運転しているのは夫。私は隣でワクワクしている。長野の家を出て高速道路に乗る。東部湯の丸ICで高速を降りると県道40号線を辿りながら立科町を走る。道は山の中へ向かって登っていく。
陣内森林公園を過ぎると道の脇に三望台という展望台が立っていたので、上がってみることにした。浅間山、荒船山、蓼科山が見えると案内があるが、霞んでいる。近くの森の緑は瑞々しく、手が届くような近くの山肌はくっきり見えているが、ちょっと離れると薄いヴェールの向こうになってしまう。立科町は日本の真ん中あたりにあり、三望台は立科町の真ん中に位置しているそうだ。つまり今、私たちは日本の真ん中にいるってことか。
さらに登り、右に左に牧場の看板が出てくると白樺の木が増えてすっかり高原の風景になる。白樺高原にはスキーで何回か訪れたことがある。停めておいた車につららができていて驚いたのを覚えている。
今日はスキー場を横目に、下に見える白樺湖に向かって降りていき、大門峠からはビーナスラインを登っていく。嬉しいことに雲が晴れてきて青空も見えるようになった。ビーナスラインの途中に見晴らしの駐車場があるので車を止める。霞んではいるが眼下に白樺湖が見える。もう少し上に行けばさらに見晴らしは広がると思うが、ついこの景色をゆっくり見たくなるのは皆同じらしい。数台の車が停まっている。家に帰って古い写真を見たら、数十年前に登った時もここで写真を撮っていたので思わず笑ってしまう。
車山高原駐車場に車を停める。今日はのんびり花散歩と決めてきたので、リフト券を買う。二人でのんびりリフトに揺られて山頂へ。リフトは途中で乗り換えて方向を変えて登っていく。
さすがに2千メートル近い高原は涼しい。リフト山頂駅の前からは八ヶ岳が綺麗に見える。そして稜線の向こうにうっすらと富士山も見えている。
風が強いので、目当ての花の撮影は難しいかもしれない。まずはしばらくぶりの山頂に立ってみよう。イブキジャコウソウが岩の間に広がっている。山頂にはテラスがしつらえてあり、展望が楽しめるようになっている。前に来た時はなかったなぁ。テラスの先端は足元も網になっていて下が透けて見える。怖くはないが、そこまで行ってみると風がものすごく強い。目が開けていられないくらいだ、びっくり。
昔、車山高原スキー場に来た時の苦い経験を思い出した。
リフトで登れるところにスキーを置いて、さらに数分登ると山頂に着く。何人かの人と山頂表示の前で写真を撮り合ったのだが、私のカメラを操作してくれた人は、シャッターを押しにくいからとグローブを外して、凍りつくような寒さの中、素手でシャッターを押してくれた。お礼を言って山を下り、再びスキーを履いて滑り降りたが、なんと、カメラにフィルムが入っていなかった!!あまりに衝撃的で忘れられない思い出だ。グローブを外してくれたのに・・・、今思い出しても体がすくむような申し訳ない思いでいっぱいになる。当時はフィルムのカメラが主流、でもその時はデジタルカメラも持って行ったので、リフト山頂駅からの八ヶ岳の写真など数枚の写真が残っている。冬の車山山頂にはなかなか立てないので、スキー靴で深い雪に潜りながら登ったのだった。記念すべき冬の山頂の写真は、だから無い。
さて、山頂から北を見て、ブランシュ鷹山のスキー場はどの辺だろうと話す。稜線伝いに行けそうな気がするが、蝶々深山のもっと向こうに見えるあの出っ張りだろうか。まだ時間はあるから行ってみようか。
一度リフトで中間駅まで降りてから歩き始める。道路沿いには鹿よけのツナが張られ、その中にポツリポツリとニッコウキスゲが咲いている。一定の間隔で立っているのは降雪機だろうか、ここは冬にはゲレンデになる。
車山山頂への道を左に分けて登っていくと車山乗越の看板が立っている。まっすぐ進む人は多いが、私たちは右へ入っていく。こっちの道には誰も歩いていない。広々とした草原が続いている。それにしても草原は緑一色だ。足元には小さなハクサンフウロが揺れ、ウスユキソウや、エゾカワラナデシコの花も鮮やかだが、あまりにも数が少ない。オレンジ色のコウリンカが多いのは、その毒性によってシカが食べないからだろうか。
まだ子供たちが小さい頃に霧ケ峰高原を歩いた。高原には丈高い花がたくさん咲いていたのを思い出す。背が隠れそうなヤナギランの中を歩いていた娘の楽しそうな顔はいまでも目に浮かぶ。夕方まで草原の中を歩いてからホテルに入った。ビーナスライン沿いの小さなホテルの部屋は山小屋仕様でとても質素だったが、子供たちは楽しそうに転がってその日見たことなどを話していた。ホテルに飾ってあった黒曜石に目を止めたり、遠く関西方面から来て滞在しているという年配者の話を聞いたり、二人の瞳はキラキラしていたけれど・・・随分昔のこと、もう忘れちゃっただろうなぁ。
さて、話を戻そう。乗越からの道は、高低差はなく気持ち良い草原の中の道だ。すぐ近くに蓼科山と八ヶ岳が並んで見えている。少し歩くと道は別れる。左に進むと南の耳に至るらしい。中央分水嶺トレイルの小さな看板が申し訳なさそうに草に埋もれている。ここから先は下りになるようだ。どんどん雲が増えてきて雨の匂いがするようになったので、今日はここまでとしよう。
コウリンカが緑を彩っている中を少し急ぎ足で戻る。風が強いからか、背丈の高い花はあまり見えない。それとも鹿に食べられてしまったのだろうか。
ポツリ、やっぱり当たってきた。ポツリ、ポツリと水滴が落ち、そうかと思うと薄陽の影がさす。八ヶ岳は斜めの日が当たるようになったからか、山のひだが見えるようになってきた。天気が悪くなってきたのにクリアに見えるのはなんだか不思議だ。冬、スキーに来た時には雪化粧をした山が迫ってくるようで、迫力があった。夏の山はどこか霞んで優しい。
リフトが見えるところまで行くと雨粒が絶え間なく落ちるようになった。私たちは急いでポンチョを着る。数分でリフト中間駅に到着。リフトには屋根がないので、ポンチョを着たまま乗る。雨足が強いので、リフトを降りた車山高原のカフェでコーヒーを飲みながら休憩しよう。しばらく休んでいると雨はまた小降りになった。そういえば前に登った時にもこのポンチョを着ていたね。
私たちはゆっくりコーヒーと話を楽しんでから、その日の宿へ向かって出発した。