冬の旅 |
成田へ・前日 |
イギリスを経由して・1日目 |
ユーラシアの西の端っこロカ岬・2日目 |
エボラからスペインへ・3日目 |
セビリア、コルドバ・4日目 |
グラダナ、アルハンブラ宮殿・5日目 |
プラド美術館、トレド・6日目 |
サラゴサを経てバルセロナへ・7日目 |
ガウディー色バルセロナ・8日目 |
ピレネー山脈を見おろして・9日目 |
帰国、新幹線は速い!・10日目 |
退職して時間が自由になってから、6月に海外に出かけることが続いた。しかし、日本の山に咲く花々が大好きな私は、6月頃に山に行けないことがさびしいという気持ちも抱いていた。
また一方で、冬のオーロラ、常夏の国の冬の姿などにも触れてみたいと思い始めた。そこで、冬に海外への旅をするのはどうだろうと提案した。ただ、厳冬期の真最中では隣に独りで暮らす夫の父をおいて長期間留守にできない。それほど雪の多くない長野とはいっても、時には一晩で30㎝も積もってしまうことがある。元気とは言え足腰が弱くなってきた義父、さすがに雪の中の買物は難しい。
だから、冬の旅とは言っても、晩秋か、早春のこととなる。
夫はオーロラにはあまり興味がないようだったが、冬の海外旅行には気持ちを動かされたようで、二人でガイドブックのページをめくった。
実際に行き先を決めることになると、常夏の案は消えて行き、以前から興味のあった、ブルガリアを中心に探すことにした。ちょうど私たちの住む長野をターゲットにした航空会社の企画があり、ブルガリア・ルーマニア10日間の旅というもの。羽田発も嬉しい。長野方面からの参加者特別プランで、前泊のホテルが無料というのも魅力的だ。
長野に引っ越してきてから少しずつ町を歩き、旅行会社の窓口もいくつか発見した。できればいつでも窓口に行って、顔を見て話ができる方がよいと、歩いて行ける旅行会社に申し込むことにした。暮れのうちに申し込むことで、さらに割引になる。
ちょうど私たちの申し込みで、催行の人数が確保された様子、もう行く気満々で心の準備を始めていた。
ところが、正月を目前に控えた30日の夕方、旅行会社から電話があり、人数がそろわないので不催行が決定したとのこと。窓口の担当者も正月休みを控えて落ちつかない様子。
年が明けたらすぐ、同じ方面のツアーを探してみますと、慌ただしく話して切った。
がっかりしてしまったが、目の前には正月。
子どもや孫達が楽しい正月休みの企画を持ってやってくる。まずは意識をそこに集中。
雪の正月を満喫して子ども達が帰ると、「さてどうしようか・・・」と、再び話は海外へ。
冬のブルガリア方面へのツアーが少ないことは調べてみて分かっていた。夫とは、ブルガリアは次回にしようと話した。
そして、あっさりスペイン方面が候補となった。以前に行こうと思って、いくつかのコースを調べたことがあったが、その時はスペインにエボラ熱感染のニュースがあり、なかなか終息しないため行くのを諦めた。
ポルトガルのロカ岬に行ってみたいという私の希望を入れてスペイン・ポルトガル10日間の旅。以前調べたコースとほぼ同じ企画が、旅行社のパンフレットにまだ載っていた(地図)。
旅行社を訪ねてプランの変更を伝えると、窓口の女性はホッとした様子。事前に探してくれたようだが、冬のブルガリア方面へのツアーはなかなか見つからないため、困っていたのだろう。
私たちが新たに申し込みをしたのはその旅行社の企画だから、ますます好都合という訳だった。
丁寧な説明や提案を受け、成田での前泊のホテルも探してもらった。両替も、これまでは成田で出発当日に行っていたが、旅行社に頼んで事前にしておくことにした。わずかだが、レートも良いみたいだ。
こうして、なかなか面白い展開を経て私たちは旅の当日を待つことになった。
長野市民になって2年が終わろうとしている。私たち夫婦は夫の父が住む家の敷地内に家を建てた。元気ではあるが、年々老いて行く義父の生活を少しずつ援助しながらの生活だ。一人暮らしが長い義父は、人に頼ることなく生活を送っているし、まだまだ矍鑠(かくしゃく)としている。だが、一方で誰にでも訪れる老いによる不安定も垣間見える。
海外旅行となれば10日間程度の留守をするので、事前に確認しておくことがいくつか必要だ。米や重量のある食料品の確保、緊急時の連絡先などは当然だが、一方で我が家のポストの確認などもお願いする。
できるだけ「役に立ってあげている」という気持ちを持っていてほしいから。そういう気持ちは老いの訪れをゆっくりにする効果があるのでは・・・と思うのだが、どうだろう。
義父は若い頃スペイン方面を旅しているので、当時の話を聞く。町を歩いていると子ども達が集まってきて、油断していると財布などを摺られてしまうという話は何度も聞いたが、何度聞いても臨場感があって面白い。
さて留守のことはやるだけやった。あとは自然にまかせて、準備をして出発する。出発前日の夕方成田のホテル『成田エクセル東急』に到着。空港からは送迎バスに乗ったが、とても混んでいる。ホテルのロビーもチェックインの列ができている。外国の団体だろうか、賑やかだ。
『成田エクセル東急』には初めて泊まる。案内された部屋の窓からは、次々に着陸してくる飛行機が見えている。次から次に到着してくる様々な国のマークをつけた飛行機を眺めていると、いよいよ海外へ向かって飛ぶという実感が湧いてくる。
ワクワクする高揚感と、飛行機が怖い私の一抹の不安感と・・・。
目がさめて、今日は長いフライトだと、全身の細胞が緊張する。ホテルの送迎バスで第2ターミナルに行く。
搭乗チケットを受け取り、荷物を預けてしまうとやることがない。今回のツアーには出発ロビーでのサービスがついていた。
アメリカン航空ファーストクラスのためのロビーを利用できると言う。空港内にそのような設備があることすら知らなかった私は、めったにないチャンスとばかり、行ってみることにした。
幸い前泊したので、時間も余裕がある。案内にそって専用エスカレーターを下りて行くと、目の前に大きな受付カウンターがあり、制服を着た女性が姿勢よく立っている。私たちは旅行社から配布されたチケットを示した。
笑顔でどうぞと言われ、中に入ろうとした私は、カウンターの上に透明の箱を見つけた。寄付を促すメッセージがついている。
私は個人の財布から僅かの寄付をするという行為はあまり好きではない。自分の懐が痛まない程度のお金を出して、何かの免罪符をもらったような気分になるのもいやだし、もっと真剣に考え、自分の行動を決めていかなければいけない事柄に対しても行動を起こした気分になってしまうような気がする。もちろん何もしないよりはいいだろうという考え方もあるだろう。でもどうしても安直に済ましているような気がしてしまう。寄付をする方も集める方も。
そう思いながら、矛盾するようだが、今回はこれまで行った海外の国のコインを持って来ていた。前回の旅行のとき、出発ロビーに「余ったコインを入れてください」と書いた箱が置いてあるのを発見した。海外旅行をして、海外の通貨を使い切れないと、その通貨は日本では無用の長物になってしまうから、わずかでも何かの足しになればという思いの現れだろうか。しかし、発見した箱は出発ロビーにあって、その時はまだこれから使うお金を入れるわけにいかず、以前の旅行のコインは持って来ていなかった。今回は思い出して、北欧や中欧の旅行で余ったコインを持って来た。寄付をするという気持ちではなく。余ったコインの使い道が他になかったという方が正しい。
「ここには、どこの国のお金も入れていいのですね?」と確認して、私はジャラジャラとコインを入れてから、ロビーに入っていった。
そこにはこれまで私が知っていたものとは違う空気が流れていた。広いゆったりした空間。窓ガラスの外には遠くまで飛行機が並んでいる。
何人かで話をする空間、一人ゆっくり休む空間、少し食べておこうと座る空間・・・。
利用者の必要に合わせたスペースがいくつも用意されていて、奥にはブッフェもある。軽食、飲み物、自由に利用できる。
私たちは、お茶とお菓子をいただいて窓に面したソファに座る。ミニテーブルもついているので、カフェのようだ。夫と飛行機の動きを眺めながらおしゃべりをする。アテンダントというのだろうか、制服姿の人がお代わりはいかがですか?と回ってくる。立ち去った人の残したカップなども静かに片付けて行く。
実は正直に言うと、落ちつかなかった。そのようなサービスに慣れていないのだ。どっかりと足を投げ出して座っている人、コンピューターに目を向けたままサービスを受ける人、まるで我が家の居間にいるようにくつろいでおしゃべりしている人達・・・、みんなアメリカ人だろうか、人種は様々だが。私の目に見えるのは外見でしかないということは分かっている。もしかしたら、彼らには私たち夫婦もいつもこのようなロビーを利用しているように見えているかもしれない。(写真)
そんな中で、見るからに初めてですという姿の日本人夫婦が数組見えている。なんだか、おかしいが、私は彼らも今回のツアーに参加する人達だろうと思った。
そして、私の予想はみごとに合った。ということはやはり私たち夫婦も、慣れない、落ちつかなさを身にまとっていたのだろう。
時間がきたので、食べられなかったお菓子をバッグに入れて、出発ゲートに向かった。いよいよイギリスに向けて出発。
ブリテッシュ・エアウェイズで、ロンドンのヒースロー空港に向かう。イギリスの航空機、期待が高まる。座席番号は46のDE。ボーイングだが、後方だったからか、座席数は少ない。窓側に横並びの3席ずつ、2本の通路を挟んで中央にも3席が並んでいる。左の窓側からABC、DEF、GHIとなる。私たちのDEは、中央の通路に挟まれているところ。12時間以上乗っているので、トイレに立つなど、通路側の方が自由でよい。
窓外の景色は、座席に備え付けられたモニターで見ることができる。時々は立って、トイレの脇などの窓からものぞくことができる。
客室乗務員さんの笑顔に迎えられて機内を進む。シートはグレーで、背もたれはアイボリー。置いてある毛布はベージュだ。エコノミー席はとても狭いが、しょうがないか・・・。
12時間ほどの旅を快適に過ごせるように、狭いながらも座席周りを整え、離陸に備える。
予定通り成田を出発し、30分くらいで日本海に出た。新潟県の上空を飛ぶので、私の生まれ故郷、長岡の上を通るかと思っていたのだが、もっと北から日本海に出るようだ。(写真)
安定飛行になって少し経つと、客室乗務員さんがドリンクのサービスに回って来た。すぐに機内食も出るかと思い、さっそくワインをいただいたが、これはドリンクのみ。機内食はしばらく後だったので、私たちはワインをちびちび飲みながら食事を待った。
分かっていれば他のノンアルコールの飲み物にしたのだけれど・・・。
1回目の機内食はライスにゴロゴロ野菜とお肉のトマトソース煮が付いている。そして、別の器にサラダとチョコケーキ。このチョコケーキがとても濃厚だった。
食事をして映画を見ているうちにうとうとしただろうか。映画は日本版のものでないと言葉がわからないので、いくつか挑戦してみたが、イヤホンがうまく機能しないのか、エンジン音が響くからなのか、セリフが聞こえない。映像を眺め、想像力を駆使して映画を見るというのもなかなかエネルギーがいる。
いつのまにか少し気を失っていただろうか。気がつくと、2度目の機内食。(写真)多分軽食風なのだろう。これからの行程を考えて、ワインは止めておくことにする。
夫はポーク、私はクリームパスタを選ぶ。ポークはカツ丼のような感じで卵とじになっていた。パスタは、味は良いが形はペンネ。私のイメージではこれはグラタンというもの、期待していた長い麺のパスタとは違うものだった。デザートに大きなクッキーが添えられていて、とても軽食とは思えない。途中で配られたカップアイスも濃厚で美味しかったし・・・、う〜ん、気をつけないと帰りはワンサイズ大きい服が必要になってしまうかも。
モニターで航路を見ていると、スカンジナビア半島をかすめて飛ぶようだ。スウェーデンの南を飛んでいるときに、SALAという町の名があった。私たちの孫の名前と同じだったので、この発見に思わず元気が出た。どんな町だろう。モニターに表示されたのだから、大きな都市なのかもしれない。帰ったら、孫に教えてあげよう。
ヨーロッパ大陸の北をかすめ、北海に出てしばらく行くと、下に海岸線が見えてくる。イギリスだ。イギリスにはいつかゆっくり行きたいと思っていたが、乗り換え地として足をおろすことになろうとは・・・。
しばらくすると、町らしい上空に来た。ロンドンだ。ロンドンのヒースロー空港は、とても大きな空港で、いつも混み合っているとか、高度を下げて着陸かと思うと、再び上昇して大きく旋回する。この繰り返しを3回ほどした後、ついに着陸。私たちが到着したところはターミナル5番。ここからバスに乗って広い空港内をターミナル3へ移動する。リスボンへ向かう飛行機への乗り換えだ。
ロンドンのヒースロー空港はとても広いうえに、セキュリティーチェックがとても厳しいそうだ。
いつかイギリス旅行をしたいと思っている私たち。その時はブロークンでも英語が通じるだろうから、ツアーではなく個人旅行にしようかと話していた。しかし、この空港を見ると、まるで迷路のようで、私たちの語学力で時間までの移動が可能だろうかと、ちょっと不安になった。
しかしその広い空港内もガイドさんに案内されれば大丈夫。中央の待ち合い場所で、ひと休み。遠くまでイスが並んでいる。何カ所かに出発便のゲートの案内表示版がある。人々が出たり入ったりしている。
まだ時間があったので、私たちも空港内を少し歩いてみた。空港内に出店しているイギリスのデパート『ハロッズ』の入り口には大きな熊のぬいぐるみが立っていた。私の身長より高い。(写真)ガイドさんおすすめのトートバックは軽くて持ちやすく、確かに素敵だ。ただ、これから目的のスペイン、ポルトガルに行くのだから、ここでお土産は変だし・・・帰りにお金が余ったら買おうかなと思って素通りした。
帰りにはデパートのあるロビーには寄らなかったので、結局買えなかったことを後悔したのだが、それは後の話。
そろそろ時間かなと、分からないながらも案内板に自分たちの乗る便が表示されないかとイスの並ぶ待合場所に戻った。時々表示板を見て気にしていたが、時間が迫ってきてもなかなか表示されない。これが添乗員泣かせなのですと、添乗員さんも気にしている。セキュリティーのためなのだそうだが、表示されてからフライトまでの時間が短いので、空港の内部をよく知っていないと乗り遅れてしまうこともあるのだとか。
