◼︎ ツアーもいいぞ |
◼︎ 飛行機の中の過ごし方・一日目 |
◼︎ 森の恵み・二日目 |
◼︎ 国から国へ・三日目 |
◼︎ フィヨルドは大きい・四日目 |
◼︎ ストックホルム・五日目 |
◼︎ ストックホルムからバルト海へ・六日目 |
◼︎ トゥルクの古城・七日目 |
◼︎ ムーミンワールドで遊ぶ・八日目 |
◼︎ 北欧にさよなら・九日目 |
◼︎ 成田で・十日目 |
スイスアルプスの旅を終えて、しばらくは放心状態になっていた。毎朝決まった時間に起きて、支度をして出かける。ドアに鍵をかけて、庭を見る。夏から秋へ、少しずつ高くなっていく空を追いかけるように、背伸びをしていく皇帝ダリアに声をかける。いつもの道を、駅に向かって歩き出す。何も考えていないのに足が勝手に動いて、いつもの駅で乗り換え、勤務地に着く。
そして、いつものように仕事をしているのだが、ふと手を休めた心のすき間に、アルプスの風景が忍び込んでくる。自分でも気がつかないほどの、わずかな隙間を上手に見つけて、アルプスの空気が流れ込んでくる。あの、白と青のコントラストがまぶしい、どこまでも続くアルプスの山並み。ふわふわ落ちてきて靴の上に模様を描いていく真夏の雪。あまりに大きくて、そっくり返って眺めても、歩きながら眺めても、ぜ~んぜん変わらない、雄大な氷河の流れ。真夏なのに高い、高い、青く透明な空と、花々の小さな、小さな色のダンス。そして、時間を忘れて、ふるえながら眺めていた、日の出のマッターホルン。輝きだす瞬間の光の饗宴。
充分と思いながら日々を過ごせたらどんなに幸せなことだろうと常日頃思っているが、日常は様々なひっかかりについ乱されてしまうことがある。
だが、スイスアルプスで過ごしたわずかな時間が、自分の心にいつまでも充ちている。大きな広がりで残っている。
そして…、その幸せな気分が、少しずつ凝縮してきてストンと落ちたような感じで、次はどこへ行こうかという言葉が出てきた。 スイスへの旅から1年以上経っていた。
またまた我が家の夕食時の会話が海外旅行の行先について盛り上がった。話題になるのは、いつも同じ。ヒースの丘のイギリス、不思議な文化のインド、ドイツ、音楽のオーストリア…。
そしてなぜか、今回もあれっという感じで北欧に決まった。決めたというほうが正解、でも気分は決まっちゃったね、という感じ。私たちって「あっちはどうか?こっちは?」と、いっぱい話しているのに、なぜかその時たくさん話しているところじゃない行先を急に決めるね、と笑いあった。しかし決まってしまうと、そこしかなかったんじゃない、というくらい迷いがない。
私たちは休日に時々山歩きをする。どこの山に行こうかと話すときも、似たような経過で決まることがある。
今度の休みは山に行こう、どこの山にしようかと話し合う。それまでに行ってみたいと思っていた山の中から、季節や、時間や、体力や、いくつかの条件に合いそうな山を選ぼうとする。いくつか候補をあげて夕食時に話が弾むのだが、その時あまり話に上がってこなかった山に出かけることがよくある。
その山も、もちろん、いつも心のどこかには引っかかっていて、過去には何回か話してもいるのだが、そのときはあまり話題になっていなかったところだったりする。
とは言うものの、その決まり方で落ち着いて満足できることが多いからいいとしよう。
さて、北欧と決まってさっそく前回満足度の高かった旅行会社に出かけてみた。ツアー旅行ではあるが、私たちはできるだけゆっくり一つの場所を楽しみたい。そして自由時間があるとうれしい。前回は、2連泊で移動し、最後にツェルマットで1日自由時間があったが、さらにどこへ行っても、次の集合時間までは自由にどうぞというスタイルだったので、とても過ごしやすかった。
今回、行先についてはフィヨルドと、フィンランドの森が含まれているコースを探した。北欧と一口に言っても縦に長い三つの国とデンマーク合わせて4カ国だから、10日くらいの旅程ではとても回りきれるものではない。しかも、私たちの仕事との兼ね合いで行ける日も決まってくる。しかし、フィヨルドを自分の目で見てきたい。そして森と湖の国フィンランドの森の空気を肌で感じたいという、湧き上がってくる思いはいくつもある。ツアーのパンフレットを見ると、10日間程度で4カ国を回る旅はとても忙しそうだ。フィンランドの森をゆっくり歩けない感じなので、3カ国を回るツアーを検討した。フィヨルドと森が合い言葉。
私たちはあまり欲張らない。世界遺産だから、何が何でも立ち寄るとか、1日の中で目一杯たくさんの場所を見て回るとか…そういう旅を望む人もいるだろうが、私たちは違った。できることなら、滞在したいくらいだ。小さな街でも、有名じゃない都市でもいい。その土地で暮らす人々がどんな歩き方をしているのか、どんな声で話をしているのか、どんなお店で買い物をしているのか…そんな空気を感じたいのだ。ツアー旅行で訪ねることができるところなど、おおよそ決まった場所になってしまうことは分かっている。ちょっと訪れた異邦人にすべての扉を開いてくれるはずもないだろうが、そのようなことは逆に何年滞在していても難しいことなのかも知れないと思っている。
旅行会社に行く前に、パンフレットのツアーの案内を見て、これ!と思ったものを申し込んだが、集客できないとのことで、成立しなかった。自分たちの仕事優先だが、やはりツアーの内容もある程度は満足できるものがいいに決まっている。私たちは、一応第3希望まで選んでいたのだが、結局成立したのはその第3希望のツアーだった。このツアーは空港集合時間が朝早い。私たちには前日の夜予定が入っていたので、なるべくなら違う日に出発のツアーに参加したかった。
しかし、まぁだいたいそんなもので、できればそうならないでほしいなぁなどと思っていると、なぜかその方向に引き寄せられるものだ。というわけで、結局そのツアーで行くことになった。そうと決まれば、そのように動くだけ。前日の用を済ませたあと、どのようにしたら、一番動きやすいか、いろいろ迷った挙句、成田エクスプレスの始発駅の近くにホテルを予約することにした。前日夜の用が終わったら、ホテルに泊まり、翌朝そこから出発する。自宅と前日の用がある町との中間地点に成田エクスプレスの始発駅があったので、家から旅行の支度をして出発、まずホテルに落ち着いて荷物を置き、そこから用のある都市に向かうことにする。自分で年寄りというには少し早い気がするが、早起きしてすぐ行動体制に移る機動性みたいなことは微妙に苦手になりつつある。前日にホテル1泊で、まずまずの予定となった。(地図)
それにしても第1第2希望の予定がどちらも集客できなかったということは、北欧ツアーの人気がないのだろうか。私たちは第3希望とはいえ実施できることになったのでほっとしたが、北欧に行きたい人が少ないという先入観を持ってしまった。
ところが、実際に行ってみて、日本からの観光客の多さにびっくりすることになったのだった。
成田に着くとツアーの添乗員さんとあいさつする。そして、渡航先の貨幣に両替する。スイス旅行で空港に到着したときはもう夕方で店がしまっていて、自動販売機ではコインしか使えず困った。しかし、成田ではもちろん細かい金額の両替はできない。今回最初の訪問国がフィンランドだったので、前の旅行の時に残っていたユーロコインを忘れずに持って行った。ファインランドはユーロ圏になっている。そして、次に訪ねるスウェーデン、ノルウェーのお金も両替した。この2カ国は、ユーロではなく独自のクローネという貨幣を使用している。今回知ったのだが、スウェーデンもノルウェーも、同じクローネという単位だが、異なる貨幣なのだということ。でも見た感じが似ていた。添乗員さんも間違いやすいですよと、話していた。
両替するときはつい不安になり、少し多めに両替してしまう。買い物をしたいときにお金がなかったらイヤだなぁと考えてしまうのだった。しかしツアーで旅しているので、実際はあまり必要がなかった。現金での支払いは、食事の時の飲み物代くらい。ほとんどの買い物はカード決済ができる。絵はがきや切手、スーパーでのちょっとした買い物などを現金で支払ったが、北欧ではほとんどチップも必要なかったのでお金が残り、帰国時に空港でむりやり何か探して買い物をしてしまった。
さて、お金のことはともかく、私たちの乗るフィンランド航空の飛行機に話をもどそう。前回スイスに行った時は成田で手続きをした後ずいぶん時間があって、軽い食事をしたりカップラーメンを買ったり、空港内をうろうろしたような気がする。今回も添乗員さんに「機内では二回食事が出ますが、そのあと向こうでは食事がないので夜までにお腹がすくかもしれません。心配な人は何か食べられる物を用意するといいですよ」とアドバイスをもらった。日本を発つのは昼ごろなのだが、ヘルシンキに着くとそこは6時間遡ってまだ午後の早い時間になるのだった。
経験が少ないので、そういうことはすぐ心配になってしまい、私たちは出国手続きをしたあと、おにぎりや飲み物などを買い込んだ。空港内は電車のターミナル駅より広々としているが、人の動きはゆっくりしている。飛行機は搭乗までに時間の余裕があって人の集まりも集中しないからだろうか。東京駅や渋谷駅、新宿駅などはどっと同じ方向に人が動いてまさしく波のように感じる。私たちは人の動きに流されもせず、逆らいもせずという感じで、小さなワインのボトルやおにぎりなどを買った。そうしているとすぐ時間が経って、あっという間に飛行機の中にいたのである。
フィンランド航空で、成田からヘルシンキのヴァンター空港まで約10時間30分の飛行。機内では、中央の4人並びの座席だった。窓からの景色は見えないが、通路側に夫、その内側に私、そして私の隣には別のご夫妻らしき外国人の二人連れがいらしたが、彼らは向こう側の通路に面しているので、動きたいときに互いに遠慮はない。自由に動ける感じがあり、これでいいよねとうなずいた。窓側でも、3人の席だと離席のたびに通路の人にも立ってもらわなければならず、落ち着かない。逆に自分たちが通路側でも、窓の人が遠慮しているのではないかと気を使う。飛行機の中で過ごす時間は長く、眠ることも多いので、自由度の高い席がうれしい。窓側の二人席はとてもよいのだが、ジャンボの場合、あまりない。
さて、離陸するとまもなく機内食となる。1回目は、パスタと焼きそばの麺類から選択 のメニューだった。夫はパスタ、私は焼きそばを頼んだ。赤ワインをつけて。フィンランド航空の機内食は、ワインをお願いすると、小瓶一本くれる。私と夫は1本ずつ赤ワインをいただいた。パスタはいわゆる麺ではなく、少し硬めの小麦団子のような物だったが、チーズの効いた味がワインにぴったりだったので、夫は大満足。私がいただいた焼きそばの方は、麺が柔らかすぎて私のイメージとは違っていたが、味はまぁまぁで、機内食ではまあこんなものかという感じだった。
私は飛行機が怖いので、長いフライトの時は自分を持て余してしまう。うまく眠れればよいのだが、今回は昼の出発だから少しも眠くならない。機内用に推理小説も持参したがなかなか集中できない。中央の4人かけの席は落ち着いてはいるのだが、窓の外を見て気をまぎらすことができない。
ところが今回は機内サービスにゲームを発見した。日頃テレビゲームの類はまったくしないのだが、カードゲームとシャンハイゲームがあり、コンピューターと勝負しているうちに時間が経った。これはありがたかった。これらのゲームは、音もうるさくなく、自分のペースで取り組めた。ゲームも使いようなのだと思った。
安定して水平飛行を続けている間、雲もあまりなく、時折立ち上がって窓から下を見てみた。ロシアの上空を飛んでいるのだろう、深い森のような世界、湖や河らしきラインが見えた。一度海岸線と波のような白い筋が見えたのだが、はたして海岸だったのだろうか。広い湖だったのかもしれない。飛んでも、飛んでも同じ大地の上である。
ヘルシンキの国際空港であるヴァンター空港までは10時間半ほどの飛行と聞いていたが、とてもスムーズに進み、10時間弱で着いた。前回スイスアルプスへの旅のときは、ミラノのマルペンサ空港までの直行便、12時間はかかったと思う。平たい地図を見慣れているので、フィンランドのほうが遠いように錯覚しているが、地球は丸いので、実際の距離はヘルシンキまでのほうが近い。ちょっと考えてからうなずく。だまされたような気もする。
ヘルシンキの上空は雲が出ていた。代わりやすい天候で雨の可能性もあるとのこと。なんでもかんでも雨が嫌というわけではないが、観光でゆっくり歩きたいときには雨に遠慮してもらいたいというのが正直な感想である。
空港を出るまでがなかなか大変だった。どこを見ても日本人。ツアーガイドの持つ小さな旗があちこちにひらひらしているのだが、それがみんな日本の観光会社のマーク入り。しかも、私たちが参加している会社の旗が3旗くらいはためいている。ここは乗り換え便の基地空港だった。同じ便で来て、ヨーロッパ各地に発って行くらしい。ガイドさん同士で情報を交換しているのか、あちこちで旗が近づいたり離れたりしていた。40人近いツアーの団体もあるらしく、首を伸ばして左右に目を光らせている添乗員さんもいる。
ツアーの仲間が集まったところから入国手続きをして外に出る。長い列で順番を待つ。私たち夫婦は、ここで過ごす時間の一瞬一瞬が新しい経験になるという思いがあって、興味津々周りを眺めていたので、順番待ちも苦にならなかった。中にはイライラしてしまい、「どうなってるの」「なんとかしなさいよ」と、強い口調で添乗員さんに話しかけている人もいる。やっと到着したのに長い行列、イライラする気持ちもわからないではないが、周りの長い列、列の先の窓口の様子を見ればわかることだし、フィンランドの空港のシステムを日本の1観光ガイドが動かせるものでもないと思えば、なんだか添乗員さんがかわいそうになってしまったりする。
せっかく日常と切り離されて、この時間すべてが自分の時間なのだから、どんな瞬間も楽しみの魔法をかけてしまえばいいのに…。とは言うものの、人は一人ひとり違うこともまた事実。
さて、空港を出ると、待っていた観光バスに向かった。大きな荷物をガラガラひきずりながら何となく行列になって歩く。何台かバスが止まっているところに近づいていくと、駐車場の端のほうにパトカーらしき車が止まっているのが見えてきた。そして、そのパトカーの隣りが私たちの乗るバスだった。パトカーの周りには数人の警官が立っていた。のんびり話しながら立っていたので、非常警戒というようなものではなく、たまたま停車していただけらしいのだが、私たちツアーのみんなはバスの中からパトカーの写真を取ろうとして、「撮ってもいいのかしら」「機密が漏れると、怒られるかな」…にぎやかである。日本にいる時はパトカーを見るとなんとなく早く消えてほしいと思ったりするが、外国のパトカーというだけで、子どもに返ったように喜んでいるのである。子育てのころは、パトカーだ、救急車だ、消防自動車だと、見つけるたびに子どもの真剣なまなざしを見せてもらうことができた。今は孫がその年頃になっている。もちろん私たち夫婦も孫に見せてあげようと、フィンランドのパトカーの写真を撮ったのだった。
