今日は晴れるよ。窓から外を見ながら夫が言う。洗濯物を多く洗ったので、9時になろうとしている。いつもは山へ行こうとワクワクしている私だが、たくさんの洗い物をどのように片付けようかと思案しているので、出足が鈍った。地附山に行く?と夫。たまには他の山にも行きたいなぁと私。こんな時間になったから遠くは無理だね。前から電車に乗って行ってみたいと話していた一重山(ひとえやま)はどうかな。
時間を調べて出発。長野駅まで歩いて、10時25分のしなの鉄道上田行きに乗ろう。中途半端な時間だからか、電車は空いている。屋代駅で降りて、線路を越える。ここは南側登山口になる。ジグザグと急坂を登ると東山神社。
墓地と水道局の建物の間を抜けると登山道に入る。以前来たときは看板が剥がれてボロボロだったが、綺麗な案内図に立て替えられている。ここからは急な斜面をジグザグに登っていく。雪が残っていたら嫌だなと思っていたが、日当たりが良いらしく落ち葉の積もる乾いた道だった。何回もジグザグに折れて登っていくと平らな屋代城跡主郭にとび出す。なかなかに広い。斜面の下にはさっき電車を降りた屋代駅が見えている。木々の梢が邪魔になるが、冠着山、三峯山、聖山などが目の前だ。振り返れば有明山がすぐ近くに大きい。
風もなくぽかぽかと気持ち良いので、木のベンチに座っておにぎりを食べよう。長野駅で見つけてきた峠の釜飯おにぎりだ。主郭の周囲にはゴツゴツとした枝ぶりの木が空に向かって伸びている。カシワの木だろうか、葉がほとんどないのは風当たりが強いのかな。足元には大きな葉とコロコロした実がいくつも転がっている。はかまをつけたまま白く干からびている実も多い。たくさんの実は動物に食べられたり、うまく発芽しなかったりして、種の保存は大変なのかもしれない。
山頂の一角に小さな木の屋根付き台があって、中に登山者用ノートらしきものが見える。メモしていこうかと見たら、湿ってボロボロしてきたノートは裏表紙の内側までびっしりと書かれていて余白がない。人気の山なんだろうけれど、新しいノートを用意した方がいいみたいですよ。
おにぎりを食べて広い山頂をゆるゆると歩いてから下ることにした。今度は線路沿いに続く尾根を歩いて北側登山口を目指す。ひな壇からひな壇へ急な下りには一部ロープが取り付けられている。危険というほどではないが、凍っている時や雨の時はありがたいだろう。ロープを握って降りてみる。
ひな壇状に続く腰曲輪を降りていくとその先にまっすぐ階段が作られている。階段を降りたところはちょっと広い雑木林になっていて、小鳥が賑やかに囀っている。風が通らないのかぽかぽかと温かい。この平らな一角は地図によると土砂採掘跡となっている。いつどんな目的で土砂が削られたのかわからないが、細長い尾根全体に築かれた屋代城は15世紀から16世紀にかけて居城として使われていたそうだ。
その後も江戸時代以降、神社や石碑が建てられ、周辺の人々にとって身近な里山らしい。採掘跡からはもう一度まっすぐな階段を登り、ひな壇の続きの尾根を降りる。御嶽神社古墳跡を過ぎ、矢代神社に至ると見晴らしが良い。道々、大きな木の幹には「カシワ」など名札がつけられ、枯れ葉しか残っていない今、ありがたい。
神社の広場には四阿風の建物があり、目の下には千曲川が流れている。その向こうには姨捨の棚田らしい広がりが白く雪を残しているのが見える。
しばらく眺めを楽しんでから最後の下りだ。一重山不動尊の鐘撞堂が見えてくる。お参りしようと社の前に立つと大きな「成田山」の額があった。行ってきましたと挨拶して登山口に降りる。急な坂はジグザグに階段がつけられ、お参りする人も安心な道になっている。
階段を降りたところに大きな看板が立っているので何かと見たら、「山ん堂(やまんどう)の鼻取り(はなどり)地蔵さん」とある。雨乞いの地蔵さんらしいが、「はなどり地蔵のお話」という民話にもなっているそうだ。小さなお地蔵さんを見つけて毎日拝んでいた夫婦の夫が重い病気になった。妻が一人で馬の鼻とりをしながら田を耕していると小僧さんがやってきて馬のくつわを取り、妻を助けた。田植えまで手伝ってから消えてしまったが、妻が帰りにお地蔵さんを見ると田の泥がついていたそうだ。妻が一人で苦労しているのを助けたのが、実はお地蔵さんだったというお話。よくありそうな民話だが、ほのぼのする。
北側登山口に降りた後はまっすぐ車道を歩いて駅まで戻る。屋代駅の後ろに一重山がくっきりと見えていた。