今週は火曜日以降に予定が入っているから、動けるのは今日だけ。志賀高原の紅葉を見る最後のチャンスかもしれない。「信大志賀自然教育園の奥に湿原が広がるらしいから行ってこようよ」という私のわがままで、ゆっくり我が家を出た。
志賀高原まではおよそ1時間のドライブ、信大自然教育園には、はるか昔一度だけ入ったことがある。軽井沢から登り、草津白根山で湯釜を見て(噴火活動のため現在は入れない)降りてきた。教育園の入り口近くの長池を周遊し、資料館を見てきた。
ユネスコエコパークに指定されている志賀高原エリアは広大で、何度も訪ねているけれどまだまだ足を踏み入れていないところが多い。池めぐりなどのコース案内を見ていて、いつも気になっていたのが『おたの申す平』、一度入ったら方向を失ってしまうという恐ろしいほどの広いところ、かつて迷った人が「お頼み申す」と言ったのが語源というからその恐ろしさが想像できる。
私はその『平』を、湿原のような広い、広い大地だと思っていた。これが大間違い。しかし行ってみるまで思い違いをしたままだったから付き合わされた夫は呆れ顔。
言い訳をするなら・・・、志賀高原とは「広い、なだらか、池や湿原が多い。至るところにゲレンデが開けている」という、明るく広々したイメージなのだ。
前置きはこのくらいにして、勘違いがどんなものだったか書こう。
駐車場に車を置いて、信大の建物やトイレがある下の広場に入る。ここには資料館があり、志賀高原の自然について広く学べるが、今は横目に見て進む。目の前の斜面にはほとんど葉を落としたカンバの白い枝が幻想的に漂っている。そう、深い針葉樹の緑をバックに。このうっそうとした緑の意味を全く考えていなかった、この時はまだ。
私たちは看板の地図を見て、上の広場に向かう。道は整備されているが、雪が降ったらしくぬかるんでいる。少し登ると、大きな針葉樹が迎える。ネズコ(クロベともいう)だ。私たちは嬉しくなって巨大な木と一緒に写真を撮ったりしてから上の広場に向かった。
上の広場からはますます深くなる森の中を登る。大きな岩の重なった隙間にヒカリゴケがあるそうだ。覗いて見たけれど、枯れた苔が見えるばかり、さすがにこの時期の志賀では冬枯れしているかな。
木場の広場に着く。この辺りになると、木陰にはまだ雪が残り、展望台の木の上は白く覆われていた。朝は晴れていたのに、登り始める時は雲に覆われてきて気分が暗くなっていたのだが、展望台についたときには再び青空が見えてきた。来る途中で見てきた高原の紅葉が、ちょうど出てきた日に照らされて輝いている。ここまではまだ勘違いのまま、呑気な私だ。「どのくらい登るのかねぇ」「そろそろ平らになるかなぁ」などと呟きながら展望広場を後にする。
木場の湿原には木道が設置されている。しかし、ここまで登ると周囲は巨大な溶岩ばかり、みんな苔むして、しかもその巨大な岩の上に巨木が根を絡ませている。何か違うぞと心の声が囁く。どこまでも続く溶岩と針葉樹の原生林。はっと見上げると巨大な岩の上にトグロを巻いたような針葉樹の根。コメツガ、オオシラビソ、クロベなどが茂っている森は人間を寄せ付けないような魔性を漂わせている。
巨大なクロベを見上げたり、溶岩の隙間をくぐったりして進んでいると、わずかな展望台から見下ろす丸池や蓮池周辺の紅葉が箱庭のように優雅に感じられる。
一人の女性とすれ違ったが、他には誰もいない、動物にも会わない。山頂部のまが玉の丘(1765m)からは見通しがなかったが、脇の登山道から志賀山が目の前に見える。「志賀山もこの地形の片鱗があったよね」と、夫が思い出す。八ヶ岳の苔むした森にも、岩茸山の巨大ネズコ(※1)にも驚いたけれど、ここにはもっと驚いた。「青木ヶ原の樹海ってこんな感じだったかな」と呟く。家に帰って古いガイドブックを開いたら、青木ヶ原の樹海に次ぐ深い森と書いてあった。納得。コースを外れたら、一般の人は踏み込めない。
志賀高原には何度も訪れ、ハイキングだけではなく、スキーも楽しんだ。しかし、ようやく核心部に踏み込んだということか。志賀高原で最も近年まで噴火していたのが、志賀山、鉢山、その噴火でできた溶岩台地がこのおたの申す平。しかし近年と言っても数万年前のこと、今は厚く針葉樹に覆われた原生林になっている。
おたの申す平から志賀山、裏志賀山の北山麓を東にたどると、大沼池になる(※2)。酸性度が高く魚が住めない大沼池は透明度も高く、エメラルドグリーンに輝く湖面は神秘的だ。そのせいか、大沼池には大蛇が住むと言い伝えられてきた。この大蛇に恋われ、追われた黒姫が西の山の山頂池に身を投げたという。以来その山は、姫を偲んで黒姫山と呼ばれるようになったという。
一人残された大蛇はどうなったか・・・。今も大沼池の底深く潜んでいるのか、巨岩の上にとぐろを巻く巨木に変身したのか・・・。心ときめくではないか。