知人から、蕨がたくさん採れる場所を教えてもらった。蕨が出る高原にはお花も綺麗だろうと思う。もう少し早い時期に行こうと思っていたのだが、なかなかチャンスがなかった。6月も後半になって、ようやく雲が薄い朝、少し早めに家を出た。
今は営業終了した飯綱高原スキー場の駐車場に車を停める。スキー場だった頃には時々訪れて広いゲレンデを楽しんだ。飯縄山の南斜面に広がる飯綱高原スキー場は、我が家からは一番近いスキー場だから小さな孫たちとも行きやすかった。
正月の初スキーはほとんどここだった。まだ小さい孫を連れて遊んだゲレンデが懐かしい。孫が初めて板を履いた場所であり、リフトに挑戦した場所、そして、一人で滑り降りてくるようになった場所だ。閉鎖されてから4年経つが、樹木はまだあまり進出していない様子だ。蕨が生える草原は、丈高い草が一面に茂ってはいるが、人の手も入っているのだろうか。ゲレンデに続く道にはすでに葉が開いたヒトリシズカが群生している。ウツボグサの紫の花が続いている。ゲレンデの広々とした緑の中に、丈高いのは赤紫のアザミ。ヨツバヒヨドリの蕾は随分膨らんで、真ん中あたりの花が綻んできたようだ。
すでに何人もの人が袋を持って高原を歩いていて、熊鈴がとりどりの音を響かせている。みんな蕨採りの人だろうか。 私たちは知人からもらった地図を頼りにどんどん登っていく。低いところにも蕨は出ているけれど、もっと奥にとっときの場所があると言って、嬉しそうに教えてくれた。確かに登っていくと太い蕨が草の中にたくさん見られるようになってきた。すでに摘まれたあともあるが、まだまだ芽を出したばかりのものも多い。
知人に行くチャンスがつかめないと話した時、「まだ大丈夫だよ」と言っていたが、本当だ。私たちは風景を楽しみながらポツリポツリと蕨を摘む。すぐ袋が重くなってきた。
オトギリソウやコナスビの花に目を止めながら歩いていると、オオチドメがキラキラと光っている。光沢があるとも思えないのに、円形の小さな花が日の光を反射して宝石が散らばっているようだ。花を楽しみながら、蕨の重さも楽しみながら草の中を歩く。
飯綱高原スキー場は2020年春の営業を最後に、スキー場としては閉鎖されてしまったが、下部の緩斜面一体にはボランティアによる運営で「飯綱高原づなっち広場」が開設されるそうだ。子供達がソリやスキーで自由に遊べるらしい。広い雪の原を自由に飛び回るだけでも子供にとっては素晴らしい経験になるだろう。樹木が侵入しないように手が加えられているらしいのはそのためか。
1998年、長野冬季オリンピックの会場となり、モーグルの里谷多英選手が金メダルを取った時は日本中が興奮したように思う。その後、オリンピックの競技が行われたコースは里谷多英コースと名付けられた。上から見下ろすと垂直に落ちていくような気がする急なコースだ。
飯綱高原スキー場は1965年に営業開始したとのこと、たくさんの若者が電車に乗ってスキー場に出かけた頃だ。新潟県育ちの私は帰省する時、東京と新潟を結ぶ急行を利用したが、正月休みは溢れんばかりのスキー客でいつも満員だった。越後湯沢駅のホームを埋めるようにスキーを抱えた人がざわめいていた。アルバイトに明け暮れていた自分には到底叶わない優雅な世界と映ったが、活気がある社会風景ではあった。
関東からやってくる孫たちが最初にスキーを履いたスキー場。何度か通った暮れと正月、アルバムをひっくり返してみるとへっぴり腰の姿、転んで苦笑いする姿、初めてのリフトで輝くような笑顔の姿・・・懐かしい思い出がいっぱいだった。
孫だけではなく、友人夫婦と出かけ、麓のレストランで美味しいおやつを食べながら時を過ごしたこともある。飯縄高原スキー場のイメージキャラクター「づなっち」が滑っていた。
近くて、初心者も上級者も楽しめるスキー場、ここで楽しんだ孫たちはこれからもいろいろなスキー場で楽しむことができるだろうが、さて、歳を重ねて動くのが億劫になってきた私たちは・・・、蕨採りでも楽しむか。