「今日は二つの探し物というタイトルがいいね」「一つは見つかり、一つは再度チャレンジだ」、家に帰って夕ご飯を食べながらの私たちの会話。
ここ数年、この季節になると花を探しに出かけて、会えないまま帰ることが続いている。残念ながら、今回も目当ての花には会えなかった。だが家から歩きだして、五つの裏山を一巡りしてきたのは初めてのことで、なかなか面白かった。「おまけに、葛(かつら)山には2度登ったしね」と、苦笑しながら夫。
さて、その顛末を振り返ってみよう。
「イチリンソウを見に行きたい」、毎年この季節になると私が口にする。「行ってみようか」と、夫。近くの山懐に咲くという情報はあるが、どこかはわからない。大勢の人が歩いて踏み躙られるのが嫌だから、場所が明らかにされていない。自分で自然の中をそっと歩いて探すしかない。
久しぶりに往生寺から観音(かんのん)山経由で行ってみようと、夫は剪定バサミをリュックに忍ばせた。というのも、観音山から葛山登山口までの道はかなり荒れていることが予想されたから。今日は古い地図に載っているという往生寺の脇から登る道を探す。荒れた道を森の中に入って行くが、踏み跡が途切れてしまったので道探しは諦め、寺の上の墓地に続く山道に出て、いつもの観音道を登ることにした。往生寺からは西国三十三観音道と、坂東三十三観音道のふたつの道が観音山に続いている。今日は坂東の坂を登る。頭上のウワミズザクラはすでに散り始めている。ミヤマガマズミの花が開きかけているが、コバノガマズミはまだ蕾だ。
観音山から善光寺周辺を見下ろす。ご開帳の善光寺は全国から人が集まっているのだろう、駐車場がみんないっぱいだ。その向こうにJR車両センターが見えると、夫は喜んでカメラを覗いている。その間、私は少し先端の森の中に三角点を見にいく。
観音山からは注意深く足を進める。ジグザグに道はつけられているが、たくさんの倒木が横たわっていて、その倒木が根と一緒に土を大きくえぐった穴もある。急斜面に取り付けられた道は斜面側の矩が削れて、道が傾斜しているところがほとんどだ。落ち葉の堆積もあるので、滑らないように気をつけて行く。覚悟はしてきたから、道に張り出したイバラの枝などは選定バサミで切って行く。道に伸び出した笹も同じように斬り払う。
だが、歩き出して間もなく、道を塞ぐ倒木の邪魔になる枝が始末されていたり、道の真ん中の丸太が切ってあったり、太い倒木に足掛かりのステップが切り出してあったりと、手入れがされていることに気づいた。
「思っていたより手入れされているね」「ここを歩く人がいるんだね」などと話しながら進む。手入れがされているとはいうものの、何回も跨いだり、くぐったり、また跨いだり。「あ、だからマタギっていうんだ(狩人マタギの語源説はたくさんあるけれど、木を跨ぐからというのは聞かないよね。山を一跨ぎで越えて行くという説はあるらしい)」と、夫は嬉しそう。
チゴユリが満開の道をようやく乗り越え、葛山の登山口に到着。少し先の林道を左へ下り気味に進むと頼朝山への分岐を越えて静松寺に至るのだが、今日は右へ登って行くと、もう一つの葛山登山道に突き当たった。探し物があるからと登山道を一回降りて、頼朝(よりとも)山へ向かう。頼朝山山頂で一息入れ、山腹の道なき道を歩いてみる。気が小さくて遠くまで行けないからか、全く方向違いの場所を歩いているのか、探す花は見つからない。がっかりしながら静松寺に向かう林道をくだる。車止めの柵を抜けてリンゴ畑の脇の道を葛山へ登る。最終日とはいえまだ4月なのに、リンゴは真っ白に花開いている。リンゴ畑の向こうには北アルプスの峰が、これもまだ白く光っている。つい足を止めてのんびり眺めてしまう。
登山道に入ると、しばらく杉林が続く。杉林の中はイノデのようなシダがもう葉を大きく広げている。カキドオシ、ムラサキケマンの紫色が道の脇に続いている。暗い森の中には粘菌やキノコもたくさん見られる。
湿った草地を見ると、見たい花がないかなと藪の中を歩いてみる。あちらこちらと森の中を歩きながら登るうちに頼朝山からまっすぐ登るコースと合流。たくさんの人が歩いたと思われる凹んだ山道を葛山の山頂まで登っていく。山歩きは楽しいが、また今日も探し物に会えなかったという気落ち感が残っている。
とはいうものの、今この時を楽しまなければ損とばかりに目をあげる。空が青く澄んできた。葛山の山頂からアルプスが綺麗に見えるだろう。
山頂への最後の登りは大きな木の根を這い上るという感じだ。以前はロープがついていたが、そのロープは古くなったからだろう、取り外して肩のところに置いてある。昨日の雨が残っているのか、木の根は滑りやすい。ステップが切ってあるけれど、黒くなっているのは苔だろうか、滑らないように気をつけていく。
