山の冊子を眺めながら、「30分で登れるけれど、見晴らしもいい山があるって」と呟いたら、夫が「よし、僕たちも30分で登れるところへ行ってこよう」と、元気に言う。
「どこ?」と聞くと「薬山」。なぜかすでに出かけることに決めている。まぁいいか、山へ行くことに反対はしない。
薬山と言っても知る人はあまりないかもしれない。現に私たちも今年になって初めて聞いた(長野県人になって8年)。中腹にあるブランド薬師は懸崖造りで、下から見上げると崖の途中に張り出しているような恐ろしげな建物だ。ブランド薬師は以前から通るたびに見上げていたのだが、そこが薬山という山の中腹とは知らなかった。
一般的な懸崖造りは、床下に長い柱が立っているが、ブランド薬師にはそれがなく、宙に浮いているように見える。これは、背中の岩に穴を開けてそこから出した水平材で床を支えているからだそうだ。ブランド薬師は八櫛神社の別名で、ぶらぶらするからブラン堂、あるいは不落堂が訛っての呼び名とも言われているようだ。
初めて登った時はまだ冬の気配が濃厚だったので(※)、花の頃に来ようと話していたが、期をのがしてすでに秋。雨続きの中、急な崖の道は崩れていないだろうかと心配しながら登り始める。
急な傾斜をジグザグに登る道は露を含んで湿っている。そして左右此処かしこに、ある、ある。大きな傘、小さな傘、赤、白、黄色・・・チューリップの花色じゃないけれどキノコが満開だ。針金のように細い柄もあれば、握るのがやっとという太い柄のものもある。嬉しくなって、見つけるたびにしゃがんで写真を撮っていたら、時間がかかってたまらない。30分登山のはずが、倍かかりそうだ。
それでも、途中の森が開けたところで展望を楽しみ、ブランド薬師に到着。床の穴を覗くのはやめて、善光寺平の展望を楽しむ。遠くの山は雲に隠れているが、近くの山や扇状地は鮮明に見える。
ブランド薬師の先には立派な東屋があるので、ここで休憩。おやつを食べることにした。ふと見ると、直径20cmほどの大きなキノコ、脇にはまだ小さいけれど同じキノコが並んで立っている。その傘の縁は綺麗な紫色だ。大きくて、そろそろ役目を終えそうな方のキノコの裏を見せてもらう。こんなに綺麗な紫色のキノコは初めて見た。
ここから山頂までは、かつて舗装してあったらしい広い道。だが、傾斜は急なので、滑らないように気をつけて歩く。道々祀ってある仏様に会釈しながら歩いて、阿弥陀如来像に到着、ここが薬山の山頂部だ。
登るうちにどんどん雲が厚くなり、予報は午後からだったが、雨粒が近づいている感じだ。奥の散策はまた今度にして降ろう。
長野は雨が少なく乾燥しているというイメージだったが、今年の夏は雨が多かった。そのまま9月に入っても雨模様の日が続く。山はすっかり秋の気配だ。緑濃かった木々の葉が柔らかく黄色を混ぜて、赤を混ぜて多様に変化している。まだ「緑色」の範疇から抜けてはいないが、こうやっていつの間にか赤に黄色に変化していくのだろう。
足元にはキノコだけではなく、チゴユリやミヤマナルコユリの実が揺れている。真っ赤に輝くアクシバの実もある。
ダンコウバイの実が色づくのを見たいと思っているのだが、まだ緑色だ。春一番に咲いて、山肌を黄色に染めてくれるダンコウバイ。雌雄異株なので、実のない木もあるが、小さな実をつけている木も未だ薄緑色のままだ。先日裏山でようやく少しばかり色づき始めた実を見たが、その隣には来春の花芽が膨らみ始めていて、その呑気さにシャッポを脱ぐ気持ちだった。
花や実や、キノコを見ながら歩いていると、葉裏にぶら下がっている蝉の抜け殻がたくさん見つかる。まるで仲良く一緒に羽化しましょうと言っているように重なり合っている抜け殻を見つけた。今年はこれで二つ目。今まであまり見たことがなかったので興味深い。賑やかな蝉のコーラスを聞くことができるのもあと少しだろう。
急な斜面にたくさん生えている赤いキノコを楽しみながら、降っていく。赤い傘に赤い柄、しかし傘の裏を見ると綺麗な黄色で、華やかなキノコ、これは食材になるらしいが、私たちは自分の目にいまひとつ自信がない。キノコは取らずに、撮るだけと決めている。 雨が多いせいか、夫の好きな粘菌もさまざまだ。森の生き物の多様性を嬉しく思いながら家路に着く。家に帰ると予報通り雨が落ちてきた。