ようやく搭乗ゲートが表示されたので、リスボン行きのゲートに向かう。セキュリティーチェックの入り口には長い行列ができていて、チェックゲートを通ってピーピーと、警戒音をならしている人が多い。一回音が鳴ると、係員によるボディチェックが行われ、結構時間がかかっている。靴も脱ぐ徹底さにびっくりした。このチェックに引っかかって飛行機に乗り遅れた人もいるとか・・・。これもまた添乗員泣かせなのだと、添乗員さんは言っていた。
私たちの添乗員さんは、
「参加者全員のイヤホンガイドを持っているので、説明に時間がかかるから、みなさんは出たところで待っていてください」
と話し、それでもあまり時間はかからず通って来た。さすがベテラン、という感じ。
ツアーの仲間の一組のご夫婦が、鞄の中の何かが引っかかって足止めされている。添乗員さんはすぐそこに行き、通訳して、ことなきを得た。
ロンドン、リスボン間は2時間弱の予定。Airbus320、少し小型機で向かう。中央の通路を挟んで左右に3席ずつ。私たちはBC席、通路側。
出発が遅れて、もう深夜の空を飛ぶ。機内食で、チキンのサンドイッチが出た。やっぱり巨大。
リスボンのリスボア空港の上空でも2回旋回してから着陸した。(写真)
深夜、日付が変わろうとする時間なのだが、空港は混んでいるんだと、びっくりした。日本では深夜便はない筈。国土の狭さなのだろうか。人口密度の濃さなのだろうか。
入国審査をして、スーツケースを受け取り、バスに乗り込む。ホテルまでは15分ほど。 ついにポルトガルに着いたのだ。だが、まずはとにかく、ベッドにバタンキュー。
ポルトガルでの活動第1日目。昨夜が遅かったので、出発は8時45分と、やや遅め。
今日は私の一番楽しみにしていたヨーロッパ大陸の西端ロカ岬を訪ねる予定だが、まずはバスでリスボン市内を回ることになっている。
リスボンの朝、空は真っ青、みごとに澄んでいる。今日は忙しいぞ。リスボンの町をめぐり、シントラの宮殿を見て、ロカ岬まで行ってくる。しかし、気分は上々。いよいよユーラシア大陸の西の端に立つのだ。大西洋に初めて直面する。海はどこも同じかもしれないよと、自分に突っ込みを入れながらも、楽しみ気分は変わらない。
バスはホテルから南下し、しばらく走る。窓の外にアーチ型の柱に支えられた橋のようなものが見える。近づくと確かに橋、しかもあれは水道橋。映像では何度か見たことがあるが、ローマ時代に作られた水道橋だ。
ローマが来て、イスラムが来て・・・そして、自分たちも世界の遥か遠くまで船出して行った国。そんな歴史を目で見る思いがした。
バスはさらに走り、海に突き当たったかに見えた。しかし、ここはテージョ川のほとりという。とても広い。まずは川沿いに建てられたベレンの塔をめざす。
かつては川の両岸に同じ建物があったのだそうだが、現在は片方のみ残っている。
広い。空が青い。眩しい。海から川面をわたってくる風がかなり強いが、気持ちいい。目の前の水面の広がりは、向こうの大地が遠くてかすむようだが、ここはまだ川なのだ。目をすがめて沖合を見ると、水平線の真ん中に小さな建造物が見え、そこが川と海の境なのだという。
海は大西洋。初めてお目にかかります。なんとまぶしいのだろう。緯度からしてそんなに南だっただろうか?イベリア半島は、周りを海に囲まれているためそれほど乾燥するとは思えないのに、大気が軽く感じられる。
ベレンの塔の近くには、昔の水上飛行機が展示されている。小さいものだが、これに夢を積んで色々な人が動いたんだろうなと思う。
ベレンの塔の次は、すぐ隣に建てられた発見のモニュメントを見に行く。真っ青な空に白い巨大なモニュメントが突き出している。モニュメントの建つ広場には大航海時代にポルトガルの船がまたにかけた世界図が描かれている。広場一面の大地に描かれている地図には、日本も描かれていた。ポルトガルの船が日本に着いた1541年を発見の年として、日本の図の脇に1541と数字が描いてあった。
帆船の形をしたモニュメントの先頭にはエンリケ航海王子(1394−1460)、そしてマルコ・ポーロ(1254−1324『東方見聞録』が有名)など、大航海時代の偉大な人々の彫刻が続いている。(写真)
モニュメントそのものはそれほど芸術的とか、美しいとか思わせられる物ではないのだが、とにかく大きい、そしてシンプルに言いたいことを表現している。周囲の広さもいい。空が広くて近い。彫刻に表されている彼らが漕ぎ出した海原もこんな感じだったのだろうか。
海からわたってくるのか、テージョ川から吹いてくる風は強く、眩しい太陽の光の下ながら今が冬だということを感じさせられる。
ここからは歩いても行けるエリアにあるようだが、私たちはバスで次の目的地ジェロニモス修道院に向かう。
バスの中で夜のオプショナルの紹介があった。夕食後、ファドを聴くというコースだ。私と夫はせっかくポルトガルに来たのだからファドを聴けないかなぁと思っていたので、このオプショナルの提案はとても嬉しく、すぐ申し込んだ。しかしこのオプショナルは6人にならないと成立しないコースで、申し込みは4人だけ・・・残念。ツアーの客であるからには、諦めるしかない。かなり残念だった。
ジェロニモス修道院にはすぐ着いた。聖人ジェロニモスを祀った白い大きな建物が濃い青い空に突き出しているようだ。ジェロニモスさんの絵があったが、この聖人は獅子と関係ある人で大変な読書家だったそうだ。そして、先に死んでしまった弟子の頭骨を側に置いて学び続けたらしく、彼を表す絵にはだいたい獅子と書物と頭骨が描かれているという。だからそれがあれば、ジェロニモスさんだと分かるのだ。
またここにはバスコ・ダ・ガマ(1460−1524)の棺もある。修道院を入ると、左右に棺があり、一方はバスコ・ダ・ガマの偉業を叙事詩に書いた詩人カモンイスさん(ルイス・デ・カモンイス1524頃−1580)の棺だそうだ。どちらも小さな獅子が支えている。
こういう、多くの人が訪れる場所には時々ピカピカに光ったり、すり減ったりしている像がある。私の住まいの近く、善光寺さんにはおびんずるさんという羅漢様があって、もうあちこちすり減ってピカピカだ。これはなでたところの病気を治してくださるという信仰から。
このジェロニモス修道院にもつるつるの獅子さんと、柱に彫られた、綱を握っているピカピカの4本の指の彫刻がある。中庭に出るところに立つ獅子は、口が噴水の出るところらしいが、今は出ていない。本当かどうか知らないが、ポルトガルの教科書には一個だけ願いを叶えてくれる獅子と記されているって。これは、ちょうどやってきた小学生らしい集団に説明していたのをガイドさんが訳してくれた話。
4本の指の方は、船乗りが航海に出る時無事を祈って触ったそうだ。
広い四角の中庭を取り囲んでいる回廊は2階建て。1階にはたくさんの告解室が並んでいる。告解室というのは、普通は大きな教会でもたくさんはないのだそうだ。ここは、当時大きな船が着く港町だったので、船が着くと船員達が一斉に駆け込んだのだそうだ。それで、廊下にずらりと並ぶことになったという。しかし、その迷える船員さん達の話を全て聞くだけの識者がそろっていたのだろうか・・・と、いらぬ心配をする。
ガイドさんに案内されて回廊を下から上に歩き、お土産売り場で解散。回廊の2階テラス部分に雨樋があり、柱の一つ一つに何かの顔がつくってある。下から見上げれば、空中に飛び出した顔の口から雨水が落ちてくるという仕組み。ひょうきんな顔をしているのが面白い(写真)。
私は1階のトイレに行ったので、夫に2階で待っていてもらい、下から見上げる写真を撮ってみた。夫も上から中庭の私を見下ろすアングルで撮った。アイディアは良かったが、あまりに広くて私たちは豆粒の存在となってしまった(写真)。
百年もかけたというが、16世紀初頭に生きていた人達がこの美しい装飾の施された修道院を作ったとは、なんて素晴らしい美意識を持っていたのだろう。石とは思えない細かい彫刻が施されている。
それとも、庶民は搾り取られて苦しかったのだろうか・・・。エンリケ航海王子と、バスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、航海の安全を祈願するために建てられたのだというが・・・。私たちが見て回ったところはごく一部なのだが、紺碧の空に映える白い修道院はリスボンの人にとって誇りなのだろうなと思われる(写真)。
再びバスに乗ってリスボンの中心に戻る。途中色々なところにアーモンドの花が咲き、オリーブの薄緑の木がある。細かい葉をつけた並木があり、それはジャカランダの木だと言う。紫の花をつけるジャカランダ、いつか花咲く様子を見てみたい。
朝通った道を戻り、リスボンの中心地にあるロッシオ広場に着く。途中、細い坂道を走るケーブルカーが見える。アイボリーとグリーンのツートンカラー、小さなかわいい車体はリスボンの名物。絵はがきにもたくさん描かれている。私たちには乗る時間はないが、両側の壁が迫っている細い通りの急坂を登って行く様子が見られて嬉しかった(写真)。
広場でバスを降りて、賑やかな歩行者天国アウグスタ通りを散策する。解散して、わずかだが自由時間。スリには気をつけてというアナウンスがあったが、どう気をつければ良いか分からない。とりあえず荷物は前面にして、手で押さえている。
ところが、解散して歩き始めたばかり、まだみんな一緒にいるときに、地元のガイドさんが何か言った。
添乗員さんが
「後ろを振り向かないで聞いてください。3人の女性が近づいています。彼女達に油断しないように。地元で知られたスリのグループだそうです」と訳す。
ちょっと歩いてそっと振り返ると、確かに3人いる。いかにもスリですという風体ではない。あたりまえか。でもガイドさんはさすがだなと思う。
アウグスタ通りをまっすぐ進むと門の向こうにテージョ川が見える。バスで通ったところだ。往復すると、自由時間が終わりそうだ。私と夫は改修工事中のサンタ・ジョスタのエレベーターを眺めた後、気になるお店を覗いてみることにした。
そこでガイドさんとばったり。「ポルトガルのワインで有名なお店がそこにありますよ」という言葉につい足が向く。ボトルの並べ方もとてもおしゃれ。全く読めないけれど、お店の人と目配せをしながら1本選ぶ。赤ワイン。ちょっとお高めだが、これは日本へ持って帰って楽しもうと決める。
買物をしてご機嫌な私たちは、ブラブラと屋台を冷やかしたりしながらロッシオ広場に戻る。広場の中心には高い塔の上に銅像がある。この人は初代ブラジルの国王となったドン・ペドロ4世と言う人なんだって。ツアーの仲間もぼちぼち集まってきて像を見上げている。
さぁ、再びバスに乗って、今度はリスボンから離れる。私たちが向かうのはケルース。日本のテレビ番組などでも紹介されているケルースの王宮の前でバスを降りる。オレンジの屋根にピンクの壁がとてもかわいらしい建物、現在は迎賓館になっているそうだ。私たちはその並びのポサーダで昼食。「ポサーダ・ドナ・マリア1世」といういかめしい名前のレストラン。古い台所という意味なのだそうで、外観はオレンジの屋根にピンクの壁がかわいらしいが、内部にはとても大きな鍋やかまどがたくさん展示してある(写真)。見上げれば煙突の跡の大きな穴もある。食堂はとても広く豪華な気分で、魚介のクリームスープ、鶏肉と野菜の煮物をいただく。もちろん赤ワインを添えて。
そしてなんとデザートは食べ放題のバイキング。隣の部屋にある大きなテーブルに並べられたスィーツが全て食べ放題(写真)。ポルトガルと言えばもちろんエッグタルトなんだって。私は知らなかったけれど、ツアーの仲間が話していたのを聞いて、見ると、確かに大きなエッグタルトもたくさん並んでいる。大きなプディングに、ゼリー、ムース、小さな(と言っても日本のものと比べたら十分大きな)スポンジケーキ・・・とても様々なスィーツがドドーンと並んでいる。欲張ってたくさんいただこうと思ったけれど、甘いものはそうたくさん入らない。夫と半分こしながら気になるものを味見してみた。
たくさんは食べられないけれど、スィーツがたっぷりあると、なんだか贅沢な気分になる。おいしい昼食に満足して、美しいケルースの町にさよならをする。
次はシントラ。シントラの町もあまりゆっくりしていられないのだが、王宮の中に入る。世界遺産ということで紹介されているせいか、ものを知らない私でも、シントラの王宮の天井画は知っていた。白鳥の間や、カササギの間の天井を見上げて、なんだか嬉しい気がしてしまった。
王宮を遠くから見上げると、2本の白い煙突がシンボルとなっているが、この煙突を中からものぞくことができた。
しかしもちろんそれだけではない。壁一面に美しい青色のタイルで狩猟風景が描かれている紋章の間は圧巻だ。このタイルはアズレージョというポルトガルの伝統的な装飾タイル。天井にも描かれていたり、暖炉の周りにはめ込まれていたりする。紋章の間のドーム型の天井は細かい装飾がとても美しい(写真)。
出発前に読んだガイドブックにはアズレージョのことが書いてあり、本物に出会うことを楽しみにしていた。青を基調にしたタイルの壁は豪華で、当時の人達のここに寄せる思いの強さを感じた。しかし近寄ってみると想像していたより荒い仕上がりだとも思った。日本の細かい、繊細な描画を見慣れているからだろうか。どちらが、というような比べ方をするつもりはないが、1枚1枚の描画の丁寧さでは日本の方が美しい、けれど、それらを集めて全体を一つの表現としてみれば、アズレージョで描かれたポルトガルのスタイルが圧巻だ。
この違いが町そのもの、都市の姿、あるいはもっと広げて人の生き方にまで繋がってゆくのではないかと思ってしまう。
自由時間、王宮を出て少し町の中を歩いた。3月というのに青い空の下は暑いくらいだ。建物の影で日を遮る工夫という狭い坂道を上って行くと、道路の真ん中に黒くて大きな物がドサリと置いてある。何だろうと近づいてみたら、それはなんと大きな犬だった。近づいて行くとゆっくり立ちあがり、私の足の周りを回り、またゴロンと転がってしまった。
小さなタイルを敷きつめたような道の両側には道路にまではみ出して色々な物が売られている。ふと見るとさらに狭くて急な階段の途中に『CD’S DVD FADO』という看板が見えた。私たちはその急な階段を上って店に入ってみた。狭い店で様々な雑貨の一隅にCDが並んでいた。
「ファドは良いですよ」と、多分言っていたと思う店番の女性に、ブロークン英語で「あなたの好きなのはどれ?」と聞いた。本当は「お薦めは?」と聞きたかったのだが、英語力がなかった。でも、その若いお姉さんは私の言おうとしたことが分かったようで、有名な歌い手のCDを数枚教えてくれた。見比べたあともう一度あなたはどれが好きと聞いた。今度は「私はこれが大好き」と言って1枚を指差した。それで、私たちはそのCDを買うことにした。
