2月後半、神奈川から孫がやってきた。今年建築を学ぶ学校に進学した孫は、アルバイトが忙しいからと正月は長野に来ることができなかったが、以前から「学校が春休みに入ったらバイトの休みをもらっていくよ」と話していた。ところが、課題製作中に指を怪我してしまい、アルバイトが長期の休みになったとか、長野で冬眠を決め込んだ。
私たち高齢者とののんびり生活でたっぷり冬眠して、新学期へのエネルギーを貯めてもらいましょう。とは言うものの体がなまってしまっては困る、毎日どこかへ出かけましょうというのが今回のミッション(ちょっと意味が違うかな)。
一度は山へ行きたいと話していたが、今年の長野は雪が多かったのでなかなか実現しない。3月に入って気温が上がり、家の周囲の雪はどんどん溶け始めたが、山の斜面にはまだ雪が残っている。さて・・・と思いついたのが、フクジュソウが咲き始めた斎場山、またの名を妻女山。
2月に夫と訪ねた時(※)には、まだ雪が多かったが、数日の暖かさでかなり溶けたのではないだろうか。凍った雪道に慣れない孫が滑るようなら使おうと、軽アイゼンをカバンに入れて出発。
赤坂橋で千曲川を渡り、国道403号に出るとすぐ妻女山への登りになる。車道は北側になるので、盛り上がった轍の跡が凍っている。孫は「こんな道を登るの?」とびっくり。免許を取ったばかりの彼は、神奈川での走りやすい道しかハンドルを握っていない。「山へ登る人はみんなこのくらいの道を走るんだよ」と言うと、「対向車が来たらどうするの」と聞く。「すれ違える場所までバックするしかないね」などと話しているうちに山頂の展望台がある駐車場に到着した。妻女山は桜の名所だが、さすがにまだ蕾は硬い。足元の準備をして歩き始める。
しばらく林道を歩くが、北側なので、雪がまだ残っている。それでも足元を選んで登ればなんとか滑らないで行けそうだ。木の枝が実をつけたまま落ちている。今日も風が強いけれど、風に煽られて小枝が折れるのだろう。建築関係の勉強をしている孫にとっては、材木の元の姿、森を見るのは大切なことかもしれない。落ちているのは木の枝だけではない。飛んできたカエデの実は昆虫の羽にしか見えないとびっくり。
木の枝についている虫瘤の不思議な形にも首を傾げる。虫瘤の形は虫が作るのではなく、卵を産み付けられた木が変形するのだそうだ。どうしてそのような仕組みになるのだろうか。虫や木の種類によって形がとても違うのがなんとも面白く且つ不思議だ。また、何個も見つけたウスタビガの繭は、一個一個の色がとても違うことに驚く。綺麗な黄緑色に輝いている物もあれば、くすんだ物、白くなっている物、ちょっとまだらになっている物と、実に様々だ。
周囲の小さな自然の姿に目を配りながら雪の林道を登って、最後にちょっと急な山道を登ると斎場山の山頂に到着。こんもりと盛り上がったような山頂は円墳の上に当たる。登り初めのところに五量眼塚古墳の名が書いてある。この山頂には上杉の陣があったそうだが、木の幹越しに見下ろすと、川中島の広がりが目に入る。ここからなら豊かな平野がよく見えるねと納得。山名については入り組んだ歴史があるようだが、斎場山、またの名を妻女山と覚えている。
次は陣場平へ行ってみよう。バイモ(貝母)の芽が出ているかもしれないから足元をよく見ていこうねと話しながら登る。登り切ったところで「ちょっと後ろを見て」「あれっ、どうして神奈川?」「ワープしたんだよ」なぜかはわからない神奈川県とある看板を見て首を傾げる。
陣場平には他にも目を惹く物がある。菱形基線測点、地表面の水平方向の変動を調べるために設置されたもの。八角形の柱が4点、菱形に設置されているそうだ。長野市にある残りの3点はまだ見たことがない。
まだ薄く雪を被った陣場平だが、バイモが雪を突き破るように芽を出している。
雪の陣場平を後にして今日のもう一つの目的地、大塚古墳へ向かう。南側の林道は雪が溶けて気持ちよい落ち葉の道になっている。ヤマコウバシの枯葉が木の枝で揺れ、太陽の光を乱射している。林道をしばらく降りると大塚古墳だ。
まず古墳にお参りし、南側の斜面に向かう。太陽の光をいっぱいに受けるパラボラアンテナのようなフクジュソウの花びらが輝いている。見事な開花に孫も思わずしゃがんで見る。
積もった落ち葉や枯れ枝を押しのけるようにして顔を出している、鮮やかな黄色い花をしばらく眺め、四阿で休憩することにした。 しばらく森の空気を楽しんだ後は再び雪道を辿って車に戻る。妻女山展望台からは雲に隠れてアルプスは見えず、善光寺平を囲む山々が綺麗に見えていた。