昔の人は言葉選びがうまかった。この錦の広がりを「山粧(よそお)う」とはよく言ったものだ。春は山が笑って、夏は山滴り、冬は眠りにつく。俳句の季語として知られている。まさに粧いの中の地附山に浸るように歩いてきた。
11月なかばに差し掛かるや否や一気に色づいてきた。わずかな標高差ではあるが上から下へ染め降りてくる。
12日、久しぶりに夫と歩く。空気はピリッと寒くなってきたが、体調が戻ってきたらしい夫は、粘菌はいないかなと楽しそうに森の中に入っていく。公園の中をぐるりと遠回りして、いろいろな木の葉をじっくり見ながら登っていく。ネムノキは緑のままの葉がたくさん落ちている。葉から栄養分を取り込まなくても根の根粒菌から栄養を取れるから、葉が離れるときに色づく理由の糖分などが葉にないそうだ。秋早くから春遅くまで葉が無い状態が続くので、長い期間眠っている木というのが名前の由来だという。
粘菌を探して倒木の裏なども見て歩くが、見つかったのはもう胞子を飛ばした痕ばかり。かろうじて見つけたマメホコリの顔を出したばかりのオレンジ色が綺麗に見える。
青空が綺麗だから山頂からの展望を楽しみにしていたが、飯縄山の山頂には雲がかぶさっていた。奥の黒姫山、妙高山も隠れたり現れたり。妙高山の白い部分はだいぶ広がった。
山頂は風が強いので、あまりゆっくりしないで降りることにする。一歩ずつ降りるたびに色が濃くなる。赤や黄色の世界に入っていくようだ。帰り道でベニテングに挨拶してから降りた。今年はたくさん顔を見せてくれたけれど、そろそろ終わりか。
14日、朝一番で出かけた夫を残して一人で歩いてくる。公園に上がり、最もポピュラーなつづらトレイルのコースを往復してみた。紅葉が美しい季節だからこそのコース。赤や黄色に染まる紅葉の下を歩くのは気持ち良い。普段ならちょっとつまらないかな〜などと思うコースもこの時ばかりは思わず「お〜」と声を上げたくなる。
歩いていく道の上には落ち葉が一面に敷かれている。モミジの葉が真っ赤だったり、ダンコウバイやポプラの葉が真っ黄色だったり、そうかと思うと、ニセアカシアの白っちゃけた緑の葉が散り敷いているところもある。秋の錦は見上げるばかりではない、どこまでも続く錦の絨毯だ。大きな葉も小さな葉もそれぞれ形が違って面白い。なかなか名前が分からないのが悔しいが見ていくだけでも楽しい。楽しいと言えば、なんだかぬいぐるみのような形のキノコも見つけた。こういう発見は森を歩く時の遊び気分を盛り上げてくれる。
落ち葉の絨毯に守られるように、道の端には5cmくらいの木が小さな葉を広げている。こんなに小さくても紅葉しているのが可愛いが、来年も生き延びているだろうか。近くにはウメガサソウの実もまだ残っている。
木の実を味わったり、光る色に見惚れたりしながら山頂に到着。青空は見えるが、今日も山頂は風が強く、座る気になれない。周辺をうろちょろして、山頂写真を撮って、早々に降る。
15日、前日私が撮ってきた紅葉の写真を見た夫が「散歩に行ってこようか」とカメラを準備する。車で一気に公園まで上がるとやっぱり楽ちんだ。生活道路の車道を歩かなくてすむのは嬉しい。公園内のモミジも真っ赤に染まっている。
登っていくと紅葉の世界に入っていくようだ。赤に黄色に歌の歌詞のようだが、まさに染まっている。落ち葉を拾っては大きいだの、赤いだのあまり意味のないことを話している。小さなモミジの葉はそれだけ見ても名前がわからない。ウリハダカエデやウリカエデはようやく分かるようになってきた。
そして、どうしても大きな葉を見ると拾ってみたくなる。
これはトチノキ、こっちはホオノキ、手のひらを広げたような白いのはコシアブラ、ヒューっと飛ぶように落ちてくるハリギリ、知っているのはとっても少なくて、森の中は知らないことがたくさん詰まっている。
中腹は今盛りだが、山頂近くはもう茶色が濃くなっている。そして木によってそろそろ葉がなくなるのもあれば、今まさに真っ赤に輝いているのもある。同じものはないというまさに真理を教えてもらうような気がする。
今日は風がなく、ほんのり暖かい山頂でおやつを食べながら幸せなひと時を楽しむ。