パトカーのおかげで和んだ空気を載せて、バスは一路ヘルシンキの街を目指した。今日はまっすぐホテルに入る予定である。途中車窓を雨が叩いた。窓外を見る私たちの心は暗~くなる。1日目の雨に、気分は落ち込みがち。私たちツアーは16名の構成、添乗員を加えて17名、これから3カ国10日間の旅を共にすることになるのだが、まだお互いに話もしていない。成田からはそれぞれが飛行機に乗り、ヘルシンキ郊外のヴァンター空港で初めて集合した。荷物を持ってバスまで歩く間も、旅の1日目なので自分たちの心身の調整と荷物の確認などで精いっぱい。周りの人と親交を温める余裕はない。
初日なので、バスの中で現地ガイドさんのあいさつがあり、明日の計画についても話してくれた。私たち夫婦の今回の旅行の一つの目玉は明日の国立公園ハイキングである。最近のフィンランドは雲が多く代わりやすい天気だそうで、明日も雨の可能性が高いとのこと。「ハイキングが雨だったらちょっとがっかりだね。晴れなくてもいいから、雨粒は落ちてこないでほしいです」。祈ると言うほどの祈りの対象を持たない私たちだが、お互いに会話の形でつい望みを語り合っていた。
バスがヘルシンキの街に近づくにつれ、いくらか気持ちにゆとりが出てきた。そして気がつけば雨もやんでいた。添乗員さんはホテルの近くに地下鉄の駅があること、大きなスーパーマーケットがあることなどをガイドしてくれる。そのアナウンスを聞きながらあちこちの座席で会話が始まり、私たちのところにも漏れ聞こえてくる。ちょっと落ち込んでいた気分が、具体的な動きを思い描くことで盛り上がってくる。一緒に旅をする人たちの声も聞こえてくると、なんとなく親しみもわく。私たちも地下鉄に乗ってみようかと、もらったヘルシンキの地図を眺めた。
ホテルの場所や、行ってみたい中央駅の場所を眺めているうちにバスはホテルに着いた。部屋に入ると、テレビモニターに「Welcome. Dear Noriaki Kanebako….」と、歓迎メッセージが出ていた。名前が書いてあるところが嬉しい。
二連泊なので、部屋に落ち着いて荷物をほどき、ほっと一息つく。でも、まだ真昼の明るさである。確か今日は早起きをして成田に向かい、機内で昼夜分の二食を食べた。もう食事は出ない。確かにこれでは眠るまでにお腹がすく。
「添乗員さんの言うとおりにおにぎりを買ってきて大正解だね」
「でもさ、あそこのスーパー、大きいよ」
「絶対何か食べるもの、あるよね」
「食べるものが買えるんだ!」
「おにぎりにする?当地のパンか何か、買ってみる?」
この日は金曜日になるので、スーパーマーケットは7時くらいまでは開いていると、バスの中でガイドさんが言っていたことを思い出して、私たちは苦笑した。
ちょっと休んだ後、さっそく地図を片手に出かけることにした。食べ物はどうしたかって?出かけた先での気分任せにしようってことになったのです。
まず、ホテルの前の大通りを渡る。広い片道三車線ほどの通りを、信号のない横断歩道で渡る。しかし見通しの良い道の両側に信号があり、走ってくる車がよくわかる。私たちは難なく道を渡り、スーパーマーケットに向かった。とても大きな店舗らしいが、どうもこちら側は裏手に当たるらしい。重いガラスの扉を開くと通路とエスカレーターがあり、その奥の内扉を開いてお店の中に入る。厳重なようだが、これは冬の厳しい寒さに対応するためなのだろうか。一階は小さな専門店の集合らしい。喫茶、生花、服飾…一部開かれているホールのようなところを通るとその奥は通路の両側に専門店が続いていた。私たちはスーパーマーケットを通り過ぎた所にある地下鉄の駅を目指す。
ところが、バスの中で気楽に聞いていたのと、地図が大まかな案内だったこととで、地下鉄の駅が見つからない。「大きなスーパーがあって、そこを通り抜けると駅があるって、ガイドさんが言ってたよ」と話しながらスーパーマーケットを素通りして、反対側の道路を行ったり来たりした。通り過ぎたところの道路も広く、大きなスーパーマーケットは二本の広い道路に挟まれたようなところにある。反対側はこのスーパーマーケットの表玄関のようで、ベリーやキノコを売る出店や、もう店じまいしていたが大きなアイスクリームの看板が立ててあった。
まず、道路を右にしばらく歩くが、地下鉄らしき看板は見えない。見つからないまま散歩をするというのも悪くはないが、今回を逃すとヘルシンキでの自由時間はないと考えるとやはり地下鉄に乗って移動してみたい。私たちは回れ右をして、今度はさきほどのスーパーマーケットを通り越して左側に進んだ。しかし行く手に大きなビルが見えるので違うかなと思い、もう一度振り出しのスーパーマーケットに戻ってみた。出発点が違うのかもしれない。「スーパーを抜けるとすぐ地下鉄の駅がある」という言葉のみ記憶しているのだからしょうがない。右、左、奥などの方向を示す言葉がないのだ。そこで店舗の外でベリーを売っていたお姉さんに聞くことにした。こう書くと簡単に聞こえるが、言葉に自信のない私たち、しかもここはフィンランド、言葉はフィンランド語である。おずおずと片言の英語で聞く。彼女は自分も英語が苦手というようにはにかみながら、教えてくれた。左にもう一歩、歩いていれば見つかったところに駅はあった。ベリー売りのお姉さんはとても素敵な笑顔で見送ってくれた。私たちもうれしかったが、彼女も「通じた」というかのようにうれしそうに見えたのは、勝手な解釈だろうか。
ようやく駅にたどり着いた。「Ruoholahti」(フィンランド語)「Gräsviken」(スウェーデン語)と、二カ国語で駅名が書いてある。切符を買う。キオスクに売っているとは聞いていたのだが、改札口の売店なら当然あると思って、おじさんに地下鉄の切符2枚と言ったら奥の方を指さして「キオスクで売ってるよ」と教えてくれた。そうか、キオスクと言ったらキオスクなんだと妙に感心した。私たちはキオスクで1日券を2枚買って地下鉄に向かった。
1日券を買うとどこで降りてもかまわないので、少し高くつくが便利。改札を通ると長いエレベーターで一気に下る。電車は真っ赤なボディがおしゃれ。中の椅子もゆとりのある作りでとても明るいオレンジ色でまとめられていた。空いていて車両貸し切り状態だったので、つい写真をいっぱい撮ってしまった。
地下鉄でヘルシンキ中央駅に着くと多くの人が活発に歩き回っていた。この旅は始まったばかりだったが、私たちはこの国の人々がとても大きいことに驚いていた。女性も背が高くサッサッと歩いている姿をたくさん見た。髪の毛はとても薄い色の金髪で、むしろ銀色に透けて見えるような人が多かった。太陽がまぶしくても帽子をかぶっている人は少なく、まれにみると私たちと同じ日本人旅行者だったりして苦笑した。日本の夏を彩るつば広帽子や日傘などはまったく見なかった。短い夏を全身で満喫しているのだろうか。
さて、地下鉄の駅を出て道路を渡り、まず中央駅を正面から眺めることにした。ヘルシンキ中央駅は、ベージュの石が美しい建物で、渋いグリーンの屋根が重厚な雰囲気をかもし出している。その後ろに、ホームの長い黒い屋根が続いている。
私たちはヘルシンキの地図を見ながら次はどちらの方角に歩いてみようかと楽しんでいた。その時、サッサッと歩いてきた婦人が「Help you?」と近づいてきた。私たちが地図とにらめっこしていたので、道に迷って困っていると思われたらしい。「No thank you」と笑顔で答えるとその婦人は笑いながら「O.K.」と手を振って立ち去った。私たちは短い時間でフィンランディアホールまで行ってくることができるだろうか…などと楽しみながら話していたので、困った表情をしていたわけではないと思うが、小柄な日本人が地図を見ながらぶつぶつ呟いている姿は彼女の親切心をくすぐったのかもしれない。しかし、もし日本で外国の人がそのような姿でいるところに遭遇しても私は「メイ アイ ヘルプ ユー?」と言葉をかけることはできなかっただろうと思う。向こうから「イクスキューズ ミー」と話しかけられたらドキドキしながら応えるのだろうが。その婦人の笑顔は押しつけがましくなく、サラっとさわやかでよい空気をまとった感じだった。
私たちは中央駅の中をゆっくり見学した。夫は電車が好きだから、『世界の車窓からDVDブック』シリーズ(朝日新聞出版2007.7~)を継続購読している。私もいっしょにDVDを見ているが、ヘルシンキの中央駅はいろいろな路線が集まっていて興味深いところだ。行ってみてわかったが、日本の駅とまったくイメージが違う。改札口はなく、駅はオープンでどこからでも電車に近づける。いくつもの線路が集中してきていて大きな電車が何本も停車していた。ペンドリーノという高速電車は少し汚れていたが、どっしりとした存在感のある機関車だ。最高速度200キロということを帰国してから知った。機関車には長~い客車が続いている。私たちは開放的なホームの中をあっちもこっちもと見て歩き、大きな電車の前で写真を撮ったりした。
駅構内にはいろいろな店が出ていて、フルーツやたくさんのベリー、それにどこでも見かけた鮮やかな緑のさや豆、そしてオレンジ色のきれいなアンズ茸。屋台のような板に山盛りに盛りあげて売っていた。広い構内を散策して楽しんだ後、今度は駅の横手の出口からウィンドウショッピングをしながら郵便博物館前の広場に抜け、国会議事堂、現代美術館を眺めながらぶらぶら歩いた。
ヘルシンキの街にはトラムという路面電車が縦横に走り、町に奥行きを与えている。行きかうトラムを眺めながらそぞろ歩く。
歩道には真ん中にラインがあり、歩いていると、時々絵が描いてある。右には人が歩く姿、左の車道側には自転車の絵。そう、ここは自転車道路、うっかりしているとすごいスピードで自転車が来るので、気をつけなければならない。しかし、広い歩道は気持ちよく、私と夫は目的のフィンランディアホールまで歩いた。ホールは白い現代的なラインの建物で、少し下り坂の道の向こうに見える。道の入り口には銀色のホールのネームプレートが建っていた。
程よい疲れを道連れにホテルにたどり着いたが、まだまだ北欧の夜は明るい。私たちは窓の外の海と森の景色を楽しみながら、夜食にした。日本から買ってきたおにぎりや、ホテルの近くのスーパーマーケットで買ったトマト、ブルーベリー、そしてワインなどでリッチな夜食となった。
夜食を食べた後も、まだ明るさの広がる外の景色に気持ちは残るが、カーテンを引いて眠ることにした。
翌日は楽しみにしていたヌークシオ国立公園のハイキングが午後に予定されている。山道ではないと言っても、1時間以上歩くので、私も夫も互いにチェックし合って、足元をしっかりしてホテルを出た。空はあいにくの重い雲が垂れこめていて、今にも降ってきそう。バスが出発すると、現地ガイドさんのあいさつがあり、この日の天候はこれから雨に向かうらしいので降る前にハイキングをすることに変更との話。私たち二人は嬉しいと思ったが、中には予定通りが好きな人もいたらしく、どうして急に変えるのなどとつぶやく声も聞こえてきた。昨日、空港で「なんとかしなさいよ」と大きな声を出していた人の声だ。私とて、自分たちで自由に歩けるなら、そうしたい時も、所も、あるのは正直な気持ちだ。
しかし、遠く日本から来た我々より、現地で暮らしている人の判断がよいこともあるだろう。私はせっかくツアーに参加しているのだから、そういう楽しみ方にも親しみたいと思ったりする。くだんの女性はいろいろ言いたい人なのかな…、どこにもいるよね、そういう人って。
いずれにせよ、いろいろな思いを乗せたままバスは国立公園に向かった。ヘルシンキから西へ1時間弱走り、エスポー市に入る。ガイドさんの話では、フィンランドは土地に対して規制が厳しいため、一戸建ての家に住むのは夢だけど、市街地近くにはとても建てられないそうだ。エスポー市はヘルシンキの隣なので、一戸建てを望む人たちが住んでいるが、最近はここの地価もとても高くなったので、なかなか一戸建てには住めないという。
フィンランドにはたくさんの森と湖があり、国立公園もたくさんあるのだが、日本ではこのヌークシオ国立公園が知られている。映画『かもめ食堂』(荻上直子監督2006)で、登場人物が森の中でたくさんのアンズ茸を摘む場面が撮影されたところだから。
ヌークシオ国立公園の面積は45キロ平方メートル、ほんとに何もないところだった。人工的なものは、という意味である。最初に小さな木造の、トイレを併設した管理事務所のような建物があったが、ハイキングをしている間、他の建物はなかった。道案内の標識は目立たず、けれどわかりやすく、一つのマークをたどっていけば自分の歩きたいコースをまわれるようになっている。3コースあったが、私たちツアーはもっとも短い所要時間のコースを歩いた。
初めに、たくさんのコウホネの花が咲いている湖の中央にある木製の橋に立ち、絵画のような湖の色に見とれたあと、歩き始めた。山道をしばらく歩くと別の湖のほとりに出たが、水草が浮かんでいる水の面に空の青が深く移ろっていて、印象派の油絵の世界に飛び込んだような気がした。どこに立っていても、絵の中に入り込んだような不思議な空間。湖のほとりでは金髪の少年たちが薪を積んでたき火をしていた。印象世界が貧しくて悲しいのだが、ずっと前に観たアメリカ映画の『スタンド・バイ・ミー』(ロブ・ライナー監督1986)を思い出した。森の中の湖と、そのほとりでたき火をする少年たち、彼らの姿こそ絵の中の登場人物のようだった。『スタンド・バイ・ミー』の森よりずっと明るい印象ではあったが。
その湖を過ぎると道は自然の中の杣道のようになり、起伏も多くなってきた。そして、道はブルーベリーの木の間を縫うように続いており、ツアーの仲間は新鮮なベリーを摘まみながら歩いた。フィンランドでは森の中の恵みは誰でも摘んでいいことになっているそうで、摘みごろになると、人々はみんな籠を持って出かけるそうだ。私たちが歩いた時はもうたくさん摘まれた後だったらしく小粒なベリーがついていた。でも、道から少し入るとまだまだ大粒の実がたくさんついていて、私は嬉しくなっていっぱい摘んだ。
ツアーの中には少し歩行が危うい年配の方もいて(自分も年配と言われる歳なのではあるが)、添乗員さんとステッキをつきながらゆっくり最後尾を歩いていた。私たちが自由にベリーを積んでいると、ようやくたどり着き、それを待ってまた出発ということになる。私は、添乗員さんに、自分が摘んだベリーを少しあげた。とてもおいしかったので、添乗員さんにも味わってもらおうと思って。年配の女性にはお孫さんが先行していたのでおまかせ。
ベリーの木の丈がとても低く、膝から腿の間くらいの高さで、これは長野の山に自生するブルーベリーよりもっと低いので驚いた。神奈川に住む我が家の庭にも2本ブルーベリーの木があるが、これは私の身長より高いくらい。でも、フィンランドの森のこの小さな木に、実はいっぱいついていて、森の豊かさを感じた。
ところどころにヒースの小さな茂みがあり、淡いピンクの花を咲かせている。何種類かのキノコも発見したが、アンズ茸はなかった。
