今年は戸隠神社の式年大祭という行事が行われるそうだ。7年に一度斎行されるそうで、4月25日から5月25日までの1ヶ月間、さまざまな神事が執り行われる。
あまり信仰心の厚くない私は、人が集まる催しは避けて、お参りは密かに誰もいない時で良いだろうと思ってしまう。
戸隠の森に春がやってくる様子を見に行こうと、大祭前の最後の平日に出かけた。
大峰山の麓の七曲りを登り、まっすぐ大座法師池を目指す。途中左手に槍、穂高連峰が見える。雪をかぶって、まだ真っ白だ。道の脇には桜が満開で、その季節の重なりを面白いと思う。
前日に訪れた大谷地湿原を横目に戸隠に向かって走る。蕎麦畑が広がる展望苑地に寄ろうかとも思ったが、まだ蕎麦の花は咲いていないだろうから先へ行く。蕎麦道場の看板の奥に展望台があるから、そこへ寄ってみよう。長い急な階段をジグザグに登っていく。真っ白なアルプスがせりあがってきた。展望台からの眺めは素晴らしい。遠く槍ヶ岳も見える。目の前には白馬三山、唐松、五竜、鹿島槍。すぐ近くに戸隠連峰のギザギザ。
展望台には看板が立っている。ここは『湯ノ峯夕陽展望苑』と言うそうだ。
たっぷり眺めを堪能したので、先へ進もうかと階段を降りはじめた。南側には遠く蓼科山が霞んでいる。ふと見るとその左手に真っ白な三角形が薄〜く見えている、あれは富士山だ。飯縄山から富士山を見たけれど、あそこは遮るもののない山頂だ。こんなに森に囲まれた展望台から富士山が見えるなんてびっくり。
車を進めて戸隠の村の中に入っていく。宝光社を過ぎて中社に向かう道は両側に垂(しで)を取り付けたしめ縄が続いている。この道をご神体が通るそうだ。
私たちはみどりが池の駐車場に車を停める。『八十二森のまなびや』の前にクマ目撃情報の看板が立っている。4月22日って昨日じゃない、朝9時だって。今は・・・10時、クマさんいるかもね。
いつものように募金箱にちょっぴり気持ちを入れて歩き始める。
真っ青な空には雲ひとつない。みどりが池の向こうに戸隠山が岩峰鋭く屹立している。駐車場に車は何台も止まっていたけれど、広い森に吸い込まれたように人影はない。みどりが池には優雅にカモが浮かんでいる。カエルの声も、小鳥の声も、キツツキの木を突く音も賑やかに聞こえている。
残雪が残る道を進んでいくと人声が聞こえる。ヘルメットを被った人たちが数人木道をあちらこちらと動いているのが見える。入り口の看板には森林植物園の開園は明日と書いてあった。この人たちは木道の脇のロープを張り直しているようだ。そして遊歩道上に倒れた木などを避ける作業をしている。ありがたい。その先で道を塞いでいた倒木が、帰りには短く切って片寄せられていた。
不思議な形の巨木が続く。木の幹はひんやりとして気持ちが良い。木々の香りは森の精の気配、春の気配を感じさせる。林床には白く輝く花が咲き乱れている。キクザキイチゲだ。薄いブルー、紫、花の色は幾色もある。春の光を反射して真っ白に輝く花びらは神々しいくらいだ。よく見ると、アズマイチゲも混じっている。陽の光を集めているような輝きを放つ花弁は、しかし触れるとひんやりと冷たい。まだ冬の名残を残す大地の冷気を吸い取っているようだ。
ようやく開きだした水芭蕉や、リュウキンカを見つけながら鏡池までいく。水の流れが豊かになって、ユリワサビの姿があちらこちらに見られるようになると鏡池はすぐだ。
真っ青に澄んだ青空に戸隠の峰々がそそり立っている。ちらほら見える散策者が一様に戸隠の峰を見上げているのが、おかしくも頷ける。もちろんかく言う私たちも同じだ。谷谷に雪を残した峻険な峰から目を離せない。
鏡池には漣が遊んでいて、今日は逆さ戸隠を見ることはできない。私たちは岸辺に座っておやつを食べることにした。最高の景観の中に時間を手放す。しばらくのんびりしていたが、ふと池の面を見ると、いっとき風が止んだようで西岳が映っている。わずかな時間だけ見せてくれて、またゆらゆらと消えていった。
だいぶのんびりしていたので、引き上げることにした。鏡池の裏手の沢を遡って花を見てから往路を戻った。 お昼を回っていたので、蕎麦屋さんを覗いてみることにする。コロナ感染拡大以来外食はほとんどしていないが、空いていれば、久しぶりに戸隠の美味しい蕎麦を食べたいと考えたのだ。美味しいお蕎麦を堪能し(なぜサングラス?※)、帰りにいつものお店で五穀大福を買って帰路についた。
飯綱高原から市街に向かって降り始めたら、浅間山が真っ白に雪化粧をしているではないか。先日の雨は山では雪になったのだろう。まだまだ春と冬の綱引きが続きそうだ。