冬になると近くの里山と仲良しになる。どうしてかといえば、もちろん雪の積もった高山にはなかなか行けないからだ。
長野市の南にゆったりとした山容が広がる茶臼山は、麓に動物園や植物園、恐竜公園があって、春から秋まで子ども連れの家族も多く訪れるところだ。私たちも、夏休みにやってきた家族と、小さな子どもを連れた後輩と、友人カップルと、何回か訪ねている。
山頂下の展望台からは北アルプスが見えるので、久々の晴れた日に行ってみることにした。初めて行った時(※)は、植物園の中を通って登っていったけれど、今回は裏に回って旗塚を通って登ることにした。
歴史に残る武田信玄、上杉謙信が戦った川中島平を見下ろせる茶臼山には、武田の本陣が置かれていたそうだ。目の前の旗塚はその名残の一つだそうだが、昭和初期から起こった地滑りのため50mも低くなってしまったという。旗塚の上、有旅(うたび)茶臼山699mから一気に降って見上げると、えぐれたような地滑りの跡が見えていて、その凄さを実感する。今は枯れ草に覆われるように静かに眠っているけれど、この大地はいつまた動き出すか分からないのだ。私たちは、自然の大きさを今更のように思いながらしばらく見上げていた。
さて、先へ行こうか。歩き出すとすぐ、植物園から来る登山道と合流、落ち葉の積もった山道を登る。前に来た時は見逃した東斜面からの登山道を見つけ、今日はこっちを行こう。でも、どうして前回はこの道を見過ごしてしまったんだろうと、首を捻る。
「!」
「この道、掃いてあるね」
「箒目が見える」
そう、なんと登山道の落ち葉が、きれいに脇に掃き寄せてある。だから道がわかりやすいし、とても歩きやすい。前に来た時は落ち葉と枯れ枝が積もっていて、道がわかりにくかったんだね。どんな人がやってくれたか知らないが、すごいね。
登っていくと、木々の間から川中島平の広がりが見える。川中島平への傾斜は急だ。私たちは山を巻くように歩き、茶臼山山頂に飛び出した。
森の中に三角点がある。どうしてここに三角点?見晴らしは全くないところだから、不思議だ。
山頂では記念撮影だけして北へ降り、展望台へ向かった。平坦な道は落ち葉が積もったままだが、坂になると掃いてある。展望台の入り口も綺麗になっていた。
純白の壁が眼前に立ち塞がっている。青空の下、アルプスは輝いていた。白馬三山、唐松、五竜、鹿島槍、爺・・・そして遠くに槍の穂も見える。やっぱりすごいなぁ、この連なりは。ため息が出る。
しばらく白い山に見惚れて、来た道を引き返す。前回とは違う道を行こうと、話しながら歩いていると、道に惨劇の跡が!大小の鳥の羽が散らばっている。風切羽らしい大きなものから、ダウンジャケットの材料になりそうな小さな綿毛まで無数に積み重なるように散らかっている。この森で、誰の食事になってしまったのだろうか。黒地に白い水玉のような模様がついているこの羽はヤマセミだろうか、この森にいるのなら会ってみたいのだが・・・。
そこからわずかに降ると、信里(のぶさと)方面、芝池への分岐点。緩やかな道を下っていくと、左の下に白い広がりが見える。あれ、何。雪に見える。藪を踏んで近くへ行ってみると、そこはため池で、氷が張っていた。地面の雪は溶けてしまっているが、ため池は氷が張って、そこに積もった雪がまだ残っている。暖冬で雪の少ない枯れた森の中で、そこだけが冬を主張しているようだ。
藪の中を再び道に戻って歩いていくと、ため池は道の両側にいくつも現れた。
「なんだ、面倒なことをして近くに行かなくてもよかったね」
「でも、藪歩きも冬しかできないから、いいんじゃない」
笑いながら行くと、棚田に飛び出した。東斜面はリンゴ畑が広がっているが、西側には、棚田と、その田んぼを維持するためのため池群があるということは後で知った。小さな段々田んぼの向こうにアルプスが広がっている。ここで農作業をする人は、アルプスを見ながらできるんだね、いいねぇ。などと言えるのは、傍観者だから。この小さな田んぼを維持していくための農作業がどれほど大変なものかは、農家に生まれた私にはよくわかる。今は、田んぼも眠っているけれど。
田んぼを後にして、もう一度森の中に入ると、そこには小さなお堂があった。地図を見ると、ここが諏訪神社なのだろう。私たちはどうやら裏から入ったようだ。お参りして振り向くと、苔むした石段と、鳥居があった。どれほどの長い時間たくさんの人に踏み締められたのだろうかと思わせられる、足跡に削れた石段。ゆっくりゆっくり一段ずつ私たちも石段を踏みながら、長い、長い歴史の向こうに思いを馳せていた。