こんな風にして国立公園をハイキングしている間、雨を呼びそうな雲は次第に遠のいていった。私たちはまたバスに乗り、ヘルシンキ近くのレストランでランチをとってから、午後の観光に向かった。バスでの1時間くらいのドライブの間も窓の外は森と湖が続く。フィンランドは森と湖の国という言葉を実感したのだった。
ランチはサーモンのクリームスープとカマスのフライ。サーモンのスープは日本で食べると魚のにおいが強くて私はあまり好きではないのだが、ここのスープはとてもあっさりしていて口当たりがよく、ほのかにハーブの香りがしてとても飲みやすいものだった。夫も普段はクリーム系の味付けを好まないのだが、このスープは気に入ったと喜んでいた。また、この後どこへ行ってもポテトが必ず出てくることになるのだが、ポテトもまたとてもおいしくいただくことができた。時としてジャガイモのでんぷんが戻ってしまい、味が変化してしまうものだが、今回の旅の間は一度もそのように味が変化したポテトを食べることはなかった。そういえば、前回スイス、フランス、イタリアを歩いた時もポテトはメニューによくあったが、味が変化していることはなかった。これは調理法なのか、芋の種類が違うのかと話しながら、たくさんいただいて、幸せ気分だった。
このレストランへ行く時、大きな湖のほとりをしばらく走って、高速道路を下りてぐるりとUターンするところがあった。広々とした道路の立体交差が面白くて窓の外をじっと眺めていたのだが、細い道に入りこんだ後、なんだかぐるっと回ってさっきの道を逆方向に走っていることに気がついた。あれっと思いながらもとにかく初めての土地、似た道があるのだろうかなどと首をかしげているうちに今度はまたグルッとUターンしてやっぱりさっき通った立体交差点をもう一度走っている。時間はどんどん押していて午後の見学場所に時間通りに行けるのだろうかと少し不安になってくる。なぜ同じ道を何度も走るのか、時間に余裕があればドライブで時間つぶしということもあるのだろうが…。とこうしているうちにようやくレストランに着いた。実は時間がないので近道をしようとしたら、工事がいくつか思わぬところで始まっていて、何度か振り出しに戻ることになってしまったらしい。ガイドさんの説明を聞きながら、急がば回れとはこういうことかと妙に納得した。
午後の見学はまずテンペリアウキオ教会。さっと食事をして今度は予定通りに走れて時間前にたどりつくことができた。この教会では結婚式が執り行われていて、一つの式が終わると次の式が始まるまでの間の15分間のみ入場することができるそうだ。その15分にかけて観光バスが沢山集まってきている。私たちは比較的早く着いたので、教会の入り口近くにバスを止めることができた。そこで入場の時間までに教会の屋根となっている岩山を登ってみることにした。教会の入り口の左側に回り込むと、そこはもう岩山。ゆっくり登ると、教会の円形の屋根が重い緑に光っている。この岩山は周囲を住宅で囲まれている。遠くまで続く道路に添って一定の高さに揃えられたアパートメントが続く。建物は落ち着いた色合いに揃えられ、とても美しい。
そろそろ教会が開く時間と、今度は教会の右側に出る道を下った。入口付近には人がたくさん集まっている。結婚式らしい正装の男女と、私たちのような観光客が入り混じって教会の入り口を見ている。女性の胸にはコサージュがつけられているが、みんな大輪の花一輪のコサージュで、その色違いの大きな花びらがゆらゆら揺れていて面白かった。
しばらくするとついに教会の扉が開いた。新婚の花嫁花婿が出てくる。出口に用意してあった車に乗って出発する。写真やビデオを撮ってもよいのだそうで、関係ない観光客もカメラを向け、花婿さんはポーズをとって嬉しそうだった。花嫁さんは教会側から車に乗ってしまったが、やはりにこにこ手を振りながら出発していった。車の後ろには音の出る缶のような物をぶら下げて、映画で見るのと同じだと思った。
新婚二人をゆっくり見送ってはいられない。見学時間は15分しかないのである。話を聞いた時は15分で何が見られるのかと思ったのだが、中に入って納得した。大きな岩山を削った、大きな洞穴のような教会なのだった。「岩の教会」とも呼ばれているそうだ。階段を上がって2階から見下ろすと教会がすべて一望のもとに見える。先刻外から岩山に登って見た屋根が大きな円形にかぶさっている。銅板だろうか、渋い赤銅色に光っている。その円形の屋根を支えるように360度ガラスの窓が囲んでいて、自然の光がやさしく注ぎ込んでいる。2階から全体を眺めた後、1階に下りてみた。円形のドームに椅子がたくさん並べてある。端の方にはろうそくが何本も灯されている。さっき出発して行った新婚さんはここで式をあげたのだ。そして、もう次の参列者が入場してきている。ガイドブックによれば、フィンランド福音ルター派の教会なのだそう。私たちは宗教的な信仰心が薄いので、キリスト教についてもほとんど無知なのだが、キリスト教の教義に合わせた振る舞いはできなくてもよいのではないかと感じた。これまでに見た様々な教会のどこよりも教会らしくないのに、自然に人が人智を超えたものに祈りたくなる空間だった。
15分はあっという間に過ぎて、私たちは再びバスに乗った。フィンランドの有名な作曲家シベリウスの彫刻がある、シベリウス公園に行くことになっている。
公園は緑の広々とした空間だが、緩やかな起伏の園内を水が流れ、水辺には鮮やかな色の花が咲いている。
中央の丘の上には筒が寄せ集められたような、ステンレスパイプのモニュメントがそびえ、その奥にシベリウスの首の像がある。モニュメントは下から覗くと空が見える。いろいろな長さの筒で、下にもぐって声を出すと高低の違う音が響く。風が音を奏でるモニュメントだが、銀色の固まりは、なんだか空気も冷えるような気がして、あまり楽しい空間とは思えなかった。また、シベリウス像も、顔だけが銀の金属の真ん中にあって、少し不気味。
私たちは少しモニュメントの周りを歩いて、すぐ、公園内の緑や花のほうに引き寄せられていった。散策しながら、道路で待っているバスに向かった。
バスはバルト海に面した港に向かって走り、バイキングラインの乗船場で小休止した。トイレを済ませた後、今度はウスペンスキー寺院に向かう。バイキングラインの発着場の広場は市場が沢山出ていたが、眺めただけで買い物をする時間はなかったのが残念だ。
ウスペンスキー寺院は赤茶色の壁に緑の屋根が独特の色で、いくつもの塔がそびえている美しい教会だ。ここは、ロシア正教の教会とのこと。丘の上にあり、ヘルシンキの街を見渡すことができる。これまで見て来たいくつかの教会は、みな高い塔がそびえていて、辺りを見下ろしている感じがある。そういえば、日本の寺社も昔は高い屋根や三重、五重の塔が遠くからも見通せたのかもしれない。今は高層ビルなどにのまれてしまっていて、すぐ近くに行かないとそこに寺院があることに気がつかない場所も多い。周囲を高いビルに囲まれていると寺社の建物が高いとは思えなくなる。ヨーロッパの町づくりには、人々の意思が強く反映しているのだと思う。
ウスペンスキー寺院の庭に立つと、ヘルシンキの街の中に白くそびえる大聖堂がすぐ近くに見える。手を伸ばせば届きそうとよく言うが、まさしくそんな感じ。違う宗派の教会がすぐ近くに並んで建っているのだと感心する。いや京都や鎌倉も、寺院が隣り合っていることを思えば、不思議なことではないのだ。
宗教ということに思い違いをしているかもしれないが、遠くからでも仰ぐことが出来、広い空間をまとって、近づいていくのに時間がかかる場に向かう時、知らず知らず敬虔な気持ちになってしまうのではないだろうか。この建物を建てた人々はそのような思いをこめたのではないかと思う。日本の大きな寺も、建立当時は遠く仰ぎ見るものだったような気がする。その気持ちが信仰心と同じかどうかは疑問だが…。
ヘルシンキ大聖堂は上から見ると聖十字の形をしているそうだが、ウスペンスキー寺院の建つ丘も高いところにあるとはいえ、上から見下ろすほどではなく、大聖堂の十字の形はわからなかった。
たった2、3回の海外旅行しかしていない私たちが、知ったかぶりをするようだが、ヨーロッパの街は街全体の建物が一定の色合い、一定の高さなどに統制されていてとても美しい。ヘルシンキの街はこれまでに訪れた中ではどちらかというとあまり統一感のない街なのだが、それでも大寺院は抜きんでていて、周囲のビルとのコントラストが感じられて圧巻である。
ウスペンスキー寺院の中を見学して出てくると、ここにもウェディングドレスの花嫁さんと新郎が寄り添って写真を撮っていた。青空をバックに幸せそうにカメラに収まっている二人を見ながら私たちはバスに乗った。
次にバスを降りたのが、先ほど丘の上から見たヘルシンキ大聖堂。金と緑に縁取りされた真っ白な美しい教会だ。キリスト教のことはあまり分からないが福音ルーテル派の代表的な教会ということだ。見上げているとため息が出てくる。青空に映えてそこだけ空気が違うかのよう。世界中から人が集まる訳だ。
教会の屋根の上には、十二使徒の像が飾られているそうだ。一揃いの亜鉛像としては世界で一番大きなコレクションなのだそう。高すぎて地上からではよく見えない。大聖堂では儀式が執り行われているため、私たちは残念ながら聖堂内部には入れなかった。
聖堂の前には元老院広場があり、ここはとても広い。聖堂より後に作られたそうだが、広場の幅と同じ幅の階段が聖堂を持ち上げているようだ。端から端まで駆けたら息が切れそうな階段を下りると、元老院広場の中央に建つ、ロシアの皇帝アレクサンドル2世(1818−1881)の像が辺りを見下ろしている。フィンランドが独立した1917年までの100年間ロシアの統治下にあったなごりなのだろうか。
元老院広場は市民の憩いの場であったり、色々なイベントの会場になったりするらしい。幅の広い階段にはあちこちに人々が座っていて、気持ち良さそうだ。私たちは広場の端から大聖堂の美しい姿を写真に撮ろうとした。しかし、こんなに広い広場の端に行って、カメラを構えても聖堂の塔のてっぺんまで写すのは大変。いろいろなアングルでいっぱい写真を撮ったつもりだったが、後で見てみるとどれもみな不満足な出来栄え。あまりにも大きすぎて写真に収めることなどできないということなのかもしれない。
少し自由時間があったので、大聖堂の周りの土産物店などを冷やかしながらそぞろ歩いた。
このあたりはヘルシンキ中央駅にも近く、有名店が並ぶショッピングゾーンらしい。しかし、時間もあまり長くなかったので、少し疲れた私たち夫婦は近くのムーミンショップなどをのぞいて歩くだけにした。ムーミンの柄のネクタイは誰がするのだろうと話しながら眺めたが、あとで、皇太子が親善で訪問されたときにお召しになっていたと聞き、妙に納得した。
私たちは、ムーミンの絵の小さな箱に入ったグミやガムなどをお土産に買った。孫ばかりでなく、ちょっとおしゃべりに添えて渡すのにいいかなと思える、おしゃれな箱入りだったので。それから丘の上のウスペンスキー寺院と、奥に白亜のヘルシンキ大聖堂が美しい絵葉書を3枚買った。息子と娘の家に、そして日本の自宅に送る。切手も買って明日の朝ホテルのフロントに頼んでおこうと思う。
時間が来て再びバスに乗り、ホテルに帰った。途中バルト海に沿って走り、『かもめ食堂』の舞台にもなった、「カフェ・ウルスラ」がある海岸で小休憩をした。登場人物たちが並んで座り、お茶を飲みながら海を眺めるシーン、まさにそのカフェだ。
しかし、私たちはカフェには入らず、海辺をぶらぶらした。一定の間隔を置いて木の桟橋のようなものが海に突き出ている。しかし、船の桟橋にしては真四角に近く、大きな木のテーブルがあり、周囲がすべて頑丈な木の柵で囲まれている。
「ここはいったい何のために作ったんだろうね」と話しながら、柵にもたれて海を見ていると、カモメがちょこちょこと歩いてくる。カモメはゆっくり歩いている。何かもらえると思ったのかな。後で聞いたら、ここは絨毯を洗う場なのだそうだ。海に突き出しているその洗い場で少しカモメと遊んだ。
この海辺では、怖いものを見た。何かというと、バンジージャンプ。高いクレーン車が止まっていて、そこから海に向かって男女が飛び降りている。弾んで恐ろしく跳ね上がるのが、見ている者にも恐怖。でも、飛ぶ人たちは楽しそうに手を振りながらクレーンの上に向かっていく。自分は絶対にやらないプレイだが、目がそらせず、つい「飛ぶぞ、飛ぶぞ…」と、見てしまう。これがほんとの怖いもの見たさだと、自分を笑ってしまった。
最初の観光におそれていた雨が落ちてこなかったので、満足してホテルに戻った。今日は土曜日だったので、スーパーマーケットは5時には閉まってしまうとのことだった。かろうじて時間があったので、私一人でスーパーに行き、おいしいインスタントコーヒーと、アンズ茸の入ったスープを探した。フィンランド語とスウェーデン語が並び表記されている商品が多いが、第3言語の英語も記してあるパッケージも多い。しかし私は文字を読む努力はせず、絵や写真をたよりに探す。スープを求めてスーパーを歩いていてクノールの印の商品が多いことに驚いた。日本でもなじみのある商標マーク、でも、せっかくフィンランドでアンズ茸のスープを買うのだから、やはり当地の物、そこでしか買えないものがいいなと思って探した。とてもたくさんの種類のスープがあったが、思ったより味の種類が少なかった。クリームポタージュ、コーンクリーム、ミネストローネ、コンソメが並んでいる。具の表示ではビーンズが多かった。それからオニオン、アンズ茸はようやく2~3種類見つけることができた。他のスープ類が棚を1列埋めるほど並んでいるのに比べるとささやかだと思った。
目的のアンズ茸のスープと、いくつかのコーヒー豆を買って、ホテルに戻った。
この日のホテルのディナーでは、スイカのサラダが登場した。サニーレタスの上にスイカとチーズの角切りがのっているというもの。彩りは美しいが、スイカが好きでない夫は顔をしかめた。スイカが大好きな私も、このような取り合わせのサラダで食べることは初めてだった。でも、旅の間は好奇心のかたまりになっているので、夫もおずおずと口に入れた。そして、大丈夫だった。スイカがあまり甘くなく、みずみずしさが、ドレッシングと合って、意外においしかった。
夕食後は明日のフライトのため、荷物を整理した。明日はノルウェーのベルゲンまでのフライトが予定されているので、少し早い出発となる。外国に出かけるとついやってしまうのが、現地の新聞や広告の紙を集めること、多量に抱え込むわけではないが、少しずつ手元に集める。ホテルでは何種類かの新聞が朝食のレストランに用意してあるので、まずは少しでも理解できそうな英語紙を、それからまったくちんぷんかんぷんの現地紙をもらう。席についてさも読めるかのように広げてみるのだが、実は写真や絵を見るだけ。読めないけれど、その国の人が毎日読んでいる文字を見るのはなかなか面白い。だが、新聞などの紙は意外とかさばって重い。荷物をたくさん持ちたくない私たちの妙な悩みどころなのである。
