孫がやってきた。働き出して、仕事の休みが取れたからと4日間を長野で過ごすという。長野はずっと雨が降らず、日照りが続いていた。庭の花も野菜も、草々もしょぼんとしていた。ところが孫と一緒に雨もやってきた。4日間、降ったりやんだり、雨の恵みを置いて、孫は帰って行った。
雨の中一人で駅周辺を探索したり、電車に乗って1日日本海まで行ってきたり、彼なりの夏休みを楽しんだようだが、じじばばと一緒に城山公園周辺を散策し、思い出の動物園で大好きなペンギンを見たり、城山に登ったりもした。夜は善光寺の盆祭りの雰囲気を味わいに出かけたが、途中から雨になり、盆踊り無しの寂しい提灯を見てくることになった。
城山動物園は連休の子ども連れで賑わっていたが、ゆっくり歩いて城山に向かう道は静かだ。春には桜で賑わう公園も、今は下の広場で走り回る声が聞こえるのみ。
途中の堀切沢を見下ろして、その深い沢の姿に驚いている。何度も通った道だが、子供の頃はあまり気に掛からなかったのだろう。
堀切沢は善光寺の北にあり、地附山、大峰山から長野市街地へ向かって流れる。浅川から取水している堰などいくつかの支流があって三面側溝、暗渠になっている。城山動物園の南にかかる橋からその深い沢を見下ろすことができる。雨水を調整するためのダムが築かれ、沢の水が浄化されることによって蛍が蘇ったそうだ。
5月から10月まで下に降りることができるが、今回は雨の後で、沢の淵は濡れているため、孫と一緒に降りなかった。何年か前に夫と二人で降りてみた。ずっと沢の淵を歩いていけるかと思っていたが、荒れていて、行き止まりになっていた。私たちは昼ばかり行くので、蛍は見たことがない。善光寺の境内の小さな流れに蛍が舞っていたから、季節にはここでも光っているのかもしれない。蛍公園とも呼ばれているそうだから。
9月になればガマの穂が揺れる光景が見られるだろうが、今は蚊がたくさん飛んでいるだろう。
堀切沢を越えると、城山公園の上を歩き、県社と呼ばれる城山はすぐだ。
駐車場に出入りする車の動きは賑やかだ。善光寺や、美術館、動物園に行く家族連れなどが歩いている。だが、城跡には人っこ一人いない。いや、それどころか、境内には、大きな木が倒れて道を塞いでいた。境内の草は刈って手入れがされているようだが、花はほとんど見えない。まずは登頂と、神社に登る。茂った木の枝の向こうに見慣れた葛山や大峰山が見えている。親しみを込めて我が裏山と呼ぶ善光寺平北の里山だ。
たてみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ
県社(けんしゃ)と親しまれるこの水内神社の社名はとても長い。階段を上がると大きな拝殿がある。その奥に小さな本殿や、いくつかの石碑がある。
だが、明治24年の火事で燃える前はもっと規模が大きかったらしい。明治天皇の行幸所というのも建っていたそうだから、拝殿脇に今も残る、大きな四角の明治天皇行幸の石碑もそうかと頷ける。あまりに大きくて、四角くて、周囲の景観と合わず、私には無粋に思えるが。
真夏の城山は静かだった。すぐ下には善光寺と、夏休みで賑わう公園の音がさざなみのように寄せてくるのだが、ここだけ別の空気が広がっている。
孫は特に自然の風物、花に興味があるわけでもないのだが、長年じじばばと自然の中を歩いてきたからか、「花がないねぇ」などと呟いている。境内の外れに大きなキノコを見つけて「あ、きのこ」と指差し、「なんというキノコかなぁ」と呟く。山頂から裏山を指差し、小さい頃登ったあの山へ行けばこの季節でも花が咲いているよと笑う。
城山で見つけた花はヘクソカズラ(屁糞葛)、かわいい花なのにひどい名前だねぇ。でも、匂いを嗅げばわかるよ。そして、この実は茶色くて可愛いけれど、触ってはいけないよと話す。
善光寺を回って、たくさん歩いて家に帰る。この季節は庭の雑草にもあまり花がない。孫に誘われて、思わず雑草の花をもう一度見つけてみた。長い日照りの中でも健気に花をつけている。花の直径が2ミリほどのクルマバザクロソウも目を近づけてみると可愛い花びらを開いている。綺麗なブルーが目立つツユクサもたくさん開いている。朝開くと1日で閉じてしまう花だ。ふと見たら、普通に見られる両性花の隣に雌しべのない雄花が並んで咲いている。
小さい頃から一緒に歩き、教えてきたつもりの孫から教わって、また花に近くなる。