しばらく裏山へ行かなかった。雨やみぞれの天気が続き、しかもちょっとした用が重なったり、古巣の神奈川への旅があったりして半月ほど裏山歩きをしていない。
14日金曜日、久しぶりに行ってこようかと朝早めに家を出た。
そして、ニホンテンだろうか、淡いクリーム色のふわふわした塊、白い顔がなんとも可愛らしい動物に出会えた。夫と二人でツノハシバミの蕾を見上げていたときだ。ふと目を下すとその子と目があった。 「あ、あなたは誰?」と心の中で言う。その子は私の顔を見ている。大丈夫よ、いじめないからと思いながら、ハッと「カメラ!」を出そうと思ったら、猛ダッシュで駆け出した。近くにあった作業用の階段を素早く駆け下り、次の階段も飛ぶように降りて行った。ものすごく長く見つめあったような気がするが、おそらくほんの数秒だったのだろう。駆け出した時に長い胴が躍動するように見えたから、あれはやっぱりテンじゃないかな。カメラのシャッターを押したのは階段を駆け降りていくところだったが、手前の木が邪魔でテンらしい姿は写っていなかった。とても残念。なんだか語彙が乏しい下手な言い方をすれば光るぬいぐるみのようだった。5、6メートル向こうの草の中に立ってこっちを見ていたのだ。そこに朝の光が当たっていた。
また会いたくて、次の月曜日17日、再び朝早めに家を出た。でも、もちろん同じところにいるわけがない。私の目が地面の花の芽吹きを追いかけるだけでなく、ちょっと遠くの森の中に彷徨う回数が増えたのだけが今までとの違いか。
裏山を何百回か歩いているが、野生動物の姿を見ることはとても少ない。冬には雪上の足跡をたくさん見たけれど、実際に動いている姿を見たことはほとんどないのだ。動物たちは本当に隠れ上手だ。
さて、残念だが、またいつか出会えることを祈って森の木々、草々に目を戻そう。3月の半ばを過ぎれば登山道の雪はほとんど消えている。頭上の高いところで目立たない木の花が小さな穂を伸ばしているようだ。時々道に落ちている。最近風が強い日が多いからちぎれてしまったのだろうか。ハンノキか、ヤシャブシかそれともコナラなどの花穂か。
春一番に森を明るくしてくれるダンコウバイの蕾も随分膨らんできた。もう少しで開きそうだ。森が黄色になる日も近いだろう。
足元のシュンランの蕾も見えるようになった。冬も緑の葉を絶やさないシュンランは雪の上に出ているところが食べられてしまうことも多い。尖って硬そうな葉だけれど、誰が食べるのだろうか。最近食べられていることが多くなったから、鹿なのだろうかと、夫と話している。ササの葉も食べられているのを見るようになった。
地附山の山頂にはいつまでも雪が残っている。日当たりが悪いと言うほどでもないが、風の通り方が雪を溜めるような仕組みになっているのか。だが、その山頂の雪も随分減ってきた。ここから見る飯縄山は素晴らしい。その奥に黒姫山、妙高山と続く景色はいつ見ても感動的だ。だが14日には見事に白く見えていた妙高山だが、17日は雲に隠れて全く見えなかった。
14日、朝早く家を出たので下り道はまだ10時にならない。ふと枯葉の下から顔を覗かせているフキノトウを発見。春を告げる味覚だ。ポツリポツリ隠れているのを見つけて袋に入れて歩く。食べられるものを発見するとつい欲張りになる。でも、まだ小さいのはまた来た時のために残していく。「他の人のためかもね」と、夫がニヤリ。そう、地附山には自然の恵みを楽しみにしている人が何人もいる。山で時々会って言葉を交わす人たちもその仲間だ。
私がフキノトウを探して歩いている頭上にはボタンヅルの残った実がキラキラ光っている。嬉しい春の太陽だ。鳥の声も聞こえている。シジュウカラが何か話しているように囀っている。登り始めの森ではカワラヒワも賑やかだった。
開園前の準備をしている公園を通らせてもらう。見晴台は陽だまりになっていて気持ちよさそうだ。誰もいない公園でおやつを食べる。管理の人が遠くで草刈りをする音がしている。ありがたいことだ。4月になればまた子供達の声で賑やかになるのだろう。
善光寺平を見下ろしながら下る道の斜面は青く染まっている。オオイヌノフグリが満開だ。雑草と言われ、どこにでも伸びていく花だけれど、その美しい青はなかなか得難い色だ。ゆっくり花を眺めながら降りてきて、さぁ、今日の収穫、お楽しみの春の味覚、蕗味噌を作ろう。