早朝、ホテルの前にバスが来て待っている。全員乗り込むと、再びヘルシンキのヴァンター空港に向かう。朝食はロビーに用意されていた、サンドイッチとオレンジジュース、ヨーグルト。食べられないものは機内に持っていく。一人分だけ食べて、残りはかばんに入れた。
今日のフライトはノルウェーのベルゲンまで。私は近い距離だから直行だと思っていたが、じつはスウェーデンのストックホルムに寄ってからベルゲンに行く便だった。近いから、却って便利な足になるものなのだろう。ストックホルムで止まると降りる人や乗る人がいて、機の中はしばしにぎやかだった。
今回は夫が窓側、その隣に私と、窓の外がよく見えた。小さな機なので、通路の窓側は私と夫の二人だけ。窓の外を眺めながら、話が弾んだ。ベルゲンに向かってスカンジナビア半島を飛ぶ。山の頂に白い広がりとなって、氷河がよく見える。頂に手が届くようだ。日本からスカンジナビア半島に向かって飛んできたときは、長時間ではあったが夜間のフライトだったうえ、座席が窓側ではなかったので、下の風景を見ることができなかった。
昼のフライトで青い空のもと、続く山並みを上から眺めるのはなかなか面白い。私は飛行機が苦手なのだが、立体地図を見るような楽しさもあることを感じた。
予定通り、飛行機はベルゲン空港フレスランに到着した。ベルゲンはノルウェー南西沿岸地方にあり、市街地は静かなフィヨルドに面して広がる。ノルウェー海にはフィヨルドと島で形成される複雑な水路でつながっていて、西ノルウェー随一の天然の良港として発展してきた。人口は25万人弱。ベルゲンはノルウェー人にも外国人にも人気のある観光都市で、ヨーロッパ最大の客船寄港地の一つという。私たちが訪ねた時も湾内にはクィーンエリザベス号が停泊していた。古代はノルウェー・ヴァイキングの拠点が置かれたという魅力ある街だ。13世紀には、ドイツのハンザ商人によって商館が建てられ、13世紀末には、ハンザ同盟の四大重要都市として、各地から商人や職工が集まり、現在のブリッゲン地区の旧市街(世界遺産)を形成した。
ベルゲンの重要性は、ハンザ商人が独占した、ノルウェー海の海産物(特に北部ノルウェーの干しダラ)の交易によるものだった。19世紀初めまではノルウェー最大の都市であり、現在も西ノルウェーの経済、文化の中心となっているらしい。1299年までノルウェーの首都でもあった。
私たちはバスで丘の上を回り、ベルゲンの港町を窓外に眺めながらレストランに向かった。ベルゲンのレストランは、紙ナフキン1枚もがワイン色とゴールドの重厚なデザインで、とてもおしゃれな空気で満たされていた。
食事の後、私たちのツアーはケーブルカーでフロイエン山に登ることになっていた。フロイエン山は標高320メートルの低い山。この山に登るケーブルカーは7分ほどの短い時間の走行だが、スカンジナビア半島で唯一の客員輸送ケーブルなのだそうだ。最大斜度は26°だそう。たとえどんな山でも、山と聞くとついわくわくしてしまうのが山登りの血で、私はこの小さな登山を楽しみにしていた。でも、わずか標高320メートルの山だが、霧が発生しやすい土地で、展望台に立っても何も見えないことが多いのだそうだ。
現地ガイドさんの機転であまり混まない時間帯にさっと登ることができた。展望台からは湾を囲むベルゲンの街が遠くまで見渡せた。足元にはこの地の生んだ作曲家グリーグの音楽堂が見下ろせる。その形は上から見ると、グランドピアノの形になっていてユニークだ。
午前に登った人たちは何も見えなかったそうだと、お土産売り場で聞き、幸運に感謝した。遠く、停泊しているクィーンエリザベス号が見える。細長い湾をはさみこむように色調の統一された街並みが続いている。
展望を楽しんだ後、山の奥の公園の方に行ってみた。公園の入り口には大きな像がある。鼻が天狗のように飛び出していて、髪はないのに耳が大きく飛び出している、でも大きな頭がなんとなくユーモラスなこの像は、ノルウェーの伝承に登場する妖精トロルなのだった。私はトロルとツーショットを撮ってもらった。
フロイエン山を下ると、有名な魚市場を横目に見ながら、世界遺産のブリッゲン地区に向かった。ブリッゲンとは、ベルゲン旧市街の倉庫群。ブリッゲンはノルウェー語で埠頭という意味で、ハンザ同盟時代ドイツ人街だった地区に、カラフルで奥行の深い木造倉庫がならんでいる。倉庫群の入り口にはハンザ同盟の博物館があった。
この倉庫は北方ノルウェーからの魚(タラが多かったんだねと夫と話す)と、ヨーロッパからの穀物で満たされたのだそうだ。ベルゲンは何回もの火災にあい、ドック脇の倉庫や管理のための建物などは焼け落ちたが、いくつかの貯蔵庫の石材は15世紀にまでさかのぼることができるそうだ。
後に倉庫の間の狭い通りを奥に歩いてみて大きな石が保存されているのを見たが、とても古いものだったのだ。
建物は伝統的な技法で修復されており、現在も商店やレストラン、ミュージアムとして使用されている。木造の建物が柱ごとかしいでいる様は、おとぎの国に入ったような不思議な眺めだった。ここにはたくさんの人たちが訪れ、人々の流れが絶えなかった。私たちは全体が見える、海に面した広場でガイドを受けたあと、ホテルに向かった。
ホテルは3つの建物からなり、私たちの部屋があるところはフロントがある建物の隣の別館だった。夕暮れまで自由時間だったので、荷を置いたあと、ふたたびブリッゲン地区に行ってみることにした。途中の魚市場ものぞいてみたい。ホテルから裏通りを海辺に向かう。大きな公園がある。小さな水辺の岩の上にオーレ・ブル(1810~1880)の銅像があった。ヴァイオリンを弾いている。水辺にある小さな銘に書かれている文字を見たが、音楽人間の夫にもわからなかった。が、岩のところに大きく「OLE BULL(オーレ・ブル)」と書いてあった。私にはそれでもわからないのだが、夫は知っていた。
9歳でベルゲン劇場管弦楽団の第1ヴァイオリンを担当した人だそうだ。その後成功して巨万の富を築いたとか、その姿のよさにレディが集まったとか、いくつかの話が伝わっている人なのだそうだが、ヘンリク・イプセン(1828~1906)の戯曲『ペール・ギュント』のモデルになっている人ということが一番びっくりだった。
そこを過ぎると、公園は噴水のある広場になっていた。そして、中央に様々な花や手紙、たくさんのろうそく、小さな贈り物などが積まれていた。花々は少し枯れたもの、その周りにまた新しいものと、どんどん輪が大きくなっていた。人々が置いてあるカードを読んだり、ひざまずいて祈ったりしている。
この国の言葉は読めないが、理解できた。私たちが今回の旅に出発する数週間前に首都オスロで事件があり、その追悼の花々だった。オスロの近郊の島で沢山の若者が命を奪われた、とても悲しい事件だった。なくなった方一人ひとりは未知の人だったが、よそながら冥福を祈り、湾のほうに向かった。
魚市場は道の両側に広がっていて、手編みの帽子や、Tシャツ類、様々な衣類や小物が並んでいる市もあれば、名前どおり様々な魚介類とその加工品が山になっている市もあった。毛糸の帽子もたくさん並んでいてかわいらしいのだが、真夏の太陽の下では、どうも手に取る気持ちになれないのだった。しかし、色とりどりの毛の商品を見て、今は夏で日差しが強く暑いが、この暑さはわずかな期間のみで、圧倒的に寒さの厳しい国土だということを感じた。
魚介の市で、一軒日本語が通じるところがあって、味見もどうぞと勧めていたが、生鮮食品は買う気になれず、ブリッゲンの美しい建物のほうに向かった。
ブリッゲン地区に向かう角のキオスクで、切手を買った。気に入った絵葉書を見つけたら、日本に送ろうと思って。ヘルシンキで1枚送ったが、今度はベルゲンから。訪ねた国それぞれから絵葉書を送って、帰ってからのお楽しみにする。それから、孫に外国の風景を実感を持ってみてもらいたいという思いも少しある。今はテレビなどの映像で、様々な国や地域の姿を見ることが出来る。が、「じぃとばぁ」が行って、その地で書いてくれた手紙が来た…ということで、もう一歩その国を身近に感じられるのではないかと思ったりする。実際に連れて行って上げられればそれが一番なのだろうが、金銭的なゆとりがない。また、あまり小さいときに連れ回しても、経験にならないのではないかという思いもある。もし一回くらい可能なら、もう少し大きくなってそこで得た経験を感覚としてでも記憶にとどめられるようになってからかな。今は外国からの絵葉書で勘弁してもらおう。
ブリッゲン地区は夕方になって少し人混みが薄くなった。私たちは長い木造の建物の間を奥に進んだ。建物の間はとても狭い通路だが、奥まで長く続いている。そして、一つ一つの建物はかわいいお店になっていて、見ていると飽きない。一軒、店の中がトロルで埋まっているところがあった。大小さまざまなトロルがこっちを向いている。ちょっと落ち着かない気分になる。
迷路のような通路を歩いて、古い井戸のある広場に着き、少し休んだ。フロイエン山から見下ろしたベルゲンの街の写真の絵葉書を買って、お土産の小物をいくつか見繕った。サンタの壁飾りが並んでいる店もあったが、わらを使った縄を丸くして、そこにサンタが座っている、とても日本的なイメージの輪飾りもあった。日本と、ノルウェーは地球の裏側というくらい離れていると思うし、文化的にもあまり繋がるところがないような気がするのに、同じような、懐かしい飾りが作られていることに驚く。
帰り道、もう一度魚市場を冷やかしながら、アイス屋さんでバニラを買った。コーンに入れてくれる。1個のはずなのだけど…ギューギューと詰めてくれる。夫と二人で1個のコーンを分け合いながら海風に吹かれて歩いた。そして、ぶらぶらとホテルの方角に向かう。
そぞろ歩きながらホテルに戻る途中で「SUMOU」という看板が出ているレストランがあった。道路沿いにしつらえられたテーブルでは若者がにぎやかに宴会をやっている、どこの国でもお酒の席のにぎやかさは同じだねと話しながら近づいたら、みんな手にお箸を持っていた。そして人懐こい彼らは、通りを歩く私たちを日本人と見て、笑顔で手を振ったり、箸を持ち上げて見せたりする。
「SUMOU」は相撲だったんだと、ここで始めて納得。日本料理のお店なのだろう。でも、テーブルに見えているのはあまり日本料理風ではない。ノルウェー風にアレンジされた日本料理なのだろう。
私たちもおなかがすいてきた。ホテルで集合して、夕食のレストランに向かった。湾に近いレストランまでゆっくり歩く。夏のスカンジナビアは、夜いつまでも明るい。そして、真夏とは思えない涼しさなのだ。気持ちよい散歩の後、夕食。パスタとえびのサラダもおいしかったが、デザートのベリーのムースにホオズキが添えられていたのにびっくり。皮をつけたまま、赤い実がのぞいている。私はホオズキが食べられると思っていなかったので驚いた。おっかなびっくり食べたので、味が良く分からない。甘酸っぱくて思ったより口になじむ味だった。
食後は、9時を過ぎても昼のような明るさの中を、海辺のそぞろ歩きを楽しんだ。向こう岸のブリッゲン地区を一望できる堤防で、ツアーの仲間はわいわい言いながら写真を撮り合った。いくつもの船が行き交う、にぎやかな海の景色はまぶしく輝いていた。 いつの間にか気持ちが子どもに戻っているようで、しばらく海風の中に立った。少しずつほの暗くなってきた海を船がゆく。揺らされた海面が、いつまでもきらきら光る。
翌日はいよいよフィヨルドを巡る。小学生のころから世界地図を眺めては、いつか見てみたいなぁと思っていた。
朝食はホテルのバイキングだが、珍しいヤギ乳のチーズというものがあった。私は子どもの頃体が弱く、近所の家で飼っていたヤギの乳を飲むといいと言われ、飲まされたことがある。ただ、まずいという思い出しか残っていない。だから、ヤギ乳のチーズと聞いてどうしようか迷った。けれど、やっぱり好奇心が勝つ。ミルクチョコレートのような色の塊を薄くこそげとるようにして食べる。これが、コクがあって、おいしかった。やっぱり、挑戦は大事だと、ちょっぴり思った。
出発前に、予定されていたツアーコースが、変更になったことを説明された。逆コースを行くという。ベルゲンから一回り、バスと電車と船で三つのフィヨルドを巡ってくることになっている。地図を見れば、のこぎりの歯のように細かい入り江が無数にある。細かく分類すれば、フィヨルドの別れたところではそれぞれ名前がついていて、私たちのコースも5~6のフィヨルドを通ることになるらしいが…。
ホテルから出発したバスは、まずヴォス駅で小休憩。ヴォスはヴァングス湖の湖畔にある街で、駅のホームからも山に囲まれて輝いている湖面が見える。ヨーロッパの駅はホームまでフリーなので、ホームも、駅舎のある広場も繋がっていて、ゆったり歩くことができるのが嬉しい。駅舎の周囲を巡ったり、広場に立つ大きなトロル像にあいさつしたりして足に血をめぐらせたあと、再びバスに乗る。窓外の景色を楽しんでいるうちにソグネフィヨルドへのクルーズの出発地グドヴァンゲンに着いた。
船の発着場には小さな建物が建っていて、その屋根には緑の草が生えている。ノルウェーは海賊の発祥の地で有名だが、古い建物には屋根を植物で葺いたあと、そこに土を盛り、草が生えるに任せておくのだそうだ。適度な草丈の緑に覆われた屋根は、周囲の風景とマッチしていて外から見るには美しい。今は、あまりたくさん残っていないそうだが、中の住み心地はどうなのだろう。この後いく棟か見たが、どれも皆小さな家だった。
ここグドヴァンゲンはソグネフィヨルドの支流、ネーロイフィヨルドの一番奥に当たる。一般のツアーではフロム鉄道でもう一本の支流にあるフロムから船に乗り、ここグドヴァンゲンで下船するコースが多い。私たちのツアーも最初の案内ではそのコースだった。しかし、ここノルウェーにやってきてから、コースを逆に行くことになったとアナウンスされた。どうやら、人数の少ない我がツアーは弱小であるらしく、どこかのツアーに譲った模様。この件では特に文句が出る様子もなく、私たちは快晴の中、フィヨルドクルーズを楽しんだ。フィヨルドに迫る崖はまさに海に落ちる壁、いたるところに滝が流れている。
フィヨルドの水深は、湾口付近で150メートル、内陸に入るにしたがって水深を増し、1200メートルに達する所もあるとのこと。多くの支湾が樹枝状に発達し、湾奥の沖積地や段丘には小さな集落が点在する。
船はフィヨルドの湾岸の集落に立ち寄っては人や荷物を乗せ下ろしする。木の家が何軒かしか見えないような小さな桟橋に、大きな荷物に腰掛けた人たちがいる。遠くから見えてきて、桟橋に船が着いても動かず、また離れていく間ゆったりと腰掛けて海を見ている。ここで降りた人と少し話をしているようでもあるが、動かず、なんだかやわらかい空気をまとっているようなオーラがこちらまで漂ってくる。
フィヨルドのクルーズで驚いたのは、海面すれすれに家が建っていることだ。潮の満ち干はないのだろうか。フィヨルドはどんなに陸地深く入り込んでいるとはいえ、海だ。かもめがたくさん飛んでいる。フィヨルドが海なのだということを、頭では理解しているつもりでも、何となく腑に落ちない気分になる。実際は峡谷を削る河に見える。
