毎年、年末から年始にかけて子供達家族が長野にやってくる。仕事をしている親と、学校へ通っている孫の両方が長めの休日を共にできるのはお盆と正月。とはいえ、だんだん孫達が成長して、バイトだ部活だとそれぞれの予定ができるようになると、一緒に来るのも難しくなり、孫達だけがそれぞれ別の日程でやってくることも増えた。今回はあの子が別、今回はこの子が別と、家族全員で長野に来ることが減っていた。
今年は久しぶりに息子一家が親子全員で長野にやってきた。免許を取って初めての高速道路長距離運転となった孫が、全行程一人で運転してきたそうだ。
三人の孫たちはそれぞれ好みも動き方も違うので、面白い。運転してきた孫はさすがに疲れたらしくゴロゴロ休暇を満喫のようだ。中学生の孫は早起き、夫と朝のうちに色々なコースを散歩してくる。やってきた翌朝さっそく湯福神社から往生寺の方まで歩いてきたと弾けるような笑顔だ。
長野に住んでいる私たちにとっては煩わしい雪も、暖かい太平洋岸からやってきた子供達にとっては嬉しいらしいが、12月に入って随分降っていた雪も、年末になってからはあまり降らない。チラチラ舞う程度だ。それでも窓の外に舞う雪を見つけると「わぁ〜」と喜んでいる。
散歩道が凍っていても「ツルツルだ〜」と大喜び。気を付けながらも元気に歩いているのは若さか。 プロのバレエダンサーとして活動している孫は、たまのお休みだからと朝寝坊を決め込んでいる。長野に来る直前までツアー公演で関西を回っていた。私たちにもお土産の生八橋を持ってきた。
年末のひととき、それぞれの活動時間帯が違うので、今回は女子二人(?)で一番近い山に行ってこようと、寝坊助さんが起きてからのんびり出かけた。
春になれば桜の名所で賑わう城山公園も、この季節にはあまり人がいない。孫たちが小さい頃からたくさん遊んだ城山公園を歩いていく。公園から気象台の脇を通って高台に出ると、志賀高原から菅平高原に伸びる稜線が青くつながっている。山肌が白いのを見て綺麗だねと嬉しそう。
ここから稜線をぐるりと回って城山の山頂にある、県社に向かう。裏から登ることもできるが、孫は初めてだから、表の鳥居をくぐる階段を登っていこう。鳥居に掲げられた社名を見ながら孫は首を傾げる。「けんぎょめいほうふめい・・・?」「なんて読むの?」。
「たてみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ(健御名方富命彦神別神社)」、私が名前を読んだら大笑い、「全部違う読み方だ〜」。何年か前にこの孫の兄と一緒に来て、やはり首を傾げた(※1)。その時調べて覚えたのだ。
この神社が立っているのは善光寺の東隣に位置する高台、城山(じょうやま)だ。標高は約420m。長野盆地西縁の活断層が隆起してできた丘陵だそうで、上杉謙信が陣取った横山城があったところだそうだ。県社(けんしゃ)と地元の人々が親しみを込めて呼ぶ社は横山城の主郭跡に建てられた。
すぐ近くにあるのに、この社まで登ることは少ない。中腹から麓に広がる城山公園には度々足を運ぶのだが、山頂への階段を登ったのはまだ数回かもしれない。
それでも今年は多い方か。夏の終わりにやってきた友人(※2)と登り、秋にやってきた友人とも歩いた。
10月後半にやってきた友人は歴史や建物に造詣が深く、戸隠奥社を歩いたり、千曲の古墳に足を伸ばしたりしたが、ここ県社にも興味を示し、長い社名に首を傾げながら解読しようとしていた。
城山の善光寺がわ麓には長野県立美術館があり、その屋上の広いテラスに立つと、目の前に善光寺が、そしてその背景に旭山から北に伸びる葛山、大峰山、地附山の稜線が綺麗に見える。友人と三人で少しはしゃぎながら善光寺を見下ろしたことを覚えている。
孫と県社を降りながら、テラスに行ってみようかと話した。だが、美術館は年末休業に入っていて、テラスに入ることができなかった。広いテラスの柵の外から善光寺の屋根だけ見て下に降りた。
下に広がる城山公園は孫が小さい時いっぱい走り回って遊んだところだが、美術館建て替えに伴ってたくさん木が伐られて様変わりした。茶枯れた芝生の広場を歩きながら「変わったね」と呟く。噴水広場の向こうに白い屋根の建物が並んでいるのを指さし、「あれは何」。木を伐ってしまって木陰がなくなったので、建てたらしい。これまた首を捻る話だが、伐ってしまった大木は戻らない。屋根の白さを雪かと思った孫は、近づいて「あれ、雪じゃなかった」。苦笑いしながら座っている。
綺麗な風景の中でよくポーズを取っていたので「アラベスクする?」と聞くと、苦笑い「No」。