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 三千メートル峰ふたつ奥穂高岳 3190m、涸沢岳 3110m(長野県、岐阜県)

2005年8月26日(金)〜28日(日)2020.6記 


遠くに住む友人から、月刊雑誌『山と渓谷-2020年5月増刊-最も美しい上高地へ』をいただいた。大森久雄(編集者、作家1933−)氏の『名作で楽しむ上高地』と合わせて、毎日のようにページをめくって、コロナ感染拡大防止の自粛が続く日々の楽しみとしている。

松本から上高地そして槍ヶ岳、穂高岳

私は「山が好き、自然が好き」と言うものの、北アルプスの玄関口、上高地へは3回しか行ったことがない。

1974.9.22槍沢

まだ独身の頃、表銀座コースを歩いて槍ヶ岳に登り、槍沢を降りて上高地に入った。一人旅だったが、槍の山頂で出会った女性と一人旅同士話しながら上高地を歩いた。明神池から右岸の森の中を散策し、河童橋のたもとで軽く食事をしてから橋を渡った。秋分の日を含んだ連休で、人がたくさんいたことも、大天井岳の山小屋で初雪を見たことも懐かしい。


冷たいよ〜

カモと水辺で遊ぶ

息子一家と上高地を訪ねた時は、大正池から田代湿原などを散策して歩き、梓川の河原で水の冷たさを楽しんだ。そして河童橋周辺で遊んで帰った。一番小さい孫がまだベビーカーを活用しているころで、自然の中を楽しそうに歩いた後はベビーカーで眠ってしまった。水辺が大好きな子供たちは、梓川の清流で飽きずに遊んでいたのが懐かしい。

梓川(末っ子は疲れた)

穂高をバックに

息子は独身時代にカモシカ調査のアルバイトをして上高地周辺の山に入っているが、「何度も死ぬかと思った」と、後で話していた。それでも、道無き道をよじ登ったり滑り落ちたりしながら何日も過ごした奥深い山の魅力は心の底に残ったようで、後に妻になる女性を、そして子ども達を連れて何度も上高地を訪ねているようだ。

河童橋あたりで 2013.8月


夫と私が念願の奥穂高岳に登頂、往復上高地を歩いたのは2005年の夏。

仕事が忙しくなって、夏休みも自由に取れない私たちがようやく二人の休みの予定を合わせて長野へ出かけたのは、8月の後半だった。ところが、台風の進路が変わり登山は断念。松本城や開智学校、そして五一ワインのワイナリーから奈良井宿まで足を伸ばして悔しさを紛らわそうとしたが、涙が滲んだ。

梓川の河原で

台風が過ぎて、どういう風に予定を組んだのか覚えていないのだが、「行こうと決めた時に行かないと、いつ行けるかわからないよ」と夫。泣き泣き帰った日から数日後に私たちは再び上高地に向かった。


沢渡に着いたのはお昼だった。バスに乗り換えて上高地へ向かう。上高地のバスセンターで遅いお昼にカレーを食べて、ゆっくり歩き始める。河童橋は観光客も多く賑わっているが、横目に見てそのまま左岸を進む。小屋泊りの私たちはそれほど大きい荷物を背負っていないが、それでも3泊はできるように25キロリュックを背負っている。

徳本峠への道を分けて

徳沢園で休憩

梓川の岸辺をひたすら歩いていく。谷といっても広々としている。明るいヤナギの林が続く景色はどこか日本離れしている。当時はまだ行ったことがなかったけれど、ヨーロッパの乾いた草原とはこんな感じなのではないだろうかなどと話しながら歩く。いつか越えてみたい徳本峠への分岐を越え、蝶ヶ岳への登り口、徳沢についた。どこもかしこも何度でも歩いてみたくなる風景だ。大きい。徳沢園でコーヒーをいただき、小休憩。今日は横尾泊まりなので気分は楽だ。

徳沢園でゆっくり休み、周辺を散策してから出発。その日の泊まりの横尾山荘に着いたのは夕方の5時、まぁまぁのコース運びと言えようか。

豪華な夕食

横尾山荘

横尾山荘ではお風呂に入ることができるので、嬉しい。奥の狭い通路を通ってまずお風呂で汗を流す。山小屋でお風呂に入ることができるなど、若い頃は考えられなかった。


8時には夕食をいただいて、部屋に戻る。明日は早起きだ、身の回りを整えてすぐ眠った。高所にある山小屋では、日が暮れるとあっという間に静かになるものだが、横尾はまだ上高地の雰囲気を濃くまとっていて、どこか人声がこもっている。夕暮れの散策を楽しむ人などもいるのだろうか。


横尾山荘から奥穂高岳・涸沢岳

翌日、5時半に朝食を食べ、支度をして出発。幸い空模様は大丈夫。雲はあるけれど、雨の気配はない。今日はいよいよ奥穂高岳に登ると思うと心が浮き立つ感じ、何も怖くないぞと、全身が引き締まってくる。

道々の楽しみ

山荘の目の前の横尾大橋を渡ると、山登りの気分が高まる。横尾山荘の前には屏風ノ頭が立ちはだかっているので、道は反時計回りに大きく回って横尾谷を遡る。しばらくは梓川支流の岸辺を歩く。緑濃い森には様々な花が咲き、蝶が飛ぶ。気持ちが先へ逸るので、ゆっくり花の写真を撮っている時間は少ない。

パンパン!