いずれにしても、水辺に美しく何層にもなっている緑の色彩の中に、シンプルな木造の建物が建っている集落は眺めているだけで緊張が緩むような美しさだった。
漣のたつ水面から広がる緑の草原、そしてそこに立つ木造の家々、この風景が穏やかに気持ちに染み入る。
日本の海岸は防波堤が高く積まれ、家々は潮風を避ける工夫で固められている。そこで暮らす人々の知恵が、訪れる旅人にも緊張を強いる。
もう一つ北欧を旅して感じたのは、海風が肌にべたべたとまとわりつかず気持ち良いこと。日本は周囲が海に囲まれた島国なので、海岸へ行くことが多い。子どもが小さい頃は、夏がくれば何度も海水浴場で遊んだ。でも、海で過ごした後のべたべたする汐の感覚はどうしても好きになれない。もちろんその磯の香りが大好きな人もたくさんいるだろう。私個人の好みの話ということなのだが。ここ北欧ではそれを感じない。だから、湖や川のような気がするのかもしれない。
船は雄大な風景の中を進み、桟橋から乗り出すように手を振る観光客から何かもらえると期待するカモメが、船のあとを追いかけてくる。どこの海でも見られる景色ではあるが、船の航路はどこまで行っても両岸の崖が迫っている渓谷。前にも後ろにも目の届くかぎり続いている。
海上の船旅は寒いからと、厚手の上着を用意したが、日に当たると暑いくらいの強い日差し。山の陰の中では風が冷たかったが、日差しの下のクルーズはほほが焼ける感じがした。
フィヨルドを訪れるのは、今回の旅のハイライトだった。子どもの頃から、世界地図を見てはどんな所だろうと思い描いていた。実際にフィヨルドの海上を船で旅して、実は自分の思い描いていた風景とのあまりの違いに驚いた。私は地図上の細かい海岸線を見て、もっともっと繊細な入り江が続いているのかと思っていた。目の前に開けるフィヨルドの海はドォ〜ンという感じで広かった。
考えてみれば、思い切り縮小された世界地図上にも現れるほどのギザギザだから、大きい訳なんだけど…。見てみないとうなずけないのがおかしい。
ネーロイフィヨルドから再び水上を奥に進み、フロム鉄道の終点のフロム駅がある港に着いた。約2時間の航行だ。
フロム鉄道は、ベルゲン鉄道のミュルダール駅から分岐している延長約20キロメートルの支線なのだ。しかし支線とはいえ、年間の旅客数は50万人を優に超えるという、人気のある鉄道だ。
電車に乗る前にまずレストランで腹ごしらえをする。フロム駅の脇にあるフレトハイムホテル、木の広い階段がどっしりとしていて見事。ガラス張りの三角屋根の建物で、入るとロビーが吹き抜けになっている。曲線を描く木造の階段を上って行くとフィヨルドの展望が開ける。ゆったりしたソファ型の椅子にかけ、今わたってきたフィヨルドを眺めながらの食事。豪華気分。メニューはノルウェー風ミートボール。一つ一つがとても大きい。できれば何時間でも座っていたい空間だったが、フロムからは鉄道の旅、出発時間が迫ってきた。
レストランを出て駅に向かった私たちを待っていたのは、これまたどっしりした大きな機関車。電車の中は4人の向かい合わせボックス席。日本の都市周辺では見られなくなった、どこか懐かしい気持ちのする車両だった。
私と夫と、それぞれの期待で少し無口になっている私たちを乗せて、電車は出発した。ミュルダールまで1時間の電車の旅。ゆっくりフロムの村を過ぎていく。小さな木の教会や赤い民家が美しい。高い崖の上から一本の滝が落ちているのが見える。リョーアンデ滝だ。滝はとても名前を覚えきれないほどたくさん流れているが、このように、ある出来事や場所などと結びついていると、名前を知ることになる。
電車はいくつものトンネルを抜け、わしわしと山の間を進み、ある駅でとまった。有名な滝がホームから見えるそうで、5分ほど停車する。この落差93mのショース滝には妖精が出ると、妙に自信満々でガイドさんが言っているので、いったいどんな自然の光景が待っているのだろうと思っていた。
そして、本当に妖精が出た。これにはびっくりした。オレンジ色のひらひらしたドレスをまとった髪の長い美女が、いや、遠くて確かには見えなかったがおそらく美女と思われる姿の人が、滝つぼのあたりでソプラノの歌声にあわせてひらひら踊るのだ。この美女は少し踊って消えるのだが、消えたと思うと崖の中腹の辺りに突然現れ、そこでまたひらひら踊る。そして5分経過するころに忽然と消えてしまう。
この美女は森の精フルドラというのだそうだ。音楽が好きで美しい声で歌うと言われているそうだ。
しかしほんとにびっくりした、というのが正直な気持ち。ここまでの観光魂をほめるべきか、自然の景観を壊すと怒るべきか…、そんなことを考えたのは家に帰って写真を整理するころだった。
自分の正直な気持ちだけを言えば、あのショーはいらないなと思う。しかし、一緒にホームに立った人々の楽しそうな反応を見てきた私は、一気にそのように言い切ることがよいとも思わない。自然を壊すわけではなく、自然の風景に合うような努力が感じられることは好ましくさえ感じる。日本の観光地の何の統一感も意思も感じられない、ばらばらの宣伝旗が翻っている様を思い浮かべてしまった。
にぎやかに車両に戻った乗客を乗せて、列車は一気に山道を登り、標高866mのミュルダール駅に向かった。途中水面の美しいレインウンガ湖を過ぎるところは、線路がぐるっと円を描くようにして高度差を乗り越えているのだそうだ。ループ式というのかな。電車の客になっていると、あまり実感がなかったのだが、地図を見ると確かに大変な線路だと思う。
ミュルダール駅は広々した山の間にあった。ホームがとても広い。そこから今度はベルゲン鉄道に乗り換える。ツアーの仲間の中学生が、夫にいたずらをしては近づいてくる。ツアーのメンバーの中では異質な中学生とおばあちゃんという組み合わせなので、どうしてもちょっとした孤立感がある。彼は、私たち夫婦にはちょっと空気を揺らして話しかけても大丈夫と感じているらしく、よく子供たちがするように、カメラのレンズの前に顔を出したり、手を出してさえぎったりして見せる。同じ年頃の仲間がいないことは、それだけでは別に10日間の旅がつまらなくなる理由にはならないと思うが、時々はじゃれてみたい時間の隙間を感じることもあるだろうと思う。ミュルダールの駅の大きな空間の中で、私が「どれ、いたずら坊主とおじさんのツーショットを撮ってあげよう」とカメラを構えると、彼はちょっと照れくさそうに夫と並んで、にやりとするのだった。
駅のホームには軽食スタンドやお土産屋さんがあり、乗り換えの人でにぎやかだ。知らない国で長い乗り物の旅となると、どうしてもトイレが気になる。ツアー旅行なので、ガイドさんがいつも案内してくれるのだが、ついつい先へ不安の種を抱いてしまう。ここではトイレに長い列ができてしまった。そしてふと気がついたら、われわれツアーの顔見知りだけが並んでいる。そこで、出ました、日本のおばさんスタイル。一人の人が男性トイレに入り、そのドアの外で仲間が見ている、という男女のトイレの活用。わが旅の仲間の男性陣は数人あとから来たが、苦笑しながら協力してくれて、長い女性の列が消えていった。
これ、きっとマナー違反と嫌われることなんだろうなぁ。かく言う私も、時と場合によっては、上品そうなふりをして、眉をひそめそうだ。しかしこの時は、あっけらかんとした堂々とした振る舞いに、少しもいやらしさを感じなかった。考えてみれば、日本の大劇場でも、公演時に男性トイレを臨時女性トイレとすることがある。きちんとアナウンスしたかどうかということなら、男性の協力も得られたこの場合はOKでしょうか。
乗り換えにゆとりを持って間に合い、再び列車の客となる。今度は進行方向に向いて通路を挟んで左右に2席と3席に分かれてシートが並んでいる。日本の新幹線と同じタイプだ。みんな乗り込むと、自由に座っていく。窓外にはノルウェーの大自然、山間に広がる湿原が列車の動きにつれてけむっていく。何のまとまりもなくそこにあるひろがり。空を映す水、そよぐ緑、時々目をなぐさめる薄い赤や白は、小さな花の群落なのだろうか。
こんなにも無防備に列車に揺られたことがあっただろうか…。窓の外を眺める、隣り合った夫とポツリポツリと言葉を交わす、ツアーの仲間が「わーっ」と歓声を上げる声に心地よい興奮を誘われる。
朝、グドヴァンゲンへ向かう途中休憩したヴォス駅に到着、バスに乗り換えて、ハダンゲルフィヨルドを巡りながら、ベルゲンに戻る。
ハダンゲルフィヨルドは広くゆったりとした流れが続くので、その岸をバスで走っていると、大きな湖のような気がしてくる。しかし、走っても、走っても水辺を見下ろしながら道は続き、この満々とたたえられた水は海まで続く、いや海そのものなのだということを思い出させられる。狭い国土の日本のイメージでは川というにはあまりにも広く、湖というにはあまりにも長く…フィヨルドなんだなと、納得するしかないのだった。ただ、時折迫ってくる崖はあるものの、全体に大きく優雅な風景は、一部を切り離してみれば日本の田舎の風景に似かよったところもあり、居心地がよいのだった。
しかしここには時折窓外に現れる小さな家がある。この小屋のような小さな家は屋根の上に草原を持っている。グドヴァンゲンの船着場でも見たが、ハダンゲルフィヨルドのほとりを行く道辺にはいくつもの草を載せた小さな家があった。
途中の山々から落ちる滝が多く、幅はとても広いが、やはり氷河が削った痕なのだとうなずける。道に近づいている滝の近くで小休止した。みんな子どものように滝つぼの水に手を振れ、草花をなでた。
長いバスの旅で、身体が硬くなってしまったのを取り戻そうとするかのようだ。
ベルゲンの夕食は、ホテルの会場でこれがほんとのバイキングということだった。日本では食べ放題の方に大きな意味がおかれるようだが、もともと、その日のお料理をすべてテーブルに並べて、饗するということなのだそうだ。どのような意味があろうとも、自分で好きなようによそって食べることができるのはありがたい。ゆったりと広いホテルのディナー会場で、おしゃべりも楽しめる程度に親しくなってきた、ツアーの人たちとわいわい過ごすうちに、ベルゲンの最後の一日は暮れていった。
少し早めに出発して、ベルゲンの空港に向かう。到着したときと同じ経路でストックホルムに向かう。来たときは、ヘルシンキからストックホルム経由だったが、今度は逆に飛び、その途中で降りることになる。私たちのツアーは3つの国を通るのだが、ヨーロッパのシェンゲン協定のおかげで、これらの国の中では入国、出国の手続きは省略される。私たちは小さな機内の客となった。
短い旅の予定だった。
ところが、時間が来ても離陸しない。次第に機内は落ち着きがなくなる。何らかのトラブルがあって遅れているとのアナウンスはあるが、フィンランド語も英語も詳しいことは理解できない。添乗員さんも詳しいことはわからないが、少し待てということだけはアナウンスしていると教えてくれる。
結局2時間遅れで出発。出発してからは順調に飛び、ストックホルム、アーランダ空港に着いた。ベルゲンへの便では、山の上の氷河の白さと、その近さに目を奪われたが、帰り便では地上の色の変化に見とれていた。緑豊かな四角い大地があるかと思うと、茶色い大きな広がりがあちこちに散らばり、さらに湖らしき細かく変化する色の波が見下ろせる。茶色の広がりは形が一定でないため、畑か、湖か、降りるまで分からなかった。降りて走ってみれば、麦らしき広大な畑だということが分かったのだが。しかし、緑の美しい牧草の大地は四角く区切られていたのに、麦のような作物の畑は何故、四角くないのだろう。この謎はまだ解けていない。
飛行機のトラブルで到着が遅れたので、ストックホルムでの予定は変更が多くなった。まず、丘の上に立つカクネス塔に向かった。 スカンジナビア半島で最も高い155メートルのテレビ塔だそうだ。自然公園を通って少し小高い丘の上に向かうと、頂上の森の中に建っている。地上128メートルの展望台に登る。
カクネス塔、四角い塔自体はあまり美的に訴えるものも感じられず、周囲は木々の重なる自然公園、観光客もあまり来ないような少し寂れた感じのするところだった。登りのエレベーターでも、なんとなくツアーで案内されたから、まぁ行ってみるかという空気が濃く漂っていた。
けれど、展望台からの眺めで一気に目が覚めた。360度のストックホルムの街。緑と水とが彩る島々の広がりが足元から視界の果てまで続いている。大型の客船が交互にゆっくり、けれど確実に進んでゆく。ゆっくりなのに、あっという間に視界から遠ざかってゆく。マジックにかかっているような気がするが、今度こそと思って見ていても、ふと振り返るともう遠ざかってしまっている。
ストックホルムは「水の都」と言われているそうだが、いくつもの島と、それを囲む水路に浮かぶ大小の船が描く水上の軌跡を見おろしていると、その大きさが分かる。
旅の始まりの雨模様はすっかりどこかへ行った。ストックホルムの町や足元の自然公園の風景、そして船の水路をくっきり眺めることができて、やっぱり天候に感謝、感謝。毎日が快晴の旅となっている。
思ったより楽しい時間を過ごして再びバスに乗り、旧市街ガムラスタンに向かう。
海辺の道を王宮を回りこむように南下し、坂を上ると王宮前の広場に到着。水兵さんのような服装の若者たちが楽器を持って並んでいた。大広場のほうに行進していく準備をしていたようだ。王宮の前には、衛兵さんが立っている。金の飾りのついた黒い制服を着て、人形のように動かない。この王宮は、代々王室の居城となってきたそうだが、環境を考えて、王室は1981年から郊外のドロットニングホルム宮殿に移られたそうだ。
王宮の前から大聖堂を回り込んで歩くと、大広場に出る。この広場沿いには、ノーベル賞100周年を記念して2001年にオープンしたというノーベル博物館がある。ここではノーベル賞授賞式の晩餐会のデザートと同じアイスが食べられるそうだ。時間があまりないので、ゆっくりアイスを食べることはできなかったが、ここでお土産にアルフレッド・ノーベル(ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者:1833−1896)の肖像入りのチョコレートを買った。日本に帰ってから調べたところ、このチョコレートはノーベル賞授賞式の晩餐会で食後のコーヒーに添えて出されるものだそうだ。
ここのカフェのイスをひっくり返すと、イスの裏にノーベル賞受賞者のサインがしてある。黒いイスに白いサインがおしゃれ。だが、誰のサインがあるかはひっくり返してみなければ分からない、お楽しみ。
広場では王宮のところで準備していたブラスバンドが演奏をしていて、多くの人々が取り囲んで聴いていた。
少し自由に歩いた後、私たちはガイドさんを先頭にガムラスタン旧市街へ移動した。道はとても狭いが活気にあふれている感じだった。しばらく中心街を歩いた後、さらに狭い脇道に入っていくと、手のひらに乗るような小さな像が祭ってあった。フィンランド教会の庭にある14センチのアイアン・ボーイ、彼にさわると幸せが訪れるというので、全身がつややかだった。そしてなぜかこのような観光地のめぼしいものには皆さんキャッシュを置くようだ。日本で言えばお賽銭?
