桧洞丸(ひのきぼらまる 檜洞丸とも書く)は、標高はさほどではないけれど、丹沢の人気の山だ。一度玄倉から登ろうとして、雪に妨げられて引き返した。その時は途中の石棚山までの雪山歩きを十分楽しみ、麓のミツマタの大群落にも目を奪われて、面白い山歩きとなった(※)。
一年後の同じ時期に出かけたのは、格別訳あってのことではない。春分の日の休日が週休と重なって少しゆとりができるので、出かけやすかったのだと思う。
一年前の苦労を覚えていたので、スパッツだけでなく軽アイゼンもリュックに入れて出かけた。家を出たのは7時、今度は西丹沢から登る計画で、西丹沢のビジターセンター前に着いたのは9時だった。
桧洞丸は丹沢の奥にどっしりと聳える山で、丹沢山塊では4番目に高いそうだ。ブナなどの鬱蒼とした森に覆われた、近年まで一般登山者の訪れを許さない深山幽谷の雰囲気を保ってきた山の一つ。今では有名になったツツジ新道が西側の尾根に開かれたのは1962年のことだという。
花の季節にはつい遠くの山まで足を伸ばすことが多く、近くの丹沢に出かけることは少なかった。またあまり強く意識してはいなかったけれど、人がたくさん集まる季節は避けようかという気持ちもあったと思う。シロヤシオやトウゴクミツバツツジなどが登山道を覆う姿を見たい気持ちはあるが、人がたくさん行き交う山道はちょっと苦手だ。
私たちが登った頃からすでに20年もの時が過ぎているが、近年のツツジ新道は道がえぐれてツツジの根が現れているそうだ。山のサイトを見ると、すれ違うのも困難なほどの賑わいとか・・・。
山を楽しみ、人と自然の関係について考える人が増えるのは喜ばしいことだと思うが、小さな一つの情報だけで「それっ」と同じところに押しかけることが多いような気もする。
そういう私たちとて、あまり褒められたものではないのだが。天国の柴田先生(コンサベーショニスト)には呆れられているかもしれない。
さて話を戻そう。 登山道入口あたりにはミツマタが黄色いヴェールを広げていた。これは一年前と同じ。石棚山の麓のミツマタはどこまでも遠く深く咲き競っていたが、西丹沢のルート脇は斜めに見上げるように斜面を彩っている。
桧洞丸は丹沢山、蛭ヶ岳から続く丹沢主稜線の西に連なる大きな山だ。登りながら振り返ると富士山が近い。急坂を頑張って登る頃には枝が邪魔して全景は見えないが、稜線に上がってみると大きく裾を引いた姿が見える。
展望台まで2時間ほどかかった。遠く南アルプスの北部の山が真っ白な連なりを見せている。白峰三山と呼ばれるのが頷ける。
遠くの山が見えてくると嬉しくなって足取りは軽くなるのだが、標高が上がったので、道は凍っている。雪が残っているので、その雪がカチカチに凍っているのだ。
私たちは軽アイゼンを履いた。やはり快適だ。滑る心配がないので、風景を楽しみながら歩くことができる。
急な山道を登り、山頂近くなってくると緩やかな広々とした山陵になり木道が敷いてある。ひと頑張りで山頂だ。何か動いている、鹿だ。3頭の鹿がこっちを見ている。こんな雪の季節にやってきたのは誰だと誰何しているようだ。鹿たちは急ぐでもなく、時々振り返りながら山道を藪の方に去っていった。
山頂は広いのでのんびり休むには良い場所だが、ちょっと寒い。汗をかいた夫はここで着替え。太陽はポカポカ照るが、風は冷たい。おにぎりを食べて、下ろう。下り始めたのは2時だった。
のんびり下っていると、後ろから元気な声が追いついてきた。若い男性が二人、「ヒョー」とか「おー」とか声を上げながら降りてくる。避けて振り返ると、彼らは普通のズック靴を履いている。なんとこの靴で蛭ヶ岳を越えてきたそうだ。私たちのアイゼンを見て「そういうのがあるといいですね」と話し、また滑る滑ると言いながら、追い越していった。
若いというのはすごい。けれど、無茶はしないように。私たちは若者を見送って、再び急な山道を足元を確かめながらゆっくり降り始めた。