どうして真夏の丹沢に行ったのだったか。最高峰まで上がれば涼しい風も吹くが、奥深い沢沿いの稜線は考えただけでも暑そうだ。実際車を降り、『惠水(めぐみ)の森』と名付けられた森の縁を登山口まで歩く間にも汗が吹き出してきた。
家を出たのは6時半、東名高速道路を大井松田で降りて国道246号を走り、山の中に分け入って寄(やどりぎ)大橋で車を停めた。軽く朝ごはんを食べて歩き出したのは8時。まだ太陽はそれほど高くはないけれど、すでに空気が温まっている。
覚悟はしていたから、着替えはたくさん用意している。
さて、広い沢を歩き始めると、いきなり渡渉がはじまる。水が少ないからいいけれど、ちょっと雨が降ると渡れなくなってしまうだろう。苔むした崖を登り、何度も渡渉を繰り返す。冒険心がくすぐられて気分は踊る。ただ暑い。汗っかきの夫は頭から水をかぶったように汗びっしょりになっている。
雨山峠から鍋割山まで行ってくるつもりで出掛けた。丹沢といえばたくさんの沢があり、そのコースバリエーションの豊かさで知られているが、私たちは沢登りの技術はない。しかし、気分だけでも味わえるような沢を少し歩いてみたかった(その後一時通行禁止になり、道はかなり荒れている模様)。
道はどこまでも沢をいく。鎖場や梯子もあり、頑張って登るとまた狭い沢に出る。急な崖に挟まれたような細い沢も今日は乾いているからありがたいが、一度雨が降ったら歩けなくなりそうだ。尾根の取り付きに、荒天時は通行しないように(神奈川県)と書かれた、大きな木製の看板が立っていた。
たくさんの鎖や梯子、そして木製の橋などを越えていくのは楽しい。そのなかなかに楽しめる道を登っていくと、雨山峠に到着。10時50分。少し早いけれど、お腹が空いたという夫の要望で昼休憩することにした。
ここから鍋割山に向かう予定だったのだが、峠の道標に注意書きが貼ってある。どうやら道が崩れているらしい。岩登りのエキスパートなら行けるのかも知れないけれど、私たちは無理をしないことにした。さて、どうしようか。ここから雨山に登って、来た道を引き返そうか。でもそれではなんだかつまらない。尾根伝いに秦野峠まで降りる道をゆっくり行ってみようか。
雨山に向かって登り始めると、その緑の濃さに驚いた。稜線は思ったより広く、明るい緑に覆われている。神奈川の海に近い森は、夏になると葉の色が一様に深緑になり、重い感じになってしまう。ところがここ丹沢の森はなんと明るい緑に輝いているのだろう。みずみずしい緑だ。針葉樹はなく、様々な広葉樹の混淆林。丹沢はやはり水が豊かな山地なのだろうか。
まず雨山1176mに登頂、正午にならないうちについた。と言っても5分早いだけだけれど。森が豊かだからか、蝶や昆虫がたくさん遊んでいる。ここからはなだらかな広い稜線が続く。どこか日本庭園を思わせる広々とした道を散歩気分で歩く。小鳥の声を聞いたり、蝶の舞を眺めたりしながら40分、次の山頂、檜岳1167mに着く。この山の読み方は『ひのきだっか』というらしい。『ひのきだけ』と思っていたなぁ。
そこからさらに30分ほどで伊勢沢ノ頭1177mに到着、一応今日の最高地点になる。ここからは下りになるので、少し休憩。夫は残っていたおにぎりを頬張る。
周囲にはアキカラマツが一面に揺れている。あまりの群落の見事さに、つい我を忘れて写真を撮っていると、「あれ、何をつけているの」と夫の声。見下ろせば腕のところに青いブローチが、いや、これはカミキリだ。綺麗なブルーのルリボシカミキリは日本固有種だそう。ブナやクルミの枯れ木を好むそうで、生木を食害することはないという。森林の開発などでずいぶん減ってしまったそうだ。
下りは再びなかなかスリルのある道になった。踏み跡が見えず、どこが道か分からない上に、急峻な地形が続く。それでも転ばぬように降りていけばいずれ目的地に着く。秦野峠についた時はほっとした。さらにもう一息下ると、竣工記念碑が建っている林道秦野線の秦野峠に出る。
ここから寄大橋までの林道歩きはひたすら長かった。整理体操だと思えばいいではないかと言うのは後の感想。疲れた体にはきつい林道歩きで、夕方5時に寄大橋に着いた時は長〜い息を吐いた。