アイアン・ボーイの周りにもコインがたくさんお供えしてあった。
美しい古い街、その美しさは人の等身大の拡がりから来るものだろうかと思う。車がスピードを出して通り過ぎていく大きな道路や近代的なビル群はそれなりに存在価値があって、経済効果も大なのだと思うが、そぞろ歩きにはなじまない。
ガムラスタンは人でごった返してはいたが、狭い路地にも、石畳の坂道にも、そこで多くの人が生きていたことを感じさせられる。荷物の重さにため息をついた年寄りがいたかも知れない、若者が恋を語らい、あるときはけんかをしたかもしれない。この道を駆け抜けた人はよいニュースに胸躍らせていただろうか、悲しいニュースを振り払いながらだったろうか…歴史の厚みが静かに足元に息づいていた。
胸の中に満ちてくる、旅するものの幸せに自分を任せながらバスに揺られ、この日の宿に着いた。
ホテルはガムラスタンの島から橋を渡り、バルト海の方につながる隣の島にある最新式の建物だった。周囲は大きな総合開発が計画されている一画らしく、工事中の建物が隣り合っていた。ホテルの前には計画図が掲示されていた。
私たちは夕食までの数時間をホテルの周り探検に出かけた。ホテルの裏側に回ると巨大な円形のドームのような建物があった。劇場ホールなどに使われるらしい。ここには、ツアーの仲間の一夫婦が先に散歩していた。彼らは横浜から来たという。この大きな建物に興味がありそうだ。お互いに写真を撮ったりしているうちに、ご主人のほうが建築業に勤務されていた方だということがわかった。彼は、ホテルの前の建築現場が楽しくてしょうがない様子。大きなスタジアムを建設中だが、半分組み立てができているところに大型クレーンなどが接している。私たち夫婦も、北欧の仕事車が面白く、飽きずに眺めていたが、彼の薀蓄を聞きながら眺めるのもまた一味違う時間となった。ここに止まっていた警備会社の車が日本車で、我が家の車とそっくりだったので、びっくりした。
予断だが、この横浜のご主人は強烈な晴れ男なのだそうで、どこへ行っても雨に降られたことがないとのこと、確かに、雨予報のフィンランドでもいつの間にか晴れに変わっていた。
奥さんは「大丈夫、この旅はずっと晴れますよ」と、自信を持って、でもちょっぴり苦笑しながら言い切ったのだった。
私たちはまだ建設現場に残る夫婦と別れて、その先まで散歩してからホテルに戻った。
ホテルの内装は非常に現代的、そして、これはどこもそうだが、広々していた。
今回の旅では、ほとんどの宿泊地で2連泊だったのだが、このホテルだけが1泊、もう1泊はバルト海上のタリンクシリアライン船上となっている。
翌日はストックホルムの観光、前の日に飛行機が遅れたために後回しになった観光地を回る。
まず、バスは市庁舎を目指した。人気の市庁舎は、駐車場が観光バスでいっぱいとのこと、現地ガイドさんの判断で最初に足を伸ばして、ドロットニングホルム宮殿に行くことにした。
ドロットニングホルム宮殿は市の郊外にあり、スウェーデン国王一家の私邸として現在使用されている。前の日に見たストックホルム宮殿(王宮)は、君主の公邸なのだそうだ。
まだ朝早い時間だったので、自然豊かな宮殿は訪れる人も少なく、私たちはゆったり邸内外を見学することができた。国王一家が使用しているという宮殿の半分は非公開だが、残りの半分は邸内を見学することができるようになっている。
広い庭園を歩きながら宮殿に向かう。途中にブナの大木がある。そして、隣り合って、赤い葉の大木もある。この木は「血のブナ」と呼ばれるそうだが、深い赤茶の葉が茂っていて、確かに葉の形はブナなのだった。2枚拾って押し葉にした。まだまだ城は向こう。 私はたくさん見たわけではないが、西欧文化の城は広い自然の中にあり、その庭は幾何学的に手入れされていることが多いように思う。ドロットニングホルム宮殿では、現地のガイドさんが、誇りと愛情を持って君主一家の紹介もしてくれた。
面白いと思ったのは、遠くから見た壁にたくさんの窓があるように見えたが、そのうちのいくつかは壁に描かれた絵の窓だったこと。このようなだまし絵で、より豊かに見えるような工夫をしたのだという。他にも鏡の使い方などによって、部屋を広く見せたりする工夫があり、それぞれ面白かった。城の裏では高所作業車が停まり、色あせてきていた2階の窓の枠を塗りなおしていた。いつも手入れをしているからこそ、美しさを保っているのだと思った。
城の中を見学した後は、自由に庭園などを回った。城の庭園内には、18世紀に建てられた宮廷劇場もある。今でも、オペラやバレエの公演をするそうだ。また、近くにはお土産を売る小さな店もあった。城の絵葉書を買い求め、王家の三つの冠の紋章が入った、小さな缶入りのキャンデーをいくつか買った。
この日は2連泊ではなかったので、ストックホルムを離れる前に絵葉書を投函しなければならない。日本の自宅用と、息子、娘の家に宛てて、大急ぎで書き込んだ。
ドロットニングホルム宮殿を出て、朝通り過ぎた市庁舎を目指した。幸い待つほどのこともなく入場できた。観光の順序の選択がよかったようだ。
この市庁舎はノーベル賞の記念晩餐会を行なうので有名だ。建物に入ると広いホールがあり、きれいな石の床、石の階段がある。ここが青の間といわれるホールで、石の色は確かに微妙に青味がかっている。このホールが記念晩餐会の会場になるそうだ。今まで、ノーベル賞などは遠いニュースのように思えていたが、この歴史を感じさせる広い空間の中にいると、授賞式やパーティの様子が空気の流れのように身近に感じられる。
2階に上がると、黄金の間があり、壁一面に黄金のモザイクガラスの絵が描いてある。中央に巨大な神がいて、左右に西洋、東洋を象徴する絵が描かれていて、東西の融合、平和を願う絵なのだそうだ。金ぴかはあまり好きではないが、壁一面の絵と、すべての壁や柱の黄金の輝きには、参りましたという感じ。この広場で、今回のツアーの参加者が集まって集合写真を撮った。全員ではないが、元気な、声の大きい女性の声に釣られて集まってしまいました…という感じだった。でも暗かったので、出来上がった写真は少しピンボケ。
今回の旅は16人。夫婦は私たちと横浜からの晴れ男組だけ。山登りをしていたという老夫婦がいたが、この人たちは娘さんとの3人組。女性同士の友人が2組と個人参加の女性が3人。そして、おばあちゃんと孫の中学生男子を加えて16人。添乗員さんも女性だったから、なんと男性は4人だけだった。
市庁舎内を巡って出口近くに行くと、ガラスケースの中に授賞式のディナーの食器がそのままに並べられていた。シンプルな淡いグリーンを基調にした食器だった。このときはまだ、このデザートにノーベルの顔をデザインした金貨のようなチョコレートが添えられるということは知らなかった。ケースの中を覗き込むようにして進むと、お土産売り場になっている。夫はここでダーラナホースを買おうとした。幸せを呼ぶといわれるスウェーデンの民芸品ダーラナホースは、現在も手作りで一つ一つ作っているという。私たちはその作業の様子を以前テレビで見たことがある。手作業で木をけずり、鮮やかな一筆で模様を描いていく。その楽しそうな作業の様子が気に入って、今回自分たちのお土産に買って帰ろうと考えていた。しかし、この市庁舎のお土産売り場ではちょうど手ごろな大きさのホースの赤色が売り切れていた。他の色では面白くないし、かといってあまり大きいのは…と、迷って、他の場所でも買えるだろうと、ここでは諦めた。
ところが、このあと行った何箇所かのお土産売り場でも見つけることができなかった。
市庁舎はメーラレン湖に面して建っているので、赤い壁の色が水面に映えて美しい。私たちは庁舎の前庭で水上を渡る風に吹かれながら、気持ちのよいときを過ごした。門の外にキオスクのような小さなお店があったので、そこで切手を買おうとしたら、なんと切手は市庁舎のお土産売り場にあるという。バスに戻るまでの数分で、私は走って戻り、「切手、切手」と叫ぶようにして、日本までの切手を買い求めた。
再びバスの客になり、昼食。昼食は、バーのような暗いお店だけど、ムードあるレストランで。メインはミートボール。スウェーデンと言えばミートボールでしょうか、やっぱり。しかも嬉しいことにサラダバーがあったので、野菜たっぷりにヨーグルトを添えていただいた。ミートボールのディッシュにも、彩り豊かなハーブとマッシュポテトが山盛りになっていて、満足のお昼だった。
そして、午後はフリータイム。私たちはオプションで地下鉄体験を申し込んでいた。日本で申し込んだときは、人数が少ないので実施されないかも知れないと言われたのだが、実際は思ったより参加者が多かった。昼食の間に、日本への絵葉書を書いたので、私はガイドさんにポストがあったら、教えてくださいとお願いした。すると、ガイドさんは自分が帰るときにポストに入れますよと、受け取ってくれた。
この絵葉書、今回の旅行の間に各地から出した葉書がすべて届く中で、なかなか届かなかった。あの親切なガイドさんが忘れたのだろうか、と心配していたら、他のものより10日くらい送れて届いた。そこには、ドロットニングホルム宮殿の売店に描いてあった、王家の紋章が消印として押されていた。おそらく、ガイドさんは、私たちの絵葉書がドロットニングホルム宮殿のものだったので、わざわざかの地に再び出かけたときに投函してくれたのだろう。すこ~し疑い始めていた自分たちを恥ずかしく思ったのだった。
話は戻り、ガムラスタン近くの王宮の前で、私たちはフリーの人たちと別れた。地下鉄体験だから、自分たちも下りるのかと思っていたが、その前にヴァーサ号博物館の見学もオプションコースに入っていた。
バスでヴァーサ号博物館まで走り、館内を見学した。館内には巨大な木造の船がどぉ~んと据えられている。長さ69メートル、幅11.7メートル、そして高さ52.5メートルという、17世紀前半当初世界最大級の戦艦だった。この船は就航を盛大に祝い、見送る人々の目の前で海に沈んでいったという。あまりにも贅をつくして、重くなり過ぎたのだとか言うが…。
当時の庶民がニュースに驚く様子や、その後1961年に海から引き上げるときの様子など、分かりやすく展示してある。当時の彩色の美しさが復元され、迫力がある。そして、その時使った染料なども展示してあるのが嬉しい。何より、一度沈んだとは思えない、巨大な木造船の美しさ、目の前に堂々と立つ迫力に圧倒された。
全く期待していなかったのに、訪ねてよかったと思わせられる場所だった。
このあと、バスで市の中心部に戻り、地下鉄に乗った。ストックホルムの地下鉄は駅構内が美術館のようになっていることで有名なのだそうだ。地下鉄は全線110Km。堅い岩盤をくり抜いて造られている100駅のうち、90以上の駅が美術館のようになっているとのこと。コンペで選ばれた150人を超える芸術家たちの壁画や彫刻で飾られているのだそうだ。にわか知識ではあるが、地下鉄に乗ることと同様、楽しみにしていた。
改札を通ると長いエスカレーターで下るのは、ヘルシンキの地下鉄と同じ。
まず、Radhuset 駅、長いエスカレーターでホームに降りると、天井から大きな靴がさかさまにぶら下がっている。これがアートなのだそうだ。駅構内の壁は赤茶色に統一されている。ホームを歩き、いくつかのオブジェを見て、再び電車に乗る。次は Solna Centrum 駅(写真)。駅構内の壁は下が緑、上が赤のツートンカラーに美しくぬられていて、なるほど、ある美意識のもとに構成されていることが分かった。緑は森の広がりのようだ。ホームの中央の柱には五線譜に音符が流れるように描かれている。もう一度電車に乗って、一駅先の Nackrosen 駅に降りた。ここでは、グレーで統一されたホームにも、壁にも、詩が書いてある。スウェーデン語なので、残念ながら私は文字を読むことはできないが、配置も芸術的に考えられているようだ。そして、天井にはグリーンを基調にハスの花のような花が広がっている。ここでホームの鑑賞をした後、振り出しの駅に戻った。
地下鉄はきれいなブルーの車体、内装は少し濃い青のシートに手すりはすべて明るい黄色、スウェーデンの国旗の色だった。乗り降りする人も結構多くいたように思えたが、ゆとりある車内だった。
スウェーデンの旅は終わりに近づいている。私たちは、フィンランドのタリンクシリアラインの大型客船に乗って、一晩のクルーズをする予定。明日の朝はフィンランドの西海岸にあるトウルク港に入港することになっている。
タリンクシリアラインの乗船場は、待合室が広いホールのようになっている。もうたくさんの人々が集まっている。広いホールの端のほうに、ゲートのようなものが、人々の頭上に見えている。しかし、そこまでは人の海、「人の海」という言葉がこういうときに言う言葉なのだとうなずけた。その海はしばらく穏やかな波にさざめいていた。しばらく待って、ようやく乗船のゲートが開き始めた。すると、それまでの穏やかな波が一気に同じ方向に大波となって押し寄せていく。そこにいる人はみんないつかは乗れると分かっていても、集団心理は恐ろしいもので、みんな我先にとゲートに急ごうとする。私たちは、かなり後ろのほうにいたが、それでも自然に流されるようにしてゲートに近づいていった。
ところが、シリアラインのゲートは機械が細密すぎるのか読み取り困難で、なかなかゲートが開かないトラブルがあっちこっちで起きている。機械のランプが点滅しているところにチケットのバーコードを差し込んで緑のランプがつくと、チケットを抜くのと同時にゲートが開く。しかし、このタイミングがなかなか分かりにくく、ゲートが開かない。一回開かなくなると、しばらくそこで人の流れが滞る。ゲートは横一列にずらりと並んでいて、10以上あるのだが、自分の前が動かなくなると、いらいらする人が増えるのは道理なのだろう。すばやく隣のゲートにもぐりこむ人や、大きな声で怒鳴る人や、何度も挑戦している人など、様々な動きが起こる。
だんだんゲートが近づいてきたので、私も隣のゲートなどを観察して、チケットを差し出すタイミングや、コツなどを盗み見るようにしていた。幸い、ゲートはスムーズに開き、私は通り抜けた。その後に夫がいたはずだが、人波の動きに押されてか、少し後ろになっていた。ところが、私の次にチケットを出したツアーの仲間の年配の方が、通れなくなってしまった。そして、先に抜けて、夫を待っていた私に向かって何か叫んでいる。「なんとかしなさいよ」という声が聞こえた。私は周囲を見回して、係員を探したが、機械を信用しているのか、広い、広いゲートのこちら側には、人はほとんど見えない。ずっとはずれのほうにガラス張りのブースのようなものが見えたので、そこに走った。そこにはたった一人の女性がいて、どうやらたくさんの苦情への対応にあたふたしている。私はまた戻って「係員はいないから、隣のゲートに回った方がいいですよ」と伝えるが、その年配の女性は「ここにはまってしまったんだから、隣に行けないわよ」というようなことを、大きな声で繰り返している。私はあっちに走り、こっちに走りして、係りの人に来てもらおうとしたが、そのうちたくさんのゲートが一斉に開いた。それはもうすごい勢いで人が飛び出してくる。あっちからもこっちからも、それまでトラブルで足止めをされていたいくつものゲートの人が、一気に怒りを含んだ足取りで迫ってくるようだった。
私はほっとして、ようやく出てきた夫と一緒に船に続く長いタラップを歩いた。
このときのことを思い出すと、ひたすら焦って走り回っていた私と、列の後ろに足止めされていた夫の、見解が少し違う。振り返った私の後ろに閉じたゲートがずらりと並び、ゲートの向こうには人の海が揺れている。チケットを読み込んで開くゲートからは人が一人ずつ出てくるが、その人たちはすぐ船に向かうため、こちら側に人はほとんどいない。ゲートを境にして、向こうにはまだまだたくさんの人が、みんなこっちを向いてわいわい言いながらひしめいている、こちら側は閑散としている。なかなか見ることができない図だったと思う。
夫はゲートの向こうに残されたのだが、実は私の後に残された年配の女性の言葉がひどかったと、かなり本気で怒っていた。走り回っている私に対して「能無し」とか「役立たず」とか、罵詈雑言の言い放題だったそう。
幸いにして、か?私はその言葉をほとんど聞いていないので、その後もその女性とさほど気まずくもならずに済んだが、夫はその後、くだんの女性とあまり口をきこうともせず、食事の席などもできるだけ同席しないですむようにしていた。旅の間は、夫はその件を私に伝えなかったので、私は何をそんなに怒っているのかな…くらいに思っていた。帰ってから、「ひどい言い方をしていたんだよ。聞こえていたと思った」と言われ、「何か言ってるな…、とは思っていたけど、具体的にはあまり聞こえていなかったよ」と言ったら、拍子抜けしたような顔をした。
さて、何とか無事に全員乗船して船は出港。私たちの部屋は左舷、丸い窓からバルト海の海面が見える。船の中で夜を過ごすのは初めての経験だったが、船があまりにも大きくて、ホテルの中にいるのと変わりない。いや、むしろ小さな町の中にいるようだ。夕食は7階のレストランでのバイキング形式で、お酒は飲み放題。そして、ザリガニがあるのでは、という前情報だった。私はザリガニを食べるということにちょっぴり違和感を持っていたが、民族料理であり、その土地の人の多くがおいしいと思って普通に食べているものなら、自分も味わってみたいと思った。ちょっぴりでいいのだけど…。ところが、ザリガニの季節には少し外れていたようで、残念ながらメニューになかった。