葛山の山頂に到着。西の方に切り開かれたアルプス展望台に行ってみよう。五竜岳が大きく目の前に見える。左には鹿島槍ヶ岳、右には白馬(しろうま)三山、主峰の白馬岳は右半分が前山に隠れているが、まだ真っ白で雄大だ。
アルプスを眺めていると、一人の女性がやってきた。「これはイチリンソウですか?」と、足元の葉を指差して聞く。深く切れ込んだ円心形の葉を密に茂らせる株がいくつか立っている。ニリンソウにも似た葉だ。でも、大きいのは30から40センチくらい立って、上部に丸い蕾のようなものを抱えている姿は、トリカブトだろう。
その女性もイチリンソウを探して葛山にやってきたと話していた。私たちはしばらく立ち話をして別れた。花を見にいろいろなところへ行っているという女性から、花の情報などを聞き、元気が出てきた。
展望台へ向かう女性と別れて、私たちは山頂へ引き返す。正午を回ってしまったので、ここでおにぎりを食べることにしよう。青空は綺麗だが、風が冷たい。四阿の中は日陰なので、寒いくらいだ、日向のベンチに移って山頂の憩いを楽しむ。
さて、どうしようか。もう一度頼朝山に引き返して目当ての花を探して藪の中を歩いてみるか、今日は諦めて大峰山を経由して家に帰るか、迷うところだ。
混み合う善光寺周辺を歩くのが嫌で、今日は帰ることにした。荒安方面と書いてある道を葛山の北斜面にくだる。遅くまで雪が残っていたのか、ショウジョウバカマがいくつも咲いている。ちょっと遅いので、もう花色が終わりに近い。オオタチツボスミレかと思われるスミレの群落がたくさんある。
しばらく降ると、白いツツジが咲いている。可憐な花びらだが、葉はまだ開いていない。何というツツジだろう。シロヤシオかな、でも太平洋側の花だそうだ。さらに降ると今度は桃色のツツジが2種類咲いている。3枚の葉が開いている薄い色の花はミツバツツジだろう。葉がまだ開いていない方は濃いピンク色だ、ムラサキヤシオかな。今年はヤマツツジもたくさん咲き出しているから、山はツツジが賑やかになりそうだ。
北側に来ると道標が新しくなり、『葛山城跡 ▷』となる。いつもは真っ直ぐ大峰山方面へ向かうのだが、今日は左の森の中へ降る道から芋井の駐車場へ向かう。昨日の雨が溜まっているのか、道はぬかるんでいて歩きにくい。夫は、「こっちの方が歩きやすい」と言いながら脇の藪の中を歩いていく。後は大峰山に登り返して帰るだけだと思うと、気が楽だ。
ところが、駐車場に着いたところで夫が「ない!」と叫ぶ。「え、何がないの」「サングラス、落としたみたい」・・・。
今きた道をもう一度登り返す。藪の中を今度は二人で下を見ながら歩く。キョロキョロしながら、結局もう一度葛山に登ってしまった。しかしサングラスは見つからない。どうしようか、頼朝山の方へ戻るか、もう一度探しながら降るか、やっぱりもう一度探そう。
下を見て歩けば、見えるものもある。一回目は見えなかったイカリソウが藪の奥に咲いている。小さな苔もきれいだ。ミツバツチグリの花が一個だけ開いている。ただ、サングラスは無い。分岐点まで降りてきた。チゴユリが満開の藪の中にゆっくり入っていく。落ちていても見つけにくいところだ。藪から山道に出たのはこの辺かなと思ったとき「あった!」と、前を歩いていた夫が叫んだ。手にはサングラス。
そこから分岐に登り返し、大峰山への登山道を行く。昨年秋に大群落になっていたアキノギンリョウソウが、雪にも負けず実をつけて立っているのを見ながら戸隠バードラインの下の道に出る。
この道はなぜか猫に会うことが多い。そんな話をしながら歩いていたら今日もいた、白い猫がころんと道の上に座っている。
猫と分かれて大峰山に登る。だいぶ疲れてきたけれど、ここを登ればあとは降るだけだ。途中の鉄塔を越えるあたりから光る葉っぱが増えてきた。イワカガミだ。花はまだかなと思っていたが、咲いているではないか。濃いピンクの花が斜面にへばりつくように咲いている。見事だ。嬉しくなって疲れが少し飛んでいった。
日が傾いてきたからか、街を見下ろすとくっきりとした陰影が迫力ある風景になっている。これはやっぱり電車を見下ろして行こうか。大峰山から地附山へ登り、いつものJR車両センターを見下ろしてから降ろう。
地附山山頂でもう午後4時になったから、公園の閉園時間(午後4時半)が近い。焦るのは嫌だから、ゆっくり景色を眺めて駒弓神社に降りよう。ヤマブキの咲いているパワーポイントから夕暮れの街を眺めて、家に向かった。
二つの探し物、サングラスは見つかったけれど、花には会えなかった。あれもこれもと欲張りな人生だからか、宿題が増えていく。