久しぶりの青空だ。雲ひとつない。こんなに爽やかな日は遠くの山が綺麗に見えるだろう。見晴らしの良い山に登って展望を楽しもう。などと言う一方で、久しぶりの好天につい洗濯をたくさんしてしまった。出かけようと思った時はもう遠出するには遅すぎる。あれこれ迷って、車に乗ってもまだ行き先が決まらない。
走り出した車の中で、志賀か、斑尾か、妙高か・・・私たちはやはり北志向だと笑う。朝、我が家の2階から見える高標山にしようかと話していた夫は、「やっぱり初志貫徹と行こう」と言う。中野市から高社山と竜王山の間を通って木島平村へ進み、カーブの多い林道を登っていく。登るにつれ、木々の紅葉が光ってくる。緑から赤に、そして黄金色に。窓外に流れる光景を見ながら「ブナの黄葉が真っ盛りだね」「今日はカヤの平を歩こうか」「八剣山に登って、山頂標識の木がどうなったか見たい気もするね」。目標がコロコロ変わる。
カヤの平には神奈川に住んでいる頃から時折訪ねていた。残雪で道を見失ったこともある。真っ黄色のブナの下を歩いたこともある。
カヤの平の駐車場に到着、車を停めて歩き始める。牧場からまっすぐ森の中に入っていくと空が黄色に染まるようだ。見上げると木々の梢が模様を作っている。昔、神奈川の森を歩いているときに、みんな陽が当たるように譲り合うように枝を伸ばしているのだと教わった。日本で初めてコンサベーショニストを名乗られた柴田先生(1929-2014)(※1)の話だ。たくさんの森を一緒に歩いてたくさんのお話を聞いたが、この小さな脳に収まっている知識はあまりに少ないのが悲しい。
少し歩いたところでキノコ採りの男女三人に会う。「この森でキノコが採れるんですか?」と聞いたら「ちょっと奥へ入ればね」と、言いながらさっさと帰って行った。大きな腰籠をぶら下げていたが、中身は見えなかった。以前出会った男性は籠の中のキノコをたくさん見せてくれたけれど・・・。どんなキノコが採れるのか見たかったな。
私たちもキノコをたくさん見つけたけれど、小さなキノコ、毒キノコ、面白い形のキノコなど、名前の分からないものもいっぱいだ。まれに名前が分かるキノコに出会うと妙に嬉しくなる。倒木の上にポツリポツリと丸い膨らみを見せているのはホコリタケの仲間。最近木の上に出るのはタヌキノチャブクロだと知った。傷つくと赤い液が出てくるチシオタケも最近知った。食べられるキノコはもちろん好きだが、森の中で見つけて楽しいのは、食べられるものでも食べられないものでも違いはない。半透明のチャワンタケらしいものもたくさんあった。
キノコ採りの三人とすれ違ってからは、森の中では誰にも会わなかった。ナナカマドが真っ赤に色づき、ブナや楓が黄色に染まって華やかな森の中をどんどん歩く。
キノコを見つけたり、宝石のように光る草の実を見つけたりしながら、北ドブ湿原に向かう。夏にはニッコウキスゲ、秋にはタムラソウやトリカブトなどがにぎやかに咲く湿原も今はすっかり草紅葉に覆われている。カメバヒキオコシの花が散って、小さな萼の紫色が目立っている。
真っ青な空の下に広がる湿原には赤トンボが群れ飛んでいる。湿原の淵にある崩れかけた四阿でおにぎりを食べることにした。柱と屋根はしっかりしているが、床がなくなっている。広い湿原を見渡しながらおにぎりを頬張る。小鳥の声がにぎやかだ。ひらけた草原には蝶が舞う姿も見える。
おにぎりを食べて、さて、もうひと頑張り。湿原の淵を回って八剣山の登山口を目指す。背の高い笹が迫っている。登山口から右に登り始める。初めはちょっと急坂なので息が切れるが、しばらくすると緩やかな森の中の道になる。ツバメオモトの葉が黄色く枯れて、立ち上がった花茎の先には実がついていない。食べられたのか、落ちたのか。ガッカリしながら歩いていたら、一株だけまだ実がついているのがあった。
登り道では息が切れるのでつい下を向きがちになる。道の脇に横たわる木の幹は苔がびっしり生えて、見事なグリーンのソファのようだ。
苔の花も可愛いが、まるでミニチュアの世界のようにキノコも生えている。そんなところにぽっこりとまんまるいマシュマロのようなものが見える。森の中でも会った可愛いホコリタケだ。倒木から生えているからタヌキノチャブクロだろう。キノコに見とれていると、積もった落ち葉の中からピョンと何かが跳ねる。茶色のカエルくん。じっとしていれば絶対見つけられないと思う、見事な落ち葉色だ。アカガエルかと思ったが、小さくて指の間が切れ込んでいるこの子はタゴガエルかもしれない。
少し平らになった道をしばらく歩くと行き止まりのような山頂に到着。三角点がある狭い山頂だ。汗びっしょりになった夫はここで着替えをして一息つく。山頂の周りはびっしりと木が生えているので展望はない。
楽しみにしてきた山頂標は文字が掠れて見えない。板は半分崩れ落ち、柱にはクマの爪痕かもしれないささくれがたくさん見える。私たちが登って、真新しい標識を見つけた時からずいぶん年数が経っている(※2)。そして裏側を見たら「2023.10.17」と書かれた文字が。「昨日だ」「昨日ここに来た人がいるんだね」。
森の入り口でキノコ採りの人に会った以外は誰にも会わないこの広い森の中を昨日歩いた人がいるんだと思うとなんだか妙に親しみが湧く。どんな人かな。
さて、一息ついてしばらく山頂を楽しんだので下ろうか。
登山口まで一気に降りる。登山口からは階段状に整備された道を登り、ブナ林に入る。白い珊瑚のようなキノコや、半透明のチャワンタケのようなキノコなど、見慣れないキノコがたくさん見える。そして、太いブナの倒木に大きな白いキノコがびっしり。すごいねぇと覗き込むと、そこにはブドウフウセンホコリがたくさんついていた。白いキノコはブナハリタケだ。柔らかい肉質で、重なるように生えているが、そのブナハリタケを溶かすようにブドウフウセンホコリがぶら下がっている。
夫がずっと「見たい」と話していた粘菌だ。たくさん、本当に葡萄のようにぶら下がっている。「すごいね」「こんなふうにぶら下がるんだね」感激して、私たちの足はそこからなかなか動かない。そしてさらに隣の木にびっしりと白い粘菌が生えているのを見つけた。こちらはシロジクモジホコリらしい。
今日は途中の森でジュラドロホコリにも会えたし、みごとな黄葉だけでなく粘菌にも会える素敵な山歩きになったね。
(※2 山歩き・花の旅29 八剣山)