CDを買ってゆらゆら集合場所に向かう。広場の噴水に黒猫が飛び乗って水を飲んでいる。黒犬に黒猫、みんなのんびりしているように見えていいなぁ・・・。
私は猫が大好きなので、日本で見かけると嬉しくて、立ち止まって声をかけるのだが、ほとんどの猫が逃げていく。まれに飼い猫が飼い主と一緒に散歩していて、私の足元にじゃれてくることがあるが、たいていは安全圏に去ってからこちらの様子を見るということが多い。でも、シントラの猫は人のすぐ近くで悠々と水を飲んでいた。人間が危険だという認識がないのだろう。
そう言えば何回か旅をしたヨーロッパで猫を見かけたことは何度もあるが、日本の猫のように一目散に逃げて行く姿を見たことはないなぁ。
話を人間に戻して、シントラを出た私たちはいよいよ楽しみにしていたロカ岬に向かう。私は大西洋に向かい合うのが初めてだ。ノルウェイのフィヨルドで、大西洋に繋がる北海を見てきたが、極地に近いそこはあまり波がなく大西洋とはイメージが違った気がする。
ロカ岬の先端近くにバスは停まり、木のない草原の間に道が続いている。日本の草原とは全く違う肉厚の細長い棒のような葉がピョンピョン立っている。日本では観葉植物として知られているような植物が一面に広がり、黄色く輝く花びらの多い大輪の花が咲いている。サクラソウのような形の淡い黄色の花もピョンピョンの葉の間に群生している。濃淡の黄色の花畑だ。私と夫は草原の間の細い道をゆっくり歩いて行った。目を上げれば少し遠く水平線が広がっている。行き止まりは崖になっていて、そこにガイドブックの写真で見たロカ岬の塔が立っていた(写真)。
ガイドブックに載ってはいたが、実際に見ると違う物のようだ。確かにこういうカタチで、こういう色だったかなとは思うが、どこまでも続く海原のこっち、陸地の始まりにすっきりと立っている塔はヨーロッパ大陸の西端にふさわしい。
崖の下には荒い波が打ち寄せている。波の荒さだけなら日本の海岸線にも素晴らしいところはたくさんある。太平洋、日本海それぞれに美しい。だから、どっちが美しいというようなことではないのだろう。全く違う景観と、違う歴史を持つこの場所にいるということが感慨深いのだ。その場所場所の違いとそこにいる自分との関係だろうか。
青い空、乾燥した空気を反映するような明るい青い海、そして私たちは今大西洋に向かっているんだなぁという思い。全てが解け合って嬉しさがひとしおだった。
私たちは嬉しくて、ここでもっともっとゆっくりしていたかったが、ツアーの仲間の一人が青い顔をして苦しそうだった。どうしてあげることもできないが、旅先で体調を崩すとつらい。私たちも過去の旅行で経験しているから人ごととは思えなかった。しかし、あまり「大丈夫?」と聞かれるのもまた嬉しくないものだから、遠目で早く治るといいなぁと見ていた。その時はバス酔いと思っていたので、「バスが苦手な人が大変なツアーを選んだものだな」などとも思っていた。
帰りのバスの中で『ユーラシア大陸最西端到達証明書』というものをもらった。綺麗な花文字で名前が書いてあり、真っ赤な蝋印が押されていた(写真)。
証明書とか免状とか、そのもの自体に意味はないはずなのだが、もらうとちょっぴり嬉しかったりする。でも、添乗員さんの次の一言がみんなの爆笑をさそった。
「バスを降りる時に一番多い忘れ物がこの証明書です。皆さん忘れずに持って降りてくださいね」。
目の前にあればちょっぴり嬉しいものだけれど、なくても困らないってことかな。
ホテルに戻り、一息ついてから夕食のレストランに出かける。バスを降りると緩やかな坂の一本道が遠く海まで続いている・・・ように見えるが、見えている水面はテージョ川の河口近くだそうだ。車道より広いような歩道をのんびり歩きレストランに向かう。
濃くなってきた青空に緩やかな波を描くような薄雲が幾筋か伸び、そこに夕日が赤を射す。満月が春のおぼろな輪郭で昇ってくる。情緒豊かな立派なレストランでいただいたのは、野菜スープ、カタブラーナという魚介類のワイン蒸し、そしてデザートはやっぱりエッグタルト。
満腹のお腹を抱えてホテルに戻り、部屋に入る前にホテルのコンシェルジェにハガキの投函をお願いした。ここでチップを渡すべきなのだったが、旅慣れない私たちは「ありがとう」を言うのが精一杯で、帰ってからそういうことに気がつくのだった。
ごめんなさい、大きなお腹のホテルのおじさん。
ホテルで朝食をとったあと、今日はエボラを通ってスペインに向かう。
リスボンでは連泊だったので、荷物整理が楽だ。今日はもうスペインに入る。もう少しポルトガルにいたいと思う。スペイン、ポルトガルそれぞれを別々に旅する方が良いだろうなぁと思うが、時間とお金と・・・いつも厳しい相談をしながらのツアー旅行、何かを選べば、何かができなくなるのは初めから分かっていることだ。
ホテルを出て昨日見た水道橋にさよならをし、4月25日橋を渡る。全長2277mというこの橋は、1974年4月25日クーデターによる新政権誕生の革命を記念して名付けられたそうだ。河口近くなのでテージョ川は広い。ずーっと遠くに目を向けると、大西洋が見える。橋のたもとに立つクリスト・レイはブラジルのキリスト像を模したもので高さは110mもあるそうだ。バスの中から見上げて、私たちはエボラへの道を進んだ。
リスボンからエボラまでは2時間あまりかかるので、途中のドライブインで休憩。道々説明を受けて車窓から眺めてきたコルクガシの大木があったので、近づいてみた。
一部小さく樹皮を剥いであって、コルクの樹皮層が見えている(写真)。この樹皮の厚さは5㎝を超えていて、細い柔らかい縞がはいっている。樹高はそれほどないが幹は太い。大きく枝を広げている姿はどっしりとして頼もしい感じ。樹皮部分にそっと触らせてもらった。 ポルトガルは世界1のコルク産国。樹皮を剥いだ木は9年経つと再生するので、それを待って再び樹皮を剥ぐことを繰り返すらしい。コルクガシの木は寿命が150年以上の長寿木なんだそうだ。
このドライブインには巨大なサボテンやアロエの株もたくさんあり、アロエの花が咲いていた。
サボテンもアロエも人の身長より高く、サボテンはまだ青い実がいくつもついていたが、花が見られなくて残念。アロエは日本でも三浦半島など暖地では屋外でたくさん花をつけているのを見ることができるが、今私の住んでいる長野では鉢に入れて屋内で冬越しをするのが精一杯。まだ、花を咲かせることはできない。濃いオレンジ色のアロエの花は、淡白だがさっぱりとした味で、サラダの彩りとしても楽しいので、咲くといいのだけれど。
ここで見るアロエは大きな群落になっていて、全く違う生き物のように巨大だ(写真)。
再びバスに乗ってエボラの町に行く。日本からやってきた天正遣欧少年使節団が滞在した町だそう。
バスは市場のすぐ近くに停まったが、ちょうど日曜日だったのでお休みの店が多く、一部だけ開いていた。しかも、お昼近くなので、もう閉まるところが多かった。市場の隣がサンフランシスコ教会だが、改修工事のための幕が張られていて、全体を見ることができなかった。
サンフランシスコ教会には、人骨堂という骨ばかりたくさん納めてあるところがあり、このあとの自由時間に見学してみたらと案内された。
私たちは骨にあまり興味がなかったので、行かなかった。ツアーの仲間たちも「骨はちょっとね」と、ほとんどの人が行かなかったようだ。
教会の脇を通ってレプブリカ通りの細い坂を登って行くと、ジラルド広場に出る。広場にはかっこいい男性が何か書いてある看板を掲げてニコニコしている。この日は『女性の日』なんだそうで、看板には出会った女性をハグしますと書いてあるらしい。見ていると、なんだか楽しそうにハグしあっている。面白い習慣だ。
広場からさらに細い道に入る。10月5日通りという名前の通りだが、ここにはお土産屋さんがたくさん並んでいる。コルクの製品がとても多い。横目で見ながら坂道を上って行くとカテドラルの広場に着く。ここにあったパイプオルガンは、大きさはそれほどではないが、パイプが横に飛び出していて驚いた。イベリア様式というのだそうだが、私は初めて見たのでびっくりした。
後日談だが、サントリーホール大ホールのパイプオルガンは中央から放射状に横にパイプが伸びている。でも、このときは小ホールには入ったことがあったが、大ホールにはまだ行ったことが無く、オルガンと言えば縦に見上げるパイプのイメージだけがあった。
そしてこの後、スペインのあちこちでもイベリア様式のもっと大きなオルガンを何台か見ることになるのだが、もちろんこのときはそんなこととは知らず、とにかく感心して見ていた。
ここにはまた最後の審判の絵もあった。細かい彫刻に飾られ、カラフルに彩色されたマリア像らしき像が壮麗だった。
カテドラルを出て少し登ると、柱だけが残っているローマ時代の遺跡に突き当たる。ディアナ神殿と言う。2〜3世紀にかけてローマ人によって作られたらしいが、今は土台と十数本の柱が残るだけだ。コリント様式という建て方らしいが、私には見分けがつかない。けれど、本や写真で見てきたので、ローマの遺跡ということは分かる。ローマ人はすごかったなぁと思う。この柱に向き合うだけで、悠久の時の流れを感じさせられる(写真)。
このディアナ神殿が建つのはエボラの小高い丘の上、周囲は公園になっている。丘の奥に行くと目の前にエボラの旧市街が見おろせる。その丘の上、エボラの町が見おろせるところに大きな石の彫刻があるが、それは北川昌邦さんという日本人彫刻家の作品で『波立つ海の中に光る満月』というのだそう。私には親子が手をつないでいるようにも見えた。
しばらく景色を眺めたあと、私たちはジャカランダの木が並ぶ道を戻り、昼食のレストランまでしばしの自由散策を楽しんだ。お土産屋さんでコルクのハガキを買い、ジラルド広場で若者が女性を見つけてはハグする様を眺め、ゆっくりゆっくり坂道を下って行く。白い壁に赤茶色の屋根、窓枠は木の色、道の脇に続く町並みはとても美しい。しかし、3月というのに日差しが痛いくらい。暑い。私たちは日陰を選びながら歩いた。
レストランに少し早めに着いたので、脇の細い道を裏に回ってみた。レストランの裏は小さな広場になっていて、そこにも教会があった。町の人たちが話しながら入って行く。何か催しがあるのだろうか。石畳の道は縦に横に続いている。真っ青な空にちょっとすすけた白い壁が異国情緒に溢れる。
しばらく写真を撮ったり、ちょこっと奥まで歩いたりしてからレストランに戻った。
小さなレストランだったが、14人のツアー仲間たちが座るのにちょうどいい感じ。名物のボルコ・アレンテージョというアサリと豚肉の炒め煮のようなものを大皿から分けて盛りつけてくれた。サラダと、デザートはフルーツポンチ。私たちはもちろん赤ワインをいただく。
このレストランは客室が狭く、2階のダイニングは私たちツアーの全員が入るといっぱいになる。食事ののち、廊下を奥に進むと建物の裏に突き抜け、テラスからはさっき散歩してきた小さな教会前の広場が見おろせる。ポツポツと人々が歩いて行く。なんだかのんびり見ていたいような気分になる。
食事がすむと、坂を下り、市場の近くの駐車場で待つバスに乗っていよいよスペインに向かう。4時間半の行程で、今日の宿セビリアまで走って行く予定だ。
エボラの町は城壁に囲まれていたところで、その一部は今でも残っている。そして城壁から外に水道橋が伸びている。ローマの偉大な遺跡だ。私たちは、その水道橋の下をくぐってスペインに向かって行く(写真)。
バスが走って行くと木の花がたくさん見える。ピンク、白、桜のような花だが、もっと色がはっきりしている。アーモンドの仲間らしい。その中に華やかな黄色の花をつけた木が混じっている。ロカ岬の近くでも見たが、これはミモザだ。ミモザの黄色はとても鮮やかな黄色で、光を集めているようだ。
ポルトガルとスペインには時差が1時間あるので、国境を越えると時計を1時間進める。国境は人間が決めたラインなので、自然は変わらない。どこまでも続く花咲く木々の平原。道路沿いに鉄塔が建っているが、そのてっぺんに茶色の大きな籠のようなものが見える。
さらに目をこらしてよく見るとその籠の上には白と黒の大きな鳥が1羽ずつ立っている。あれはコウノトリ。この時期はコウノトリの繁殖期なのだそう。3月頃卵を交代で温めて4月にはヒナが生まれるようだ。今は卵を抱いているのかな。高いところには必ずと言っていいほど巣があって、親鳥が守っている。大きくてかっこいい!(写真)
彼らも、広々した木の花畑を眺めているのだろうか。高見の見物だ、などとヤクタイもないことを考えて思わず吹き出してしまう。コウノトリは巣を守るのに忙しいのだろう。
途中マラガでトイレ休憩をする。ツアーの仲間にはスペインに詳しい人がいて、イチジクチョコが美味しいから見つけたら買って帰りたいと話していた。マラガでは美味しいイチジクチョコが試食できると、添乗員さんが話してくれて、期待が集まる。
マラガのドライブインで、初めて見るイチジクチョコの味見をした。濃厚。私と夫はお土産にする予定はないので、自分たちのために小さなパックを一つ買った。仲間たちは味見をして、もっと安いところでたくさん買うのだと言っていた。なるほど〜。2歳の頃のといちゃんなら『なるほろ』と、真面目な顔で頷くところだなどと、孫の顔を思い出して苦笑いしてしまった。
夕方、セビリアのホテルに到着。ロビーも広々していたが、部屋もとても広い。4人くらい座れそうな、豪華なソファがあるリビング部分がベッド部分と同じくらい広い。
ホテルでの夕食は落ちついていて良い。ツアーではようやくホテルに着いても夕食に出かけることが多く、落ちつかないのだが、この日はのんびりできる。
スペイン1日目なので、カヴァをいただくことにする。メニューはスペイン風オムレツ、スズキのソテー、ライス添え、綺麗なピンクがあしらってあるチョコレートムース。今日車窓から眺めてきたピンクの森のようできれいだ。
ツアーの仲間の男性が体調悪く、食べ物を受け付けないらしい。バス酔いかと思っていたが、やはり違う様子。何も食べられないので、体力が戻らないと言う。私たちは過去に夫がお腹をこわした経験から、携帯食お粥を持参していた。今回夫は幸い元気なので、もし食べられそうだったらどうぞと話した。
朝食はいつものバイキング。名物のチュロスや、チョコレートの滝が流れているのも見逃せない。朝からチョコレートコーティングのフルーツを食べてしまった。添乗員さんがサンザシの実もぜひ食べてみてと進めてくれたので、食べたはずだが、味を覚えていない!しまった。
食後はセビリアの市内観光。現地ガイドさんと待ち合わせのスペイン広場に向かう。歴史的な建物が森の中に点在するマリア・ルイサ公園は、ゆっくり走るバスの車窓から見る。
