温泉旅館に泊まった。いったい何年ぶりだろう。風呂に入れば眠くなる二人なので、山の帰りに一風呂浴びて帰るなどという芸当はできない。温泉に心惹かれてもゆっくり立ち寄ることがなかなかできない。
コロナも少し落ち着いたので、どこかへ旅をしようと話していた。ちょっと遠方の山登りを予定に組み込んで・・・などと思っていたが、あれやこれやと野暮用が重なって、数日予定が空くということがなかなか無い。
近くてもいい、高原に行こう、花を見て来ようと、「明日から3日は自由だ〜」という日に翌日の宿を予約した。
北八ヶ岳、蓼科、そして霧ヶ峰から美ヶ原と、長野の真ん中には爽やかな高原が広がっている。空模様を見ながら、歩けるところをのんびりしてこようと出かけた。
前日は車山周辺を歩いて、夕方早めに宿に入った(※)。周辺は深い森、蓼科方面への登山道も続いている。部屋のすぐ外には轟々と音を立てて滝が流れ落ちている。貸切の露天風呂が予約できるというので、緑の木々を渡る風を感じながら誰もいない温泉を楽しんだ。
さて、温泉に浸かって、ゆっくり眠って、翌日はどうしようか。のんびりものの私たち、来る時に見てきた八子ケ峰(やしがみね)登山口から登ってこようか。
ビーナスラインを白樺湖に向かって登り返すと、山の斜面に赤い葉が広がっている。あれはミヤママタタビだ。まだ花が咲いているかと、路肩の駐車スペースを見つけ、見に行く。道路に溢れるように伸びたツルの先にはもう実が大きくなっていた。マタタビと言えば葉が白くなるイメージだが、ミヤママタタビは綺麗な赤になって遠くからも目立つ。赤から白に変化しているところもあり、暗い緑一色の森の中でその色は映える。
登山口に車を停めて登り出す。サワギクの黄色が明るい。針葉樹が多い森の道は急登だ。大きな岩がゴロゴロしている。ダケカンバの太い木がなんだか懐かしい。アカミゴケが唇のような形の真っ赤な胞子嚢をつけている。
登り切るとヒュッテアルビレオの前に出る。三角屋根のおしゃれな小屋だが、営業はしていない。ここからはしばらく広い稜線を歩く。広々とした稜線は一面笹原で、見下ろす谷筋に木々が茂っている。ナナカマドの葉がもう赤くなっている。
シシウドだろうか、遠くに丈高い白い花がわずかに咲いているが、足元にはハクサンフウロ、アザミ、ニガナなどが揺れている。
しばらく歩くと笹原の中に標識が立っている。八子ケ峰東峰頂上と標高が書いてある。とにかく広い山頂だ。
しばらく草原を歩き回ってから先を目指す。一度急な岩の間を降りて再び登り返すと八子ケ峰山頂だ。昨日登った車山が目の前に見える。もっと近くの蓼科山は山頂部が雲に隠れている。トンボやヒョウモンチョウがスイスイと飛んでいるが、この辺りのアザミは茎の先がぽつりと切れているのが多い。鹿の食痕か。たくさん枝を伸ばしているのにその先がポッキリと折れている姿はとても悲しい。花がなくなるということは、そこに集う虫がいなくなり、その虫を食べる鳥なども来なくなるということなんだ。日本のあちらこちらで鹿の被害から草原を守るためにいろいろな工夫をしているが、ただお花畑を見て楽しみましょうという話ではない。
山頂には誰もいない。静かな草原を二人じめしてしばらくのんびりした。蓼科山と北横岳の山頂部だけ雲が遊んでいる。消えていくかと思うとまた湧いてくる。なかなかスッキリ見えてこない。岩の上に腰を下ろして待ってみたが、雲は消えそうもないので降ろうか。東峰のあたりまで戻ると北横岳、縞枯山、茶臼山などが見えてきた。
帰りは、ヒュッテの前から蓼科湖へ降りる道の方へわずかに下り、そこから左に折れてすずらん峠の登山口へ戻る。こちらの道はあまり歩かれていないようで、丸太を使って作られた階段上の道が崩れ、笹が生い茂っている。笹が被った道は見えないので要注意だ。ボッコリと穴が空いていたりする。
気をつけながら急な道を下って、登りの道との分岐に着く。太いダケカンバが目印だ。大きな木は、なぜか頼もしく親しみを感じる。きっとたくさんの命を育んでいるからなのだろう。
駐車場が見えてくると、サワギクの黄色が明るく揺れている。さぁ、長野の我が家に向かってドライブだ。