「妙高高原スカイケーブル」を降りた私たち(※)は、妙高山の中腹を西へ向かった。大好きだったゲレンデ、妙高池の平スキー場への入り口にあるランドマークに寄って食事をしてからいもり池に行ってみよう。5年前に孫と一緒に歩いて以来だ。
ランドマークと呼んでいた日帰り温泉は「アルペンブリックスパ日帰り温泉」と名を変えていた。そう言えばスキー場も、今は「池の平温泉アルペンブリックスキー場」と言うらしい。一番上にあった一人乗りリフトで行くゲレンデは随分前に無くなったが、私たちが最後に滑った時にはまだ「妙高池の平スキー場」と言っていた。
お腹を満たし、名物の笹団子を購入して少し先のいもり池まで走る。孫と一緒に来てから5年の間に一段と立派になったビジターセンターが建ち、駐車場が広くなっていた。道路脇にたくさん揺れていたワレモコウやオミナエシはなくなっていた。
初めていもり池を訪ねたのはいつだったか、一面に水芭蕉が広がり、池のほとりに桜が咲いていた記憶がある。5月の連休が終わって少し観光地が空いていた。いもり池の近くに宿をとり妙高の森の中を散策しようという計画だった。来てみたらその夜は『艸原祭』という祭りの日で、夜『カヤバ焼き』の催しがあるという。夜が苦手な夫もまだ若かったから、真っ暗な中をいもり池のほとりまで散策した。池の向こうの山の中腹に『艸』の文字が赤く燃え上がり、黒いいもり池の水面にその文字が赤く逆さまに写っていた。山の麓は街の明かりも遠く、『カヤバ焼き』の火が浮かび上がって見えた。
妙高山の懐に広がる池の平スキー場には度々訪れていたが、冬のいもり池には立ち寄ったことがなかった。道路の両脇には2mほどの雪の壁が立ち、スキー場との往復だけでも十分ワクワクした。数えてみれば最後に滑ってからすでに10年が過ぎている。
歳を重ねる毎にゲレンデに行く回数は減ったが、山の懐を散策する楽しみは増えた。
夏休みに遊びにきた孫といもり池遊歩道を散策した時は、サワギキョウが濃い紫色に満開だった。妙高山の山頂には雲が被さっていたが、池は幻想的だった。ハスが赤く白く咲き誇っていて美しかったけれど、水面を覆い尽くすと他の生き物が生きていけなくなってしまうのだそうだ。水中に光が届かなくなり、酸素が減ってしまうらしい。私たちが美しいと言いながら散策できるのは、管理をしている人の努力あってのことだと知った。
5年ぶりに訪ねたいもり池は夏の花が咲き始めていた。時折水面を渡る風に慰められるが、強い日差しの照りつける木道は暑い。私が嬉々として花の写真を撮っているので、娘が何か目につくと指を指す。「この小さいのは何」「ここに何か光っているよ」などと言いながら。大概は花の名を思い出せるのだが、ツルの先にちいさな玉が揺れているのは何かわからない。実のようだが・・・。
あれは何だ、これは綺麗だなどと話しながら木道を一巡りする。楽しみにしていたサワギキョウはまだ蕾が多く、かろうじてわずかに咲き始めていた。池のほとりにはハンゴンソウが鮮やかな黄色い花を開き始めている。クサレダマはさらに明るい黄色だ。この花の名を「腐れ玉」と勘違い、何と可哀想な似合わない名だろうと思ったのだが、実は「草連玉」なのだそう。「連玉(れだま)」という黄色い花の咲く木に似ている草だから。レダマを知らないとわからない名だ。最初に名付けたのは誰か知らないが、クサレダマにとっては嬉しくない命名だったかもしれない。
一回りするうちに雲が多くなってきた。台風が近づいているらしい。雨が来ないうちに帰ろう。池の周囲にはハンゴンソウが咲き出していたが、駐車場の奥の藪には大きな黄色いオオハンゴウソウがゆさゆさと揺れていた。花は大きくて目を引くがこちらは特定外来生物に挙げられている。花そのものに罪はないはずだが、その生命力、繁殖力の強さで日本の在来種を脅かすことになる。適度に仲良く棲み分けるなどということは出来ない相談なのだろうか。
帰りは国道18号を走り、信濃町の焼きとうもろこしを購入し、ホクホク顔で家に向かった。