スペイン広場はあまりにも広く、色彩豊かで驚く。中央の噴水を取り囲む半円形の広場にそって弓状に回廊が回っているが、その装飾的な建物が美しい。建物と広場の間には水路が通り、これまたタイルで装飾された太鼓橋(写真)がかかっている。水路は広場の端で池になり、ボート遊びもできるらしい。
地元の人が世界一と自慢するこの広場は、万博のパビリオンとして作られたものだそうだが、その美しさは、映画の撮影にもたくさん使われているそうだ。
1階のたくさんの柱の間にはスペインの町がタイルで描かれている。その町の特色が背景画になっていて、足元にはスペインの地図に町の位置を示したものが描かれている。そして全ての区画はコの字形にタイルのベンチになっている。お尻がちょっと冷たいけれど、座って休める。
町はアルファベット順に、向かって左から並んでいる。いくつか見て回ったが、全部は見切れない。
私たちはドン・キホーテが描かれているところで座っておしゃべりをした(写真)。
ここで待ち合わせをした現地の男性ガイドさんは日本語で案内してくれた。広場を抜けると町を歩く。鮮やかな色のオレンジの実がたくさんなっている大木があるが、この実は美味しくないんだって。食べられないよと、言っていた。信じられないくらい美味しそうに見える(写真)。でも確かにたわわに実っている。誰も取らないんだ。
さて、私たちが向かうのはセビリアの大聖堂。この大聖堂は、世界で3番目に大きいそうで、もちろんスペインで一番大きい聖堂という。とても混み合うため、時間前に入り口で並ぶが、ミサが延びているとかで待たされる。
私たちは15分待って入場。さすがに中も広い。珍しいのは大きな鏡が斜めにおいてあり、天井をそこに写して見るのだという。確かに高い天井、荘厳な装飾。黄金色の天井は印象的だったかな(写真)。
この大聖堂にはコロンブス(クリストファー・コロンブス1451頃−1506)のお墓があるので有名。4人の従者に捧げ持たれた棺、周囲があまりに広いせいか、棺が小さく見える。世界に船出した時代の空気が漂っているようだ。 そしてパイプオルガンの響きが・・・聴こえてくる。『タンホイザー序曲』、現地ガイドさんは嬉しそうに口ずさむ。巨大なパイプオルガンが見えてくる。細かい彫刻が施してある。
全体に重々しい感じ。金ぴか、銀ぴか、装飾も光彩を表すラインが放射状に作られていて、これでもかという感じがする。
一通り回った後は少し自由時間。端の方にヒラルダの塔という四角の塔がそびえている。イスラムに支配されていた頃、アラブ人が建てたモスクのミナレットだったところを、16世紀にキリスト教が支配権を取り戻し、鐘楼にしたのだそうだ。高さ97m。登れると言うので行ってみることにした。
この塔は四角いので、登るのは螺旋状ではなく、しかも階段ではなかった。4面をぐるぐる回りながらずっとスロープで登る(写真)。
面白かったのはツアーの仲間の婦人が関西弁で「しんどい」と言うのを、細いご主人が後ろから押しながら、「もう少し」と励まして登っている姿。とても微笑ましかった。
展望台の高さは70mだそうだが、目の下に大聖堂の屋根が広がっている。そして360°セビリアの町。青空の下、一定の高さで広がる町並みは落ちついていて美しい(写真)。
塔を降りて、セビリアの町の散策。細い道が入り組んでいるのが面白い。小さなショップで孫のお土産にスカーフを買った。黒地にカラフルな花模様が刺繍されている(写真)。フラメンコ!というイメージ。
買物を済ませて、集合。みんなで細い道を歩き、昼食のレストランへ。今日はスペインの有名なタパス料理をいただくことになっている。タパスというのは小皿料理と訳し、様々な一品料理を小皿で自由に選んでいただくことらしい。私たちのツアーでは2皿にそれぞれ数品がのっていた。日本の味に似ているのか、口に合う美味しさだった。デザートのプリンも美味しかった。
食事の後はバスに乗って移動。バスが待っているところまで歩く。そこは闘牛場の前。外から見ると円形で小さなスタジアムのような建物だが、近づくと闘牛の彫刻があり華やかな色彩だ。バレエで見る『カルメン』などでイメージしていた通りの空間だった。
ただ私は闘いが好きではないので、闘牛そのものにはあまり興味がわかない。スペインの伝統的な行事だということで、うなずくだけだ。
さて、やってきたバスに乗って向かうのはコルドバ。緩やかな丘陵地にオリーブの林がどこまでも続いている。
メスキータの近くの路上で添乗員さんが目印の『ドラえもん(アニメの主人公、猫形ロボット)』の旗を持って待っていると、「僕ノビタ君です」と楽しそうな声で話しかけてきた男性が現地ガイドさん。
日本語が上手で、ダジャレをどんどん飛ばす。真面目な顔をして面白いことを言うその男性が、私たちの友人に似ていて、私たちは『コルドバのY○○さん』と、友人の名前で呼んでいた。これは余談だが・・・。
ガイドさんの愉快な案内で、メスキータに入る。入り口の門は馬蹄形で、どことなく古代エジプトのような雰囲気がある。
内部はたくさんの柱が支える広い、広い空間。薄暗いその空間は、確かに神秘的とも言える。赤と白の縞模様の柱はかつてイスラムのころには1000本あったと言うが、現在は850本、今も柱はそのままに、一部改装してカトリックの教会になっている(写真)。
しかし、ふと見ると、いかにもイスラムという雰囲気のアラベスク模様やモザイクで飾られた青が美しい馬蹄形の門がある。これはミフラーブという、メッカの方向を示す壁なのだそうだ。
無信仰の私たちの目には、イスラムのモスクにしか見えないが、そのまま残してあることに感心する。
たくさんの柱で支えられた天井の下を奥へ進む。中は薄暗い。中央の祭壇が見えるところに行くと、そこはキリスト教の空間らしくなる。ここを守ってきたスペインの人たちの人間性に触れたような気がする。おおらかで、物事の真ん中を見ることが出来るのだろうか。
メスキータの外へ出ると明るい。一気に明度の高いイベリア半島の空気に包まれる。
Y○○さんのジョークまじりの案内に先導されて、細い道を歩く。建物と建物の間は人がすれちがうのがやっとというような道もある。真夏の暑さが厳しいので、建物の影を歩けるようにという、昔の人の知恵なのだそうだ。昔からの大通りや中央広場はとても広いのに、この空間の使い方は都市のイメージがきちんとあったことを感じさせられる。
ガイドさんなしで歩いたら迷子になりそうな道、角をいくつも曲がって進むと、今も残っている昔の小さな家の一つを紹介してくれた。中は土を削ったような小さな空間で、奥に続くトンネルのような入り口には大きな瓶が置いてある。奥はワイン貯蔵庫?この家は、現在は小さなフラメンコ劇場になっていて、夜になると賑わう様子。小さな舞台には楽器演奏者のイスが壁際に並べられ、狭い部屋には観客用のイスが並んでいる。
狭いので、みんな覗いては交代で出て行く。最後に中に入った私は舞台に上がってみて、ちょっぴりフラメンコの真似をした。
舞台はいつもそこに立つ者に何かを与えてくれる(写真)。
さらに進むと、建物の壁が白く、そこにたくさんの植木鉢をつけて花を咲かせているところにきた。この辺りはユダヤ人街と言うそうだ。白い壁、細い道、色鮮やかな花。暮らしてみればどこにも課題はあって、そこにある人間模様は似たようなものなのだろうとは思う。そんなことはわかっていると、自分で自分に話しながらも、この異国情緒たっぷりで美しい町並みに憧れる。
一段と花々が美しい小路を奥に進むと行き止まりの小さな広場、そして振り返ると狭い道の奥にミナレットがそびえている。透明な真っ青な空、真っ白な壁、濃い緑と鮮やかな赤い花、そしてこの国にあっても異国情緒が漂う塔が奥に見えている(写真)。
この風景は観光用写真などで見かけることが多いが、自分の目で見、この空間に立つのはやはり違う。空気の圧迫感、花々の存在感、ユダヤ人街だった頃のその人たちの生活観が迫ってくるような気がした。
季節によって花は変化するのだろうか、今咲いているのはゼラニウム。虫が嫌う花としてスイスでも窓辺にたくさん咲いていた。
花の美しいユダヤ人街を後に、町を歩き、広い川岸に出た。難しい名前の川なのでメモした、グアダルキビル川。そしてここに架かる橋がローマ橋。ローマ時代には属州の首都として栄えたという名残だろうか。私たちはこの橋をゆっくり歩いて渡る。広々とした橋で気持ちがいい。川の中州には緑がある。振り返れば、メスキータと、そこに立つミナレットが見えている。コルドバの旧市街の建物が同じ高さで続いている(写真)。
橋を渡ったところにバスが待っていて、私たちは今夜の宿があるグラナダに向かった。スペインの大地は緩やかに広がり、一定の間隔で植えられているのはオリーブ。白い花が咲いているところはアーモンド。アーモンドの蕾は濃いピンク、咲き始めると薄いピンクになり、満開になると花びらはほとんど白に近くなる。
遠くに見えた山はシエラ・ネバダ山脈だろうか。上の方はまだ白い。近くに時おり顔を出す大地の出っ張りは赤い岩の固まりだ。しかし出っ張りはほとんど無く、どこまでも緑の大地が続いていく。
グラナダまでは2時間を越えるので、途中で一回トイレ休憩をした。このドライブインは昔駅舎だった所なのだそう。売店で試食を勧められて食べたアーモンドがとてもおいしかったので、3袋も買ってしまった。でも、大きな3袋で5ユーロだから、安いよ。
グラナダの町は標高が682m、長野より高いが、ホテルへはさらに丘を登っていく。着いたホテルは最新式イメージの内装。浴槽のシャワー設備はとてもおしゃれだが、ボタンがいっぱいあって、いったいどれを押せばいいの?(写真)
広い豪華な部屋だが、ベッドカバーもカーテンも真っ赤で私たちにはなんだか落ちつかない。
ホテルに着いたとき、体調の悪い男性の夫人が「お粥を譲って頂けますか?」と申し訳なさそうに話しかけてきた。普段の生活でも具合が悪いと気分が沈む。まして海外旅行中、顔色の悪いご主人を支えて歩いていた夫人の気持ちは本人よりつらかったりするのではないだろうか。
私は部屋に荷を置くとさっそく、乾燥粥を2種類その人たちの部屋に届けた。弱った胃腸に全部は無理だろうから小分けにするジッパー付き袋も添えて。カップや、湯沸かしポットもあると伝えたが、それらはあるとのことだったので、プラスチックのスプーンだけ渡して部屋に戻った。
その日は泊まったホテルのレストランで夕食。席に着くと、グラナダ大学のOBという二人組が楽器を持ってやってきて、歌の披露。軽快な『アルハンブラの思い出』はもちろん、他にも何曲も演奏してくれた(写真)。恰幅のいい男性がギターをぐっと上に抱えて浪々と歌う姿は心地よく、つい彼らのCDを買ってしまった。
食事は野菜サラダに野菜スープ、たっぷりの牛肉ポテト添え、そしてデザートはかわいいシュークリームが大皿に4個も並んでいる。
OBの男性の熱演に場が盛り上がってきた頃、具合が悪い男性の夫人が食事にやってきた。私の隣の席だったので、「いかがですか」と聞くと、お粥を半分美味しいと言って食べることが出来たのでホッとしたと言う。
「夫が食べて休んでいるので、今日は自分もゆっくり食べようと思って来ました」とのこと。人ごとながら、私たちも少しホッとして、部屋に戻った。
グラナダの朝、ありがたいことに毎日爽快な天気だ。今日はアルハンブラ宮殿を見学する予定。バスでホテルを出発、昨日上った坂道を少し下る。センダンの仲間だというかわいい実がついた木がたくさんある。そしてサボテンの仲間のような多肉植物がたくさん茂っているのが面白い。見慣れない光景だからか。
アルハンブラ宮殿はかなり高い丘の上にあり、山道を歩いて登る。途中の斜面にシダ類のような切り込みの入った大きな葉が株になってたくさん生えていた。ガイドさんによると、古代ギリシャのコリント式建築などでは柱頭に葉の装飾デザインがされているが、その葉のモデルの植物だそう。アカンサスと言う。葉がアザミに似ているが、アザミではないんだって。大きな葉がつやつやしている(写真)。
ゆっくりではあるが、結構登る。私は山が好きなので、木々の下の気持ちよい道を自分の足で歩くことが嬉しい。
しかし、具合が悪くて少しの道でも奥様に支えられて歩いていた男性は大変だろうと思った。ところが、その男性が声をかけてきた。
「おかげさまで元気が出ました。日本食は偉大です」と、笑顔。まだまだ力が入らない感じではあるが、気分が復活してきた感じだ。良かった。
アルハンブラ宮殿の丘には糸杉がたくさんそびえている。糸杉というと、私は何故かゴッホの絵を思い出すのだが、アメリカの西海岸でも見たなぁと懐かしい。ところがこの糸杉、触れば黄色い煙がモクモクと飛び出す。ちょうど花粉の最盛期!面白いように黄色い煙を吹き出す。
花粉症の季節、日本の都市では半分以上の人々が大きなマスクをしているのが普通の景色になってきたが、海外ではマスクをしている人をあまり見かけない。スペインでもマスクという物は存在しないのではないかと思うほど、目にしない。でも、花粉症はやはりあるのだそうだ。この糸杉の黄色い煙を見ればうなずける。マスクはあるにはあるらしいが、ほとんど役に立たない物だと聞いた。
私たちは糸杉にはあまり触らないようにして、まずナスル朝宮殿への入場を待つ。世界遺産のアルハンブラ宮殿は観光客が多く、入場制限があるようだ。しかし、待つというほどのこともなく入場。
砂漠地帯から来た民にとって、水は貴重なものだったから、水を使って美しさを強調した宮殿はとても贅沢なものだったという。有名なアラヤネスの中庭の四角い水面に映るコマレスの塔(写真)を、夫は王様が座って眺めたというイスに座って眺めた。青い水に映る白い幻想的な建物、そして今日は月も映っている。
これまで見てきたヨーロッパの宮殿や教会と異質なのは、細かい彫刻や壁の下方部分に施されたタイルが全て幾何学模様でおおわれていることだろう。具体的な描写は全くない。
これまでに見てきたお城には、代々の王や王妃の肖像画が飾られ、彼らの生活の様子を示す絵が壁一面に描かれていた。あるいは、ウィーンのシェーンブルン宮殿のいくつかの部屋は、王妃が憧れたという南の地方の風景が描かれていた。
どこも具体的なイメージ、そして具体的な宝物で飾られていた。
アルハンブラ宮殿の鍾乳飾りの丸天井は、人間が作ったものとは思えないほど細かく美しいが、部屋の中には大きな宝物などは見当たらない。厳かな空間があるだけ。
宗教の違いとはこんなにはっきりしているのだと感心し、スペインの人たちが他宗教の人たちが残した遺産を美しいままに大切にしていることに、また感心する。
