しばらく前から行ってみたいと話していた。紅葉を見に行った時は、道路が閉鎖されていて引き返した(※)。「道が通じたみたいだよ」と夫。「夏は暑いんじゃない?」と私。
それでも出かけたのは、またいつ道路が崩れてしまうか分からない、行ける時に行っておこうと考えたから。 (※山歩き・花の旅57虫倉山2)
旧鬼無里村(現在は長野市)の中央に円錐形の独立峰が見える。戸隠西岳の岩峰群が続いてきて、山脈が終わったかに見える先にピリオドのようにポツンと立っている山、一夜山(いちやさん)。飯縄山、虫倉山などに登ると、その小さいながらも綺麗な形の山が目を惹く。いつか登ってみたいねと何回言っただろう。
長野からは白馬に向かう国道406号線を走る。鬼無里の中央部から戸隠方面への県道を進み、財又という地名で林道に入っていく。冷沢沿いの道は狭いながらも所々舗装の跡があり、なんとか登っていく。この沢は暴れ沢なのだろうか、一定の距離を置いてずっと上まで堰堤が築かれている。くねくねと沢沿いの道を進むと、T字路に着く。右に行けば西岳下に続いているようだが、今は途中で通行止めになっているそうだ。ここを左に曲がると数台分の駐車場がある。家からは1時間弱で着いた。
登山靴を履こうと、窓の外を見てびっくり。すごい数の虫が飛んでいる。小型のアブだろうか。ガラスにぶつかっているのもいて、ドアを開けたらワッと入ってきそうだ。
自然の中なんだから仕方ないねと言いながら、勢いよくドアを開け、靴を履き替え、支度をして歩き始める。それにしても多い。虫が。
物凄いガタガタ道だが、車も通れる広い道をゆっくり登っていく。シシウドやミヤマイラクサの花が満開だ。その中にポツリポツリと赤や黄色のツリフネソウがぶら下がっている。いつ見ても面白い形、自然の造形の見事さを感じる。
しばらく歩くと広い草原に出る。ここまで車も入ることができるようだ。私たちが停めた駐車場と同じくらい広い。その先は車両通行止めの柵がある。
道はどこまで行っても広い。ここはなんのための林道なんだろうねと、地図以外の下調べが苦手な私たちは首を傾げる。なんと一夜山の石を運び出してダムを作ったそうで、そのときの石を運ぶ道なんだそうだ。帰ってから調べて知ったのだけれど。
ソバナが綺麗な紫の花を咲かせている道をしばらく歩くと、目の前に崖が立ちはだかる。この時は、戸隠と同じく天然の岩壁と思っていたのだが、これが石を切り出した後とのこと、「え〜っ?」でしょ。
大昔、天武天皇の頃、この地へ遷都しようとしたことに反対して、ここに住んでいた鬼たちが一夜にして作った山がこの一夜山。
鬼の住んでいた里だったのに、なぜ「鬼無里」? 怒った天皇が鬼を退治したという説と、この地に伝わる鬼女紅葉(もみじ)の伝説からという説があるらしい。鬼女紅葉の伝説は様々な脚色がされて舞台芸術にもなっている、京から落ち延びてきた妖術を使う鬼女が平維茂(たいらのこれもち)に退治されるというお話。いずれにしても、古くから鬼が住んでいたという言い伝えがある、深山幽谷の地なのだ。
様々な花が林道の縁を彩っている。地味な色だけれど、目を惹かれる形の花々が多く、それは嬉しいのだが、写真を撮ろうとすると、アブが喜んでやってくるのにはまいった。でも、ブンブン飛んでいるけれど、私たちを餌にしようとしているのではなさそうだ。汗の水分か塩気が欲しいのだろうか。
アブを追い払いながら最後まで歩きやすい道を登ると、山頂広場に飛び出した。青空の下、360度の展望とはこのこと。もっと澄んでいれば富士山も見えるらしいが、今日は暑さで空中に少し霞がかかったようで、遠くは見えない。
山頂にくれば虫はいないかもしれないと期待していたが、なかなかそういうわけにはいかない。それでも森に挟まれた道に比べれば遭遇率は低くなる。祠の陰に座っておにぎりを食べていてもあまり気にならない。まだ10時だけれど、小さなおにぎりは10時のおやつにちょうどいい。
チョウやトンボがまるで遊んでいるように絡みあったり、鬼ごっこをしたり、見ているだけで時間を忘れる。青い空に筋を引いたような雲がゆったり流れ、「あ〜秋」と思う。ぼんやり空を見上げながら過ごす山頂の1時間はあっという間。
周りの山々を指差しながら、登った山頂を思い出す。あいにく北アルプスの山頂部は雲が行ったり来たりしていて見えない。
そろそろ帰ろうか・・・と言っていたら、二人連れが登ってきた。「すごい虫ですね〜」が第一声。挨拶をして先に降りる。花の写真を撮っていたら、さっきの二人連れがもう降りて来た。「虫がすごいので、休まずに降りて来ました」と言う。「確かに虫は多かった」「けれど、私たちは1時間も遊んでいたね」「彼らは都会から来たのかな」などと話しながらゆっくり降りていくと、もう一人男性が登って来た。「山頂にも虫はいますか?」と聞かれる。南の地域でバッタが異常発生しているが、一夜山の虫も異常発生したのだろうか。帰り道の途中から夫が虫にまとわりつかれ、人ごとではなくなった。いつもは羽虫などが私の方に集まるのに、一夜山は夫が「行ってみたい」と強く思っていたから虫の歓迎を受けたのだろうか。
夏の低山で怖いのは『暑さ』だけではなく『虫』も。ひとつ学んだね。