本谷橋に着いたのは7時半ごろ。橋の近くでおやつを食べようと出してみたら、菓子パンの袋がパンパンに膨れていた。気圧が下がったんだ、ということは標高が上がったってことだね。山域が広いので、歩いている人にはあまり合わないけれど、立ち止まっていると追いついてくる人がいるほどには、人も多いようだ。ちょうど写真を撮っていたらやってきた人がいて、シャッターを押してくれた。


お花畑

本谷橋

少し休んで出発、2時間ほど歩いて涸沢小屋まで一気に登った。涸沢ヒュッテは北アルプスに憧れる登山者には有名なところだけれど、今日のうちに奥穂に登りたい私たちはまっすぐ涸沢小屋への道をとった。涸沢カールの奥にはまだ雪が残っていて、夏の終わりのお花畑との対比を楽しんだ。一面艶のある黄色に広がっているのはミヤマキンポウゲ、赤紫に穂を掲げるヨツバシオガマ、鮮やかな紫色のトリカブトも満開だ。白い花火のような花もあちらこちらに散らばっている。

雪渓を登る

イワヒバリ

岩の上を何か突ついている鳥がいる、何かな。そっと見ていると虫を取っているようだ。イワヒバリだね、黒に白い点々がかわいいよ。

涸沢カール

涸沢カールを見下ろしながら、涸沢小屋で一服。有名なテント村も、8月後半になるとその姿は少なくなっている。カールの底の涸沢は、真っ平らな広がりのような所というイメージだけれど、実際は起伏の多い大草原、岩も多い。ズズーっと上まで目をあげれば穂高連峰のスカイラインがギザギザに続いている。ここに来られただけで大感動だ。涸沢小屋の木のテーブルで向かい合い、「ここまできたね」「いよいよ穂高に登れるね」と、足が地についていない私たち。

ザイテングラードを登る

涸沢小屋


さて気を引き締めて、ザイテングラードに向かう。足元に気をつけながら岩場を登っていく。急な岩場だが、周囲の峰々が迫るようで楽しい。首を仰向けて稜線を見上げ、下りは怖いかな、気をつけなければ・・・などと思っている。

岩場を登るのは、楽しい。森の中の暗い山道をひたすら足元を見ながら歩くのも、様々な発見があるのだが、長い道中が続くと疲労感が大きくなってしまう。岩場にとりつくと、周囲がすっかり開けて、空中に体一つで立っている感じが心地よい。

涸沢を見下ろす

私たちは「気をつけて」「滑らないように!」などと声をかけ合いながら、ぐんぐん登って行った。カールを見下ろしたり、行く手に繋がる前穂高への吊り尾根を見上げたりしながら登る。岩場には可憐な花が咲いているので、ひと時目を楽しませたりもする。

小さな花たち

ついに白出乗越しに登り着く、13時35分。こんなに高いところに山小屋があって大丈夫なのだろうかと思うような場所だが、穂高岳山荘がどっしりと建っている。ここに今晩の予約をして、荷物を置いていよいよ奥穂高岳に登る、14時20分。

いきなり梯子の急登だ。岩場を垂直に登っていく。霧が沸き始めた。見晴らしが邪魔されるのは残念だが、崖の下が見えないので恐怖心を和らげてもくれる。私たちはひたすら岩にかじりついて登って行った。


奥穂への登り

ついたぞ!

奥穂高岳3190m

そして、ついに奥穂高岳3190mに登りついた。15時20分、ちょうど1時間かかっている。標準タイムより10分多いけれど、途中で感動して立ち止まったり写真を撮ったりしていたから、こんなものだろう。

山頂には2メートルくらい積み上げた、巨大なケルンがある。その高いところに祠がある。手前にある方向指示盤に、着いた〜とへたり込むふりをする夫をすかさずパチリ。いっときは誰もいない山頂を楽しむ。思ったより登っている人が少ない。二人で写真を撮り合っていたら、登山者が来たので、シャッターを押してもらった。記念の一枚だ。

ジャンダルム方面

突然現れたのでびっくりしたが、彼らはジャンダルムを越えてきたと言う。すごい、エキスパートだね。私たちのように奥穂をやっと登って大感動している者とは随分違うぞ。もちろん、違っていいんだけどね。


