古いアルバムを片付け始めるとつい手が止まる。色褪せた写真でも、その一枚から蘇る記憶は彩り豊かだ。思い出のアルバムなどと言って何冊も重なっているアルバムは他人にとってはただのゴミになってしまうことに気づいて、整理を始めた。しかし、ページを繰るたびに蘇る思い出に、つい何か新しい発見はないかと思ってしまう。
「あの時は何気なく通り過ぎたけれど、目の端に何かを見ていたのではないか」とか、「名前も知らないまま見ていたけれど、あれは今見たいと思っている花だったのではないか」とか。
思い出は思い出のままでいいけれど、また新しいページを重ねられるかもしれない。いつだって先を見ながら歩くのは楽しい。
八ヶ岳の北横岳に登った時は、まだ山慣れしていない夫と、一足一足確かめるようにして登っていた。今では北八ヶ岳ロープウェイと名前が変わった「ピラタス横岳ロープウェイ」に乗って、標高2237mの坪庭まで一気に登った。坪庭を奥へ進み、登山道に入ってから1時間ちょっとで山頂に至る北横岳は初心者登山にふさわしいだろう。
八ヶ岳の中では北横岳だけが現在も活火山に指定されている。800年ほど前に噴火したらしいが、今のところ火山活動は観測されていない。噴火時の溶岩が堆積してできたと思われる坪庭は、岩がゴツゴツしていてまさに現在も植生復帰中という感じだ。
ロープウェイで登ってくる斜面は、冬はスキーのゲレンデになる。山頂駅を出ると目の前に坪庭の雪の原が広がり、そこから一気に滑り降りていくスキーコースは展望もよく、雪質も良い爽快なコースだ。
私たちは北横岳登山の後に何回か訪れた。ロープウェイ駅から滑り出すと、目の前に八ヶ岳南部のパノラマが広がる。特に途中の「ひょうたんコース」はほとんど誰もいない気持ち良いコースで、私たちは二人きりのゲレンデを楽しんだ。何度も登っては滑り、疲れると坪庭の奥の縞枯山荘までのんびり足を伸ばした。のんびりとはいうものの、傾斜のない道をスキーで歩くのは案外疲れることだった。山荘前の広い雪原から縞枯山を見上げ、またゆっくりゲレンデに戻ったものだ。
さて、北横岳に向かおう。ロープウェイを降りると、目の前に広がるのは坪庭だ。ぼこぼこした岩の隙間から生えたような木々の間を通って登っていく。歩き始めたのは9時20分、雲も多いけれど、青空が綺麗だ。
坪庭にはハイマツが多い。ハイマツはもっと針葉樹林が茂っている上の、標高が高くなったところに多いと思っていたが、登山道を進むと針葉樹林の森が深くなってくるからここでは逆転している。坪庭は溶岩の重なりでできているため土壌が薄いので、大きな木が育ちにくいのではないかと考えられているそうだ。強風や低温も影響しているかと思われる。この山と山の間の広い日本庭園のような坪庭には散策路が作られていて、高山植物が道の脇に咲いている。イブキジャコウソウ、テガタチドリなどのピンクが広がっている脇を進む。
登山道に入っても大きな岩が重なっている様子は変わらない。所々にハシゴもかけてある。私たちは二人とも岩場やハシゴなどを面白いと思うから、楽しんで登って行った。あまりに垂直の厳しい岩場などは技術がないので登れないけれど、足場がちゃんとつかまえられるような角度の岩場なら楽しめる。道の脇にはゴゼンタチバナの白い花が浮き上がって咲いている。
北横岳の岩は溶岩によるもの、道に張り出している岩はそれほど大きくはないので楽しみながら登っていく。
振り返ると坪庭が広がっている向こうには縞枯山の斜面が見えている。シラビソ、オオシラビソなどの針葉樹が白く立ち枯れ、それが縞模様になっている。なぜこの現象が起こるのかはまだ解明されていないそうだが、八ヶ岳にはよく見られる。志賀の山でも小規模な立ち枯れの様子を見たことがあるが、火山と薄い土壌、そして強風が関係しているのかもしれない。
この不思議な現象をもっと間近に見たいと思っていたが、その後縞枯山に登り、縞枯現象の真っ只中を歩くことができた(※)のは随分後になってからだった。その中を通ったからといって何かがわかるわけではなかったけれど、感動的な風景だった。
展望を楽しみながら森の中を登っていくと、やがて北横岳ヒュッテが見えてくる。ここでオリジナルのゴゼンタチバナがデザインされている登山バッジを購入。まだ山頂を踏んでいないのに呑気なものだが、景気付けという言葉もある。山荘の近くにはアカバナが咲いている。
ヒュッテを出るともう一登りで三角点のある南峰2472mに着く。ここからは南八ヶ岳が一望らしいが、ちょうど白い雲に覆われてしまった。
残念だが先へ進もう。ほんの一足で北峰だ。北峰の標高は2480m、この山の最高点だが、三角点が置かれているのが南峰なので、北横岳の標高というと南峰の2472mを指すことも多いのだとか。人それぞれのこだわりがあるからそれはそれでいいけれど、「ここに確かにあるけれど、測ってないから無いことにしよう」といっているようで・・・どこか変。でもこんなこと人間が作った社会にはいくらでもあるかもしれない。私も「三角点にタッチ!」はよくやっているけれど、ね。
まぁいいか、「私たちは2480mの北横岳に登ってきました」はい。
山頂からは目の前に蓼科山がくっきりと見えて、気分は最高。南八ヶ岳は見えなかったのに、雲の流れは不思議だ。
デッサンをしたり、花を探して歩いたりしてしばらく遊んでから降る。まだ11時前だったが、神奈川までの長い道のりを思うとやはり早めに出ようか。だがただ真っ直ぐ降りてしまうのもつまらないと、縞枯山荘まで足を伸ばすことにした。まだ昼時だったからか、山小屋でのんびりする人は少ない。美味しい味噌汁をいただいてから帰りのロープウェイに乗った。
ロープウェイ山麓駅を2時前に出発、高速道路はそれほど混んでいなかったけれど、神奈川の家に着いたのは夜6時半だった。
登山とは関係ないけれど、この時の旅で私たちが楽しんだことが一つある。山に向かっているときだったが、車の走行距離メーターの数字が並んだ、「123456」。昔懐かしい車の写真を見ると、時の流れの早さを感じる。