雪が思い切り積もれば、スノーシューで森の中を自由に歩ける。それは知っている。だが、子供の頃カンジキを履いて育った私は、実はスノーシューがあまり得意ではない。足からぶら下がるようなものを引きずって、しかも前にしか進めない。・・・とは言うものの、道がなくても雪の上を自由に歩けるのはやっぱりいいなぁとも思っている。
「凍渡り(しみわたり)」というのが真冬には当たり前の現象だった。太陽がささない気温が低い日には、積もった雪の表面が凍ってどこまでも歩ける。2メートルも積もった雪の原を、野生動物のようにうっすらと自分の足跡を残して歩き回れる。油断しているといつの間にか気温が上がり、ズボッと潜ることになるから要注意だが。
そんな私にとっては、雪の上を歩くのは楽しみだ。そして雪が積もってはいるが、夏道を辿って歩くことができるくらいの時が一番自由に楽しめる。あ、あとは残雪期かな。
大谷地湿原は、我が家から最も行きやすい湿原だ。浅川ループ橋から戸隠に続く道路は整備されていて走りやすいと思う。途中の飯綱高原スキー場が閉業されてしまったのが残念だ。孫が小さい頃はよくここで遊んだものだ。冬季オリンピックで日本人選手が金メダルを取った会場だが、地球温暖化なのか雪が積もらなくてはスキーはできない。
スキー場跡を横目で見ながら走ると大座法師池にぶつかる。大谷地湿原はすぐ先だ。今日は大座法師池をぐるりと回ってから足を伸ばした。大座法師池を一回りした後、真っ白になっている大谷地湿原に向かったのは雪原を歩く楽しみを思い出したからかもしれない。
この連休に降った雪はそれほど多くないと言っても、前に歩いた人の足跡を消すほどには積もっている。私たちは入り口の坂を降りて湿原に向かった。 真っ白な雪の原には縦横に曲線を引いたような跡が残っている。大きく窪んでいるから一見人が歩いたようにも見える。だが、時々近づいて木道に乗ってまた雪の上に降りて続く様子はノウサギのようでもある。日が当たって足跡の周りが溶けて窪んだから、実際以上に大きく見えているようだ。
木道を歩いて周遊路の方まで行ってみる。沢を越えると一の鳥居苑地に向かう道が少し登りになっている。ここにはぼやけた足跡が残っていた。だが、ここから分かれて湿原の奥に向かう周遊路はすっかり雪で覆われている。
どうしようかな。夏道は何度も歩いている。周遊路の周りに広がる森の木々は葉を落としてすっかり見通しが良くなっている。少し回って四阿あたりまで行ってこよう。木道で待っていると言う夫を残して斜面の裾を歩き始める。今回降った後は誰も歩いていないみたいだ。気持ち良い。ボクボクと少し潜りながら吹き溜まりのようなところを越えると、周遊コースを案内する看板が立っている。寒いのにご苦労様ですと言うのもなんだかおかしいが、この雪の原にひっそりと立って春まで雪に潜っているのかと思うと、ちょっとだけ頭が下がる。実際は取り付けたり整備したりする人の方こそ大変なのだけれど。
つまらないことを考えながら沢を越す木道に登ったら、ガサっと音がして何か飛び出してきた。一瞬ビクッとするが、すぐノウサギだと分かる。ノウサギは目の前を湿原から森の奥に向かって跳んでいった。あっという間。ポケットのカメラを出して構える頃には雑木林の向こうに見えなくなってしまっていた。5メートルも離れていなかった。この季節ノウサギは真っ白かと思っていたが、走って行ったウサギは薄茶色で大きかった。湿原と森との境あたりで何か餌を探していたのだろうか。沢を渡る木道の橋の下をくぐって跳んでいったので、上から、今ついたばかりの足跡を眺めた。うっすらと筋がついている。
積もった雪が枯れた草々を隠しているが、一際高くスックと伸びているのはオオウバユリ。この森にはオオウバユリが多い。たくさん実った種はもうほとんど飛んでいって、空になった実をつけて立っている。この潔さが好きだ。
振り返れば自分の足跡だけの周遊路を進んで四阿に到着。立木の間から湿原を見ると、遠くに夫が手を振っている。こちらも手を振りかえして、戻ろうか。自分の足跡を踏みながら夫が待つ湿原に戻る。
数年前の3月に孫と来たときは、雪がほとんど解けていた。まだ緑の芽吹きは全くなかったが、春を感じさせる空気が漂っていた。だが、流れる水は氷のように冷たかった。
今は1月の半ば、雪はこれからもっと積もるだろう。積もって解けてを繰り返し、太陽が少しずつ高くなるにつれてやってくる春が、もう待ち遠しい。