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248 孫と歩く城山 420m、善光寺平探索(長野県)

2022年2月20日(日)〜3月9日(水)


photo:雪の善光寺で
雪の善光寺で

長野に引っ越しをして早9年の歳月が過ぎようとしている。春に夏に冬に訪れては、周辺を歩き回った孫たちも大きくなった。善光寺のお膝元には昔からの見どころが点在している。神社仏閣も多いし、戦国時代の合戦の跡、山城跡なども多い。ずいぶん歩き回ったけれど、楽しむところはまだまだありそうだ。

2月後半からしばらく滞在することになった孫との暮らしをチャンスに、善光寺平探訪と名付けて1日一回は周辺の散策をすることにした。


城山 420mを巡る

photo:城山の山頂(横山城主郭跡)に立つ県社
城山の山頂(横山城主郭跡)に立つ県社

まずは善光寺の東隣に位置する高台、城山だ。標高は約420m。長野盆地西縁の活断層が隆起してできた丘陵。戦国時代、上杉謙信が陣取った横山城があったところだそうだ。県社(けんしゃ)と地元の人々が親しみを込めて呼ぶ社は横山城の主郭跡に建てられた。その名前は『健御名方富命彦神別神社』という長いもので、どう読むのかを孫とあれこれ話してみた。もちろん固有名詞の読み方は考えてもわからない。ここは史学家の教えを乞う。『たてみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ』。どうしてこんな長い名がついたのかはわからない。

photo:県社への階段を登る
この上が県社

photo:県社から葛山、大峰山
県社から葛山、大峰山が見える

photo:県社の正式名
読めるかな?

城山一体はさまざまな施設が集まっていて人々が憩うエリアになっている。春には桜が華やかだが、今はまだ雪の世界だ。

photo:城山公園、その周辺地地図
城山公園、善光寺、小丸山公園、物見岩

南から城山小学校、城山公民館、福生稲荷、県社と並んで長野地方気象台、西に県立美術館、ふれあい広場がある。そこから深い堀切沢を越えると、北に長野市城山動物園と、少年科学センター、市民プールがあって、最後に信濃招魂社の階段を登ると緑のエリアが終わる。市民プールには孫たちが夏休み中何度も泳ぎにきたが、今年終了することになり、今は解体作業が進んでいる。我が家から水着で歩いて行けるプール、ずいぶん楽しませてもらっただけに残念だ。

photo:長野市営城山市民プールありし日
長野市営城山市民プールありし日

photo:堀切大橋から見下ろす堀切沢
堀切大橋から見下ろす堀切沢

堀切沢の深い切れ込みを橋の上からのぞく。善光寺の北、箱清水という地名のあたりは、昔は水が溜まっていたらしい。堀切沢を作って水を流し、開墾したそうだ。機械もなかった時代にこの深い沢を作ったのだ。昔の作業を見ると感心することが多い。孫は沢まで降りてみたそうだったが、堀切沢への道は冬の間閉じられている。

photo:少年科学センター
少年科学センター

photo:城山動物園
城山動物園

動物園、化学センターを横目に眺めて進む。孫たちが我が家の庭のように通ったところだ。プール解体工事の横を進み、広い階段を登ると信濃招魂社の正面に出る。昭和18年に遷座したという社だ。社の森には数種類の木が植えられ、野鳥の遊び場にもなっている。とても太い木があって、その幹の模様が面白いと近づく。まだ枝先にヒラヒラとついている枯れ葉の形がハート型、これはカツラの木じゃないだろうか。

photo:カツラの大木 信濃招魂社
カツラの大木 信濃招魂社

photo:県社から葛山、大峰山
信濃招魂社

城山全体が冬の衣を纏っているので、まだまだ花の姿は見られない。日向の雪が溶け出したところにオオイヌノフグリの綺麗な青を見つけると、誰ともなく「あ、咲いている」と声を出してしまう。樹上のホザキヤドリギが賑やかに黄色い実を広げている。

