「早く咲かないかなぁ」今年ほど花が待ち遠しい年はなかったかもしれない。ここ数年春先に暖かい日が続き、花々の開花がとても早かったからつい期待が先走ってしまう。
見に行きたいと指折っていたカタクリも、梅もセリバオウレンもまだ雪の下だったり、硬い蕾だったりするようだ。長野市内に咲く紅梅、白梅、河津桜、魯桃桜(ろとうざくら)などを見て回ったが、開花している花はわずかだった。 花見にこだわらず、ゆっくり歩けるところへ行ってこよう。裏山にはまだ雪が見えるから登山道が南斜面にある頼朝山にいくことにした。家から歩いていくと登山口まで30分以上かかるけれど、玄関から登山靴を履いて一日歩くのも久しぶり、楽しみだ。
途中の赤地蔵に黙礼し、瓜割清水の冷たさを感じてから登り始める。倒木や、折れて落ちた枝が重なり合い、キクラゲの仲間だろうか、くにゃくにゃした茶碗型のキノコがびっしり張り付いているのを眺めながらのんびり歩くと20分もかからずに見晴し台に着く。頭上には咲き出したダンコウバイの黄色と、梅の白が光を集めている。足元にはチャンチンの落果が茶色い花のようにたくさん転がっている。
いつもは右の道に入り、頼朝山へのコースを登っていくのだが、今日はのんびり歩きを目指してきたから、まだ行ったことがない中腹を巻いていく静松寺への参道を行ってみよう。以前途中まで行った時にはフデリンドウがたくさん咲いていたが、まだ斜面は茶色一色だ。
この参道には西国三十三ヶ所巡拝の観音像が祀られているが、長い年月の間に無くなったものがあり、現在は25体残っているそうだ。道々観音像に挨拶しながら歩いていく。倒木にはびっしりキノコが張り付き、道の脇にはオケラやオヤマボクチの枯れた実が立っている。日向にミチタネツケバナの白い花が群落になっていて、唯一大地にも春の芽吹きを感じさせてくれる。葉を落とした木々の隙間から切れ落ちている崖の下に戸隠へ続く車道が見える。茂菅大橋と裾花川の波打つ水面も見えている。
静松寺参道は頼朝山の中腹を大きく巻いて緩やかに続いている。昔の人が荷物を背負って歩いたかもしれない道、幅も豊かで歩きやすい。西側に回って皇姥山口への標識を過ぎると道は北に向かう。針葉樹や竹の森になって、シダの緑も増えてくる。針葉樹が増え少し荒れてきた道を歩くと静松寺に着く。大竹平兵衛が寄進したと言われる石の階段を下から見上げた。今は通れなくなって苔むしているが、立派な階段だ。この大竹さんは善光寺の石畳も寄進したという人だ。参道はさらに先へ伸びる、鬼無里街道だったらしい。
階段の下からお参りして頼朝山を目指す。深い笹の中の道を登り、上のもう一本の巻き道への分岐を過ぎればすぐ稜線だ。分岐の道標が朽ちて落ちている。この道を歩いて頼朝山の山頂へ行ったことも何回かあるが、道はとても荒れていた。倒木が折れ重なっていたり、崖側に崩れていたりした。今も廃道のようになっているのだろうか。
さて、葛山との分岐に出るとすぐ頼朝山の山頂だ。日差しは暖かくポカポカだ。ヒオドシチョウが大きく舞っては草の上に戻って日の光を浴びている。私たちも日向ぼっこをしながらおにぎりを食べよう。天気の回復を待ってゆっくり家を出てきたので、今は正午を少し回っている。
見下ろす善光寺平や裾花川も、その向こうに大きく見える菅平の山々も今日は霞んでいる。手が届きそうなところにある旭山もちょっとぼんやり見える。しばらくヒオドシチョウと一緒に太陽の光を楽しんでから降ることにした。観音山へ行く道が一番近いだろうと話したけれど、昨年の今頃孫と来て道がなくなっていたのを思い出す(※)。冬の間に倒れた木々が道を塞ぎ、大変だった。まだ雪が残っているかも知れないし、今日はまっすぐ降りましょう。つづら折れに善光寺平を見下ろしながら見晴し台まで降りる。上ではまだ開いていないダンコウバイの黄色が迎えてくれる。境沢の登山口まで降りて、藪を登る。夫が「この上に行ってみよう」と、今日は冒険心旺盛だ。藪の上の平らな土地は、昔は畑だったのかも知れないが今は荒れている。大きな石が転がっていて、見上げるとまるで高い石垣のようにゴロゴロ石の崖が続いている。この季節だからなんとか歩けるだろうと思われる藪を越えていくと諏訪神社の境内へ続く道に出た。
シャガの葉が光っているが花はまだまだ先だ。諏訪神社にお参りして往生寺方面に登っていくと車道脇の草むらに小さな薄紫の花がたくさん咲いている。あ、フラサバソウ。オオイヌノフグリと並んで大小の青が散らばっている。綺麗だねと花に語りかけて、しばらく眺めてから家に向かった。