3月後半も雪が多かった。花に会いに髻山に出かけてみたが、まだ山肌一面を覆う雪に驚いた(※)。あれから9日経っている、そろそろ会いたい花が開くのではないかと再び髻山に向かった。 (※山歩き・花の旅252 雪が残る髻山から昭和の森公園へ)
りんご畑の間の道を登る。真っ青な空、雲ひとつない。日の光を浴びてから開く花が多いからと、ゆっくり家を出てきた。歩き始めた時は9時半になっていたが、道端のオオイヌノフグリはまだ花を閉じている。道の脇にたくさんの農機具が置いてある。これは季節ごとに使うものなのだろうか、それとももう使えないものなのだろうか、置き去りにされているようでどこか寂しい光景だ。
小さな段々田んぼから一斉に鳥が飛び立つ、羽に黄色い光が見えるカワラヒワだ。鳥たちの歓迎を受けながら山道へ入っていく。鳥は「歓迎なんかしていない」と言いたいだろうけれど・・・。
りんご畑の所々に溜池がある。今は休耕田になっている段々田んぼ、棚田というのかな、そこに水を引くために溜めたのだろうか。
山道を歩いていると杉穂がたくさん落ちている。杉の枯葉は燃えつきが良いので焚き付けに便利だ。昔の人は重宝しただろう。でも、今ではこの季節とても嫌われる。杉花粉と言えば、まるで悪者の代表のような言われようだ。花粉症は単純な花粉によるものというより複合現象なのではないかと私は思っているのだが、科学的な根拠はない。昔からスギは生活の身近にあったのに、花粉症は今ほどなかったなぁという感想だ。
蕗の薹がきれいな若緑色の顔を出している。9日前には雪がたくさん残っていたが、道の雪は溶けた。北斜面の陰にわずかに残る程度だ。登山道を少し外れて藪に覆われている古い林道を少し歩く。人々の生活に近い山だったのだろう、髻山の中腹には幾筋もの道の跡がある。古い道を辿っていくと別の道と交差しているところもあるから面白い。しかし藪漕ぎができるのは冬から早春までだろう。この後枝葉が茂ってくればおいそれと人を通してはくれなそうだ。
そのわずかの時期を選んで咲く花がある。木々が葉を茂らせる前の太陽の光を浴びて花開く。その可憐な姿を見つけ愛しんで大切にしてきたのは日本人だけではないようだ。スプリング・エフェメラル、訳せば『春の妖精』という言葉があった。厳しい冬を越えて、ようやく溶け出した雪の下に開く花を見つけて歓喜の声をあげるのは洋の東西を問わないのだろう。
さて、藪の中に踏み行ってみると、カタクリがたくさん顔を出している。最初に見つけたのは夫。「よく見つけたね」と言うと「この葉は独特だからね」と笑う。まだ蕾はかたいけれど、葉はとてもたくさん出ている。うっかりすると踏みそうだ。カタクリは芽吹いてから花をつけるまで7年ほどかかるそうだ。地上に見える姿の何倍も地中に長い根を伸ばす。まだまだ今年は花をつけそうにない小さな芽吹きもたくさんある。
慌てて足を避けると今度はアズマイチゲが白い花弁を下向きにしてたくさん立っている。「すごいね」「こんなにカタクリやアズマイチゲが咲くんだね」、私たちは大喜び。でもまだ光が足りないのか、アズマイチゲの花はみんな俯き加減だ。
「おにぎりを食べながら待っていれば開くんじゃない」と夫。でも、まだ時間が早い。「先に山頂へ行ってこようよ。そうすればちょうどいいんじゃない」と私。
先に山頂へ行ってくることにしたけれど、その前にもう少し奥まで行ってみようか。今日の目的の花にはまだ会えない。少し戻って荒れた林道をさらに奥へ進むと、斜面に大輪の黄色い光が。フクジュソウだ。これまたすごい。斜面の上にも下にもたくさんの株が真っ盛りの花盛りだ。見事なフクジュソウに会えたので気をよくして一気に山頂を目指した。
山頂へあと一歩の稜線から南側の斜面に咲くカタクリの群生地を見てくる。残念ながらここもまだ蕾だった。けれど、スミレがたくさん咲いている。白や薄い紫色のスミレ、名前はわからないけれど、山道の両側に続いている。
スミレを見ながら山頂に到着。青空の下に志賀高原の山が見える。ずーっと目を移していくと善光寺平の向こうにアルプスが見えている。
さて、もう一度花を見に行こう。気温も上がってきたからアズマイチゲも上を向いているのではないだろうか。登ってきた道とは違う荒れた林道らしき道を通っていく。
なだらかな日当たりの良い斜面に座っておにぎりを食べる。アズマイチゲは上を向いて光をいっぱい受けていた。その花に囲まれて食べるおにぎりは最高だ。今日は我が家の蕗味噌を入れてある。
おにぎりを食べた後、斜面を縦に横に、カタクリの葉を踏まないように気をつけながら歩いた。杉の暗い森にはウサギのフンがたくさん転がっている。日陰には雪も少し残っている。
そして、ついに見つけた。セリバオウレン、たった一株の花。群落になっているところを探していたのだけれど、そこはついに見つけられなかった。それでもキリッと立った一株の花に会えたことを喜ぼう。小さな羽虫が花にやってきた。この花に会えて嬉しいのは私たちだけじゃないみたいだ。