photo:城山公園の遊具
城山公園でいっぱい遊んだ

坂道を降りてくると、信濃美術館から長野県立美術館に改築された美術館と城山公園ふれあい広場がある。歩いて数分の広場では本当によく遊んだ。遊具はたくさんないけれど、ボール遊びをしたり、走り回ったり、点在する彫刻を眺めたりした。

photo:城山公園のホザキヤドリギ
城山公園のホザキヤドリギ

photo:センジュ・城山公園
センジュ

今年の長野は積雪が多く、まだ一面の雪だが、雪の上を走り回って遊んでいる子どもたちがたくさんいる。暖地育ちの孫は、自分は転んじゃいそうだと苦笑いしながら見ている。

ふれあい広場と並んで美術館が建っている。昨2021年春に全面改築されたばかりの『長野県立美術館』の前庭は樹木が育っていないのでがらんとした広さだ。ガラス張りの建物は青く光っていて目立つ。前身は『長野県信濃美術館』、1966年開館だったそうだ。名称変更には反対意見が多数あったそうだが、どのような経緯だったのか現在の名前になった。

photo:長野県立美術館
長野県立美術館 ※掲載の了解を得ています

『生誕100年松澤宥展』を開催中だったので入ってみた。建築を学んだ松沢の『プサイの部屋』などもあり、孫は興味深そうに見ていた。


裾花川方面

歩いて行ける温泉があるから行ってみようかということになった。家から西へ向かって歩いていく。夫と私は何度も通った道、孫も何回か連れられて歩いた道。いつも細い路地を気ままに歩いたので、通ったことがある道も初めての道もある。道々のお地蔵様などに目を留めながら行くことにした。

photo:湯福神社など
道々に発見がある

photo:オオイヌノフグリと蜂
オオイヌノフグリと蜂

まずは近くの湯福神社にお参りし、旭山を目の前に見ながら西へ進むと真っ赤なお地蔵様に会う。孫は赤く塗られたお地蔵様は初めて見たと言う。古くから信州には何体か見られるらしいが、病を治してくれるという言い伝えがあるところが多いようだ。

今日は登らないけれど、頼朝山の登山道を見てこようと先へ進む。途中急坂の道に神社の鳥居が立っている。諏訪神社の鳥居。車道を半分削っているように見えるけれど、実際は車道が後からできたものだ。

photo:裾花川の白い崖
裾花川の白い崖

南斜面のせいか雪はほとんど残っていなかったが、頼朝山の登山口まで行くとまだ白かった。沢沿いの細い道を降りて里島発電所近くの橋から鴨が泳ぐ姿を眺めてから裾花峡温泉まで歩いた。風が強く、まだまだ寒さが厳しいと感じた。

一週間後に裾花川へ行ってみたら、ぼんやりと暖かい空気に包まれ、河原の石に腰かけておやつを食べるのが気持ち良い空気になってきた。三寒四温の季節だ。


物見岩と小丸山 492m

photo:物見岩からの展望
物見岩からの展望

夫が早朝散歩に行って、「今日は景色が綺麗に見えるよ」と誘う。「まだ、山の上は雪が多いようだから、物見岩まで行ってこよう」。

善光寺平から北の山を見上げると、中腹に一ヶ所岩肌が見える。この岩場からは善光寺平が広く見渡せる。川中島の戦いの際、上杉謙信がこの岩の上から情勢を見たそうで、謙信物見の岩と呼ばれている。

裏山の登山口までゆっくり登っていく。小学校を卒業した年の春休みに大峰山に登ったことがある孫は、通った道を覚えているようだ。今日はまだ歩いたことがない道を行こうと、狭い山道に入る。戸隠に続く車道からいきなり潜るような狭い道に入るところはほとんど通る人がいない。

photo:雪が残る物見岩への道
雪が残る物見岩への道

「朝、ここに来たの?」と孫が聞く。「そう、上は雪があったから途中までだよ」と、夫。靴を履き替えて出かけてきたので、物見岩まで行こうと張り切っている。ところが、朝は青空だったのに雲が広がってきた。