もう一つの珍しい料理に、トナカイがあった。フィンランドで欠かせないものとして、聞いていた。そして、トナカイは赤茶色のソースにくるまれたような、細かい肉の料理がメニューバーに並んでいた。肉が苦手な私も、少し食べてみた。あまり少し過ぎて、実はトナカイはこれだ!というような味の違いは分からなかった。ソースの味が強かったからか。トナカイの好きな人には申し訳ないが、一応食べてみたという感じで、うまいとか、まずいとか言ってはいけない気がした。
この、レストランのバイキング形式だが、日本のホテルなどでバイキングというのは実は違っているという話だった。
もともと、16世紀以来スウェーデンで行なわれてきた食事の様式で、料理をすべてテーブルに並べて、皆で取り分けて食べるスモーガスボードという習慣が、19世紀に様式化されたのだが、その様式を言うそうだ。
日本では、どちらかというと食べ放題という意味で使われるようになっている。
厳密な意味のほどは不明確な部分もあるが、いずれにしても自分の食べたいものを食べたいだけ自分のペースでいただけるというもの。ベルゲンのホテルのディナーでもこの形式だった。
レストランはおしゃれで、ツアーの仲間はさりげなく一画に集まり、それぞれの気に入りの飲み物を持って乾杯した。船の旅というのはどうも旅情をくすぐるらしい。
私と夫は、いつもの赤ワインをいつもより多めに飲んだ。それから、酔い覚ましに10階のオープンデッキに上がった。緑の絨毯が敷き詰められたデッキは端まで歩いていくには決意を要するほどの長さ。まるで、大きなホテルが海上に浮かんでいるよう。
たくさんの人が、波や、すぐ近くに見える島や、夕焼けを眺めながらそぞろ歩いている。デッキにもたれかかって1枚の絵になってしまったかのようにたたずんでいる人もいる。数人の塊になってにぎやかに笑いさざめきながら写真を撮ったり、乾杯をしたりしているグループもいる。
私たちも、船の先端に行ってみたり、ゆらゆら歩いたり、記念になりそうな背景の前で写真を撮ったりしながら、しばらく夕暮れの空気に包まれていた。
バルト海は随分下に、やさしい波頭を見せている。私が驚いたのは、これほどの巨大な船が走っているすぐ近くに美しい島が見えることだ。しかも、島は崖に覆われているわけではない。すぐそこに、かわいい民家やその庭、そして、緑の木々の間に続く小道が見えている。島の側から言えば、庭のすぐ先の海が一気に深く切れ込んでいるということになるのだろうか。船の水中の丈ははっきり分からないが、水深数メートルというような深さでは航行できないと思われる。フィヨルドの深さも驚くものだったから、この海も氷河が深く削ってできた地形なのだろう。
しばらく船のスピードに身を任せ、なかなか沈まない夕日の輝きをデッキから眺めた後、部屋に戻った。船の中には小さな階段がたくさんあって、迷路の中に迷い込んだよう。夫は身支度をしてベッドに入ったが、私は一日かぎりの船の夜がもったいないような気がして、メインデッキのプロムナードに下りてみた。お土産売り場もいくつかあるので、前日買いそびれたダーラナホースをさがしてみた。今も松の木を使って人の手で作られているという。ストックホルムの市庁舎では、緑や青、黄色の馬はあったが、私たちの求める赤い馬が売り切れていた。白や緑の華やかな色彩の馬具を着けている、明るい赤の馬を探していた。
しかし、タリンクシリアラインはフィンランドの船だからか、スウェーデンの民芸品であるダーラナホースを見つけることができなかった。小さな金属でできているものが1個ダーラナホースとして並べてあったが、それは私たちの求めるものではなかった。
余談になるが、日本に帰ってからインターネットでさがし、望みの大きさの赤いダーラナホースを送ってもらった(写真)。一つ一つ手作りの木のぬくもりが感じられる馬だ。
翌朝、目が覚めたらそこはトゥルク、フィンランドの西南の都市だった。バスに乗り換えてトゥルクの観光に出かける。トゥルクは古いが歴史のある街。フィンランド最古の街と言われ、1812年まではフィンランドの首都だったそうだ。
トゥルクは2011年の欧州文化首都に選ばれているので、いろいろな場所でイベントが行なわれるらしい。
欧州文化首都というのは1985年から行なわれるようになった制度で、「真のヨーロッパ統合のためには政治的、経済的な条約や協定の締結だけでなく文化も重要な役割を果たす」という思想によっているそうだ。EU域内の相互理解を深めるために、加盟国の中から毎年都市を選び、1年を通じて様々な文化・芸術に関するイベントを行なうことになっている。
最初に訪ねたトゥルク城でも、催しが計画されていて、そのために私たちが訪れたときには場内に入場ができなかった。石の壁が趣のある色合いに古びていて、こじんまりした建物なのにとても存在感のある城だ。城の周りには手入れされた芝が広がり、所々に菩提樹や針葉樹の大木が茂みを作り、日差しを避けてたたずむ私たちに気持ちよい風を送ってくれていた。
トゥルク城から大聖堂への移動の前に、アウラ河の渡し船をぜひ見てほしいと、現地のガイドさんが連れて行ってくれた。バルト海に注ぐアウラ河の河口付近は交易の要所だったそうだ。そして、河のこちらの道と、向こうに見える道をつなぐ方法は…普通は橋を架けるのだが、ここでは渡し船が働いている。そして、私はその知恵に驚いたのだが、もしかしたら、いろいろな所にあったのかな?現在まで残っているところはないようだが。
両岸の道幅をそのまま四角く切り取ったようなものが河に浮かび、ひたすら往復している。こっちの道を来た者は、渡し場で待っていると、船が到着したとたん目の前に道が続く。そして、向こう岸に着くと、今度は向こうに道が開く。自転車で乗っている人もいて、市民の足となっている感じだ。しかも料金は無料。
私たちツアーの仲間は、もちろん乗ってみました!何人かの男の人が「乗らない、カメラマンやってあげる」と言うので、私と夫はその一人にカメラを渡して撮影を頼み、渡し船の客となった。
渡し船は、静かに向こう岸に着いた。ツアーの客以外の人が乗り降りする。人々の入れ替わりが済むと、すぐ出発。私たちは再びもとの桟橋に戻った。これこそ、動く道路、いや動く橋というのかもしれない。この、ツアーの旅程には入っていなかった『アウラ河の渡し』に、私は感動した。
再びバスに乗り、今度は予定通りの行き先、トゥルク大聖堂に向かった。トゥルク城の少し青味がかった石ではなく、赤色の美しい石の建物。内部を見学していると、真っ白な僧服に身を包んだ若い男女が入ってきた。彼らを案内しているらしい、グレーの僧服の人が何か話して出て行った後、その二人連れはとてもゆっくりとした足取りで、聖堂の中を巡り、祭壇前でしばらくたたずんだ後、出て行った。
その間私は何をしていたかというと、実はこの大聖堂の歴史や内部の説明を聞いていた、はず、なのだが…。私のふやけた頭に残っているのは、あの清々しい空気をまとった二人の若者の姿だけ。
私たちが聖堂の外に出ると、かの二人はまだ外にたたずみ、高い石の大聖堂を見上げていた。
私は、木漏れ日に揺らぐ聖堂前の広場をゆっくり遠ざかりながら、時々後ろを振り返った。ついに彼らが見えなくなるまで。
次に訪ねたのはラウマの旧市街。トゥルクから少し北上する。木造の建物が通りの両側にずっと続いている、素朴な町並みが世界遺産になっている。最初にラウマ聖十字教会を訪れる。
トゥルク大聖堂、そしてラウマ聖十字架教会と、あまり知らない教会ばかりだ。でもどちらも質素だけれど、エレガントなたたずまいの教会だ。説明を聞いてもなかなか覚えられないのでもらったパンフレットを見てみると、700年以上の歴史を持つ建物だそう。フィンランド福音ルーテル派の教会の中心となる礼拝堂で、フィンランド国民にとっての聖堂だと書いてある。石の建物で窓は小さく質素な造り。石の建物なので、外観は似ているが、天井のフレスコ画とステンドガラスの窓が、トゥルクの教会との違いを感じさせた。祭壇に向かって質素な木の長椅子が並べられているが、後の方の柱の近くに一人の婦人が聖書を持って座っている。一瞬本当に人がいるかと思ったのだが、この婦人はずーっと祈り続けている…木像だった。
街の木造の建物は中を見せてくれるところもあって、楽しく回ったが、ここでは木造の建物のことを「プータロウ」と言うのだそうで、みんな大笑い。これは忘れませんね、やっぱり。日本語を話さない人にはわからないと思うけど。
旧市街の細い道をいくつか歩き、ボビンレースのお店に立ち寄った。細い道が交差する角にあって、狭い店だったが、この店の窓際のテーブルで年配の女性がレースを編んでいた。とても細かく針が挿してあるボードから細い糸を巻いたボビンのようなものがたくさん伸びていて、それを順番に絡ませながら編んでいく。日本の組みひもを平面にしたような感じ。とても繊細な作品がたくさん展示されていたが、高級すぎて私たちの手には負えない。小さなコースターなどはそれなりのお値段ではあったが、それはそれで、このボビンレースの粋を感じるには少し不満が残る。結局買わずにそこを出た。
ラウマの広場に出て少し自由時間となった。広場には様々な市が立っていて、新鮮なベリーや果物が山盛りになっていたり、お土産の小物が飾られていたりする。他の場所でもよく見たが、スナップエンドウのようなきれいな緑の豆が、山盛りになっていて、大きなカップにどさっと詰めて売られている。豆は火を通さないと食べられないものと思っていたが、この豆を人々はそのまま食べるのだそうだ。うれしそうに買った紙袋を抱え、ぼりぼりかじりながら歩いている人々を見た。
旅先で生物を食べておなかをこわしては大変と、この豆の味見はしなかったが、とてもきれいな緑色には心引かれた。
また、ラウマの広場には面白い車が走っていた。ハンドルを握るおじさんの後ろに、左右4人くらいが向かい合って腰かけ、自転車のペダルのようなものをこいでいる。これは人力車というのかなぁ。文化首都トゥルクの催しらしいコンサートのポスターを後ろに飾っているから、きっと宣伝カーなのだと思う。陽気な音楽を鳴らしている。きれいな緑色の遊園地のオープンカーのような車に、はでな黄色の屋根を張って、はみ出しそうなおじさんおばさんが笑っている。私たちを含め、通りを歩く人々に、手を振ったり声をかけたりしながらゆっくり進んでいく。ゆるりゆるり、ぷかぷか、広場の周りを走っている姿はとても楽しそうだった。
ラウマでのんびり過ごした後、バスに乗って郊外のレストランに向かった。森の中にある一軒家だが、童話に出てくるようなおしゃれなたたずまい。内装もかわいらしい色使いで、気持ちが華やぐ。メインはニシンのフライ、これもおいしかったが、付け合せのポテトがまたとてもおいしかった。大きなボールに山盛りのポテトがテーブルに置かれ、サラダスプーンで好きなだけよそう。夫も、私も、たっぷり盛り上げて食べてしまった。
食事の後は、その日の宿になるナーンタリまで一気に進む。ナーンタリは「海と太陽の町」というキャッチフレーズで、フィンランドの人々にはリゾート地として知られているところらしい。私たちが宿泊するホテルは、豪華客船として活躍した船を係留した形になっている。実際は動かないように固定されているのだが、甲板らしいところに立って見おろすと、海面を小さな波が寄せてくる。しばらく見ていると、船が動いているような気がする。部屋は海に面していて、ベランダからは海に浮かぶ島々が遠く近く見えている。
ナーンタリはフィンランド国民の休暇を過ごす場所でもあるようだが、このホテルの呼び物は、やはりサウナ。プールとセットになっている。私たちは早速行って見ることにした。そのために水着も用意してきた。水着の上にホテルに備えてある分厚いタオル地のガウンを着て出かける。真っ白いガウンは肌触りが気持ちよいのだが、当地サイズなので私にはブカブカ。子どもが大人の服を着たみたい。ちょっと恥ずかしいけど、まぁいいか…。プールとサウナは本館のほうにあるので、長い廊下を渡っていく。男女はもちろん更衣室が違うので、ルームキーは二人とも持参。
まず、いろいろな趣向を凝らしたプールで一緒に時間を過ごした。周りの人が歩いていたので、何気なく足を踏み入れたら、背が立たない。深い、おやまあと思ったが、なんと言うことはない自分の背が低い、足が短いというだけのこと。その深いプールが屋外につながっているので、そこを通らないと外に出られない。歩いているフィンランド人をすり抜けるようにして、横泳ぎでさりげなく外に出てみた。そこに遊ぶ日本人以外の人々がみんなフィンランド人かどうかは不明だが、みんな大柄だったことは確か。
ジャグジープールに寝そべったりした後、夫とわかれてサウナを体験することにした。サウナは2種類あって、ごく普通の「薪のサウナ」にまず入ってみる。裸で入ってくださいとのことなので、恐る恐る入ってみるが、ここは女性専用で、しかも誰もいない。私は一人でしばらくサウナの中を楽しんだ後、次はもう一つのミストサウナに挑戦してみた。入ってすぐ男性の声がして驚いた。ここは男女共用のサウナだった。でもすぐ安心したのは、中はミストに満ちていて20センチ先も見えない。男性と女性の声がするので、中央に近づいていったら、一応大雑把な手すりのような柵が中央にあり、男女を分けている。その手すりをはさむように隣り合って座っている二人はご夫婦のようだ。おしゃべりの声も楽しそうだ。私は夫がいないかなと思って目と耳を凝らしたが、他には人の気配はなかった。
しばらく座って、気持ちよいサウナの空間を楽しんだ後、部屋に戻ることにした。シャワーを浴びて、持ってきた下着に着替え、再びガウンに包まれて廊下に出た。夫がいないかなと思ったが、見当たらない。しばらく待っていたら、出てきた。あわてている。どうしたの?と聞くと、鍵をなくしたという。ロッカーに入れてプールで遊んだ後、隣の一番端のロッカーが空いたので、荷物を移したとのこと、しかし、その時、部屋のカードキーを移し忘れたらしい。
細長いロッカーは上に仕切りが一つあり、細かいものが置けるようになっている。そこに薄いカードを置いたので、見えなかったのだ。
しばらくサウナに入った後、帰り支度をしたら鍵がないことに気づいた。でも、その時には隣のロッカーには新しい人が荷物を入れてしまっていた。夫の話をまとめるとこんな感じ。しばらくその隣のロッカーを使っていた人が戻らないか、待っていたらしい。このサウナの出入り口は部屋のキーをかざすようにできている。私はサウナの入り口にいる女性に片言英語でキーをなくしたことを伝えた。すると女性はここでは何もできないと言い、フロントへ行けと言う。私は夫に待っているように伝え、大急ぎでフロントへ向かった。
大きなホテルなので、フロントは遠い。しかも私はぶかぶかのガウン姿!恥ずかしかったけど、周りにはたくさんのガウン姿の人がいて、恥ずかしいのは大きさが合わないことだけと自分に言い聞かせ、何とか走るようにフロントにたどり着いた。
どういう風に言ったら伝わるかと焦りながら走っていた。このホテルには、一人日本語ができる従業員がいるとのことだったので、まず日本語が分かる人はいますかと聞いて見た。Noとの答え。仕方ない、何とか説明しなくてはと、自分のキーを見せて、夫が無くしたと言うと、それだけで、OKと、さっと新しいキーを作ってくれた。
案ずるより生むが易しって、このこと?う~ん、ちょっと違うかな。でもそんな気分で待っていた夫のところに戻り、二人仲良く部屋に戻ることができたのだった。
実は、翌日再びプールに遊びに行ったところ、夫の鍵は前の日に置いたところにそのままあった。このホテルのカードキーはお土産に持って帰ってよいとのことだったが、我が家には3枚のお土産ができてしまった。
夕食はホテルの豪華なレストラン、変わっていたのは飲み物だけはバーに行って自分でもらってくる仕組み。ヨーロッパなどの小説を読むと、この方式がでてくる。今日は僕が買うよとか言って、主人公が連れの飲み物を買って持ってくる場面を読むと、どんな空間なのだろうとイメージが膨らんだ。決して、マックやケンタッキーのようではないはず。ファーストフード店がいけないと言いたいわけではないが、日本のそれらのカウンターのイメージは、大人がゆったり時間を過ごすための場と重ならない。
このホテルのバーはまさに私のイメージを絵にしてくれた。面白いことに、赤ワイン、量が微妙に、いや、見て分かるほどに違うんですね、これが。一応、オンスグラスのようなもので測って入れていたのだけど…。
というようなレストランで、この夕食がツアーの仲間と食べる最後の夕食ということで、時間をかけて、おしゃべりして、楽しんだ。窓の外はいつまでも暗くならない。
