横須賀駅7時44分発の横須賀線に乗車。駅前の横須賀港には灰色の巨体軍艦が停泊している。沿岸に広がるヴェルニー公園にはたくさんのバラが植えられ散策路は立派だが、私は軍艦を見ながらの散策は好きではない。さっさと駅構内に入る。
逗子駅で乗り込んできた友人と北鎌倉駅で下車。今日はお楽しみの山歩きだ。最近山ガールに目覚め、三浦半島近隣の山々を歩いているという友人を頼りに、長年の宿題を果たそうという計画。
あれはまだ子供達が入学前だから40年近くも昔の話だ。おにぎりを持って二人の子供と一緒に北鎌倉の駅から歩き出した。地図は見てきたのだが、さほど距離はなさそうな山頂がなかなか見つからない。私の身長を越えるほどの笹藪の中をトコトコ登っていくが見通しがないこともあって山頂がわからなかった。元気な息子は笹藪の中の細い道をどんどん進んでは引き返し、「こっちもおんなじだよ」とか、「少しいくと下へ行っちゃうよ」とか教えてくれる。まだ2歳にならない娘はちっちゃくて、ただただ笹しか見えない道を黙々と歩いていた。
結局、山頂を確認できないまま、笹藪の中でおにぎりを食べて帰ってきた。六国見山(ろっこくけんざん)、私の宿題になっていた山だ。
何度か歩いている友人を頼りに今回は北鎌倉駅の南に少し行ってから山へ入る。子供達と登った時は北へしばらく歩いてから山に入る登山道だった。
登っていくとやはり笹が茂っている。だが足元には赤い花が散り敷いている。見上げると大木のヤブツバキが見事だ。白い幹は艶やかで猿も落ちそうだと笑う。今では上に森林公園もあり、人も歩いているらしい山道は迷うこともなくすぐ山頂に着いた。うっかりすると見落としそうな道の脇に山頂表示が置いてあった。ここまで誰にも会わないし、カメラを置く台はないし、交代で写真を撮ろうかと言ったら、一人の男性が現れた。まるでふっと空中から現れたみたいににっこり。私たちはお願いしてシャッターを押してもらった。私たちが先に進み、横浜方面の展望を楽しんでいる間にその男性は消えてしまった。一瞬だけ現れてくれたみたいだねと二人で顔を見合わせた。
宿題を済ませてホッとした私たちは鎌倉アルプスを目指して一回降りる。建長寺半僧坊から上がってくる道と合流し、見晴らしの良い勝上献展望台で海を眺める。伊豆半島あたりは少し霞んでしまっていたが、太平洋の広がりが嬉しい。
そこから少し歩くと十王岩に出る。凝灰石だという大きな岩に刻まれている3体の十王像は風化が進み、お顔もよくわからない姿だ。ここから見下ろすと、鎌倉の中心部がすぐ下に見える。相模湾に向かって一直線に伸びる若宮大路が見下ろせる。ここでしばらく景色を堪能してから岩の間を縫うような道を進んでいく。長い年月人々が踏んできたことを感じさせられる岩の窪みに足を乗せ、一歩一歩進む。まだ野草の開花には少し早かった山道だが、頭上のヤブツバキは満開で、ぽとぽととこぼれた花が道を赤く彩っている。アオキやヤツデの濃い緑が日の光を反射して眩しいくらいだ。
少し降ると分岐があり、覚園寺へと立派な石の道標がある。昔神奈川に住んでいた頃夫と登った時は覚園寺から上がってきた。ここを歩いたと思うが、ほとんど覚えていないのが悲しい。大平山の上は広々していて、相模湾を遠くまで見渡せたことを覚えている。それから天園を通って、瑞泉寺に降った。今は営業していないという天園の茶屋が賑わっていた。
さて、現代に戻ろう。この辺りからすれ違う人、追い越していく人が増えてきた。鎌倉アルプスは人気コースらしい。私たちはゆっくり歩いていく。稜線にヤブニッケイが枝を張っているのを見つけ、一枚葉をもらう。爽やかな香りだ。自然のアロマは疲れた気分を吹き飛ばしてくれるから、嬉しい。
急な岩の降りに真新しいオレンジ色のロープが備え付けられていた。友人が以前に歩いた時には無かったそうだ。それほど危険ではない場所だが、雨に降られた時には心強いだろう。
このロープにつかまって呑気に降ろうとした私は着地の瞬間に右足の膝にピキッと痛みが走った。痛みというほどのことはないのだが、痛めた靭帯が脱力した感じでカクッと力が抜ける。ロープにつかまったままだったので、そのまま岩に寄りかかるように尻餅をついた。友人がびっくりしてしまったが、靭帯を痛めてからは時々あること、座ったままちょっと様子を見て、ヨシっと立ち上がる。もう大丈夫だ。
鎌倉の山は巨大な岩がデコボコしている所が多いが、ところどころ中央部が削れて大きな庇のようになっているのが面白い。天然なのかそれとも長い歴史の中で人間が手を加えたのか。鎌倉アルプスの麓に広がる寺院の境内には岩を掘った横穴のやぐらがたくさんあるが、山の稜線上にも面白い形が隠れている。
波打つように削られている岩ばかりの道をしばらく登ると大平山に到着だ。山頂には綱が張られ、その向こうを見下ろすとゴルフ場なのか広々とした人工的な建物と駐車場があり興醒めだ。そちらは見ないようにして相模湾の広がりに目を向ける。山頂は三角の出っ張りになっているが、その下は緩やかな岩の広場になっていて、昔はここでハイキングの人たちがお弁当を広げていたものだ。今日はそれほど人が多くはないが、暖かい季節になるとやはりここでお弁当を広げる人が多くなるのか、「トビに注意」という張り紙がしてあった。相模湾の向こうに三浦半島の山々が見えている。遠く房総半島がかすかに見える。草丈が高いので、端によらないと相模湾は見えないが、広い空の下で気持ち良い。
ここから天園はすぐ。天園の看板と、横浜市内最高地点の標識がある。ヤブツバキの大木の向こうに富士山が薄く見えている。日差しが多い場所なのか、草むらに蕾を持ち上げてきたウラシマソウの小さな花の先にはすでに長いひげが伸びている。
昔は営業していた天園の茶屋は荒れていて、屋根の上には黒猫がのんびり毛繕いをしていた。しばらく休業の看板を横目に下り始める。この先は瑞泉寺へ行く道と、二階堂川沿いに行く獅子舞の谷の道がある。夫と来た時は瑞泉寺に降りたが、今日は獅子舞の谷に降りることにした。友人は秋に来たことがあるそうだが、美しい紅葉を見ようと集まった人で賑やかだったそうだ。
今日はほとんど人に会わない静かな道だった。途中倒木が道を塞いでいたり、大きな椎茸が育っていたり、私たちは何か見つけるたびにキャーキャーと二人で賑やかに降った。沢沿いにはネコノメソウの花も咲いていて嬉しい出会いだった。互生の葉がはっきりしているので、これはヤマネコノメソウだと思われる。
最後の最後まで真っ赤なヤブツバキを見上げ、キブシの花が膨らんできたのを眺め、小さな花はないかとキョロキョロしながら降りてきた。
平日だが、鎌倉の街は人で溢れていた。