日本第3位の高峰だ。ゆっくり周囲を見渡す。流れるガスの合間にジャンダルムのボコボコした山容や、前穂に続く吊り尾根の姿が現れるが、ふわ〜と現れては消えて行く。振り返れば北穂高岳のゴツゴツした山頂、その向こうの槍ヶ岳は残念ながら霧に隠れて見えない。

北穂高岳方面

切り立つ崖

しばらく山頂の感動を味わって、下山することにした。岩場の下りだ、気をつけよう。転落事故が多いのは下りだと聞く。

丁寧に足を運び、穂高岳山荘に到着。夕食は17時半からという、山荘前の広場で1時間ほど夕方の空気を楽しんで宿に入った。

奥穂高岳への稜線で

登頂後、穂高岳山荘のテラスで


山小屋は混んでいた。山頂では人が少ないことに驚いたのに、どこからこんなにたくさんの人が現れたのだろう。割り当てられた部屋に隙間なく並んで眠る。夜中に少し頭痛がしたのは高山病の入り口にいたのかな。水分をたくさん取る方がいいことはわかっているが、トイレへ行くことを思うとつい少なめにしてしまう。若い頃は夜中にトイレへ行く心配なんかしなくてよかったのに・・・苦笑。


日の出

朝日を浴びて

5時に起きて外へ出る。日の出を見よう。山の上に泊まる醍醐味の一つは、日の出を見ること。小屋の前の石畳のテラスにはやっぱり人が多い、みんな期待しているんだね。その待望の日の出は5時半、空一面が緩やかに変化していく。柔らかい光のヴェールが次から次へと波打つように交代していくようだ。この目の前の広い空間すべてを覆う光のヴェール。

笠ヶ岳に朝日

朝日を浴びる穂高岳山荘

目の前には常念岳から大天井岳に続く稜線が黒く浮き上がっている。私たちは少し岩の上に登って、笠ヶ岳が光に照らされる姿を眺めた。少し登るだけで、山荘の屋根が見下ろせて、高度感が湧く。そのとき、山の端から天上に向かって強い光が差すような不思議な光景が見えた。「おおっ」というような声が聞こえたので、何人もの人が目撃したのだろう。うまく写真には撮れなかったけれど、清々しい気持ちが満ちてきた。


不思議な光

朝食を食べて、6時半に登り始める。今日は涸沢岳に登ってから下ろうという計画。昨日より空が青く、良い天気だ。ただ、風が強い。木もない岩山は風当たりがきついので、吹き飛ばされないように気をつけなくては。

岩ばかりの道を、気をつけながら登っていく。下を見ると山荘の屋根が見える。山荘まで、垂直に落ちているように見える。歩いていると怖くはないのだが、おもむろに下を見ると、「すごい!」とびっくりする。いつの間にかこんなに登って来ていたんだ。

山荘が下に

富士も見える(中央奥)

足元ばかり見ていると背筋がゾワリとしてくるので、遠くに目をやる。「あ、富士」「見えるんだね」、昨日登った奥穂高岳の向こうに綺麗な三角錐の形が浮いている。富士山はどこから見てもその綺麗な形でわかりやすいね。

目の前に槍ヶ岳


岩にへばりつくようにして登り、涸沢岳山頂3110m到着。山荘からは30分かからないで立てる山頂だが、素晴らしい展望だ。目の前の北穂高岳、涸沢を挟んだ向こうには蝶、常念のたおやかな山陵。後方はもちろん前穂、奥穂からジャンダルム方面への岩の連なり。そして何より嬉しいのは、昨日は雲に隠れていた槍ヶ岳が、北穂の向こうにその全貌を表していることか。雄大な双六方面への峰につながる、広さも見えている。

涸沢岳山頂3110m

涸沢岳山頂で

私が槍ヶ岳に登ったのは表銀座と呼ばれる、燕岳からの縦走コース、「あそこに見えているところを登ったんだよ」と、風に吹かれながら話す。と言うと爽やかな感じだが、実際は油断すると強風に足元をすくわれそうになるので、岩にしがみつきながら話す。

槍の穂(左)と山頂(右)1974.9.22

槍ヶ岳の狭い山頂には祠があり、太い槍が立ててあったので、そこで写真を撮ってもらおうと、私はすまして立っていた。すると突然、まるで足の下から湧いて来たように人の頭が現れて、私は飛び上がるほどびっくりしたっけ。北鎌尾根から岩をよじ登って来た人らしく、登りつくなり大きな息を吐いていたよ。そんな話をしながら槍ヶ岳の奥に続く、北アルプスの峰々を眺めていた。いつか、あのあたりも歩いてみたいねと話しながら。