白い壁は上から下まで細かい彫刻が施されている。写真撮影はOKだが、触ることは禁止。所々に壁の彫刻と同サイズの触ってみられる彫刻が展示してある。とにかく細かい、しかもそれがビッシリと丸天井の上まで施されている。これはすごいとしか言いようがない(写真)。
12頭の獅子の噴水があるライオンの中庭に出る。壷や王冠はないが、なんだか犬のようにかわいらしい獅子が12頭、頭を外にむけて円を描き、みんなで噴水の大きな瓶を背負っている。獅子だけは具象だ。意味があるのだろうか。庭の植え込みなどを見ると、自然の姿は大切にしているようだから、獅子も自然の姿ということなのだろうか。
この噴水の広場を囲む回廊の柱は、2本、または3本の細い柱が平行して立ってアーチを支えている(写真)。獅子がかわいらしいのとマッチするような繊細な回廊だ。
宮殿を出ると、再び坂道を歩いてフェネラリーフェ庭園へと向かう。アルハンブラ宮殿は全体が大きな丘の上に建っているので、点在する建物の間はとても自然豊かだ。と言っても、日本の深い森とは違う自然だ。3月という季節がらもあるだろうが、空が明るく広く見える。高く茂っているのはほとんど糸杉。歩いて行くチノス坂の脇には畑も作ってある。刈り込まれた糸杉のトンネルや、敷き詰められた石の広場、野外ステージなどがゆったりと続く。丘の起伏の間に、間に、宮殿の建物が美しく、遠く眼下にはグラナダの町が見おろせる(写真)。
フェネラリーフェの宮殿も水を楽しめるように設計されている。雪を乗せて白く輝くシエラ・ネバダ山脈の豊富な水を利用しているという。
豊富とは言っても、砂漠から来たアラブの人たちにとって水は貴重。細い水の軌跡を楽しむような噴水の設計が多いのは、水に対する敬虔な思いのようなものが隠れているのではないだろうか。
正直に言うなら、あの素晴らしいアルハンブラ宮殿の彫刻も、水鏡に映し出された幾何学的な建物のラインの美しさも、幾筋も弧を描いて日を反射する噴水も、感嘆の声を呼ぶことはできるが、私の心を解き放し自由に遊ばせることはできない。
丘の道を、ゆっくり時間をかけ、遠くに近くに新しい景色を見るために木々の枝を空かし見たり、花の穂に触れたりしながら歩く時、私は突然「あぁ、ここはスペインなんだ」とうなずくのだ。
のんびり歩いた丘の道も、糸杉の並木を越えるとバス停だ。並木道を歩いていると、突然目の前の糸杉から黄色い煙がモクモクと吹き出す。リスが枝を揺らしてさっと隠れる。でも、煙が次々に吹き出すので、リスの走っていく様子が見えるようだ。そのうち、一匹のリスが木を降りて道路を走る。素早い。口に糸杉の緑をくわえている。あれは実なのだろうか。あわててカメラを向けてシャッターを押す。かろうじて後ろ姿のリスを捕らえることができたが、くわえている物の正体は分からない。とにかく速かった。さっと走って別の木に駆け上っていった。所々に黄色い煙を吹き出させて、リスたちは走り回っている(写真)。
宮殿の入り口の売店で、割引になる券をもらった。特に買う物はないなぁと思いながら、賑やかに混みあっている門近くの売店を出たが、時間があったので道を挟んで遠くにある小さな売店に行ってみた。スペインのオリーブ石けんが積んであって、香りが穏やかでさっぱりしていたので割引してもらって買うことにした。
香りがいいので子どもたちへのお土産にもと、多めに買い込んだ。
昼食をとるレストランに向かってバスに乗る。走り出すとすぐ緩やかな起伏が続き、どこまでもオリーブの林、そしてところどころにアーモンドの花盛りが散りばめられている。目を上げると、大地と空の間に雄大な山脈が横たわる。真っ白な頂だ。あれがシエラ・ネバダ。
地上の眩しい光に季節を錯覚してしまいそうだが、白く続く山なみを見ると、今がまだ3月ということにうなずける。
オリーブの大平原を走ってベレンの町につく。今日の昼食は前菜が選べるという。私はアスパラのクリームスープ、夫は野菜サラダをチョイス。メインはイベリコ豚のグリル、輪切りのポテトが添えてある。そしてデザートはヨーグルトプリン蜂蜜がけ、このプリンが真四角で、見た目は冷奴。飾り気がなくて、さぁいっぱい召し上がれという感じは、田舎料理というイメージだ。夫が選んだ野菜サラダはトマト、レタス、ニンジン、コーンなどが彩り豊かで美味しそうだ。オリーブオイルをかけて頂く。新鮮な野菜もいいねと、その時はその後の展開など思いもせず、大喜びで食べていた。
体調を崩していたご夫婦と4人の席で、いくらか元気が出て来たというご主人とも少しおしゃべりをすることができた。いくらか元気が出て来たとは言え、何日も食べられなかった胃腸はまだ完全ではないと、レストランでは特別メニューのリゾットを出してくれた。お粥のような物という添乗員さんの説明で、スペインではやはりリゾット。
それでも少し食べることができて、彼らの旅はようやく楽しめそうな感じになって来た。ただ隣にいるだけでも、そういう様子は嬉しいものだ。
昼食がすんで、いよいよラ・マンチャ地方に入っていく。『ドン・キホーテ』はスペインの有名な小説だが、その舞台となったところ。私はバレエが好きだが、バレエの演目でも明るい『ドン・キホーテ』は人気だ。
まず、プエルトラピセという町に降りる。ここには『ドン・キホーテ』の著者セルバンテス(ミゲル・デ・セルバンテス1547−1616)が泊まっていたという宿『ラ・ベンタ・デ・ドン・キホーテ』が残っている。現在はお土産屋さんになっているのだが、最近2階にドン・キホーテのミニ博物館ができたというので登ってみた。ドン・キホーテの人形がある。隣に並んでツーショット。ドン・キホーテは小説の中の人物なのに、とても親しみを感じてしまう。
博物館を一回りして下のお土産屋さんも覗いてみる。このお土産屋さんのイチジクのチョコレートがとても安いと、ツアーの仲間は何箱も抱えて買っている。
私たちはチョコはいらないけれど、小さなカスタネットがぶら下がっているサングリアのビンがかわいらしかったので、それを1本買うことにした。
ドン・キホーテの人形ともお別れして、バスはコンスエグラに向かう。道の両脇に民家が点在するが、どの民家にもサイロのような大きな円筒形のタンクらしき物が見える。家の屋根より少し高い。添乗員さんの説明によると、それはオリーブオイルのタンクなのだと言う。ものすごい量だ、とびっくりした。
しばらく走ると遠く丘の上に三角屋根の筒のような物が並んでいるのが見えて来た。小さな丘には二つ三つ、大きな丘には点々とたくさん並んでいる。あれが、有名なラ・マンチャの風車。私たちが目指すのはコンスエグラの町の風車群。
石作りの家々の間の狭い道をバスはどんどん奥に入って行く。ぶつかるんじゃないかと心配になるような道だ。何度も曲がってようやく丘への道を登り始める。坂の途中に建つ風車が事務所になっているという。
観光客が増えて、頂上の駐車場がいっぱいになってしまうらしい。駐車場は狭いので、いっぱいになると方向転換できなくなってしまうため、途中で許可した車だけ登っていくのだそうだ。
事前に申告してあったので、少し手続きのため待たされただけですぐ登り始めた。頂上は、細長くあまり起伏がない。ほぼ同じ間隔で真っ白い風車が建っている。
駐車場に一番近い風車だけ扉が開いていて中に入れる。入り口にはここにもドン・キホーテ。中は小さな売店だ。私たちは中をちょっとのぞいてから、丘の上を歩いてみた。
空は真っ青。雲なんてどこにもない。頂上のすぐ下にはコンスエグラの町がかたまっている。ほぼ同じ高さで赤い屋根の濃淡が広がっている様子はとても落ちつく景色だ。そして町の向こうには大平原が広がっている。うねっていく道と、作物の関係だろうか、緑の濃淡と赤茶の土の広がりがまるで考え抜いて描かれたように続いていく(写真)。
この遥か遠くまで続く道を越えて、人間の暮らしは連綿と続いてきたのだと、私はなぜか深く納得した。
所々に丘が見え、濃い緑の小さな森がアクセントを添えている。
遠くまで見渡せる大地のうねりは、どこか暖かい。でもこの森のない大地は人々が生きていく上では厳しかったのではないかと思う。丘の上に残る風車は厳しい生活を守る知恵の一つだったのだろう(写真)。
コンスエグラはサフランの産地で、10月にはサフラン祭りが行われるそうだ。
しばらく眺めを楽しみ、私たちはスペインの中心マドリッドのホテルに向かった。今日は遠くバス旅をして来たので、夕食はホテルで。
ツアー旅は、旅行の先々で現地の珍しい物を食べる企画を入れるのだろうし、ホテルのレストランは料金が高くなるのかも知れないし、夕方到着してからレストランまで出かけることが多い。それはそれで楽しいこともあるのだが、疲れている時はホテルで食事を済ませられるとありがたい。
心のうちで「歳とったからかなぁ・・・」とつぶやいているけれど、それは聞こえないことにしよう。
メニューはポタージュスープとメルルーサのソテー、ニンジンとブロッコリーの付け合わせは色が鮮やかだ。デザートはチョコケーキ。マドリッド到着を祝って、私はカヴァをいただいた。夫はやはり赤ワイン。
カヴァは日本にもたくさん輸入されている。辛口のスパークリングは我が家でも人気で、何かのお祝いの時や、友人が集まる時の乾杯はカヴァにすることが多い。
本場だからそれほど高価ではないけれど、二人会わせて6.2€支払いながら、途中休憩した売店で小さなカヴァのビンが2€だったのを思い出した。小さいけれど、2杯分はあった。買おうか迷ったけれど、買っておけば良かったねぇと、話しながら食事は進んだ。もちろん、あそこでビンを買ったとしても、冷やせないし、レストランに持ち込めないし・・・話の肴になっただけ。
マドリッドでは嬉しい2連泊なので、部屋に戻ってゆっくりコーヒータイムを楽しみながら小物を洗濯する。
部屋はとても広い。入り口を入ると大きな白いソファのリビング。そして真ん中に大きなテレビがあって、その奥がベッドスペースになっている。
コーヒーを楽しみながらのんびりおしゃべりタイムをとることができた。
さぁ、今日は楽しみにしていた美術館へ行くぞ、とさわやかに目が覚める。
朝食はヨーグルトや野菜をたっぷりいただいて、出発。
バスはまずスペイン広場に向かう。途中アルカラ門、シベレス広場を車窓から眺める。
スペイン広場は、セビリアの広くて美しい広場を見て来たので、同じようなところかと思っていたが、マドリッドの広場は、普通の公園という感じ。ただ中央に池があり、その池のほとりにセルバンテスの銅像の大きなモニュメントがそびえている。もちろんモニュメントの前にはドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像が建っている。馬に乗ったドン・キホーテの銅像はこれまで見てきた中で一番堂々として立派だ。
ただ、町の真ん中なので大きなビルが後ろに見えていて、せっかくの甲冑も重々しさに欠けるのが残念だ。日本人が言うことではないかも知れないけれど・・・。
スペイン広場のあとは王宮前の広場に行った。雲一つない群青の空の下に壁のように立ちふさがる白亜の王宮は威厳がある。
私たちがぼんやり眺めていると、たくさんの馬に先導された馬車が行列を作って進んできた。黒い馬の集団、白い馬の集団、騎兵隊というのだろうか、赤や白の羽根つきカブトと、金のラインが入った制服に身を固めた人たちがそれぞれ御している。幌のない馬車には貴人の姿は見えない。ガイドさんによると、お迎えに行くところだそうだ。
ゆっくり進む行列を眺めた後、地下道を通って、私たちは次の目的地ソフィア王妃芸術センターに向かった。
ここには、ダリ(サルバドール・ダリ1904−1989)やミロ(ジョアン・ミロ1893−1983)の作品がたくさん展示されているが、やはりピカソ(パブロ・ピカソ1881−1973)の『ゲルニカ』があることで、知られている。
シュールリアリズムの代表と言われるダリの絵だが、私にとってはちょっと気持ち悪い。天才と自称していて、奇行も多かったと言われるそうだが、絵を見ているとやはり変な人だったかも知れないと思わせられる。
ミロの絵はもう少し収まる感じがする。中庭にはミロの彫刻もあった。
ピカソの初期の作品だろうか、具象的な女性の絵もあった。迫力のある女性だ。
ピカソと言えばキュビズムの創始者として有名だが、初期の具象的な作品を見るとその迫力に圧倒されることが多く、素晴らしい才能の持ち主なのだと思う。
写真撮影がOKの部分もあったが、『ゲルニカ』の部屋は禁止されていた。
『ゲルニカ』はあまりにも有名だ。スペインのバスク地方にある都市ゲルニカが空爆されたニュースを聞き、一気に仕上げたという壁画。
キュビズムと言っても美術関係者でない私には難しいのだが、いくつかの視点で見た人の顔を同時に一つの画面上に描くピカソの絵を思い出して、なんとなくうなずいている。
物事の本質を捕まえるために一視点でのみとらえないということなのだろう。
『ゲルニカ』の迫力に圧倒されて、外に出ると、目の前は大きなアトーチャー駅で、広い芝生に囲まれた茶色の落ちついた建物は、とても駅舎には見えない。博物館とか劇場と言われてもうなずいてしまうだろう。
そして芸術センターを出た階段のところにはソフィア王妃芸術センターの目印のモニュメントが建っていて、たくさんの人たちが出たり入ったりしている。どうやらこちらが表玄関らしい。
幼稚園児たちが何組も入って行く。お揃いの上着を来て、先生に先導されて賑やかに歩いて行くのだが、どのグループも子どもたちは前の子どもの服の裾をつかんで繋がって行く。その姿があまりにかわいらしく、周りの人たちもニコニコしながら見送っている。
ソフィア王妃芸術センターをたっぷり堪能したが、今日はもう一カ所美術館に行く。美術館めぐりとなるが、次に行くのはプラド美術館。
プラド美術館には、歴代のスペイン王家のコレクションが展示されている。1階から3階まで、100以上の展示室があるというから、ゆっくり観ていたら何日かかかるだろう。
教科書で見たことがある絵もたくさんあって、なんだか懐かしい気がする。
ベラスケス(ディエゴ・ベラスケス1599−1660)の『女官たち』、ゴヤ(フランシスコ・デ・ゴヤ1746−1828)の『裸のマヤ』、ラファエロ(1483−1520)『枢機卿』、グレコ(エル・グレコ1541−1614)『胸に手を置く騎士』・・・それぞれの代表作だけでもここに書ききれるものではない。カラヴァッジョ(1571−1610)のダヴェイデの絵もあった。
事前学習をしない私たちが発見して嬉しかったのは、ドイツ絵画の父と呼ばれるデューラー(アルブレヒト・デュ−ラー1471−1528)の『アダムとエヴァ』。以前ドイツに旅した時訪れたニュルンベルクのデューラーの家に模写があった絵だ。
