった。
富士見平からは緩やかになった道を高谷池まで歩く。高谷池はハクサンコザクラが有名なので楽しみにしていた。池のほとりに到着。山の清涼な空気に包まれた広い池の向こうに濃いピンクの広がり、ハクサンコザクラだ。しばらく花を眺めて、高谷池ヒュッテに入る、12時だからお昼ご飯を食べよう。高谷池ヒュッテは尖った青い三角屋根が特徴で、私たちはここに宿を取ろうと思っていた。ところがヒュッテは完全予約制、あっけなく断られてしまった。仕方ないので、簡単にお昼を食べ、荷物だけ置かせてもらって火打山を目指すことにした。
高谷池から天狗の庭に向かう。広い湿原は、ピンクのハクサンコザクラ、白いイワイチョウ、ふわふわのワタスゲ、花の競演が続いて目を奪われる。噴火活動中の焼山もすぐ隣で迫力ある姿を見せてくれる。
天狗の庭を夢見るようにふわふわ歩く目の前に、目指す火打山が残雪を纏って見える。緩やかな稜線に高山の風格を感じさせられる。
天狗の庭から火打山に向かって登っていくと右奥に岸壁が大きく現れる。鬼ヶ城の岸壁。火山の名残の岸壁を眺めながら登ると、ライチョウ平に出る。ライチョウ平では少し周囲を気にして見てみたが、残念ながらライチョウには会えなかった。
午後2時20分、目指す火打山登頂。近いところにはここより高い場所はない。隣の妙高山が届くような近さに見えている。こことかしこの間には水を湛えた天狗の庭が一面の広がりを見せている。山あいに湧き上がる雲の動きさえ、山上の豊かさを歌っているように見える。大展望だ。うっすらと雲が動いているから、お隣と言ってもいい白馬岳も実際は霞がかって見えているのだけれど、心の昂りが『綺麗メガネ』になっているようだ。みんな綺麗、みんなすごい、幸せ。
とは言ってもずっとここにいるわけにはいかない。そろそろ降ろう。一面ミヤマキンポウゲの黄色い絨毯の中、足どりも軽くなる。4時前に高谷池ヒュッテに立ち寄り、荷物を拾って、今夜の宿を目指す。
疲れもあり、宿が取れるかどうかの不安もあり、荷物も背負って茶臼山2171mを登るのは気分が重かった。茶臼山を越えるとあとは黒沢ヒュッテに向かって下っていく。目の前に青い帽子をかぶったような屋根が見えてきた。着いたのはもう夕方の5時だったけれど、無事宿泊できた。しかし混んでいて、3階だった。私たちが寝場所を確保してからも泊まり客が増えてきた。隣の人とくっつくような狭いねぐら、それでも屋根のあるところで横になれるのはありがたい。屋根の真ん中にぽっかり円窓があって、そこから空が見えるのが面白いけれど、混み合ってくる前に寝ることにした。
翌朝は6時になる前に出発。宿で、朝ごはんと昼ごはんを包んでもらって歩き始める。妙高山に登るにはまず外輪山の上に出なければいけない。30分ほど樹林の中を登っていくと、外輪山の一角、大倉乗越に着いた。ここからは急な下りになる。幸いお天気も良さそうだ。ここで朝ごはんを食べることにした。宿で持たせてくれたのはパック入りの炊き込みおこわのようなもの、「え〜これなの」「このまま食べられるのかな」と、ちょっと首を傾げながら袋を開けた。ところがこのご飯、思ったより優しい味で、美味しい。山でのお弁当といえばおにぎりと思い込んでいたけれど、現金な私たちはパック入りもなかなか良いじゃないかと話しながら食べる。
さて、お腹も膨らみ、いよいよ急な下りに取り掛かる。100メートルくらいの標高差をいくらかトラバースぎみに一気に下る。周りの木に捕まりながら滑るように降りていく。怖い、怖い。しかもまた上りが待っているのだ。
なんとか下りきると、長助池への分岐を左に見送り、今度は上りだ。前を行く夫の尻だけ見えるような急登が続く。
大倉乗越から下って登って2時間、ついに妙高山北峰に到着。一等三角点があるところで記念撮影。山頂は大きな岩がボコボコ立っているが、思っていたより広く平坦だ。テガタチドリの花が大きい。明るいピンク色で、緑濃い山頂に文字通り花を添えている。
特徴のある妙高山の姿は、スキー場から、周囲の山の頂から、何度も眺めたけれど、ついに山頂に立つことができた。見晴らしは最高、特に眼下のスキー場を見ると感慨深い。池の平スキー場の雄大なゲレンデが大好きで、何度も通ったものだ。夫は、下を見ながら「マイゲレンデが見えるよ」などとおどけている。
山頂の風に吹かれながら1時間ほど遊んだか、ゆっくり帰ることにした。上りでももちろん急だと思っていたが、下り始めるとまるで落ちていくような感じだ。所々に鎖もあるが、それは滑り落ちないための用心というところか、足場はあるが、とにかくズンズン落ちていくという表現がぴったりだ。時々足を止めると、下の方に開ける長助池周辺の湿原が見える。気持ちよさそうだ。いつかあそこも歩いて見たいねと話しながら、またズンズン降りる。
山頂を出発した時は9時半を回っていた。来た道をそのまま引き返して、ちょうど正午に黒沢ヒュッテに到着。ヒュッテの前の広場では何人かの登山者が休んでいる。私たちもヒュッテの前のテーブルを借り、お昼を食べることにした。
昼食後は黒沢池を横切り、富士見平に出る。そのあとはきた道を引き返す。もう登りはないから、気分は楽だ。
黒沢池の大湿原は見事なコバイケイソウの花盛り。私たちは嬉しくて思わず叫ぶ。「わぁー」「満開だ」「こんなに咲いているの、見たことがないね」などと、人がいないのをいいことに大きな声で話しながら歩いていく。
コバイケイソウの群落が続き、また一方の湿地にはワタスゲが真っ白に揺れている。ほとんど人がいないのが不思議でもあったが、こんなに雄大な景色を二人じめだ。「そういえば、昨日の天狗の庭でもほとんど人に会わなかったね」「私たちのコースの取り方が一般的じゃないのかな」「宿にはいっぱい人がいたものね」などと話しながら、木道を歩く。
写真を撮ったり、立ち止まって花をのんびり眺めたりしながらコースタイムをたっぷり上回って歩いた。もちろん、満足、満足。
黒沢の出会いを渡った時は2時40分。笹ヶ峰の駐車場まで戻って、支度を整え4時前には出発した。もっと時間がかかるかと思っていたので、この日もホテルを予約していた。帰り道に便利な中野のホテルに到着したのは夕方の6時だった。
翌日は真っ直ぐ帰るつもりだった。しかし、朝ごはんを食べて空を見ると、曇ってはいるけれど雨は落ちていない。やっぱりまっすぐ帰るのはつまらないねと、草津本白根山に登って帰った。詳細は別稿(※)で紹介したが、結局雨粒の落ちる中を歩く羽目になったのに、あまり疲れた記憶はない。本当に若かったんだなぁ。