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89 安茂里白土の崖、富士ノ塔山麓(長野県)

2020年2月3日(月)

白土の崖
白土の崖


長野駅を発車すると、東京方面に向かって右の車窓にまず見えるのが、旭山、そして富士ノ塔山。その山肌に大きな白い崖が見える。そこだけすっぱりと木々をなぎ落としたように光っている。いつもその雄大な壁を遠くに眺めながら、もっと近くで見てみたいものだと思っていた。新幹線からは一瞬で過ぎ去ってしまう景色だが、網膜の奥にしっかりと焼き付けられた映像は記憶のひだにストンと落ちて消えない。


暖冬のせいで雪もなく暖かい節分の日、思い立って白い崖を見に行ってみることにした。夫が地図を調べて見当をつけた山道を、気分に任せて歩いてこようという呑気な計画。長野駅まで歩いて、一駅だけ電車に乗って・・・と、てっちゃん(鉄道好き)らしき計画だったが、歩いていたら信州新町行きのバスがやってきた。

地図・富士ノ塔山山麓

「バスにしようか」、計画変更は一瞬。目の前のバス停から乗って、目指す山道近くまでバスの客になった。白馬方面に向かうときに通る道だが、普段は夫の運転で走る道。バスの車窓からは高い目線で風景を楽しめる。何より二人が同じものを見ながら会話できるのが嬉しい。「今度このバスに乗って、終点まで行って山に登ってこようか」と、いつか見た地図を思い出しながら話は弾む。


安茂里駅を過ぎて少し走ったところの停留所でバスを降りた。舗装してない道が山に向かっている。工事車両が並んでいて、重そうな物品が積まれている。その道を進むとすぐ目の前に真っ白い壁がそびえている。青い空、頂に数本の木を乗せて、真っ直ぐ立っている。

まず見えた白い崖
まず見えた白い崖

「すごい」「近くで見えたね」などと話しながらさらに道を行く。白い壁は奥へ続き、その下には水が流れている。どんどん行くと、砂防ダムのようなものが奥に見え、道はそこまでのようだった。2本の轍が深く削られた細い道をトラックが走って行ったが、とてもゆっくり進んでいる。急坂だ。

そのうちにまた荷物を下ろしたトラックがゆっくり降りてきた。私たちはその道を上まで行ってみることにした。白い壁は1枚ではなく、沢で分けられていくつかの襞のように入り組んで見えている。それぞれが数十メートルもの崖となって続いている。

奥はどうなっているのだろう。さらに登ると、さっきの崖の奥に一段と純白の崖が現れた。上部には木が生えているが、途中はえぐれているようにも見える。その奥に富士ノ塔山の頂が見えている。

垂直の崖
垂直の崖

「あそこから善光寺平を見下ろして、新幹線の写真を撮ったね」と話しながら見上げる。残念ながらここからは崖に阻まれて登れそうもない。

少し先までの道は、資材置き場のような広場までで行き止まりのようだ。鳥の声に包まれ、美しい壁を見上げ、しばらくの時を過ごした。


山道を降りて行くと、下から小型のキャタピラ車が登ってきた。運転していたおじさんが車を止めて話しかけてくる。こんな行き止まりの山道を歩いている者などほとんど見ないのだろう、どうしたの?と聞いてくる。「新幹線から見える白い崖を見たくて来てみたんです」「あの白い岩は何ですかね」と話すと、笑顔になる。「あれは白土と言うんだよ。岩の名前は知らないけれど」と話し出す。「40年くらい前までは白土を採っていたんだよ」と。ここから採った白土は工業用の研磨剤として使われていたそうだ。発破をかけて採ったから、犠牲者もいたらしい。「慰霊碑もあるよ」と教えてくれた。

いくつもの白い壁の峰
いくつもの白い壁の峰

にこやかに話してくれたおじさんと別れて、私たちは下の道に戻った。


近くにある古墳を見に行ってみようかと歩き始めたが、舗装された車道が続き、山道らしいところはすぐ行き止まりになってしまったので、今日は止めようと引き返すことにした。駅に向かって少し歩くと、また山へ向かう道がある。崩壊危険地域との看板が出ている。舗装されていない道が、荒れた森の中へ続いている魅力的なところだ。鳥の声が近い。近くの木の梢には、いつかの鳥の巣が見えている。中型の巣、誰が使ったのだろう。今は葉を落とした木の梢で空き家になっているが、また鳥がやってくるのだろうか、それとももう誰も使わないのだろうか。

ふと見ると奥の木の枝に黒い鳥がいる。鳩?いや違う、私たちが近付いたからかピューッと一直線に飛び去った。羽の先が尖っている。先日勉強したばかり、小型の鷹だ。ハヤブサ、かっこいい。

我が家から歩いて行ける裾花川沿いにも、小規模だけれど白い崖がある。そこにハヤブサが住んでいると、出会った野鳥に詳しいおじさんに教えてもらった。

一瞬にして行ってしまったけれど、あれはハヤブサ。


「いいなぁ、鳥がたくさんいて」と言う夫の声を聞きながら、さらに枯れ草の海になった道を進む。左奥の森の中には果樹園らしき広がりがあり、男性がしゃがんで仕事をしている姿が小さく見える。果樹園の周りには白い板状の柵がぐるりと立ててある。木酢酢を入れたようなペットボトルもいくつかぶら下がっているようだ。

枯葉の下でイノシシ食事中
枯葉の下でイノシシ食事中

「イノシシ除けだね」「この辺も多いみたいだね、畑がみんな囲ってある」。私たちは話しながらさらに少し登った。夫の後ろを歩いていた私の脇の笹が揺れた。私は何かが落ちてきたかと思って、前を行く夫に話しかけた。「ねぇ、何か・・・!」、落ちてきたみたいという言葉は声にならなかった。すぐ脇の道路と笹藪の間の溝にうごめく毛皮のようなものが見えたから。落ち葉で埋もれた溝の中を40〜50㎝くらいの灰色の毛皮がゴソゴソ動いている。

これ、イノシシ?!

イノシシ

彼(彼女かもしれないが)は、私に気づかず、ひたすら落ち葉の下をほじくって何かを食べているようだ。時折首を振って、硬そうなものを食いちぎるような音がする。木の根かなぁ。私はしゃがんでカメラを向けた。こんなに近くに人がいるのに気づかず夢中で食事をしているイノシシ君、きっとお年寄りだ・・・。よく見れば毛皮というよりシワシワの硬い皮のようなものに覆われていて、頭の後ろから背中にかけて一筋黒い毛がなびいているだけ。枯れ草の中に隠れているので、なかなか頭の部分が見えないが、時折覗く目は睫毛に覆われているようで優しい。

私はしばらく見ていたが、ふと彼は顔を上げた。道の上の方を見た。その後は一瞬だった。すごい勢いで私の横を駆け、後ろの藪の中に去った。どうやら道の上の方で夫が動いたのを察したらしい。

私たちは、思わぬイノシシ君との遭遇に少し興奮して、いつもよりちょっぴり口数多く話しながら駅までの道を歩いた。




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