また、かの有名な『モナ・リザ・オ・ラ・ジョコンダ(レオナルド・ダ・ヴィンチ1452−1519)』のそっくりさんがあって、似ているけれど違う、違うけれど似ているという不思議な感覚だった。
プラド美術館の内部は撮影禁止、入り口の真っ赤な壁の前にある彫刻のところで記念の1枚を撮った。
もう何年も前になるが、私の友人の版画家がスペインで2人展を開催した。どういう経緯で、スペインで行うことになったのか、詳しい経緯は忘れてしまったけれど、当時は仕事が忙しく、さすがにスペインまで応援には来れなかった。後で写真を見せてもらってその雰囲気を楽しませてもらった。展覧会の会場に集まった人たちが作る明るい空間が感じられたことを覚えている。
友人の版画は抽象的だけれど、その中に日本的な流れが潜んでいると私は感じているが、スペインの人たちはどんな風に感じたのだろう。
さて、駆け足で見たい絵を見て回り、昼食に向かった。バスはマドリッドの町を走る。マドリッドのタクシーは全て同じ色に塗られている。白にオレンジの線が斜めに走っている、分かりやすいデザインだ。そしてオレンジのラインの脇にはあの熊と山桃のマドリッドの紋章がついている。
またバスの窓から見ていると所々に自転車の駐車設備があるのに気づく。
これは貸し自転車の設備だそうだ。バスの窓から見ていると道路脇に並ぶ自転車を出し入れしている人をよく見かけた。ソフィア王妃芸術センターの脇にもあった。町の中のステーションにはどこにでも駐車したり、返還したりできる仕組みらしい。便利だ。
昼食は珍しく中華のレストラン。大皿に盛られた料理が何種類も出てくる。スープ、麻婆豆腐、酢豚のようなもの、ピーマンと牛肉の炒め物、イカと野菜の炒め物、緑のさっぱり野菜、チャーハン、果物・・・食べきれないくらいだ。前半体調が悪かった夫婦と向かい合わせのテーブルだったが、ご主人もようやく元気が出てきた様子で、楽しくおしゃべりをしながら食べることができた。
私たち4人の隣には、大阪から来たという家族4人連れが座り、二人の子どもたちはさすがに若い男性、食欲おう盛だ。次々出てくる中華の大皿を「それこっちにお願いします」「これもありますよ」などと声をかけ合い、賑やかな食事になった。
食事がすむと1時間ほどバスに乗って、トレドに着く。トレドはその旧市街の美しさで有名だから、日本でも写真を見る機会はあった。キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの多様な文化が混在し、旧市街全体がユネスコの世界遺産に登録されている。カレンダーなどになっていることもあるし、もちろん旅行会社のパンフレットには必ずと言っていいくらい載っている。
そう言えば、以前スペインを旅した義父もトレドを訪れ、何枚も油絵を描いている。大小様々なトレドの絵は、義父の描いたヨーロッパの風景の中でも広がりを感じさせる落ちついた物が多く、気に入って家に飾ってくれている友人もいる。
義父も訪ねたトレドに、私たちも来た。トレドに着くとまず高台に登って旧市街の全景を見おろした。カーブを描いて流れるタホ川に守られるような、トレドの旧市街が青空の下に一望できる。中央に大聖堂の塔がきりっと立ち、どこまでも落ちついたアイボリーの町並みは、よく言われる中世そのままという表現がぴったりだ(写真)。
町の全景を見おろした後、いよいよ中を歩く。城壁の中に入る前に、象眼細工の工房に寄った。金銀を使って細かい細工を施す象眼細工は日本でもなじみが深いが、ここトレドでも伝統工芸なのだそうだ。
細く糸のようにした金や銀を小さな台の上で操作しながら模様を描き出して行く。製作者のおじさんの太い大きな手からとても小さな細かい作品が仕上がって行くのを見ていると時間が経つのを忘れる。
工房の奥にはたくさんの作品が展示してあった。なかでも、日本刀が多いのにはびっくりした。
装飾品もたくさんあり、購入できるようだが、私たちには高価過ぎて手が出ない。
この工房の奥ではトレドの名物マサパンも売っていたので、それを買うことにした。たっぷりのアーモンドの粉で焼く素朴なお菓子。これは日本に帰ってからのお楽しみ、パッケージには『SANTO TOMÉ〜OBRADOR DE MAZAPÁN』と書いてある。
工房見学のあとはいよいよ城壁のなかに入る。鮮やかなピンクの花が咲くアーモンドの木の下を通り、びっくりしたことにエスカレーターを乗り継いで行く(写真)。「江ノ島エスカーみたいだね」と、夫にささやく。
世界遺産なので、色んな新しい手を加えてはいけないのだが、逆にたくさんの観光客に荒らされないように旧市街に入る手だてとして、ユネスコが建築したのだとか。
トレドの旧市街の丘はかなり高いので、エスカレーターはラクチンだ。
丘の上に着いて振り返ると、トレドの新市街地が柔らかい色合いで広がっているのが見える。その向こうにどこまでも続く地平線。その柔らかいトーンの広がりは、パステルで描かれたようだ。
さぁいよいよ旧市街を歩く。遠くから見ると、同じトーンの色彩が続く町並み、中に入るとそれぞれの建物が近い。道はとても細くて曲がりくねっている。どこも緩やかな傾斜になっている。案内してもらわないと、迷子になりそうだ。トレドを案内してくれた現地ガイドさんは、日本人の男性だけれど、長く現地に住んでいるらしい。
道幅が狭いのは、あまりにも暑いので建物の影を歩けるようにという、昔の人の知恵だとか。これまでにも何度か聞いたけれど、スペインの旧市街はみんな同じような工夫をしているようだ。もっとも、私たちはスペインの南側を歩いているだけだから、北の方は違うのかも知れない。
私たちがガヤガヤと歩いて行くと、建物の2階ベランダから茶色の毛づやのいい猫が覗いている。見慣れない集団が面白いのか、まん丸い目を見開いている。「でも猫ちゃん、この辺りはいつも様々な観光客が通るでしょ」と話しかけるが、やっぱり無視された。
石畳の道には真ん中に浅いくぼみが通っている。ガイドさんの説明では、昔家の中にトイレがなかったので、壷の中に用を足しておいて、それをこのくぼみに流すのだという。にわかには信じられない。確かに道はどこも傾斜しているが、くぼみはとても浅いし途中に処理する場所もない。延々と川まで運ばれて行ったのだと言うのか。丘の上で水は貴重品だったから、水道水でじゃんじゃん流せる訳ではないし・・・。などと、首を傾げながら歩いた。
もちろん今は排泄物の匂いもないし、狭い道は思ったより気持ちいい。あまり閉塞感がないのは軽い空気と明るい空からくるものかも知れない。
訪問者として歩いていると気持ちいい町だが、建物の小さな窓からのぞくと、中が荒れているところも多かった。世界遺産の町は、『現状維持』が鉄則。住みやすいように改築しようとしても、たくさんの縛りがあって難しく、若者たちは外へ出て行ってしまうのだそうだ。
もちろん改築していいのは内側だけ。それも大変なのだそうだ。水回りを新しくしようとして届を出してから許可が下りて工事を始めるまで3年かかったと聞いたのはどの町だったか。そのときの旅のガイドさんの友人の話だったが。
私たちは窓があると中をのぞいて歩いていた。もちろんプライバシーの侵害になるようなのぞき趣味はないが、空き家になっていることは外からでも分かるようだ。そういうところはカーテンもなく、中が暗い。空気が動いていない。放り出された家具が、それぞれのあるべき場所を忘れて困り果てているようだ。
人が住んでいるところは小さな窓にも植木鉢が並び、生き生きと美しい花を咲かせている。大切に手入れされている雰囲気が伝わってくる。
世界遺産は、観光客を集めるので、良い資源になるとも言えるだろうが、その町の生活が無くなるようでは、いずれ町は死んでしまうだろう。
ドイツのドレスデンは、世界遺産を返上した。ドレスデンは、大戦で町の多くが破壊されたが、ものすごいエネルギーで復興した。それも、自分たちの大切にしていた大戦前の姿を再現して。その美しい町は、住む人々の想いの結集なのだと感じた。そして世界遺産に登録されていた。
けれど、新しい生活は新しい人々の動きを生み出す。世界遺産の橋だけでは不便になったので、新しい橋を架けることにしたところ、世界遺産の条件を満たさないということになったそうだ。住民投票で、世界遺産を返上しても新しい橋を架けることを決めたのだそうだ。私たちはバスで新しい橋を通った。隣の古い橋は市電が走り、自転車のサラリーマンなどが行き来している。広々とした美しい劇場をバックに、とてもすばらしい風景だ。
けれど、少し離れたところに架けられた新しい橋がその景観を壊したかというと、そうは思えない。歴史ある町並みを大切にしながら、現在の生活も豊かにして行く工夫は必要だろうと思う。
話は横道にそれたが、トレドの狭い道をいくつも曲がりながら歩いて、サント・トメ教会に向かった。
エル・グレコはスペインの三大画家(ベラスケス、ゴヤと共に)の一人だそうで、スペイン美術黄金時代と言われる16世紀から17世紀にかけて活躍した画家。スペインの、それも彼が定住していたトレドの画家と思っていたが、ギリシアの生まれで、イタリアでも学んでいた人だそうだ。
サント・トメ教会にはエル・グレコの大きな絵があるのだが、面白いことに、教会の近くに大きなエル・グレコの絵の『顔出し君』があった。大きな写真や絵の顔のところだけ丸く切り抜いてあって、観光客が絵の後ろから顔だけ出して記念写真を撮るという趣向のもの。顔出し君は日本だけのものではないんだ。そう言えば北欧のレストランにもあったと言いながら、顔だけ夫になったグレコの絵の写真を撮って、みんなの後を追った。
少し歩くと、ゴヤの絵の顔出し君もあった。こっちは、『オルガス伯爵の埋葬』の絵で、見守る人々の3人ほどが顔出し君になっている。埋葬の絵はちょっと・・・と、眺めて過ぎた。
サント・トメ教会を出ると細い道をまたしばらく進み四角い広場に出た。目の前には厳かな大聖堂(カテドラル)がそびえ立っている。広場の手前に長方形のとても浅い池のようなものがあった。底がギザギザしている。見ていると池の端の方から水が流れ込んできた。じわじわと水が満ちてくるにつれ、水面にカテドラルの全景が映し出されてくる(写真)。
ここにも水の芸術があった。池の対岸から見ると、青空にそびえ立つカテドラルと池に逆さに映ったカテドラルのみごとな絵になっている。そして見ているうちにその池の水は引いていった。一定の時間だけ満ちるようになっているらしい。
教会の内部を見学したあと、再び広場に出てきたら、2歳くらいの男の子がママと遊んでいた。座ったりちょこちょこ歩いたり、自由自在だ。目が合ったので日本語でこんにちはと挨拶するとにっこりする。ママは少し離れたところでにこにこしながら見ている。
子どもは空にそびえる雄大なカテドラルよりも、広場に敷き詰められた石のデコボコ加減が面白いようでボコボコしているところを選んではしゃがみ込んで触ったりのぞいたりしていた。
日本語でちょっぴり話しかけたあと(子どもは日本語でもちゃんと応えてくれるから嬉しい)、ママに写真を撮ってもいいかと聞き、この人気者の写真を撮って広場をあとにした。子どもはどこでも大人たちをつなげるパイプ役を担ってくれる。もちろん本人は意識せずに。
トレドの町をゆっくり歩いたあと、私たちはバスでマドリッドに戻った。今日はお楽しみの夕食だ。メニューはパエリア。3種類のパエリアを味わおうという贅沢な企画。あまり食事にはこだわらないが、できれば旅するその土地の人たちが食べているものを食べたいと思う。スペインといえば、やはりパエリア。私の大好物なので、とても楽しみにしていた。
一度ホテルに戻り、そこからバスでレストランに向かう。パエリアはイカスミ、シーフード、ミックスの3種。大きな平たい鍋にドド〜ンとパエリア(写真)。ムール貝がいっぱい乗っている。すごい、すごいと喜んでいたが、盛り分けられたらムール貝は1個だけだった。ツアーの仲間全員分なのだから、これは考えてみれば当たり前。でも自分のお皿を見た瞬間あれ〜?と思ってしまったのは事実です、笑っちゃうけど。
付け合わせはフレッシュな野菜サラダ、デザートはアイスクリーム。ニンニクの効いた独特な香りのアイオリソースというのもこの地の名物らしいが、匂いが強過ぎてレタスの葉につけてなめるだけにした。
私たちがあまりに嬉しそうなので、テーブルの前の席の仲間が「写真撮ってあげるよ」と、ワイングラスを持って幸せそうな私たちを写してくれた(写真)。カメラマンをしてくれた彼は、旅の前半具合が悪かったけど、ようやく本来の明るさを取り戻した様子。心配そうに付き添っていた奥様も、ホッとしたのか、よく笑う。二人の笑顔がなんだか、とてもいい感じだ。ご主人の方はカメラが趣味のようで、そんなところも私とは気が合う感じだ。
おしゃべりをして、いっぱい笑いながら、パエリアをいただいた。野菜サラダも好きなので、「前半はでなかったけど、昨日も食べたね」と、この時はまだ軽く話していたはず。
しかし、どこかに落とし穴はあるようで、その夜私は胃が痛くなってしまった。ずいぶん昔に胃痙攣を起こしたことがあるのだが、その入り口にいるような感じ。まずい。これは、絶食するしかない。
何年か前に横浜の地中海料理店で本格的なパエリアが食べられると大喜びで夫と食べに行ったことがあったが、その時も翌日から2日間ほど絶食する羽目になった。パエリアと相性が悪いのかなぁ。ただ、絶食しさえすれば痛みは落ちつくと分かっていたので、気持ちはそれほど暗くはなかった。
まだ弱い痛みなので、とにかく明日は絶食しようと決めてベッドに入った。
朝になっても微妙な胃痛は続いている。残念ながら朝食はカット。
今日はまたバスでの長旅をして、まずサラゴサという町へ向かう。マドリッドからは3時間半もかかるところなので途中のドライブインでトイレ休憩をする。周りに何もないドライブインはいかにも田舎という広さ。ところがその何もない広い駐車場には軍隊の車やパトカーが停まっていて、移動中の彼らもここで休憩らしい。
日本には軍隊はないが、米軍や自衛隊の車などを見るとドキドキする。守るためと言いながら、やはり殺傷力のある武器を常備することには心理的に抵抗が強い。
サラゴサの町に近づいた。大きなサラゴサ・デリシアス駅の目の前にあるレストランで、まず昼食タイム。近くには緑の小さなゴンドラが昇り降りしている丘がある。それほど高くないのだが、周辺の人々の楽しみの場なのだろうか。ゴンドラは、絶え間なく動いていて、かわいらしい。
さて、私たちの昼食のメニューは、野菜サラダとチキンのチリンドロンソース煮、レモンシャーベット。チリンドロンというのは野菜と煮たものらしい。そして、またもや野菜のサラダ!
