前日に東京からやってきた友人と戸隠を歩いてきた。この日は雲が多く、風が吹くと肌寒いくらいだったが、歩き出すと体はあったまる。
紅葉が始まった週末ということもあって、駐車場はいっぱい。奥社のさらに奥の駐車場の最後の一台にかろうじて滑り込み。まだまだ道路には駐車待ちの車が並んでいる。のんびり出てきたのが間違いか。ムギマキという面白い名前の野鳥を見る人たちも集まって、戸隠は人でいっぱいだった。
今回は友人の希望でまずは奥社へ参拝しよう。その後体力があったら鏡池まで回ろうという計画だ。腰を痛めたことがあり、あまり山歩きをしない友人も、今回はトレッキングシューズを履いてきたから大丈夫。
大きな鳥居の後ろには巨大なレンズをつけたカメラの列が並ぶ。すごいね〜と横目で見ながら、私たちは奥社への参道を進む。こちらも歩く人でいっぱいだ。参道脇には水の流れがあり、春にはその縁をニリンソウが白く彩る。夏には純白のオオシラヒゲソウが咲き続いていたが、今は枯れて茶色になった茎葉を立てている。時々マムシグサの仲間の真っ赤な実が目をひく。茎がマムシの模様に見えるからと言うと、友人は近づいて眺め、なるほどと頷く。
色づいてきた森の木々を見上げながら随神門まで歩く。萱葺屋根には青々とした草が生い茂っている。すだれのように垂れているのは蔓草だろうか。この緑の草もみな、冬には枯れてしまうのだろう。深い雪に覆われる時間も長いだろう。随神門の前で、戸隠に初めて来たという友人と一緒に記念撮影。山道を歩く人が多いので、その流れの隙間を見つけての撮影は慌ただしい。
随神門をくぐると、雄大な杉並木が続く。多くの人はここで上を見上げ息を吐く。樹齢400年と言われる、聳え立つ杉の木が遠くまで続く姿は圧巻だ。大きな杉の間を歩いて戸隠山の裾に取り付く。ところどころ巨大な杉の幹に洞が空いている。のぞくとクマ穴のように内部が広い。ずっと昔は孫たちが中に入り込んだりしたものだが、だんだん木もお疲れのようで、今はそっとのぞくだけ。
巨木の足元に咲く花も今は終わりだ。オオカニコウモリの綿毛がにぎやかに揺れている。
緩やかな石段を登っていくと、木々の梢の向こうにゴツゴツとした戸隠山の稜線が見えてくる。歩き慣れない人にとってはちょっと大変な山道風の階段を登っていくと、奥社が見えてくる。
なんと、人が並んでいる。何度も来ているが、私たちが訪れるのはあまり人が来ない季節だからか、こんなに並んだ様子は見たことがない。私たちも奥社から九頭竜社へ、並んで参拝した。
参拝した後は再び随神門まで戻り、ここから鏡池に向かう。いろいろな木の実も鳥に食べられたか、枯れて落ちたか、残っているものは少ない。大好きなサワフタギのブルーも、今では黒ずんでしまったものが多い。
あちこちに顔を出しているキノコを見つけて喜んだり、真っ赤な木の実を見つけてしばし見とれたりしながら、歩いていく。戸隠の自然は豊かだから、ついあちらこちらと目が泳いでいる。友人は山の自然に触れる機会が少ないと言い、フッキソウの真珠のような実に感動し、ケヤマウコギの丸い実の塊に目を見張り、一つ一つ楽しみながら歩いていく。
自然の姿ばかりではない。長い人々の歴史を彷彿とさせるものも戸隠には多い。なんだろうと首を捻るものもある。森の中に突然現れる天命稲荷の赤い鳥居を見上げたり、誰が作ったのか、森の中に向かい合って立つ、じぃさま、ばぁさまの像に挨拶したり、私たちはのんびり進む。私と夫は何度も訪れている戸隠だが、友人の新鮮な感動に触れると、また目が開く気がする。
鏡池のほとりにはやはり人が多かった。そして、あいにくの曇り空。だが、戸隠山の岩肌に錦の彩りが広がってきた様子が優しく迫ってくる。鏡池の風景は、人口の池とは思えない雄大さと繊細さを併せ持っている。横に大きく翼を広げた戸隠の峰々と、裾野を彩る多様な森の木々がこの美しさを作っているのだろう。
森歩きを満喫しての帰り道は、やっぱり戸隠蕎麦を味わおう。最後にまったりした濃い蕎麦湯をいただいて、ほんわかしたひと時を過ごした。