黒姫高原から北へ降って関川を渡ると、そこは新潟県。妙高山の裾野を今度はぐんぐん登って笹ヶ峰高原に向かう。「妙高杉ノ原スキー場」のゲレンデを縫うようにジグザグ道が続いている。スキーで訪れたのは一回だけだが、リフトで一番上まで上がると標高1855m、とても長いコースなので、一気に下まで滑り降りられない。上部を何度も往復して、見晴らしも楽しんだことを覚えている。最上部からは目の前に黒姫山の山頂が見え、その左遠くに富士山が見えていた。
初夏の風の中、一面の緑になったゲレンデを見ながら進み、峠を越えると、目の前にまだ雪を乗せた焼山がぽっこりと見える。左に金山、天狗原山と稜線が続く。車を停めて、見晴らしの良い道を少し歩いてみる。斜面にはミヤマガマズミ、ミヤママタタビの白い花が見えている。
しばらく見晴らしを楽しみ、高原の爽やかな空気をいっぱい吸って、再び車を走らせる。笹ヶ峰牧場を黄色に染めるキンポウゲが太陽の光を跳ね返している。左に折れて降っていくと笹ヶ峰ダムのダム湖、乙見湖(おとみこ)に着く。駐車場には、立派な丸太小屋の休憩舎が建っている。休憩舎の脇にはテントが張られ、中で数人の男女が筍の皮を剥いている。靴を履き替えて近づくと、筍汁の看板もある。中にいた婦人が「帰りに寄ってくださいね」と声をかけてくれる。夢見平の散策マップや、花のガイドも置いてあったのでもらっていこう。ふと見ると「あまとみトレイル」の文字がある。この前歩いた古池(※)も「あまとみトレイル」のコースだった。その話をすると、男性が、「この人が名付け親ですよ」と言う。ニコニコしながら「あまとみトレイル」の話をしてくれた名付け親の男性に見送られて、私たちは夢見平に向かう。
雨飾山、斑尾山、戸隠山、妙高山をめぐる「あまとみトレイル」は現在長野駅を起点に斑尾山の山頂まで続いているが、この後、妙高から雨飾山の麓まで伸ばし、塩の道に繋ぐ計画だとか、深い山懐を巡るコースだ。
さて、昔、雪が残る中を歩いた懐かしい夢見平に向かおう。笹ヶ峰ダムを越えていくが、まず「神道の門」をくぐる。大きな丸太で作られた門は20数年前にもそこにあった。同じ門をくぐってダムの堰堤に出る。キンポウゲが一面に揺れている。乙見湖の向こうに焼山がぽっこり見え、右に火打山の稜線が続いている。森の中は緑一色だが、山頂には雪が眩しく光っている。
以前歩いたのは5月中旬、まだ森の中も一面の雪だった。花が咲く頃もう一度来てみたいと思い続け、ようやく実現した。前に来た時は雪道に足跡もなく、地形図を見ながら自由に歩いたが、今回は夢見平のマップを片手に散策路を進む。
乙見湖から急な階段を登って森の中に入ると、コースはここから二手に分かれる。前に来た時はまず湿原に降りたが、今回は上の森の中の道から歩き始める。この道は黒姫駅から続いていたトロッコ軌道の跡に開いたそうだが、歩きやすくなだらかに続いている。すぐ菱の池というところにぶつかる。クリンソウが赤く咲き、水の中には黒山椒魚の卵塊がいくつも見える。さらに進むと大きなミズナラの木が2本見えてくる。神彦、道姫と名付けられた2本の巨木の間に稲荷神社が祀られているので、お参りをして進む。
道はいくつもの沢を丸木橋で渡るが、沢を埋める水芭蕉の葉は見事に大きく育ち、お化けになっている。花の頃はさぞ綺麗だっただろう。
天狗の涙川、天仁橋と、名札を見ながら進んでいくと夫婦泉という沢に着いた。泉が湧き出しているらしく、カップが二つ置いてある。クリンソウが群落になって綺麗だ。歩き始めからお供をしてくれたのは真っ白に光るユキザサ、ズダヤクシュ。ツボスミレやツクバネソウも多いが、水辺にはオオケタネツケバナの花も白く光っている。白く小さな花が多いが、ラショウモンカズラの濃い紫、オオバミゾホオズキの黄色も華やかだ。ときどき花が緑色に近いミドリユキザサも咲いている。
花を見ながらのんびり歩いていると時間を忘れる。雪に覆われた季節には誰にも会わなかったが、今日は何人かの散策者とすれ違ったり、追い越されたりした。
この先、分岐をさらに奥へ進むコースがあるが、のんびりしゃがんだり立ったりの花撮影をしながら歩く私たちは、下の湿原に向かうことにする。倍の時間を要する奥のコースは「きつねコース」、私たちが進む短いコースは「うさぎコース」と言うそうだ。
ゆっくり坂を降りていくと夢見平の看板がある。かつて一面の雪原だったところは湿原の広がりになっている。シラカバの森の中にお化け水芭蕉の葉がどこまでも続いている。
水芭蕉はお化けになってしまったが、森の奥をのぞくとポツリと白い大きな花が見える。あれは、山芍薬だ。すでに散ってしまったもの、花びらが変色してしまっているものばかりだが・・・。私の好きな花、少し遅かったか。
設置してある看板を読みながら、菖蒲池、白樺通りと進むと次はズミのトンネルが現れる。本当に屈んで通るようなトンネルが続く。まだ花がたくさん残っていたが、終盤だ。私たちは赤い蕾を見つけると喜び、たくさん咲いている枝を見て喜びしながらトンネルを進んだ。
足元にはツマトリソウ、タニギキョウが小さな白い花を開いている。そして、コシノカンアオイの葉が一面に広がっているところもある。葉の付け根を見るとぽってりとした花がまだ転がっている。黒みがかった赤紫の花はじっくり探さないとなかなか見つけられない。
小さな流れを富治橋で渡り、深いカラマツの森に入る。頭上から小鳥の声が降ってくる。道は緩やかな起伏の中を進む。小鳥の森という看板があって、なるほどと思う。森を進むと、大きな木が何本も立っている。思わず神々しいと感じてしまうような巨木があちらにも、こちらにも。
中には熊がくりぬいたのか、大きな洞が空いている木もあり、ブナとミズナラか、2本の木が仲良く寄り添っているようなのもある。見上げればどこまでもごつごつとしたコブを纏って天に突き上げている木もある。
ゆっくり右を見、左を見しながら歩く。森は一様ではないと感じる。
散り積もった落ち葉を持ち上げるようにギンリョウソウがポコポコ顔を出している中を、乙見湖に戻る。丸太の立派な休憩舎で、持参したおにぎりと一緒に筍汁をいただく。この地方のソウルフードの一つなのか、筍とサバ缶の味噌汁はじんわりと体に染み込んでいくようだ。
妙高山と黒姫山の間に広がる雄大な森林を走っていくトロッコが、ふと目に浮かぶような気がした。