残念ながら、私はここでも絶食。カモミールティを出してくれるというのでお願いしたが、ティーパックだったので、お湯だけいただいた。
少し絶食すれば大丈夫だからと言ったのだが、添乗員さんが心配して、レストランの人に相談したらしい。レストランの太った元気なおばさんがバナナを2本持ってきてくれた。「これなら食べられるでしょう」と言う感じで「さぁ、食べなきゃダメだよ」と、言われた気がする。
気持ちはありがたいが、今の状態はもう絶食するしかないので、バナナは脇に置いておいたら、夫が1本食べてしまった。
添乗員さんに、「これは奥様にあげたものですよ」と叱られていた。それはそうだよね。結局いただいたバナナの残りの1本は懐にしまって、再びバスに乗った。
サラゴサは、マドリッドとバルセロナの中間点にある。まず、聖母ピラール教会に行く。この教会は世界で初めて聖母マリアに捧げられた教会だそう。
ピラールと言うのはスペイン語で柱という意味。ここで布教していた聖ヤコブの目の前の柱に聖母マリアが現れたという言い伝えがあるのだそうだ。この奇跡を記念して作られた教会なので大聖堂には太い聖母マリアの柱がある。このマリア像に触ると幸せになるか、天国に行けるか・・・そんな御利益があるらしく、みんな触ろうとするのだが、厳かに奥にいらっしゃるので、近寄れない。しかし、いつも人は何かしら考えるもので、このマリア像は柱の裏から触れるのだ。柱に長い年月で削られたへこみがある。
私は信心の薄い人間だが、長い年月の人の想いに触れてみたくてそのへこみを触ってきた。表に戻ると、マリア様はふだんつけているというケープを外して姿を見せていた。一ヶ月に一回だけ、ケープを外される日があるのだとか、どうやらそのありがたい日に巡り合わせたようだ。
教会を出ると、とても広いピラール広場。市庁舎の横からカテドラル、マグダレーナ教会などを回り、再び広場に戻って少し自由時間になった。ここのカフェのアイスがとても美味しいのだと、添乗員さんのお勧め。ついでにおトイレも借りて・・・とのことだったが、私は絶食中。残念。みんなで入って、トイレだけ借りました、ごめんなさい。
ピスタチオが特におすすめとかで、仲間たちは美味しいと言いながら食べている。いつかもう一度ここにきたら、食べようと決めた。
少しだけど自由時間があったので、お土産売り場を冷やかして歩いた。町の中にはアーモンドの花がピンク色に満開。気持ちいい。くだものも豊富に採れるのか、道にはみ出して盛り上げている店がある。オレンジや緑のバナナが山盛りだ。
ここサラゴサのマリアはスペインの人たちにとってとても大切な聖人らしく、スペイン中から人が集まるそうで、ケープをまとったマリア像が描いてあるお土産が沢山並んでいる。厚い板チョコが沢山並んでいるが、そのパッケージの色がとてもたくさんある。10種類は下らない。聞いてみるとそれぞれ味が違うチョコレートなのだそうだ。
パッケージをよく見ると『milk』『olive』『blueberry』などと書いてある。
持つとずっしり重いチョコレートは、いかにもおいしそうなので、何種類も買ってしまった。
自由に散策するのはどの町でも楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまう。
サラゴサの集合場所は教会の裏だったので、少し早めに回ってみた。エブロ川沿いに建つ教会と、その向こうに見えるローマ時代に作られたというピエドラ橋の姿がなかなか絵になる。少しだけ時間があったので、信号を渡り、川沿いの道から教会を眺めていると、ツアー仲間のカメラ好きの夫婦がやってきた。目的は同じらしい。私たちは交代で写真を撮り合ってから、急いでバスの待つ集合場所に向かった。
さぁいよいよラストの町、バルセロナに向かってバスは走る。3時間も走るのだが、私たちは思わぬ車窓の風景に大満足の旅となった。
行けども行けども、道の両側にピンクの大平原が続く。なんとも素晴らしい風景だ。この辺りはアーモンドの畑なのだそうで、ちょうど今が花の真っ盛り(写真)。
日本にこんなところがあれば、何カ所かに駐車場が設けられ、花見の観光客が押し寄せると思うが、ここには車を停めて花見をするという習慣がない。アーモンドは収穫のために植えている木であって、花が咲くのは豊作の姿、当たり前の姿、らしい。
潔いと言うのか・・・。
花見の宴などという、ちっぽけな人間の喧噪は影もないのがいい。
疾走するバスの中を、右へ、左へカメラを持って移動してはシャッターを押す。ピンクの海はどこまでも続く。しまいにカメラを置いて、ただゆっくりその風景を満喫するようになるのは、私だけではなく、ツアーの仲間が皆同じ。
長いバルセロナまでの道の途中で休んだドライブインは、広い駐車場を行くと、建物は高速道路の上にまたがって建っていた。高速道路の上の橋がドラブインになっていると言った方が分かりやすいのかな。
素晴らしい眺めに大満足でバルセロナに到着したのは夕方。今日はホテルで食事、しかも選べるメニュー。と言っても、提示されたいくつかのメニューの中からだけど。
メニューを聞いてもどんな物か分からないので、添乗員さんに聞きながら、何日か前に選んでおいた。
私が選んだのは、高級ソーセージとパスタのスープ、漁師風フィデウア、カタルーニャ風アーモンドプリン。
スープは高級ソーセージと銘打ってあるのにソーセージが入っていないと、誰かが言い出した。それでレストランの人に聞いてみたら、後から小皿に入ったソーセージがやってきた。
漁師風フィデウアと言うのは、パスタのパエリアだった。細い、焼きそばのような麺を2㎝くらいに切ったパスタを米の代わりに使ったパエリア。具はほとんど入っていない。漁師風というからムール貝などが入っているかと期待していたのだが、イメージとは違った。パエリアはやっぱりお米がいいなと、再認識しましたよ。
いずれにしても私はまだほとんど食べられないので、味見だけ。そうそう、プリンはおいしかった。
夫が選んだのはヒヨコ豆とツナのサラダ、タラのアリオリソース焼きとラタトゥイユ、ヘーゼルナッツのロールケーキ。
夫が選んだサラダには思わず笑ってしまった。大きなお皿に半分がヒヨコ豆のビル。サラダ大好きとは言っても、ヒヨコ豆ばかりこんなに食べられないよね。
しかもグリーン野菜のサラダが、何回続いただろう。私たちはもちろんだが、『お粥』の縁で親しくなったご夫婦の婦人も、夫の前のサラダを見て笑っている。
いくら好きでもね、この巨大な皿に山盛りの野菜サラダが毎日だとなんだか楽しくなっちゃうよね。「こんなことと分かっていたらスープにしたのになぁ」と、夫も苦笑。
それでも、タラとラタトゥイユも、ロールケーキもおいしいと、満足していた。
私たちのホテルは地中海沿岸に建っている。窓からは、海岸線の夜景が美しい。そして遠くに目をやると、サグラダ・ファミリアが小さく見えていた。
明日はいよいよあそこまで行く。
ようやく胃の痛みも収まってきたので、明日のバルセロナ散策を楽しみにして休むことにした。
さぁ、今日はいよいよ最後の都市バルセロナを歩く。昨日遅かったので、今日はゆっくり8時45分発。胃の方も収まったので、朝食を少し食べてバスに乗る。
バスツアーなのだから目的地まで何時間も走るのは当然承知の上なのだが、市内観光だけと言うのはやはり嬉しい。ホッとする。しかも今日の午後は自由時間。バルセロナの地図を見ながらとても楽しみにしていた。
まずはサン・パウ病院に向かう。
モンタネール(ドメネク・イ・モンタネール1850−1923)の作った建築。バスは病院の角を曲がってゆっくり走ったけれど、その広い敷地にびっくりした。
モンタネールはバルセロナの建築学校でガウディを教えていた人だそうだ。サン・パウ病院は老朽化が進み、現在は治療には使われていない。修復しながら一部公開もされているというが、私たちは外から眺めるだけ。落ちついたベージュの建物は優雅で華やか、とても病院とは思えない。モンタネールは、芸術には人を癒す力があるという信念を持って、この病院を建てたのだという。殺風景な薬臭いだけの四角い建物より、確かに癒されただろう。世界遺産になっている。
バスは病院の脇をゆっくり登っていき、私たちの次の目的地はグエル公園。ここも有名な世界遺産。
私たちは裏の高台の方から入場。広い広い。道路を歩いて行くと、ムシロ一枚に手作りグッズを広げた小さなお店が観光客相手に並んでいる。ん?ムシロは日本だけか、ビニールシートかな。なかには傘を広げた上に小物を並べたお兄さんもいる。たくさんの店を横目に見て、私たちは公園に入る。
森の中におとぎ話のお家のようなかわいい家が見えている。
でこぼことした自然の土柱のような回廊の脇を歩くと、ギリシャ劇場と名付けられた中央公園に着く。
その広さに圧倒される。
写真などで見ていたグエル公園のイメージとは桁違いの広さ。ここは、当初は60軒ほどの建て売り住宅街として計画されていた。けれど、売れたのは2軒だけ、それも、ガウディさんと、グエルさんだって。
さっき森の中に見えていた家はその1軒。おとぎ話に出てくるようなと言ったけれど、明るいオレンジ色というか、赤っぽいベージュというか、落ちついた色合いの壁が緑の屋根とともに森の中にあって違和感のない家だ。
あまりにも夢の世界だったのか、高級過ぎたのか、結局建物を建てるのは諦めて、公園として寄付されたのだ。でも、歩いてみると、彼らの生活への夢が随所に盛り込まれていて、こんなところに住んだら楽しいだろうなと思わせられる。
ギリシャ劇場はバルセロナが見おろせる高台にあり、とにかく広い真っ平ら。曲線に波打つベンチで周囲を囲まれ、カラフルな模様のタイルで装飾されている(写真)。ここは、グエル公園の中央にあり、周囲を取り囲む森はなだらかな起伏があって、この森の中に60戸の家が点在する予定だったから、住民の様々なイベントで賑わうはずだったのかな。
ゆっくり坂道や階段を下りていく。恐竜の腹の中に入ったような茶色のでこぼこ柱に支えられた道(写真)があるかと思うと、カラフルなタイルで飾られた空間がある。とにかく全体があまりにも生活感がなくて、当時の人たちもここに住むという実感を持てなかったのかも知れない。
珍しく、まっすぐなギリシャの遺跡を思わせる柱が林立する広場に出た。ここは市場になる予定だったという。これはうなずけた。でもよく見ると天井がユニーク。一つとして同じ物がないタイル画。ガウディは割れたタイルなども利用して作ったそうだ。モザイク画になっているから、それも可能だね。
そしてようやく会いました。大きなトカゲさん。グエル公園というとこのトカゲの絵が出ている。公園のシンボル。真っ白い階段の下にお出迎えするようにドンと座っている。迫力満点。このトカゲさんのいるところが正門というか、下の入り口になる。公園の案内図や、インフォメーション、トイレ、お土産売り場などもある。
人の流れが絶えないけれど、時間がゆっくりあったので、人の波が途切れた瞬間にトカゲさんと一緒の写真を撮った(写真)。何回か写真を撮り合ったご夫婦と交代で。
そしてここで、私たちは添乗員さんに頼んで、4人一緒の写真も撮ってもらった。今まで何回か旅行をしたが、一緒に写真を撮ったり、個人的に自己紹介をし合ったりしたのは初めてのこと。
見上げると建物の壁、屋根、装飾、様々なラインが全て曲線で描かれている。そして、カラフルと何度か言ったけれど、細かい装飾は確かにカラフルな色彩で描かれているが、全体的に白、ベージュ、茶などの色で統一された落ちついた広がりだ(写真)。
足元の緑はシダ類が多い。オオバギボウシのような葉も見えた。色々なシュロの仲間、大きな竜舌蘭のような多肉食物などが周囲にそびえている。
私たちは門を出て、公園沿いに道を登り、バスが待っている最初の広場に向かった。道沿いにはマーガレットのような黄色い菊の仲間が咲いている。
今回の旅では日本にもあるような草花、つまり私が名前を呟けるような花にあまり会えなかったと思う。
もちろんアーモンドやミモザ、それにアロエも、日本でも見られるけれど、どこの家の庭にも普通に咲いている花ではないかも知れない。
地中海と大西洋を隔てるイベリア半島の気候は日本とは違うんだと、花を見て今更ながら思う。
話は横道にそれるけれど、長野の北に位置する我が家の庭にはアーモンドの木がある。引っ越して来てすぐ、植木屋さんで見つけて苗木を買った。長野で咲くとは思っていなかった、と言うより日本では難しいと思っていたが、長野の植木屋さんで売っているということは、長野でも育つということ。実は無理でも、花だけでも近くで眺められたらいいと思ったのだった。
家の南側に植えた苗木は少しずつ生長し、昨年春にはいくつものピンクの花を咲かせてくれた。しかも、実も膨らんだ。私と夫は、インターネットで調べて、実を収穫し、我が家のアーモンドを味わった。ふふふ、3粒だけだったけど。嬉しかった。
さて話を戻して、グエル公園の散策を終えた私たちは市街に戻った。次はサグラダ・ファミリアに行く。
グエル公園よりさらに有名な、現在も建設中のガウディの教会。
アントニ・ガウディ(1852−1926)は、19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期の建築家、一目見たら忘れられない面白い建物をたくさん作っている。
その作品群が世界遺産になっているのだが、代表的なのがサグラダ・ファミリア、そしてグエル公園。
たくさんの観光客が訪れるので、バスは近くに行けない。私たちはバスを降りて少し町中を歩いて行く。
まずは、隣の公園から池越しにサグラダ・ファミリアの全景を眺める。正式には『(Temple de la Sagrada Familia)聖家族贖罪聖堂』、ここからの眺めも有名だから、人で溢れている。小学校の低学年だろうか、並んで歩いていてかわいい。集団で来ている。
池の水は茶色く濁っていたが、風が無いので、逆さサグラダ・ファミリアが映っている(写真)。
建設中なので、高いクレーンが何基もそびえている。重そうな機材をぶら下げているのも見える。
大丈夫なのかな、あの下に行くんだね。怖いね。日本ではきっと入場させないよね。などと感想を言い合って、いよいよその中へ向かう。
公園をグルッと回って近づいていくと、大きい。怒られそうだけど、茶色の土のかたまりのような建物だ。もちろん近くに行けば、一つ一つに細かい彫刻が施されているのが分かるのだが。
ここが正面なのだろうか、生誕のファサード前の広場にはガラスケースに入った完成模型が展示してある。
1メートルはゆうに超えている模型を眺めてから、私たちは入場列に並び、生誕のファサードから教会内に入る(写真)。
このファサードの『楽器を奏でる天子たち』の彫刻は日本人の外尾悦郎さん(1953−)という人が彫ったのだそう。何十年もここに携わってきて、今やサグラダ・ファミリアのアート・ディレクターに任命されたんだって。
説明を受けて天子の像を見上げて、それから中へ入った。人がすごい。教会内の厳かな空気というよりも、観光客のかき混ぜる賑やかな空気の方が勝っている。
それはそうかも知れない。観光客が多いので、その収益金で思ったより早く完成できそうだとのこと。2026年が、現在の完成予定らしい。1926年はアントニ・ガウディさんが亡くなった年だから、没後百年に完成するということになる。
中もまだあちこち工事中。森をイメージしたと言われる協会内部は、高い天井まで伸びた柱と、その間に施されたやはり高く見上げるようなステンドグラス。緑に青に、オレンジに黄色に、淡い光のグラデーションになっている。信仰心のない私の率直な感想は、昔読みふけったSFの中の空間か。さすがにステンドグラスは波打っていないが、様々なところに設けられた曲線や円の装飾がガウディらしい(写真)。
右の奥が正面の祭壇になるのだろうか金色の天蓋に守られたキリスト像が見える。大きいのだろうが、中が広過ぎて小さく見える。
左に進んでいくと、分厚く立派な『福音の扉』があった。この辺りはまだ工事中で、近くに寄れないため、展示してあったのはレプリカ。『新約聖書』の中から抜粋した、イエスの最後の2日間を記した文、文字にすると8000字が描かれている(写真)。
左右の扉が合わさる中央には装飾的な大きな文字が描かれ、その周りには細かい文字がぎっしり書き込んである。工事中で通れないが、こっちが正門になるのだろう。
私たちはグルッと回って、受難のファサードから外へ出た。ユダの接吻の像があり、彫刻や柱も他のような細かい曲線的な感じではなくどちらかと言うと平面的な感じ。
ユダの像の隣の壁に縦横4目ずつの正方形のマス目が彫ってあり、各マスの中に数字が書かれていた。縦横斜めのいずれも、四つの数字を足すとキリストの死亡時の年齢と同じ33になる。誰が考えたんだろう(写真)。
外へ出ると目の前に丸い屋根の赤煉瓦を積んだような長屋があった。かわいい。ガウディが建てた学校だって。建設従事者や、近隣の子どもたちのために建てたんだそう。こんなかわいい、キノコみたいな学校で勉強したら楽しいかな。
