8月に入ってすぐ栂池高原に行ってきた(※)。そこから白馬大雪渓を見るのを楽しみにして行ったが、雲が多く、見えなかった。
私たちが大雪渓から白馬(しろうま)岳に登ったのはもう20年も昔のことだが、今も鮮明に覚えている。その日も雲が多かったが、時折雲の隙間に広がる三千メートル近い稜線の美しさに息を呑んだ。そして途切れることのないお花畑に大喜び。気持ちは高揚したままルンルンと登ってきたのだが、猿倉まであとわずかの林道に到着した頃から足が動かなくなってしまった。一歩前へ踏み出すのがおそろしく大儀で、自分の足が自分のものではなくなったみたいだった。はたから見たらまるで機械仕掛けの人形に見えたかもしれないと思う。痛みはそれほど感じなかったのだが、まさに足が棒になっていた。それも重い金属のような・・・。
当時住んでいた首都圏から、前日に長野に向かった。
お盆過ぎとはいえ、夏山シーズンだから山頂の小屋は混んでいるだろうと、日帰り登山を計画した。早朝長野を出発、猿倉から歩き出したのは6時頃だった。林道を歩き、山道に入ると夏の花々が目を楽しませてくれる。サンカヨウは実になり、大きなキヌガサソウも若い実を膨らませ始めていた。
白馬尻で軽アイゼンを装着、ワクワクしながら大雪渓に足を踏み出した。夫も私も雪国育ち、雪には驚かないが、滑ったらそのまま下まで滑り落ちてしまうかもしれない、一歩一歩大切に歩く。真夏とはいえ、雪の上は空気が冷たいが、運動しているから冷たい風は気持ち良い。雪渓の端は崖にぶつかるから、落石も多いと聞く。もちろん登山道はある。一面の雪原だけれど、もう夏の終わりの今はスプーンカットの模様が黒くなって見える。もっと早い季節には、赤い色をつけて道を示すそうだが、今は人の歩いた跡が道になっている。 時々クレバスが穴を開けている。細長く続いているところもあって、近寄るのは怖い。
雲が次第に晴れて、遠くに白馬の峰々が見えてくると一段と元気が出る。誰も思うことは同じとみえて、険しい峰が顔を出すと立ち止まってカメラを構えたり、互いにシャッターを押してもらったりしている。今のように自撮りなどということがない時代だった。
ようやく雪渓を登り切る頃にはまた霧が濃くなってきた。山道に上がると周囲は一面のお花畑。雪渓が終わったところでたくさんの人が休んでいる。やれやれという感じが見えてくるようだ。標高2553m地点に大きな看板が立っていた。大町森林管理センターと書いてある。その横で私たちも少し休憩した。
お花畑の中を頑張って登ると、村営小屋の屋根が見えてきて、稜線に飛び出す。小屋の下はハクサントリカブトの濃い青と、ミヤマゼンコの白が一面の花ざかり。私たちは疲れも吹っ飛び、花に見とれた。
稜線に出た嬉しさでちょっと一服することにした。小屋で美味しいコーヒーをいただいてから登ろう。
ここからは稜線を伝って山頂まで歩く。山頂のとんがりは、もう見えている。今登ってきた長野県側は、険しい岸壁が立ちはだかり、稜線から見下ろしても足元が一気に切れ落ちている。だが稜線に出てしまえば、富山県側は緩やかな傾斜が続く気持ち良い草原になっている。
冬の季節風が雪を長野県側に吹きつけ、そこで凍った雪が岩を削るためにこのような地形になったと聞いた。
山頂への道の門のように大きな小屋が建っている。こんなに大きな小屋とは知らなかったので、圧倒される。お盆を過ぎたので、小屋は満員と言うほどではなく、ここで泊まってもよかったなぁと思ったけれど、それは後になって思うこと。
小屋の向こうに鋭角に突き出す山頂を見て、気持ちが弾む。しかし小屋を通り過ぎて山頂に近くなった頃、霧が出てきて再び山頂を隠す。追いかけっこをするように見えたり見えなくなったりする山頂に向かってひたすら登る。稜線には、楽しみにしてきたウルップソウが綺麗な青色に開いている。時々霧が濃くなっても、崖の淵まで咲き競っている山の花は隠れない。濃い青や黄色、白にピンク、さまざまな色に咲いて、風に揺れている。
これが息を切らしながら高山に登る醍醐味だなぁと思う。イワヒバリがちょこちょこと動いている。緩やかな山頂は強風を感じさせる草地が続いている。いわゆる風衝裸地、凸凹とマダラになって広がる草地は亀の甲羅のようだ。
山の花を楽しみ、崖を覗き込みしながら登って、ついに白馬岳山頂に登頂、2932m。ちょうど12時、いや10分ほど過ぎていたか。ガスが沸いたり、流れたり。晴れた時の美しさを楽しみながら、山頂で30〜40分も遊んだろうか。いつまでもいたい気持ちだったが、帰らなければならない。渋々腰を上げた。
ついついこの美しい世界に長くいたいと思う。
でも、帰らなければ・・・、湿り気の多い風になってきたので雨具をつけ、降り始める。まだ若く、足が元気だったので降りは早い。どんどん降りて、雪渓に到着。朝はたくさんの人が登っていたけれど、みんな上の小屋泊まりだろうか、人はほとんどいない。私たちだけの世界だと大喜びしながら雪の中を降っていった。
次第にガスは薄れ、水滴も無くなってきたので、厄介な雨具は脱いで霞の向こうに浮かび上がる風景を楽しみながら歩く。この時は登頂を果たした達成感と、美しい世界にいる幸福感で満たされていた。
白馬尻に降り着いてアイゼンを脱ぎ、山道を歩き出す。あと少しで今日の登山も終わりだと少し寂しい感じもする。夏の終わりの夕暮れ、5時にはなっていなかった。白馬尻までは観光で訪れた人も多く、山道から林道に出る頃には家族連れなどの姿もちらほら見える。
この頃からだ、足が前に出なくなったのは。なんだか自分でも笑ってしまうほど、足が自分の足ではなくなってしまった。しかもそれが二人とも。たら〜りたら〜りと歩いていたら、間の悪いことに雷が光った。最後の森の道に入った途端、一気に土砂降りの雨。ようようの体で車にたどり着いた時は、ビショ濡れ。
その日は長野に泊まり、翌朝早く日常に向かって出発した。
降り切ってからだったから笑い話だが、もっと上だったら、遭難にもつながったかもしれないと、今でも思い出すとドキドキする。