朝の用を済ませると、青空が広がってきた。車で45分ほどのところにある「あんずの里」を見に行こうかと夫が言う。森の「あんずの里」の奥には滝もあるらしいから、そのあたりを散策してこようというのだ。杏はまだ咲いていないかもしれないけれど、気持ち良い里の道を歩くだけでもいいと言う。確かに面白そうだねと言いながら、山好きな私は、「大峯山に登るのもいいんじゃない」と口走る。
あんずの里の奥には鏡台山や五里ヶ峯などの奥深い山が連なり、その尾根の端にある山の一つが大峯山。地図で見ると麓から尾根にとりついて最初の頂き、標高841.4m。ちょっと裏山へという感覚で行ってこようと考えたのだ。これが大きな誤算だったことは行ってみて初めてわかること。
家を出たのは10時になろうという時刻、国道18号線を森まで走り、道路地図を見ながらさらに先へ進む。倉科地区の入り口を右折して観龍寺の下に到着。咲き始めた杏の大木の下で靴を履き替え、観龍寺に向かう。
観龍寺は信濃三十三観音霊場第六番札所だそうだが、現在は無住職らしい。 多くの人に踏まれてきた石の階段を登ると、そこは別世界だった。小さな藁葺き屋根のお堂が静かに立っているが、その屋根は今にも崩れてきそうだ。奥まったところに建っていたため、戦火から逃れられたと書いてあるが、このままでは自然の威力で朽ちてしまうのではないか。
さて、お参りをしていよいよ山登り。長野の里山を紹介した本を頼りに寺の裏の道を行く。しばらく歩くと案内板があり、その後ろには四阿が見えるが、伸びてきた潅木で道は隠れている。ここは夕日山。ここから林道らしき道をゆるく登っていく。車の轍の跡は残っているが、一面に潅木が生え、私たちの背丈ほどにもなっている。ススキの枯れた株もあり、今この季節だから良いけれど、草木が勢いづいてくると歩くのが困難になりそうだ。
少し歩くと林道夕日山線にぶつかる。この林道も真ん中に潅木が生えていて、車でも通るのは大変そうだ。私たちは林道を横切りアカマツの急斜面にとりつく。落ち葉が積もって足が埋もれるくらいだ。オレンジ色のヒオドシチョウ、テングチョウがたくさん舞っている。山道で見かけることが多い蝶だ。足元には綺麗な黄緑色のウスタビガの繭も転がっている。
道は急勾配で周りの木につかまりながら登る。落葉樹の大木が増え、混淆林になる。踏み跡はほとんどない。どこが道なのかわからないが、まっすぐ急斜面なのでただひたすら上に向かって足を運ぶ。喘ぎながら登っていくと送電線の鉄塔が見える。この周囲がかなりのヤブで、トゲの多いノイバラやキイチゴにぶつかると大変だ。潅木をかき分けて鉄塔にたどり着く。そこは見晴らしが良いので、座って北アルプスや戸隠の山を眺めながらクラッカーをかじる、小休憩。
鉄塔から少し登るとさらに眺望は広がり森の町が見下ろせる。先日孫と登った有明山もすぐそこ。しばらく眺望を楽しんだ後はまた樹林帯に入る。油断するとズルッと滑る、急傾斜。
アカマツの幹や、ヤマツツジらしい低木の幹につかまりながらよじ登り、ようやく細い踏み跡が見える道に合流した。左は県山城跡に続き、右へわずかに登ると山頂。
このわずかな登りは緩やかで気持ち良い。ホコリタケがあったのでしゃがんで写真を撮っていると、バサっと大きな音と「うおっ」という夫の大きな声。一瞬熊か?と思ったけれど、それにしては危機感を感じない。聞いたら大きな鳥がすぐ近くから飛び立ったという。キジかヤマドリか、あっという間だったのでわからないという。
ついに山頂に立つ。山頂は森の中なので見晴らしはない。三角点にタッチし、記念撮影をする間にも冷たい風が強く吹き抜け、夫は大急ぎで濡れたシャツを着替える。長居は無用。
下りは案内書に「わかりやすい」とあった夕日山林道コースを行くことにする。ところが、「間違いようのない尾根」という文字に惑わされ、鏡台山登山口まで進んでしまった。ここはとてもゆったりとした気持ち良い道だったが、下り道ではない。
引き返して地図を見直し、ソヨゴの森を通り抜けアカマツの急斜面に踏み込む。またもや踏み跡もない、目の下が見えないほどの急斜面。時にはお尻滑りに近い姿勢で、ひたすら木の枝や幹を頼りにズリズリ滑り落ちていく。狭い尾根だった。ようやく鉄塔にたどり着いたが、ここがまたすごいヤブ。ぐるりとヤブをかき分けて道を探すが踏み跡はない。だが、アカマツの狭い尾根をまっすぐ降りれば林道に行き着くだろうと、再びずり落ち作戦。こうなればもう楽しむしかない。滑るように落ちながら二人きりの森を満喫。
ついに林道に出た。案内書には「登山口に看板がある」と書いてあったけれど、何も見つからない。
道を探したり、間違って尾根道を往復したり、ルートファインディングの面白さを味わうことができたが、滝を見に行くのはまた今度。乾杯用のスパークリングワインをと、帰り道で購入してから家に向かった。