2月も後半になったけれど、3日間も雪が続くなどという長野では珍しい日が続いた。昔の山のアルバムを繰ってばかりではつまらないとも思ったが、案外新発見(忘れていただけかもしれない)もあって面白い。
神奈川で仕事をしていた頃は、山へ行けるかもしれないという日は貴重だった。その自由な時間に合わせてどこへ行こうか悩む。遠いところは難しくても、神奈川には丹沢山塊という魅力的なところがある。友人は沢登りでたくさんのコースを歩いていたが、私たちは裾野に広がるハイキングコースを歩く。沢登りには技術が必要だ。友人の話や写真を楽しませてもらうだけでよしとしよう。
車で出かけることが多かったが、この日は電車に乗ってみた。小田急線の新松田駅からバスがあるはず。ところが本数が少ない。時間がもったいないのでタクシーを奢ることにして、寄大橋のところまで一気に入ってしまった。9時45分出発。赤い可愛い橋で中津川を渡って林道を登り始める。
この時は気がついていなかったが、シダンゴ山にまっすぐ登るならもう一つ下流の大寺橋で中津川を渡ればよかったのだ。中途半端な下調べをしてタクシーで『寄大橋(やどりきおおはし)』へと言ったものだから、奥へ入ってしまった。
林道の脇には真っ白なウツギの花が覆いかぶさっている。純白に輝くようで、眺めながら登っていくと足が軽くなる。開き始めたばかりのフジが淡い紫に陽の光を揺らしている。しばらく登ると満開のウワミズザクラが迎えてくれた。道の両側は白い花のパレードだ。
林道歩きは、だんだんつまらなくなってくる。変化ある山道を登るのとは違って、足が飽きてくるのだ。
約2時間歩いてようやく林道秦野峠に着いた。もうお昼の時間だ。ここでお昼を食べることにしよう。この時は、再びこの林道を歩くことになるとは思っていなかったが、この後真夏に今度はここを下ることになったのは雨山に登った時のこと(※)。(※山歩き・花の旅143 緑濃い丹沢 雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭)
秦野峠で休んで、ようやく山道に入る。森の新緑が迫ってくるようだ。道案内の看板は朽ちている。シダンゴ山は公園のようなところで、近くの人たちの散策路のようになっていると聞いたが、裏側のこの道はあまり通る人がいないようだ。確かに林道を2時間近く下るとなると考えてしまうだろう。
森の中の道を40分ほど登るとダルマ沢ノ頭に到着。標高880m。思ったより藪山だ。シダンゴ山の一角かと思っていたので、抱いてきたイメージと違う。地図を見ると、ここはかなり奥まっているので、シダンゴ山の散策コースより一つ奥の稜線になるようだ。
森の中には春の花が咲き出している。湿っぽいところにはハコベのような小さな花が咲いている。花びらが細長く、半分ほど切れ込んでいて、サワハコベだろうと思っていたが、帰って調べるとサワハコベは毛がないと書いてある。私たちが見たのは花の脇に長めの毛があるから、別の花なのだろう。ハコベやミミナグサ、ツメクサなどナデシコ科の小さな花は識別が難しい。
ようやくシダンゴ山758mに着いた。ダルマ沢ノ頭からは30分ほど。しかも、こちらの方が低いのだった。なんだか騙されたような気もするが、山頂は広々していて気持ち良い。丈の低いアシビの木が植えられていて、かくれんぼができそうだ。展望が開けているが、雲が大きくなってきてしまった。目の前には鍋割山から伊勢沢ノ頭へ続く稜線が大きく伸びているが、青空は消えてしまった。南に目を転じると、相模湾が見える。江ノ島がどこから見てもわかる形で海に飛び出している。アシビの間を散歩し、展望を楽しみ、夫はここで残っていたおにぎりを食べた。5月の爽やかな風の中、気持ち良い山頂だ。
山頂にはシダンゴ山の由来を説明した石が立っていた。シダンゴは漢字で震旦郷と書く。仏教を伝えるために、この山には仙人が住んでいたそうだ。箱根や丹沢の他の山頂にも仙人がいたらしい。この仙人をシダゴンと呼んだそうで、それがなまってシダンゴ。
シダゴンとは・・・恐竜好きな孫が喜びそうな名前だが、梵語で羅漢(仏教の修行を積み悟りに達した人)様を意味するそうだ。
そして白馬にまたがった弥勒菩薩もこの山の頂に来たらしい。中津川に降りた時の馬の蹄の跡が残った大石があったそうだが、今は埋没してしまったそうだ。いくつもの心惹かれる話だが、みんな仏教がらみ、この辺りは信心深いところなのだろうか。
茶畑の緑を楽しみながら、1時間ほどで中津川まで下り、帰りは無事バスに乗ることができた。