「石老山(せきろうざん)」という魅力的な名前の山があるから行ってみよう。神奈川に住んでいたので、日帰りで行って来ることができそうだ。
三連休の真ん中の土曜日、国道412号を相模湖に向かって走り、相模湖病院の近くの駐車場に車を停める。20年も前のことになるから、現在と道の状況は違っているだろう。2019年の大きな台風の影響で登山道が崩れ、しばらく通れなかったらしい。昨年2022年夏に一部、暮れにようやく全コースが再び通れるようになったとの記事があった。
登山道の入り口にある顕鏡寺(けんきょうじ)の境内には大きな木がそびえている。大イチョウや、蛇木杉は特に有名だ。
大イチョウは神奈川の名木100選に選ばれているそうで、蛇木杉は樹齢400年以上と想定されるそうだ。蛇木杉の幹まわりは約6.3m、石老山中の最大の杉という。杉の根2本が地上に露出していて、蛇が横たわっているように見えるため蛇木杉と名付けられたという。蛇と言うとあまりありがたみが無いようだが、雌龍雄龍がすぐ上の鐘楼に登ろうとしているように見えると言うとちょっと神秘的になる。
私はここにあるムクロジの木に会いたかったので、見つけたときは嬉しくなった。余談だが、友人が拾ってきたムクロジの実を植え、その芽をいただいて神奈川から持ってきた木が今我が家の庭にある。大木になる木なので、狭い庭におくのはかわいそうだったが、花を見たいと思っている。しかし、10年経過しても花をつける様子はない。
さて、山道に戻ろう。顕鏡寺から階段を登ると岩窟がある。平安時代に法師によって創建されたそうだが、創建した法師たちはここを住居としていたそうだ。巨大な岩の中に住むというのはどんな気持ちだろう。それも修行だったのだろうか。
またここ石老山にも飯綱権現神社がある。この神社を覆うように守っている大きな岩は擁護岩。この岩は石老山の巨岩群の中でも最も大きいそうだ。高さは22m、横幅は19mと書いてある。石老山に登った20年前には飯綱権現と長野の飯縄山を結びつけて考えもせず、呑気に眺めて通り過ぎていた。先日久しぶりに高尾山に登り(※)、目が開かれた思いだった。長野市の北に聳える飯縄山への山岳信仰が発祥と考えられる飯綱権現は高尾山にも祀られていた。昔の人々の飯綱信仰が篤かったことを感じる。
森の中にはこのほかにも草むした岩、頭上に覆い被さるような岩などがたくさんあり、巨岩の中を進むようだ。足元にたくさん見られるチゴユリはもう実になっている。深い森の中を登っていくと、途中に見晴らしが開けるところがあった。木々の途切れた見晴らしからは相模湖が見下ろせる。
さらにちょっと歩いて山頂へ。顕鏡寺からのんびり歩いて1時間20分。7時過ぎに家を出てきたので道路もあまり混まず、思ったより早く登り始めることができたので、山頂に着いたときは10時10分だった。
山頂からは丹沢の山々が見える。残念ながら霞んでいて、くっきりとしたスカイラインは見えない。少し休んでから周辺を散歩してみる。三角点は少し外れたところにあり、標高694m。実際の山頂がちょっと高い。
山頂からの見晴らしがあまり良くないので、下ることにする。苔むした奇岩、巨岩をちょっとゆっくり眺めながら歩いた。
石老山の巨岩は、およそ600万年も昔に数千メートルの深い海溝に小石や泥が積もってできた岩、礫岩(この山の礫岩は石老山礫岩と呼ばれている)だという。その岩が深い海の底からプレートの動きで押し上げられて、地上に山を作った。気の遠くなるような時間がこの岩をここに形作ったと言うことか。押し上げられてくる過程で割れたり動いたりしながら、今目の前にある山になっていった。そして、こういう話を聞くときについ忘れがちなのは、その動きには終わりがあるわけではなく、今も私たちの目に見えないところで同じように変化しているのだろうということだ。
高い山も風化の途上にあるし、あるいは現在も押し上げられて高くなっているところもある。人間って本当にちっぽけなんだなぁと思い、線香花火のような短い命だからこそ大切に生きたいと思ったりもする。
正午には車に戻った。日帰り登山どころか、午前登山になったので、買い物をしてから家に帰った。