今日(22日)は夜出かける用があるが、日中は暇だ。「散歩に行ってこようか」と言う私に「地附山かな」と夫。ようやく調子を取り戻した夫が積極的だ。
のんびり10時前に家を出る。お天気が良いので、大物洗濯を済ませてから出発だ。駒弓神社から登り始めたらスーさんにばったり会った。スーさんは神社の下からの道を上がってきた。1月初めに、駒弓神社からの道と下からの道の合流地点で大きな猪が死んでいたという。正月に私たちも登ったが、その翌朝のことらしい。雪の上の足跡を見れば、猪がたくさん生息していることがわかるが、実際に姿を見ることはあまりない。自然の中では淘汰されていくのもあるだろう。
元気に登っていくスーさんを見送り、私たちはゆっくり歩いていく。1月後半とは思えない雪の少なさだ。青空が広がって日の当たるところは暖かい。コートを脱いで登っていく。
だが、木々が茂って日がささないところは僅かな雪が凍って固まっている。気温は例年より高めなのだが、夜は氷点下になる。まして山の上は氷点下の時間が長いのだろう。なかなか溶けてこない。薄い雪でも凍っていると滑るから怖い。気をつけて行こう。
マツやヒノキ、ネズミサシ、ソヨゴなどは緑の葉を光らせているが、山の斜面には茶色が広がっている。例年に比べれば雪は少ないし気温も高めの大寒だが、植物はまだ動き出さない。そっと春が来るまでの準備をしているのだ。地面の下で、木々の枝先で。
パワーポイントに上がると町は霞んでいるが、高社山が北にスックと立っている。白い。この山が雪風を遮ってくれるから善光寺平の雪は少ないと聞いた。くっきりと浮かぶ白い山は標高がそれほど高くなくとも優雅で目立っている。
ここから山頂まではすぐ。飯縄山の向こうの妙高山は雲に隠れて見えない。地附山山頂は日が当たらないのか、風の通り道なのか、いつも雪に覆われている。夏の名残りのギボウシ、ワレモコウ、マツムシソウ、オケラ、アキノキリンソウなどが種を散らした姿で残っている。ガマズミやリョウブ、ヤマウルシなどの木の実はちぢれたようになって僅かに見える。木の実が残っていると、美味しくないから食べられないのかなどと思ってしまうが、どうなんだろう。森の動物たちや、小鳥たちにとって餌が豊富だからなら良いが・・・。実が落ちた木々の枝先にそれぞれの冬芽がゆっくり膨らんでいるような気がする。
数日前(18日)に歌ヶ丘から物見岩を通って登った時は、時間も早かったからか、大峰沢には小鳥がたくさん囀っていた。キツツキの仲間もいたが、遠すぎて、よく見えなかった。
歌ヶ丘からトラバースして物見岩の下に出る道にはまだ雪が多かった。イノシシかシカか、急な斜面には足跡が入り乱れて残っている。少しずつ崩れてきた道に残った雪が凍って滑るので要注意だ。
その日は、物見岩の崖で登攀訓練をしていた若者以外誰にも会わなかった。物見岩はこの辺りの岩登り訓練の場らしく、時々グループで訓練している様子を見ることができる。覆い被さるような岩の崖をスイスイ登っていく人たちもいれば、何度も何度も、同じところを登ろうとして失敗している人もいる。こうやってだんだん技術を身につけていくんだなと、私は感心して見上げている。
若者たちの訓練を見上げた後は物見岩の上に向かう。物見岩からの眺めを楽しんでから、大峰山と地附山の分岐へ向かって登っていく。物見岩からのコースは松が多いからか、雪の量が多かった。日がさす時間も短いのだろう。ザクザクと雪を踏みながら、その日は大峰山には向かわず、地附山に登って帰った。
さて、22日。1月の後半なのにこんなに雪が少ないのは暮らすにはありがたいが、野菜や果物の収穫には嬉しくないことも多いらしい。今年は12月にまとめて雪が降ったのでスキー場は助かっているらしいが、近年雪不足も言われてきた。歳をとって、スキーにも出かけなくなったが、あの広いゲレンデを降りる爽快さは若い人にも味わってほしい。
地附山にはいくつもの周遊コースがあるので、時々コースを変えて歩き、それぞれの様子を楽しむことにしている。駒弓神社からのコースの雪が少なかったので、旧道に降りてみることにした。
旧道は山の影になるところだから、まだ雪が積もっていた。ザクザクと雪を踏みながら次に来る時にはどんな風景になっているだろうと話した。