穂高岳山荘の前で


二つの三千メートル峰に登頂できたので、私たちの心は軽い。山荘まで戻り、荷物を背負って下り道だ。山荘にお別れをして歩き始める。慎重にザイテングラードを降りていく。カールに降りたらパノラマコースを行って涸沢ヒュッテに立ち寄り、今日は上高地まで戻る計画。山荘を出発したのは8時ちょっと前だから、時間はたっぷりある。

気をつけて下ろう


今日はもう帰るとなれば、岩場を彩る花々にも一つ一つに目を止めて歩く。8月の後半、アルプスの夏はもう終わり、秋の気配が濃く忍び寄っている。

時々立ち止まり、足元の花を見、はるか下のカールを見、目をあげて穂高の稜線を見たりしながら下る。

青空が澄んでいるので、ずっと立ち止まっていたい気分になるが、声を掛け合って下を目指す。

シナノオトギリ

ゴゼンタチバナとコケモモ

岩壁とお花畑

奥穂高岳

下りは速い、ズンズン下ってあっという間に雪渓に着いた。吊り尾根の下の大きな雪渓を横切って、涸沢ヒュッテに向かう。

吊り尾根と雪渓

涸沢ヒュッテで(朴葉寿司、おでん)

ヒュッテは人で賑わっていたが、座るところは見つけることができた。まだ10時半だからお昼には早いけれど、朝ごはんが早かったので、おやつには多めの朴葉寿司とおでんを食べ、コーヒーを飲みながら涸沢カールを目に焼き付ける。

そういえば、山に登っている時、何度もヘリコプターが飛ぶのを見たが、ヒュッテのトイレに張り紙があった。カートリッジ式のトイレをヘリコプターで上高地まで下ろし、そこで洗浄処理をしているのだそうだ。トイレ使用料は100円。山をきれいに保つために100円は当たり前だと思った。

涸沢とお別れです

カートリッジを運ぶヘリコプター


さぁ、ついに帰る時がきた。歩き出して時計を見たら10時55分。来た道を横尾山荘に向かって下っていく。何度も、何度もカールの風景を振り返った。青空の下の穂高連峰の稜線、涸沢槍の鋭角の峰、見上げれば時を忘れそうになる。

丸い雲が浮かんで、空飛ぶ円盤みたいだねなどと言っていると幾つもの面白い形の雲が目につく。空が澄んで深く濃い青だからだろうか。

面白い雲

自然の恵みがいっぱい

来た道は、なんだかもう知り合いになったような懐かしい気分。木の実や草の実がそれぞれの色に実っているのを確かめながらキョロキョロ。エンレイソウ、ツバメオモト、ユキザサなど春早く咲く花は実をつけるのも早いのだろう。ツバメオモトの濃い碧はいつ見ても美しい。見上げれば大きな木の枝にも秋の知らせのように色づいた実が揺れている。ナナカマドは赤い実をたくさんつけている。ムシカリも赤い実、宝石のように輝く実を持ち上げているのがかわいい。

見つけたもの、見つけられなかったもの、自然の宝庫には無数の驚きと発見が隠されているのだろう。だから何度でも行きたくなってしまう。 目を楽しませてくれるのは実だけでは、もちろんない。さまざまな花が道の側を奪い合うように咲いている。小さな花は名前を知らないものばかり・・・。それでも知っているものを数えて、歩く。


ナナカマドの実

ムシカリの実

自然を楽しみながら足を運ぶうちに横尾山荘に到着。ここからは梓川に沿って上高地の散策路を逍遥する気分。時間は1時半になったが、おやつをしっかり食べてきたので、まだお腹は空かない。一気に先へ進むことにした。

河原の風景を楽しみながら徳沢園まで歩く。気がついたら、3時になろうとしている。さすがにお腹も空いた。イレギュラーな食事時間だが、ここでちょっと食べていくことにする。私はうどんを、夫はカレーを、そして二人とも大好きなコーヒーを添える。

私たちは上高地でもう1泊して、翌日早く帰るつもりだった。だからのんびり遊びながら歩いていた。徳沢園で遅い昼食を食べ、またもや景色と川の流れを楽しみながらゆっくり歩いていく。


梓川の河原

宿の予約はしていなかったので、さてどこにしようか。明神でまず立ち止まる。昔は上高地の玄関口だった魅力的なところ。でも・・・もうちょっと行こうかと夫。それじゃ、向こう岸へ渡っていくつかある小屋に聞いてみる?などと話すうちにも足は運ばれ、いつの間にか河童橋まで歩いてしまった。

「まだバスがあるよ、帰っちゃおう」「えーっ、疲れてないの?」「大丈夫」。

夕暮れの河童橋

夕方の河童橋には人が少ない。霞んできた穂高の峰を見上げ、さよならと言ってからバスの発着場へ向かった。なんという充実した3日間だったことだろう。

沢渡で愛車に乗り換え、我が家に着いたのは日付が変わる寸前だった。




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