ぽっかぽか陽気の中、雪原歩きを堪能してきた(※)翌日、裏山の雪はどうなっただろうかと訪ねてみた。日曜と祝日の間の一日、お休みのところも多いのか、思ったよりたくさんの人が歩いていた。
(※山歩き・花の旅152 アファンの森再び)
登山口の駒弓神社は『滑らない神様』というご利益で、孫たちはみな、高校受験前にお参りした。今年は高校卒業する孫が二人いるが、コロナ禍の中、首都圏から来ることができなかったので、私と夫が代わりにお参りしてきた。信仰心は薄い私たちだけれど、熱心に思うことが大切なのではないかなどと思っているのだ。幸い、二人とも進路が決まったので、駒弓神社の前でお礼の一礼をしてから登り始めた。
パワーポイントと呼ばれる見晴らしの良いところで、一休み。残念ながら今日は霞んでいる。北は高社山から、志賀高原の山々、破風岳、土鍋山、そして菅平の山々へ、善光寺平の向こうに連なる山はいつ見ても素晴らしい。さらに遠くは浅間山、湯の丸山、烏帽子岳と、続くのだが、今日の浅間山は空に溶けて、微かに黒斑山をはじめとする外輪山の姿が見えるだけだ。
雪はほとんど溶けているが、わずかに残っているあたりにホオジロが地面を突きながら歩いている。何を食べているのだろう。私たちの足音を感じて一斉に飛び去ってしまった。
登山口のゴヨウマツは青空に枝を伸ばしていたが、山のアカマツはずいぶん減ってしまった。アカマツが減った冬の森は明るくなったかもしれない。けれど、葉を落とした木々が寒そうだ。所々にツル植物が勢いよく幹に巻きついているのが見える。下草が茂っていたり、木々の葉が豊かに開いていたりする時には見えにくいが、動物だけでなく、植物同士の縄張り争いも熾烈なようだ。
ゆっくり登っていくと、茶枯れた冬の森に見える景色の中に少しずつ春の気配が感じられる。ダンコウバイの花が開くのももう少しだろうか。花芽が丸く膨らんでいる。
芽といえば、木の芽は魅力的だが、みんな同じに見えてなかなか区別がつかない。そんなことを言うと、わかる人には笑われそうなのだが・・・。確かに一度仲良くなって覚えた木は、ちゃんとその木の顔をしている。だから、やっぱり何度も足を運んで、そこで迎えてくれる木と仲良くならなければ。木や草はどこかに逃げたりしないのだから・・・。
ホウノキやトチノキは大きな葉や花が目立つのでわかりやすい。その冬芽も独特だ。ホオノキは色白ですーっと細長い。トチノキは赤っぽくて触ると粘つく。
地附山にはミヤマガマズミ、コバノガマズミがたくさんある。葉っぱを見ると違いが分かりやすいのだけれど、冬芽を見ても区別がつかない。芽が膨らんで葉が大きくなってくるのを楽しみに待とう。
リョウブの芽は傘を被っているが、脱いでいく時に丸まって面白い形になる。少し前まで、傘を脱ぐ面白い芽はなんだろうと思っていたのだが、今日隣の大きな木に名札がついているのを見つけた。なるほど、これでしたか・・・と、名札をつけてくれた愛護団体に感謝。
山頂に近づくと人の気配がしてきた。何組かの人が憩っている。冬の間は人に会うこともほとんどなかったが、いよいよ慕われる里山の姿を取り戻してきたか。数日ポカポカ陽気が続いているから、人々の心も浮いてきたのだろう。それでも、山頂からスキー場跡へ続く稜線は北側だからか、まだ雪がかぶさっている。先日見つけたシュンランの蕾も雪をかぶっていた。
山頂からは飯縄山、黒姫山、妙高山が青空の下に連なっている。地附山が人々に愛されるのには、この雄大な風景も一役買っているのではないだろうか。
山頂からの景色を楽しんだ後は、久しぶりに昔の繁栄の跡を巡ってこようか。私は最近登り始めたので知らないけれど、夫は長野市育ち、子供の頃にロープウェイで登ったこともあると言う。もちろんスキー場で何回も滑ったそうだ。今見れば、よくここにゲレンデが作られたと思うほど雪もなく狭い傾斜地だ。動物園もあって、市民の憩いの場だったのだろう。
ロープウェイの山頂駅跡には名残の足場があるが、草に覆われている。今は電波塔が立派にそびえているだけだ。
リフトもあった、雲上愛の鐘もあった。愛の鐘は、高い鉄塔の上から一日に数回美しいメロディーを流していたそうだ。見上げると今は木の枝に隠れるようになっているが、大きなスピーカーが数えられる。名残の一つ一つを確かめながらゆっくり歩く。山頂あたりにいた人たちも、この周遊コースには興味がないと見えて、誰にも会わないのがいい。
周遊コースを一巡りして、山頂下の広場に戻る。まだ麓の『防災メモリアル地附山公園』は冬季休業中なので、来た道を戻ることにする。日向にはオオイヌノフグリが青い光を散らばせているが、もうすぐ、ショウジョウバカマも、シュンランも、咲き出すだろう。頭上にはダンコウバイ、アブラチャンが、黄色い霞を広げるだろう。
一面の茶色の中を降りながら、どことなく春の足音を聞いたような気がする。