北欧の夏は太陽がなかなか沈まない。いつまでも西の空に遊んでいる太陽を楽しみながら、ホテルの周りを散歩する。プライベートビーチのようなかわいらしい砂浜があり、子どもたちを交えた数人が、ビーチボールのようなものではしゃいでいる。ふと時計を見ると、もう9時半だ。時間は遅いけれど、浜辺は明るい。確かにいつまでも遊んでいたくなる。浜辺で遊んでいる人々の近くに白鳥の親子が休んでいる。茶色の小さな子どもたちが寄り添って座っていて、両親らしい二羽の白鳥が子どもたちを挟んで座っている。すぐそばで人間が走り回って遊んでいるのに、そのゆったりした姿は平和そのもの。やがて、白鳥の親子はゆっくり海に泳ぎだしていく。先頭と後尾を父と母が、その間に雛が7羽、静かにゆっくり遠ざかって行った。
私たちの部屋がある船を使った部分は別館になっていて、長い廊下で本館とつながっている。私たちは奥へ歩いていき、海に浮かぶ様の別館を庭から眺めた。外から見れば、まさに大きな船が浮かんでいるとしか見えず、ホテルには見えない。しばらく海辺に立って、山の端に沈んで行こうとする太陽と、海上に反射する赤い光の道になごりを惜しんだ。しかしついに太陽が姿を消して、私たちも玄関のある本館に戻ることにした。
翌日は一日フリー。朝から夜まで、全くのフリー。私たちはナーンタリに着くまで、「ムーミンワールド」に行くか行かないかを決めかねていた。「ムーミンワールド」って何となく子どもの遊び場という感じがしてしまう。フィンランドの作家トーヴェ・ヤンソン(1914~2001)が描き出したムーミンの世界は何冊もの絵本になったり、アニメーションになったりしているが、私はあまり読んでいない。あの、ヌニューとした姿に、子どものころ気後れがして、そのまま遠ざかっている。で、結局行ってみることにしたのは、何故だったかな。ムーミンの世界というものに、遠くからでも、ちょっぴり覗き見たい空気を感じていたのは確か。後は、せっかく来たのだから…あとで後悔したくないというごく当たり前の、よくある気分で、だったと思う。
朝、ムーミンワールドが開く一番の客になるくらいに、ホテルを出発。海岸線をのんびりゆらゆら歩きながら、向かった。ムーミンワールドは、ナーンタリ北西の小さな島を丸ごとムーミンの世界にしてしまっている。
私たちは途中、海に突き出す行き止まりの道に迷い込んだりしながら、歩いて行った。海岸には森があるかと思うと、赤い岩山がむき出しになっている。その岩にも登ってみた。バスで走っていたときも、風景の中にむき出しの岩山が突然現れて、北欧の大地が硬い岩の上にのっているということを実感させてくれた。岩は赤い色が多い。だから、ビーチも赤いのかな。
また、家々の庭には大きな木が植えられていたが、スウェーデンのドロットニングホルム宮殿で教えてもらった、赤い葉の血のブナがたくさんあった。大木の菩提樹も、実をつけていた。
さて、のんびり歩いているうちに、ムーミンワールドの対岸に着いた。島までは橋が続いているが、その橋の両側にはたくさんのヨットが係留してあった。そして、そのヨットに住んでいる人たちが、朝の伸びをしながら、パンをかじっている様子もおかしい。夏の休暇をこのようにして過ごす人たちがいるのだ。うらやましい?人もいると思うが、私たちはどちらかというと山人間で、塩でべたべたする感触が苦手。しかもいつも床が揺れている波の上での生活は、休まらないかなと感じた。
入り口で入場料を払い、腕にチケットを巻いてもらう。後は、自由に園内を歩く。まずは中央のムーミン村へ。かわいい青い円筒のような家がある。ムーミンハウスらしい。赤い三角屋根がまさしく、おとぎの国。この家の裏の広場に人が集まっている。覗くと、そこにはムーミンやムーミンパパ、ママ、リトルミイなどのキャラクターが、とことこ歩いている。着ぐるみのムーミンたちだ。
何をしているのかと近づいたら、あれ、あれ、「達磨さんが転んだ」をして遊んでいるのだった。ワールドのキャラクターと、ここに遊びに来た子どもたちが一緒になって、ゲームをしている。フィンランド語は分からないが、鬼になった人が後ろを向いて、「だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ」という感じで、大きな声を出した後、パッと振り向く。そこで動いていた人を見つけると、指差してキャーキャーいいながら叫ぶ。みんな順繰りに鬼になったり、止まったまま彫像になったり、にぎやかだ。ムーミンキャラクターたちは、鬼になったときの合言葉意外の言葉は話していない様子だったが、そのジェスチャーだけで子どもたちと通じ合っている。
この広場の楽しい空間を、大人たちがまたニコニコしながら取り囲んでいる。カメラを構えている人もいる。一緒に手を叩いたり、叫んだりしている人もいる。みんなゲームに参加しているようだ。
私と夫もしばらくその人の中に混じっていた。気持ちいい空間というものはあるもので、少しも構えていない、歓迎の空気がそれだろうか。ムーミンが住む谷に来たのだから、ムーミンと一緒に遊ぶ、ただそれだけ。それだけで、楽しめる。宣伝の旗もない。ワールド中に響く音楽もない。尋ねた人たちがその空間をどのように自分のものにするかに任された空間なのだ。
しばらくゲームを見て一緒に笑って、体がホックリしてきたので、村の奥へと歩いてみる。物語のムーミン村を再現した自然。ふと海を見ると、岩が突き出した先に怪獣のような恐竜のような、紫の大きなものが海から覗いている。そして、その怪獣が見えるあたりの道の脇に、大きな絵本が開いておいてある。そのページには、紫の怪獣とムーミンたちの話が描かれている。このお話はここで起きたことだったのか…と、うなずけるように。それから、さらに道を進むと、海賊船のようなものや、潜水艦のようなもの、いろいろな世界がみんな本のページで案内されていた。一つの島が、ほとんど自然のままに残され、遊歩道が一回りしている。
三角のテントがあるキャンプ地のようなところで、ツアーの仲間に出会った。一番若い女性の二人連れ。ここではスナフキンがキャンプのお話をしてくれるらしいが、この時は他には誰もいなくて静かだった。頼まれて写真を撮ってあげた。その二人連れの若者は、ムーミン村をとても気に入ったと言っていた。私と夫は、このような自然そのままで、宣伝らしきものが何もない空間を気に入ったという若者を、気に入った。日本にも、こういう地味で、落ち着いた良さが分かる若者がいるんだね、と、若者たちに怒られそうなことを話しながら、残りの遊歩道を歩いた。小さな丘の上に、ヒースの花がピンクに咲いていたのもうれしかった。
一回りして、出口の近くのカフェでジェラートを食べて、休むことにした。大きな木が頭上に枝を伸ばし、チラチラする木漏れ日を浴びながら食べたジェラートは、やはり絶品。このシチュエーションだから、か、どうかは不問にして。
さすがに出口あたりには小さなお土産売り場があった。でも、やはり大げさな宣伝はない。そして、郵便局もあった。狭いけれど、局内には絵葉書も売っていて、テーブルも用意してある。そこで、投函すると、ムーミン村の消印を押してくれるそうだ。私と夫は手分けして、孫や自宅に葉書を書き、投函した。
ムーミンワールドで楽しく過ごした後は、対岸のナーンタリの海岸に戻って、小高い丘に登ったり、お土産売り場のはしごをしたり、気の向くまま歩いた。メインの通りには必ずグリーンベルトの公園があり、色とりどりの花が植えられている。広い通りや公園には市も出ていて、見ていると、花屋さんが多い。市から出てくる人を見ていると、大きな花束や籠入りの花を抱えて歩いている人がたくさんいた。生活の中に花が大きなウェイトを占めていることを感じた。
海沿いの商店街は細い路地が幾筋かに分かれていて、ただ歩いているだけでも楽しい。今日は夜まで自由という気ままさが嬉しくて、私たちはしばらく目的も無く可愛い小物などを眺めながら歩いていた。
しばらくあちこち覗きながら楽しく歩いていたが、気が着けば旅行も明日で最後、まだ娘たちへのお土産を買ってない。娘たちにはマリメッコのバッグを買おうと決めていたが、ヘルシンキの町では気に入ったものが見つからなかった。ベルゲンへ飛ぶときにヘルシンキの空港でマリメッコの店を発見したが、あまり時間が無くさっと見ただけだった。ナーンタリにもマリメッコのお店があることを、事前に調べた地図で発見した。今度こそ娘たちへのお土産のバッグを買おうと、地図を見ながら行ってみた。
マリメッコはフィンランドのアパレル企業ブランドで、大胆かつカラフルなデザインの小物やバッグなどが日本でも人気らしい。
ナーンタリにあるマリメッコのお店は、商店街からは少し外れた所にある。大きな通りをしばらく歩き、公園を抜けて行くと、あった。私は、ケシの花が大胆に描かれた代表作のウニッコ柄のものを探していた。赤、青、黒の3パターンの大胆なデザインは、どこから見てもマリメッコとわかる。しかし、ナーンタリの店内には、新作がたくさんあったが、ウニッコ柄のオーソドックスなバッグはなかった。私たちはここでの買い物を諦めて、ホテルに戻ることにした。
マリメッコの店は市街地のはずれの方だが、その近くにはスーパーマーケットもあったので、そこで夕飯の買出しをしてから、ホテルに戻った。
メニューはシャケの塩焼きと、ヨーグルト、トマト、バナナ、リンゴ、そしてフィンランドには欠かせないシナモンロールをつけて、最後に、もちろんシャンパンです!
翌日はとうとう最終日。バスに乗って、ヘルシンキの空港に向かうことになっている。
私と夫は、集合までの時間がもったいなくて、ホテルの周辺の道を散策した。
芝の上には何を突っついているのか、カオジロガンがたくさん歩いている。そういえば夜には少し離れた海上を群れになって動いていく姿が部屋の窓から見えていた。
白い長い葉がたくさん集まっている松のような木、赤い宝石のような実をたくさんつけたベリーの木、いろいろな珍しい、この地の風景をゆっくり目に焼き付ける。水辺の近くにはシモツケソウのピンクの花も一面に咲いていた。目に映るものを大事に数えながら歩く。目を上げれば、海沿いの道は森の向こうまで続いている。そう、道は続いているんだ。きっと、どこまでも。
私たちは、海とホテルと花のコントラストをゆっくり眺めて引き返した。
それから、少し早めにホテルのロビーに行った。ぼちぼちとツアーの仲間もやって来るが、まだ時間がある。私たちは名残惜しい気持ちで、ホテルの玄関に近いソファに座り、外の風景を眺めていた。
すると、向かいのソファに座っていた女性が、中学生くらいの女の子を連れて近づいてきた。
「こんにちは」と、日本語。そう、日本人。その人は、
「こんなところで日本人に会えるなんて思っていなかったので、びっくりしました」と、嬉しそう。
「あまりツアーのコースには入っていないホテルですよね」と。
女性が立ってきたソファには年配の婦人と大学生くらいの女性が座っていて、こちらに目礼をする。その人は女性だけの家族4人で旅をしているのだそうだ。トゥルクから船でスウェーデンに渡ろうと思ったが、その日の便がないので、このホテルで1日泊まることにしたという。
長野から来たというその婦人は、
「ここはどうですか?」と聞く。その婦人は私に話しかけていたのだが、私たちと同じソファに座った、ツアーの年配の女性が突然横から大きな声で、
「こんな田舎、いいとこないわよ」と、言い放った。
婦人はびっくりしたが、私もびっくりした。私は少し慌てた。その年配の女性が自分の身内ではないことを意識づけようとして、
「ムーミンワールドは日本のテーマパークとはイメージが違っていました。自然が美しく、ムーミンの世界を感じさせるようになっていて、楽しかったですよ」とか、
「ミストサウナは、想像していたよりずっと気持ちがいいところでした」とか、
「ツアーではなく、旅をするのは素敵でしょうね。自分たちは勇気がなくてなかなかできません」などと、つい口数多く話してしまった。
少しおしゃべりしたあと、婦人と女の子は気持ちよくあいさつをして、連れの人たちと一緒にホテルのカウンターの方に去っていった。私の方に体を向けてあいさつをした、彼女の気持ちが見えるようだった。日本を離れ、遠く夢を持って旅をしてきたのだろう、注意を促すことがあれば、その語り方があると思う。感情をぶつけられて、きっとびっくりしただろう。
私は、お任せで旅をしている私たちとは違い、自分たちで旅を作っているその婦人たちに敬意を払いたい。らくちんに旅をしている者として、できることがあるならしてあげたいと思う。きっと情報を分けてあげるくらいのことだと思うが。
しかし、自分で選んで旅に参加したのに、楽しむことのできない年配の彼女は寂しい人だなと感じた。まぁ、それすらも、人それぞれだから、本人は私とは別の面白い時間を過ごしているのかもしれないが…。
その年配の女性は、タリンクシリアラインの船に乗るゲートでも乱暴な口ぶりだったらしいから、それがその人のコミュニケーションの方法なのかもしれない。しかし、ツアーの旅は、いや、個人の旅であっても、人と係わっていく場は、公共の場なのだ。他者がいて、自分がいて…、そこでどのように自分の気持ちを発信し、相手の気持ちを受け取るか、それは社会性ということだと思う。この旅では、社会性ということを改めて考えさせられた。
ツアーの仲間がそろい、私たちはバスに乗って、順調にヘルシンキの空港に着いた。ここへ来て雲が多くなって来た。そういえばフィンランドに着いたときも雲が厚く、雨っぽい天気だった。しかし次第に雲が遠のき、気持ち良く旅ができた。晴れ男、横浜のおじさんの威力に守られたのか、最後まで快晴。このまま空の旅も快適に行くように…とそっと願う。
ヘルシンキの国際空港はヨーロッパ各国への乗り継ぎ便がたくさん経由するハブ空港なので、空港もとても広い。
ナーンタリのマリメッコの店にはちょうどいい大きさのバッグはなかったので、娘たちへの土産をここで買おうと、目当ての店に行く。ここヴァンター空港にもマリメッコの店が入っている。ベルゲンに飛ぶときに店の場所を見ていたので、すぐ発見。ウニッコ柄のショルダーバッグがあったので、娘と息子の連れ合いにお揃いで買う。買った品とレシートを持ってタックスフリーの処理をする。少しだが、税金が戻ってくるので嬉しい。
お目当ての買物を済ませたので、後はのんびり時間を過ごす。ラップランドの人たちが使っているという手作りの木のカップをお土産売り場の端で見つけた。シンプルな形が気に入ったので、自分の土産に一個買う。
空港にはフィンランドの有名デパート、ストックマンも入っていて、フィンランドの名産品なども売っている。私たちは、ベルゲンとの往復の飛行機の中でいただいたクッキーを発見、うれしくて箱で買った。あまり甘くなく、少し、ぱさぱさした食感だが、じわ~と口の中に滋味が広がる、粉の味だろうか、日本で食べたことがなかった味。ツアーの仲間も何人か「これこれ、おいしいのよね」と言いながら箱で買っていた。
また、ヘルシンキのものではないのだが、トワイニングのグリーンティのティーパック詰め合わせを買った。6種類のフレーバーティなのだが、日本に帰ってから飲んでみた夫はこれが気に入り、日本で探しているが見つけられない。また行って買ってくるかと冗談を言っている。
それからもう一つ、Fazerのカシューナッツ入りの大きな板チョコを1枚だけ買ってきた。20×13センチ位の大きさで暑さは2センチ以上、ずっしり重い。このチョコがとってもおいしくて、1枚しか買わなかったことを後悔したのだった。あまりに大きいので、もし口に合わなかったら困るなどと思い…、私は自分の貧乏性を笑った。どうせ余った小銭なんだからドンと(たいした額ではないのだけど)買ってくれば良かったのに…思うのはいつも終わってから。
そして、やはり北欧とばかりに、イワシとサーモンの缶詰を、それぞれ少し買った。旅に出る前から気になっていたからでもあるが、やはり現地のお金が余ってしまったためでもあった。どうしてもぴったり両替するということができない。
そういえば、イワシの缶詰で思い出した。今回の旅でとても楽しみにしていたのは、ニシンの酢漬け。ニシンの酢漬けについてはいろいろなところで耳にする、あるいは目にする(文字を)。ニシンが大好きな夫は、とても楽しみにしていた。確かに、ホテルの朝食には必ずと言っていいほど、あった。でも、この味が様々、ちょっとがっかりしたものから、結構いけますね、というものまで、みんなそれぞれの主張があって、かえって一概にうまかったとか、残念だったとか言ってしまえないのだった。
私たちは広い空港の一角で簡単にピザとお茶の食事をして、最後の時間を過ごしてから、機内の人となった。帰りは夫が窓側、少し外を見ながら飛んだ。
成田に到着。到着したらツアーは解散。ターンテーブルまでは、何となく顔を見ながら進むが、それぞれ荷物を持つと日常へ散っていく。丁寧にあいさつする仲間、何となく目礼する仲間、いろいろである。
ここで、荷物の出てくるのを待っていたら、大きな声で名前を呼ばれた。びっくりして振り返ると、以前、職場で一緒だった女性。彼女はイタリア旅行からの帰りで、ヘルシンキで乗り継いだときに、私たちと同じ飛行機に乗ったのだそうだ。飛行機の中は広いので、全く気づかず、ここでばったりということになった。
旅の不思議はいろいろあって、とてもさっさと思い出したり、一言で話せたりするものではない。私たちは無事に帰ったことを感謝しながら、じわじわと湿気の渦に巻き込まれていたのだった。