3月後半の降雪に驚いたが、一日白く残って溶けた。春の雪は年によって4月に降ることもあるが、多くはあまり積もらずに消えていく。
長野市と飯綱町の境にある髻(もとどり)山にそろそろ春一番の花が咲き始めるのではないかと出かけた。何回か登った髻山だが、いつも長野市側の吉(よし)から登っていた。今回は飯綱町の方から登るコースを歩くことにした。長野から牟礼駅に向かっている県道60号線を北上、左に目的の髻山を見ながら進む。桃の花が美しいという丹霞郷への道を右に分けて少し進むと、平出神社の手前に小さな駐車場がある。
9時に家を出てきて、25分に歩き始める、近い。周りはりんご畑が広がり、雪溶け後の作業に忙しそうな人の姿が見える。畑のあちらこちらから細く煙があがっているのは落とした枝を重ねて燃やしているのだろうか。畑の中にはたくさんの枝が積み重ねられている。
りんご畑の中を緩やかに登っていくと両側に溜め池が見えてくる。ガマの穂か、白くそそけて風に飛ばされている残骸が斜めにかしいで立っている。その下から新しい芽が出てくるのはまだまだ先のことだろう。周囲にはまだ雪が積もっている。
南側から見た山は雪の気配が消えて春らしい森の動きが感じられるのに、北側に来ると斜面はまだ白いところがとても多い。「まだこんなに雪が残っているのでは、花に会えそうもないね」と話しながら、雪が溶けたばかりの森の中を登っていく。
倒木を潜っていくと木の先に動くものが見える。「大きな鳥か」と、先を歩く夫が言う。「あれ、リスだよ」と私。リスは2頭いるようだが、倒木の枝に隠れてよく見えない。しばらく立ち止まって、リスが木の向こうに走り去るのを眺めていた。
さらにいくと左に三角の盛り上がりが見えてくる。『泥の木古墳』と、表示が出ているが、盛り上がった土の山にはたくさんの木々が倒れ重なっている。その先に『謙信馬洗いの池』。このまままっすぐ登れば髻山の山頂はすぐだが、今日は少し寄り道。倒木の上に雪が積もっている斜面をうろうろして、明るい傾斜地に出た。
日当たりが良いのか、斜面の雪は溶けている。しかし、この辺りに春の妖精が目覚めるのはまだ先のようだ。雪が溶けたばかりの斜面には、落ち葉が押しつぶされて積み重なっている。そこかしこにツンツンと芽吹いているのは何だろう。水仙のような葉だけれど。暖かい日差しの中、目覚め始めた芽を踏まないように道に戻り、山頂を目指す。「もう少し経ったら、また来ようね」。
踏み跡のない雪の上を歩いて、謙信馬隠しの堀に出る。ここから急になった道を少し頑張ると、山頂に飛び出す。南面に開いた山頂の雪はもう溶けている。春霞の向こうに奥志賀の山々が見えている。足元に広がるリンゴ畑からは枝を燃す煙が立ち上っている。
上杉謙信の城があったという髻山の山頂は広い。山頂には昭和20年代に建てられた天文測量の(星を観測して緯度経度の座標を決める)ための天測点がある。全国には48ヶ所設置されたそうだが、現存しないものもあるという。私たちは髻山でしか見たことがない。 しばらく山頂の陽だまりを楽しむ。おやつを食べて、四阿に設置されているノートを開く。2月後半に300回登頂という記録がある。里山にはその山を愛する人たちがたくさんいるのだなと、なんだか嬉しくなる。
さて、そろそろ帰ろうか。下りは森の中を散策せず、山道をまっすぐ降りる。アトリの群れらしい鳥たちが飛び交っている。至る所に横たわっている倒木が痛々しい。
車に戻って走り始めると夫が「その信号を曲がると昭和の森公園だよ」と言う。「こんな位置だった?」と私。「ちょっと寄ってみようか」と言いながら車は道を曲がる。本当にすぐ見覚えのある景色になった。前回来た時はまだ雪が残っているため進入禁止だった自然探索路が(※)開通していたので歩いてみた。
公園の中だからすぐ一周できるだろうと思って歩き始めたら、ここは侮れない道だった。園内に深い沢があり、急な階段を降りて橋を渡るところが2ヶ所もあった。沢辺が好きな私は嬉しくなって足が弾む。春蘭はまだ蕾が硬いが、ダンコウバイが黄色い花を開き始めている。アオキの蕾も膨らんできた。
公園の広場には大きなメタセコイアが今を盛りと花穂を揺らしている。草っ原の上に落ちている花穂を拾うと煙のように花粉を飛ばす。
ゆっくり散歩していたらお昼を過ぎてしまった。お腹も空いた、今度こそ寄り道せずに帰ろう。