物見岩に着く頃、空は白い色になってしまった。目の下の善光寺が霞んでいる。何度も行った裾花川の白い崖も遠く見えている。岩の向こうからザイルを持って女性が二人登ってきた。「あれで物見岩を登ってきたのかな」と、孫は興味深そうに見ている。

photo:御嶽山神社,伊勢社,岩井観音,霊山寺・長野市
物見岩に続く道に

photo:竹のトンネルをくぐる
竹のトンネルをくぐる

下りは、岩の真下に降りて、下から見上げる。岩を掘って祀ってある岩井堂観音様に挨拶してから伊勢社まわりで帰る。歌ヶ丘へ続く山道はまだ雪に覆われていた。

その後、歌ヶ丘あたりまで行ってみようと再び出かけた。竹藪につけられたトンネル道は通れるだろうか。

竹のトンネルに近づくと、大きな猫が現れ、尻尾を振りながら道案内をするように先をいく。数メートルの距離を保ってトンネルの入り口まで先導してどこかへ消えた。トンネル道の中はまだ雪が積もり、折れた木の枝や、覆いかぶさった竹が狭いトンネルをさらに狭くしていて、背が高い孫は苦労した。ようやく通り抜けて小丸山492mに飛び出すと、妙法寺の前に菅井さん(※)がいて「よく登ってきましたね」と目を丸くしている。お参りし、縁側で菅井さんのお話を聞きながらちょっとだけ日向ぼっこ。

photo:妙法寺(小丸山)・長野市
妙法寺(小丸山)

photo:ロウバイ
ロウバイ

お寺の周囲の荒れた竹藪が綺麗に刈られている。小丸山公園の四阿から善光寺が見下ろせるように頑張ったそう。みんなで展望を楽しんでから、菅井さんと別れ、歌ヶ丘へ。夕方の風が出てきたので、御嶽山神社を回って家に向かった。神社のあたりはまだ深い雪が残り、水が凍っている。


七福神、七池、七清水など

photo:七池のうちの四池・長野市
七池のうちの四池

photo:七清水のうちの四清水・長野市
七清水のうちの四清水

善光寺周辺には古くから参拝の旅人が集まったからか、七を数える名所がいくつもある。寺や社、橋、小路、塚、そして池に清水。七名物というものもあったそうだが、今は何品も残っていないそうだ。そのほかに七福神もある。 毎日あちらこちらと歩いているうちに、七福神はどこにあるのとか、ここが池なの?などという場所をいくつか発見した。そのうち、所在がはっきりしている七福神は全て見て回ったが、池や清水は全てを見て回るということはできなかった。歩いていく道の端、思わぬところに発見して喜んだ。他の街は知らないが、これほど狭いところにいくつもの七数えが残っているのは珍しいのではないだろうか。

photo:長野の七福神
長野の七福神


そして・・・

毎日実によく歩いた。買い物の途中でも水の流れが立体交差になっている鐘鋳堰を見下ろしたり、蒸気機関車D51の勇姿を見つけたりしては足を止めた。

photo:川の立体交差(鐘鋳堰)・長野市
川の立体交差(鐘鋳堰)

photo:蒸気機関車D51・長野市
蒸気機関車D51

photo:金箱神社・長野市
金箱神社

ある日金箱神社に立ち寄り、昭和の森公園を訪ねてみた。雪のため探索路は侵入禁止だった。メタセコイヤの大きな木に、昨年の実と一緒にたくさんの花芽がぶら下がって青空に映えていた。スカシダワラと呼ばれるクスサンの繭が一ヶ所に何個もあって、孫は珍しそうに眺めていた。

photo:昭和の森公園・長野市
昭和の森公園

雪が溶けたら散策に来たいねと話したが、その頃は学生に戻って勉強しなくてはと笑う孫の顔はどこかすっきりとしていた。

photo:長野市街地地図
長野の七福神、昭和の森公園、金箱神社




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