学校の春休みに神奈川から孫がやってきた。孫の日常生活では山登りの機会はほとんどないらしい。建築を学ぶ学校はフルに授業があり、いくつかの機器の免許を取る講習も受けるという。いくつもの製作課題も出るそうで、なかなか忙しいようだ。そして、夕方はアルバイトをしている。自分の若い頃を思い出してみれば特別変わったこともないはずだけれど、若さに任せて忙しい日々を送っている。
晴れた日、「山に行こう」と言う孫と一緒に出かける。ちょっと風邪気味の夫は登山口までの散歩を一緒にして、そこから山腹を回って引き返すコースにすると言う。遅い朝ごはんをしっかり食べて11時頃に家を出る。旭山を目の前に見ながら西へ進み、頼朝山の登山口へ行く。昨年の春にもここまでは一緒に歩いた。昨年は雪が多く、登山口から沢を見て帰ってきた。
今年は雪がない。楽しそうに話しながら歩いてきた夫とバイバイして頼朝山への登山道に入る。陽射しを浴びてオオイヌノフグリが青く輝いている。この青い陽だまりを見ると春だなぁと思う。頼朝山の登山道脇には観音石像が祀られている。何番と書いた札が像の脇に立っているので、それを見ながら登っていく。面白いことに1番から順番に立っているわけではない。「どうしてかなぁ」と言ったら、夫は「時々観音様が散歩するんじゃない?」と笑う。「それにしては立て札も一緒というのが謎だね」などとたわいもない話の種になる。
山道はジグザグに折れながら登っていく。積もった落ち葉の中にチャンチンの実も花のような姿で乗っている。孫は「この実、向こう(孫が住んでいる神奈川あたり)でもよく見るよ」と言う。花のような形は見つけやすいのだろう。話しながら歩いていた孫が足を止める。道の真ん中に虫を見つけた。「この虫に似たやつはよく見たけど、最近見ない」と繁々見つめる。お尻にツノのようなハサミのようなものを持っている。コブハサミムシというらしい。孫が見たのは海岸などにいる、このハサミムシの仲間のようだ。
山頂間近になると眼下に善光寺平が開ける。目の前に旭山の崩れた岸壁が痛々しい。足元には裾花川が白波を立てて流れ下る様が見える。見晴らしが良いと聞いていた孫が、道を曲がるたびに、「まだ見えない」と言っていたが「ここだ。見える」と嬉しそうだ。
さて、ひと登りで頼朝山山頂に到着。ポカポカ陽だまりでおやつを食べながら、この先のルートを検討する。引き返すか、葛山まで行ってくるか、孫は同じ道を歩くより別のところへ行きたいという。「今登った道くらいの距離をもう一回登るよ」と言うと、このくらいなら大丈夫と言う。
では行こうか。頼朝山からわずかに降り、静松寺への道を越えて登り返す。たくさんの人が歩いてきた道らしく、深くえぐれている道をゆっくり登っていく。
今日は二人ともスニーカー履きなので、足元に気をつけながら行こう。笹が増えてくると、山頂は近い。山頂肩からの急登は、大きな木の根が張り出していて、足場が切ってあるところを登っていく。孫は上を見上げながら「ママが好きそうだ」と呟く。家族でアスレチックなどを楽しむ一家だから、ちょっとした冒険心をくすぐられるのだろう。
葛山の山頂には強い風が吹いていた。西の方に見える筈のアルプスは雲に隠れている。冷たい風の中ではくつろげないので、早々に降ろうと話す。北のルートを降りて大峰山の方に行こうと話していたのだが、まだ雪に覆われていた。スニーカーで降るには雪の量が多い。今回はアイゼンも持ってこなかったので、滑る。
来た道を肩から左に進み、観音山へのコースを行くことにした。木の根を降りようとして「ここはママには無理かも・・・」と呟く。上から見ると一気に滑り降りているから、高度感が増す。
葛山は上杉の城跡、堀を越えていくと、登山道に降りるところがまた急になっている。昔の武士たちはこんなところを行ったり来たりしていたのかと驚くような道だ。「しかもあの重い甲冑とかをつけていたんでしょ」と、孫もびっくりしている。なんとかやや平らな尾根道に出て、気持ち良い森の中を歩く。笹が日を受けて綺麗に光っている。
カラマツの落ち葉は絨毯のように敷き詰められ、落葉樹の葉はパリパリと音がするように重なり合って光っている。葉が落ちた森は明るく気持ちが良い。春の気配が空気に混ざって香るようだ。孫がう〜んと伸びをしてバンザイをする。なんだか気持ちいいね、二人でバンザイをしちゃおうか。
ぐんぐん降りて、観音山との分岐についた。ここからの道はかなり荒れていることが予想される。道に大きな倒木が倒れかかったり、倒れた木の根が土を抉っていたり、跨いだり、潜ったりと大変な道だ(※)。ほとんど幅のないトラバース道が急斜面を巻いているところもある。しかし、孫の歩き方を見ると、しっかりしている。そしてよく見て足を運んでいる。この様子なら大丈夫だろうと、進むことにした。
笹の間の細い道は足を揃えて立つのも難しい幅しかない。滑ったら一気に谷へ転がってしまいそうだ。枝や石ころにつまずかないように気をつけて一歩一歩、小さく踏み出して進む。若いからバランス感覚がいいのか、孫は余裕で歩いている。そのうちに大きな木が道に倒れているのが目立つようになった。跨ぐのか、潜るのか、迷うような高さに道を塞いでいるものもある。「え〜っこれが本当に道なの?」と言いながら進む。
しばらく進んで、斜面を降るコースに入るあたりで、道がなくなった。何本もの木が重なって倒れている。しかも幅広く下のほうまで倒木の重なりが続いている。
ここじゃないのかな、と思ったのが間違いだった。稜線の先には太い木に白ペンキのマーク、そしてほとんど踏み跡はないけれど、なんとか進むとその先にまたマークが見える。このマークの道は昔の峠道らしく、さらに進めば急な崖道を下って観音山の北側に抜けるらしいが、やはり初めての道で、荒れに荒れているところは怖い。まだ日は高いし、いざとなれば来た道を頼朝山まで引き返せば良いと思いながら、初めに道がなくなった倒木の山まで戻ってみる。もう一度斜面を見る。積み重なった倒木の山の端に歩けるような傾斜がある。
孫に待っていてもらって、そこをずりずりと降りてみる。見慣れた斜面に似ている。ここを行ってみよう。木につかまりながらずりずりと斜面を落ちていく。しばらく降ると平坦な林に降り着いた。右側に登山道らしきものが見えている。なんとか無事に降りてきたようだ。
道に迷いながらも、大きなサルノコシカケを見つけると「すごいキノコだ」などと喜ぶ孫の明るさに助けられてあまり時間のロスもなく降りてくることができた。
そこからはすぐ観音山の山頂。古くなったコース図を見ながら、さっき歩いて引き返したのはこの道?と指差す。峠の道も掠れて見えなくなりそうだったが、書いてあった。
観音山でゆっくりおやつを食べて、三角点を見てから降ることにした。登山口の往生寺には2月の最終日に来ている。その時に見つけたガガイモやクコの実をもう一度見ながら、家に向かった。