楽しみにしていた孫がやってきた。正月はたっぷり働いて、学校の春休みに合わせてアルバイトの休みをまとめてもらってくる。昨年も同じようにしばらく長野に逗留したが、雪が多くて裏山に登らないで帰ったのが心残りだったようだ。
やってきた翌日、雪の様子を見てこようと、午後になってから家を出た。「駒弓神社まで登って、様子を見て帰ろうか」と話しながら行く。
山道にはほとんど雪が残っていないから、もう少し行ってみようかと先へ行く。もう少し、もう少しと思いながら足は進み、ついに山頂まで登ってしまった。
パワーポイントあたりからは雪も多くなってきたが、足が潜るほどではないので、滑らないように気をつけて歩き、動物の足跡はないかな・・・などと見ていくうちに、もう山頂だった。
私が倒木の影を覗き込むと「粘菌でしょ」と言う。昨年一緒にいくつか南の山を歩いた時に、夫と粘菌を見つけたことを覚えている。 前日も夫と一緒に城山を歩いて、粘菌の話をしている。城山公園には黄色い実ばかりつけているホザキヤドリギと、常緑のヤドリギが見える。小鳥たちもたくさんやってくる、気持ち良い散歩コースだ。前日は梅の花が咲いたのを見つけて私たちは大喜び。孫は「神奈川ではもう散っているよ」と笑う。粘菌は見つけられなかった。
駒弓神社山道の階段を登っていくと、森の中ににぎやかな小鳥の声が響いている。しばらく立ち止まって聞き耳を立てるが、どこで鳴いているのか、なかなか姿を見つけることができない。孫は「あ、あの木を回って突いている」と、どうやらコゲラを見つけたらしい。この森では多く見かけることができる。でも今日は私の目には映らない。「飛んでっちゃった」。
しばらく小鳥の影を追い求め、神社にお参りし、山道に入っていく。山道にはいろいろな生き物の痕跡が残っている。冬を越えた蛾の繭は穴が空いたり、潰れたりしているが、これまでに目にしたことがないものは面白いようだ。ヤママユガ、ウスタビガなどは、地附山にも多く見つけられる。枝に張り付いた虫こぶも面白いが名前がわからないものが多い。
背が高い孫は、時々山道に張り出した木の枝にぶつかりそうになる。正月に弟が登った時(※)にはネズミサシの実が見つけられなかった話をしたら、ふと頭上を見上げて、「ここに実があるよ」と言う。「本当だ、高いところにはあるね」。
写真を撮って、弟に見せてあげよう。実が若い頃は綺麗な緑に白い模様が入って可愛いのだが、今は黒くしわがれている。
さらに進むと、「これは積みたくなるね」と、言ってキョロキョロする。何を見つけたのかと思えば、小さな石のケルン。最近登山道脇に増えたが、これは見つけると積み重ねたくなるものらしい。落ちている石ころを探して挑戦する。「全部積んでいこう」などと言っているが、雪が増えてきて石が見つからなくなってしまう。
パワーポイントはまだ真っ白だ。善光寺平の広がりの向こうには志賀高原の山々。今日は雲がかぶさって稜線が見えない。浅間山も隠れてしまっているが、遠く右手には湯の丸山、烏帽子岳が見える。左手に目をやると、高社山が大きく見えている。雪化粧をしていると大きく見えるのかもしれない。
一面の雪が面白いからと、一足踏み込んでみる。表面が凍ってパリパリしている。「よし、手形も押そう」と、手袋を脱ぐ。雪の表面がバリッと割れて、綺麗な形にはならない。「ひゃー、冷たい」と笑う。
さぁ、山頂だ。空は青いが、風が強い。冬の午後に登るのは私たちの他に誰もいない。ベンチに座って一息つく。飯縄山は綺麗に見えるが、黒姫、妙高は隠れている。飯縄山の山麓に白くゲレンデの跡が残っている。「あそこで滑ったよね」「今はもうやっていないの?」と、残念そう。
山頂まで登る予定ではなかったので、おやつも持ってこなかった。風も強いし、降ろうか。「来た道を帰るの?」と聞く孫に、色々コースがあるけれど、どうしたい?と聞くと、同じ道を行くのはつまらないから別のコースを行こうと言う。
前方後円墳を通って、六号古墳の方へ行ってみよう。途中、車両センターで電車を見下ろして行こうか。
車両センターは遠いので、指さしても「え〜、肉眼では見えないよ」と叫ぶ。少し望遠を効かせたカメラで写してみる。「ほんとだ、電車が並んでる」。相模線の車両がいるようだ。
ゆっくり歩いて、数ヶ月観察してきたマメホコリに挨拶して帰った。