学校の向かいはお土産売り場があり、その脇から地下に下りられるようになっていた。地下は博物館になっていて、建設の歴史が写真で描かれていた。奥には、様々な模型も展示してある。ガウディはデザイン画を描かず、実際の建造物を見て作っていく方式だったらしいが、おもりを吊るして構造のバランスを見たという。そのたくさんのおもりを入れた袋がぶら下がっている模型などはすごい迫力だ(写真)。小さな模型で実験し、それを拡大し実際の建造物にする、考えただけでもすごい計算が必要だし、繰り返しては積み重ねていくエネルギーは並大抵ではない。
受難のファサードから正面にかけてはまだまだ工事真っ盛りで、足場がたくさん組んであったり、広く網がかけてあったりする。その下を通って正面の方に回る。中にレプリカが置いてあった福音の扉が遠く網の向こうに見えた(写真)。2026年にはこれらの足場や網がすべて取り払われて完成するのだろうか。なんだか、楽しみなような怖いような・・・。
サグラダ・ファミリアから出たあとはバスで市街地に戻る。ガウディの建築群として世界遺産に登録されている残りの建物は、車窓から見る。
山がテーマのカサ・ミラは、アパートとして建築されたという大きな建物。十字路の角にあって、各階のベランダなども全て曲線で描かれている。淡いクリーム色に、鉄の細かい細工の柵がアクセントになっている。屋上を見上げると、波打つ壁が確かに山を彷彿とさせる。
カサ・ミラの角を曲がって海に向かう道グラシア通りに進むとカサ・バトリョが見えてくる。こちらは海をイメージしているそうだ。確かに壁一面に淡く装飾されている絵は海底の海藻が揺れているように見えなくもない。
車窓からの見物をしながらカタルーニャ広場に着いた。ここで解散、この後は自由時間。ツアー旅行に参加しているのにこう言うのは申し訳ないが、やはり自由行動が一番嬉しい。たとえ目的地に行けなくなってしまっても、思ったような食事ができなくても、自分たちで考え、知らない町を歩いてみるのはいい。
自由時間にしたいことは三つあった。最初に昼食をかねて『クワトロガッツ』というカフェを訪ねることにした。この店は若きピカソも通ったというところ。店の看板にピカソの絵が使われている。
旅行前にガイドブックで調べていたので、地図を頼りに細い路地に入る。あった。
二人乗り自転車に乗った男たちの絵、クワトロガッツとは4匹の猫という意味だそうだから、どうしてこの絵が看板かよく分からないけど、動き出しそうな絵だ。そして、看板の下半分はかわいい花模様で、これも意外で面白い。
店の前で中をのぞく。混んでいる。入れないかなと思いながらよく見ると、一つの小さなテーブルが空いているのが見えた。
大喜びで入る。座ったけれど、忙し過ぎて店員がなかなか来ない。奥の方から中国語らしき声が賑やかにしている。隣のテーブルにもスーツケースを置いた中国人らしき人たちが座っている。ガイドさんが回ってきて、何やら説明しているようだ。団体さんが来ているから店員さん、大忙しなんだ。
ようやく注文を聞きにきた。夫はティーで、私は迷ってしまい、「今、忙しいんだよ。早くして」と、言われてしまった。スペイン語だけど、たぶんそう言ったと思う。あわててコーヒーを頼んだ。
昼時なので何か軽食もと思ったが、あまりお腹がすいていなかったので、ティータイムとなった。
丸い門のような入り口からのぞいた時は狭そうに見えたが、奥はかなり広かった。
運ばれてきたカップは真っ白い陶器で、『4GATS』と店名入りだった。観光客が集まる店なんだ。でも、ゆっくりお茶を飲んで、おしゃべりして、エネルギーを充電できた(写真)。
次の目指すところはサッカーチームの公式ショップ。サッカー好きの息子と孫にユニフォームを探すつもり。イタリアへ行ったとき、どこのチームのファンか分からないからと、お土産屋さんで売っているTシャツを買って帰ったら、ペロペロですぐ型が崩れてしまった。息子に「どこのチームでもいいんだよ、サッカーなら」と言われたので、ミュンヘンではよく知られたチームのTシャツを買った。孫は気に入って着ていた。それで、今回はバルセロナの有名なチームのユニフォームを買って帰ろうと考えていた。
現地ガイドさんに聞いたら「旧市街の奥に小さなショップがあったけれど、今もやっているかは分からない」とのこと。地下鉄に乗って少し離れたところのスタジアムに行けば確実というのは調べていたが、自分たちがサッカーファンという訳ではないので、自由時間全てをそれでつぶしてしまうのはいやだった。
教えられた旧市街をずんずん歩く。ここはライエタナ通り。落ちついた茶色の建物が続く。しばらく行くと、工事をしている。真ん中に銅像が立っている。ここは王宮。その先の細い道を右に入って少し行くと、あった。『F.C.バルセロナ』のショップ。新しいデザインのユニフォームがあったので、孫のお土産にと、サイズを選んだ。思ったより高価だったので、孫の男の子二人分だけにした。
これで、二つの目的を果たしたので、満足。最後の目的は市場をのぞくことだから、ホテルに帰る前に行けばいいだろう。それまでは、ゆっくりバルセロナを楽しもう。
サッカーの店の前をちょっと行くと小さな広場があった。サン・ジャウマ広場。そこから奥へ細い道が続いていて、カテドラルの脇に出るらしい。とてもおしゃれな道なので歩いて行くと、観光客が多い。途中2階に左右をつなぐ回廊があり、細かい彫刻が施してある。歩いてくる人たちはこの辺りで記念写真を撮っている。私たちは調べてこなかったけれど、どうやら観光スポットらしい。
この細い道を抜けると大聖堂前の広場に出る。バルセロナの教会と言えばサグラダ・ファミリアがあまりにも有名だが、こちらはバルセロナの守護聖人サンタ・エウラリアを祀る、大聖堂。13世紀の終わり頃から建築が始まって150年くらいかけて建てられたというゴシックの落ちついた教会だ。
司教が座るイスを持つのが『司教座聖堂』、つまりカテドラル(大聖堂)と呼ばれる教会なのだ。ヨーロッパ旅行をしていて、何度か聞いたが、自分の生活に密接に関わってないのでなかなか覚えられない。
私たちは教会よりも、この広場の向かいにある、ピカソの壁画を見たかった。建物の2階部分の壁全体がピカソの線描画になっている。柔らかい曲線で描かれた人たちが踊り出しそうだ。そこからさらにいくつか角を曲がって細い道をたどっていく。
またもや教会の前に出た。小さな四角い教会で、塔はないが入り口はカテドラルとよく似たデザイン。たくさんの人たちが教会前の小さな広場にいて、出たり入ったりする人も多い。あとで調べたら、サンタ・マリア・デル・ピ教会というところだそうだ。
とてもシックなこの教会は14世紀に建てられた歴史ある建物らしい。
教会前の道を斜めに入っていくとやがて賑やかなランブラス通りに出る。広い道路の一角にミロのモザイク画がある。
モザイク画を踏んで、通りをゆっくりカタルーニャ広場の方に戻りながら、最後の目的地サン・ジュセップ市場に向かう。
通りにはたくさんのお店が出ていたが、花屋さんが多く、明るくカラフルな花々が並んでいた。サボテンや観葉植物などの大きなものがあったが、日本でも人気らしい、ミニサボテンの鉢も並んでいた(写真)。
絵はがきや小物の店も見るのが楽しく、孫へのお土産を買ったり、冷やかしたりしているうちに市場の入り口に着いた(写真)。
おしゃれなマークがある入り口を入ると色の洪水に飲み込まれた。とても広いが、人も多い。私たちの目的は今日の夕食だが、見て歩くだけでも楽しい。お菓子、フルーツ、野菜、海産物・・・ところ狭しと並べられ、盛り上げられている品物がとても美しい。センスがいいんだ。ナッツのお店や、ハーブのお店、売っている人の元気な声と「ほら、味見しな」というざっくばらんな姿もいい(写真)。
たくさんのアイスが並んだ売り場を発見、ひと休みとばかり、さっそく購入。アイスを食べながら、混み合う市場から通りに出て、のんびり散策(写真)。
アイスを食べて満足したあとは、再び市場の奥の、海産物と総菜などを売っているエリアに向かう。美味しそうな物がたくさんあって目移りするが、1パックの量が多い。なんとか食べられそうな魚介類数種類のフリットがまとまっているパックを買う。
買物に満足して、カタルーニャ広場に戻り、角に立つ『エル・コルテ・イングレス』デパートで今日の飲み物を選ぶ。やはり、カヴァにした。
買物を済ませると、タクシーでホテルへ。
バルセロナのタクシーは華やかな黄色と黒のカラー。運転手さんがどこから来たのと聞いたので日本ですと答えると、彼は「僕は日本語が話せるよ」と英語で言う。首を傾げていると、なんだかハンドル横の機会を操作している、どうやら翻訳機。彼が何か言うと、その機会が日本語を話した。「ね?」と、嬉しそうな運転手さんに、みんなで大笑い。陽気でいいなぁ。
楽しく地中海のほとりを走っているうちに、タクシーはすぐホテルに着いた。
部屋に荷物を置いて、私たちは散歩に出た。地中海の海岸を少し歩いたところにスーパーがあるので、そこまで散歩がてらの買物。
ホテルの直ぐ近くの公園に大きなシュロの木があり、なんだか賑やかな鳥の声がする。黄色い房のような物が木のてっぺん中央から垂れ下がっているが、花か実なのだろう。それをついばんでいるように見える。きれいな緑色の鳥だ。竹色というのか、明るい緑一色で顔が真っ赤、太いくちばしは黄色。インコのような形のくちばしだ。大きさはヒヨドリをちょっと大きくしたくらい。とてもきれいな鳥だけど、鳴き声はがちゃがちゃとうるさかった(写真)。
スーパーは大きくて現代的。日本に持って帰るワインを買おうと思って、売り場に行ったら、その広さにびっくり。スペインはワインの名産地で、地域毎に特徴のあるワインを作っているようだ。大きな地図を色分けしてその地域毎のワインの棚がずらりと並んでいた(写真)。
1月にスペイン旅行をした友人から「リオハというワインが美味しいから、飲んでみて」と、アドヴァイスをもらっていたので、リオハを探したが、なるほど有名らしく、リオハのワインは棚何個分かずらりと並んでいる。
もう、あとは値段と、ラベルを見ての印象で買うしかないね。
買物を楽しんで、帰りは地中海の海岸を歩いてみることにした。
地中海!明るくて、透明な青い海と、白いビーチ、海沿いの斜面に建てられた白い建物・・・、そういうイメージだ。
私たちのホテルとビーチの間には大きな道路が横切っているが、所々に道路を越える橋が架かっている。
私たちは橋を渡って浜に下りてみたけれど、全体にどっしりと暗い感じだった。やっぱり冬だからかな(写真)。
ホテルに戻ると、入り口のところにサッカーチームらしい団体が歩いている。練習のあとのようなユニホーム姿でホテルに入っていった。監督みたいな人もいた。近くにグラウンドがあるのだろうか。
私たちも彼らのあとからホテルに戻り、スペイン最後の夕餉を楽しむことにした。
市場で買ってきた魚介のフリット、おいしいパン、カヴァのスパークリング。日本から持ってきて食べなかったカップ麺や、おつまみせんべいも並べて賑やか、賑やか。
窓の外を見ると、少しずつ暮れていく地中海が見える。
そういえば、ガイドさんが水道局のビルは週末だけライトアップすると言っていた。今日は金曜日なのでライトアップされるはずと。でも、スペインの人たちはいいかげんだから、忘れられるかも知れないとも言って笑っていたけれど。
窓の外が暗くなったので、見ると、青くきれいな光で輝いていた。水道局のビルは先が丸く縮んだ円筒形のような高い建物だが、全体に青く、そして所々に白と赤が輝きを添えていて、目立っていた(写真)。
そしてその左奥にサグラダ・ファミリアも金色にライトアップされて、スペインの最後の夜に彩りを添えてくれた。
いよいよ最後の日。起床4時、出発5時という早朝出発なので、今日の朝食はお弁当、ピクニックスタイルと言うんだって。起きると同時に届けられたお弁当は、30㎝もありそうな大きな箱。
中にはサンドイッチ、リンゴ1個、水のペットボトル、ジュースの紙パック、そしてチーズがゴロゴロと入っていた(写真)。
バルセロナのプラット空港に行くと、まだ空港内のショップは閉まっているところもある。搭乗を待っているうちに開いてきた。空港にF.C.バルセロナのショップがあったので、孫たちとお揃いで息子にもユニフォームを買うことにした(写真)。ユーロが残っていたこともあるが、やはり最後の日は気持ちがおっきくなるのだろうか。
ブリテッシュ・エアウェイズ477便でロンドンに向かう。2時間半ほどの予定。機種はAirbus A320機。
飛び立つと眼下に地中海、そして遠くにモンセラット山がくっきりと見えている。ぼこぼことしたユニークな山容は高速道路からも目立っていたが、ガウディもこの山からインスピレーションを得たそうだ。
旋回してイベリア半島の上をしばらく飛ぶと、雲の下に真っ青なピレネー山脈がよく見えた。山頂部分は真っ白い雪に覆われている。迫力あるピレネーの山なみはとても近くに見えた(写真)。
ヒースロー空港に近づくと、来た時は夜だったので、あまり見えなかったが、今度は昼、窓からロンドン郊外がきれいに見おろせた。
緑の広がりや、生け垣が囲っている様子がよく見える。ロンドンの中心地らしい市街地も見えた(写真)。
今日も空港は混んでいるのか何回か旋回してから着陸した(写真)。
ターミナル3に到着、すぐバスでターミナル5に移動。確か来たときゆっくりしたのはターミナル3だったから、あのとき見たデパート『ハロッズ』はないんだ。
という訳で、帰りにチャンスがあったら買おうと思っていたトートバックは買えなかった。
イギリスはEU加盟国だけれど、通貨はユーロではなくポンドなので、空港内の店ではユーロでは買物できない。だが、コインは使用できないけれど、札なら使えると添乗員さんに聞いていた。パブ形式のお店に並んで飲み物を買ったら、お釣りはイギリスのコインだった。ユーロは札以外は無いってことなんだ。
今回の旅で親しくなったご夫婦と住所の交換をした。笑い話が一つ。名刺を交換したのだけれど、ご主人が「名刺が1枚しかなくて、ヨレヨレだけど・・・」と言って、裏に住所やアドレスを書いて後で渡しますと言う。空港で待つ間に私が「ヨレヨレできました?」と聞いたものだから、奥さんが「えっ?ヨレヨレって何」。説明して彼が名刺を出したとたん、奥様大爆笑。 「ほんとにヨレヨレだ」。
このご夫婦は、4月に善光寺さんのご開帳に行く予定と言うので、そこで再会を約束した。 (後記:無事善光寺御開帳で再会、わが家でティータイムを楽しんだ)
なかなか乗り換えの搭乗ゲートが表示されないので、私たちは来たときと同様、空港内をぶらぶらしてはまた集合場所に行ってみるという感じで時間をつぶした。
ようやく日本への便のゲートが表示され、そのゲートに向けて、再びバスに乗って移動した。
セキュリティーはやはり厳しく、何故かピーピーと警戒音を鳴らしている人が多い。それでも無事に全員通過して、ずらりと並んだセキュリティーチェックの列から解放された。
帰りの便はブリテッシュ・エアウェイズ5便、Boeing777-300、大型機。
タラップを登って機内に乗り込んで、あとは成田までのんびり時間を過ごすだけ。席周りを整えて待っているけれど、なかなか動かない。何回かアナウンスが入り、二人の名前を呼んでいる。この便にお急ぎくださいと言っている。日本人名前だ。
人事ながら心配していたが、私たちの斜め前の席が二つ空いたまま。今日は満席と言っていたから、あそこの席の人たちがまだなんだね。夫とそんなことを話していたら、飛行機内部にアナウンスが入った。「お客様の荷物を下ろす作業をしているので少しお待ちください」というもの。ついに彼らは現れなかったんだ。
添乗員さんが言っていた、乗り遅れることがあるという話を実際に見てしまった。遅れた人は大変だなぁ・・・、やはり慣れていないと、あの短い時間で搭乗ゲートまで移動するのは難しいのだろう。
ついに機は離陸して一路日本に向かった。
少し遅れて昼に飛び立った飛行機は、ユーラシア大陸を東へ東へと飛び、行くときより早い11時間あまりで成田に到着。偏西風に乗るから、帰りは早いのかな。ロシアの上空から雪で白く化粧をした山々を見おろしているうちに地球はだんだん暗くなって、私も少しうとうとした。
そして気がつくと、日本はすぐそこだ。
とても順調な飛行だった(写真)。
さて、成田に着いて長野までの切符を買おうと、JRの窓口に行く。「指定席買えるかね」などと話しながら案内ボードを見上げるが、長野新幹線の表示が無い!
夫は焦って「長野新幹線はここでは買えないのかな」と呟きながら、何度も見回している。私も焦ったけれど、ふと見ると『北陸新幹線』の表示があった。
そう、私たちが旅をしている間に北陸新幹線が開通したのだった。
3月14日開通という表示を横目に見ながら出発したのだった。帰国は3月15日、開通したばかりだから指定席が取れないかも知れないとの危惧は無用で、私たちは『かがやき』の指定席を取ることができた。
東京までは成田エクスプレスで。東京駅でお弁当を買って、初めての『かがやき』に乗る。早かった〜。東京、上野を出て、大宮に停まると、あとは長野までノンストップ。お弁当を食べているうちに長野に着いてしまった。
やはり前日に開店したばかりの長野駅の駅ビルの喧噪を通り過ぎて、私たちは家路についた。