逗子に住む友人と三浦半島の花を探索しようと話していた。東京に用があって出かけるのを機会に逗子まで足を伸ばして、友人の家に泊めてもらう。夕食の会話はもっぱら「明日はどこへ行こうか」。この季節に咲く花を思い浮かべながらあれこれ迷う。
いくつかある花の情報を二つに絞ってどっちかへ行こうというところまで決まった。その一つは子安の里。子供達が小さい頃は、柴田先生(柴田敏隆 コンサベーショニスト1929-2014)と一緒に時々歩いていた。いや、私は当時近所に住む友達と子連れでも何度か歩いている。その後開発されて湘南国際村ができ、山を掘った長いトンネルができ、ずいぶん変わった様子だ。久しぶりに歩いてみたくなった。 では明日は「子安の里」にと決め、早めに出かけましょうと言っておやすみなさい。
翌朝、梅雨はまだ上がらないらしいが、ありがたいことに青空。友人の車に乗って湘南国際村まで。一番奥にだだっ広い砂利の駐車場があった。
車を停めて草ぼうぼうの森の中に入っていく。開発しようとした痕跡が残るところもあるが、今は荒れ果てている。強い日差しの中に、紫の小さな花が咲く帰化植物らしい丈の高い草が茂る。後で調べたら、やはり帰化植物のアレチハナガサ。
頭上にはヤマグワ、コウゾの実が赤く光っている。しばらく進むと一度は舗装したような円形の道があり、ここから二つの道が分かれている。一つは30㎝の幅もない笹竹の中を行く道、もう一つは少し踏まれた跡が見える急な落ち葉の道。笹竹の下を潜ってちょっとだけ歩いてみたが、どこまでも潜るような道だったので、引き返し、落ち葉の道を進んだ。大きな木々が茂る下なので、薄暗い。少し行くと友人が「あ、タシロラン」と大きな声、そして私が「粘菌がいっぱい」と応える。二人で大喜び、あっちから眺めこっちから眺め、写真を撮ってさらに進む。道はどんどん降っていくがますます荒れている。ほとんど人が歩いていない様子。
昨夜どっちにしようか悩んだのは、タシロラン生息地とコクラン生息地だったが、今日の目的はコクラン、だが、さっそく見つけたのはタシロランだった。葉緑素を持たないので全体が半透明のように白っぽい。菌類から栄養をもらう腐生植物の仲間だ。積み重なった腐葉土から生えるので常緑樹の森に多いようだ。ギンリョウソウにも似ているが、細長く背が高い。まだ地面から顔を出したばかりの姿はシャクジョウソウにもそっくりだ。ただ、タシロランはよく見ると半透明の中に赤い点が見えて、おしゃれだ。発見者の名前をつけたというネーミングはオシャレとは言い難いが。
私たちはこの日あちこちでタシロランを見つけたが、十数本群生しているところが多かった。
さて、目的第1番のコクランを探しながらさらに降りていく。子安の里の奥にあった大タブノキをもう一度見たいと話しながら歩く。友人も数年前一人で歩いて大タブノキを見たそうだ。だが、どんどん降っていくとその先は崖になり、完全に道がなくなってしまった。かなり下に広いブルーシートに覆われた土地が見えている。あれはなんだろう。道があったと思しきところには大きな倒木も重なり、笹竹が生い茂り、大きな木の根本からは土が崩れ落ちている。私たちはしつこくあっちからこっちからとヤブをかき分け道を探したけれど、ついに諦めた。今日はここまでにしよう。ちゃんとした装備もしないで危険なことはしないほうがいい。
ここで友人がスマホで検索してみたら、いつの間にか大タブノキを通り過ぎたところに来ている。あらまぁ、戻りましょう。途中いくつか分かれ道が笹の中にあったからそこを登っていこう。
コクランの情報はマテバシイの森の林床に注目というから、私たちは「マテバシイはどこだ」「マテバシイの森はないか」と呟きながら歩いていた。まだ神奈川に住んでいた頃夫と歩いたマテバシイの純林を思い描きながら、そういえば柴田先生と3人で話したなぁと、当時を懐かしく思い出していた。
そしてふと周りを見ると、「あ、マテバシイ」。森の淵をそっと登ると咲いていた、コクラン。友人と二人きりの森の中でわ〜いと大喜び。立ち姿がクモキリソウに似ていると思ったが、やはりクモキリソウ属になるのだそうだ。コクランの近くにはタシロランもたくさん顔を出している。
帰り道ではそろそろ花の終わりのムラサキニガナにも会え、足元にはナガバノジャノヒゲや、ウラシマソウが見られ、昔の子安の里の面影とはちょっと違ったけれど、懐かしい三浦半島の山の風景を味わうことができた。