長野の春は遅い。山の雪が溶け出して、庭の土が凍みないようになると里山にもぼちぼち春の花が芽吹いてくる。だんだん高い山には行かなくなってきた私たちも、里山の花には会いに行ける。長野に暮らして10年が過ぎたから、どこの山にどんな花が咲くか空気を読むように花の声が聞こえるようになってきた。まだ微かにだけれど。
花の声を頼りに近隣の山に出かける。特に一番近い地附山から大峰山への稜線には楽しみがいっぱいある。シデザクラは咲いたかなと、22日に出かけた時は蕾だった。そして一週間経つと、もう散った花もある。自然の動きは早い。 22日は、用がある夫を残して午後になってから出かけた。地附山のシデザクラを見て帰るつもりが色々見たくて歩いているうちに大峰山にも登り、帰ったのは夕方近くになってしまった。麓の道を回ったり、稜線を歩いたり、ぐるりと一回りしてきた。
午後になってからの山には歩いている人もなく、斜めの日が作る陰影が山に動きを作り出しているようで面白い。春の山を「山笑う」と言うのは俳句の季語だが、本当に笑い出したと言いたくなる景色だ。4月も後半になって、ソメイヨシノやオオヤマザクラは終わりだが、カスミザクラは満開だ。山道に差し掛かって伸びる枝につく実は秋の楽しみとなる、プルーンの花も盛りだ。そして、目立たないヤマコウバシも、ウリカエデの花も咲いている。
期待して藪の中に入って行ったが、シデザクラの白が見えない。あれ、まだかなと枝の先を見るが、蕾もない。昨年は枝の先がみんな白く揺れていたのに。じっくり見ていくと、あった。まだ蕾だ。しかしその蕾もほとんどない。今年はハズレ年ということなのか。
その後、今度は夫と一緒に見に行って白い花を見ることができたが、一週間ですでに花は終わりかけていた。昨年青空に生えて満開だった六号古墳の近くの木も今年は花が少ないようだ。
山頂で定点撮影をしてから旧道を奥へ歩いてみることにした。先日濃い紫の蕾だったニワトコの花がどうなっているか見てこよう。そして、大峰山との分岐から物見岩に降ろうか。歩き出すとルリタテハが舞っている。3頭が絡まり合うように目の前で乱舞する。すごい、手を伸ばせば届いちゃうよ。蝶の乱舞はしかし、たいてい一瞬で、絡み合いながらぐんぐん上に登っていく。絡んでは別れ、絡んでは別れ、きっとあれがコミュニーションなんだろう。
ニワトコの花は緑の小さい実になりつつある。黄色がかったクリーム色の小さな花がたくさん集まっている様子は芸術的な造形だ。空にむかって伸びている花穂はどれもこれも見事で、一つとして同じものはない。つい写真をいっぱい撮ってしまった。
ニワトコに見惚れて歩いていると目の前を何かが横切った。あ、キビタキ。近くの木に止まって囀っている。これは夫へのお土産になると、急いでカメラを構える。キビタキはかなり低い枝でゆっくり囀っていたので、何枚か写真を撮ることができた。色々見ているうちに大峰山にも登りたくなり、物見岩に降るのはやめて山頂を越えて歌が丘に向かった。
大峰山の山頂にも、いや登って降りる間中、誰にも会わなかった。登山道脇のハナイカダの木が芽吹いている。楽しみだなぁと思いながら緑に光る葉を見ると、まだ開き始めた若葉に小さな花芽がついている。こんなに小さいうちからちゃんと花芽があると、幾つもの芽を覗き込んで感動していた。
大峰山の山頂はトキワイカリソウが白く光り、桜もまだ霞のように広がっていた。
30日、先週はまだ蕾だった花がたくさん咲き出している。大空に広がる白い花が、道連れのように目を楽しませてくれる。ウワミズザクラにマルバアオダモはふわふわして見える。可愛いガマズミの仲間も小さな花を開き始めた。
先週蕾だったシデザクラは開いていたが、すでに散ったのもあり、花数もずいぶん少ない。白っぽく光る葉の向こうに揺れる花をしばらく見上げてから山頂へ向かう。
先週は蕾だった花が開いていると、喜びながら進むから時間がかかる。ヒョウタンボクは白く開いた後に、黄色くなってから萎むので、枝の先に白と黄色の花が同時に見られる。その様子を見てか、金銀木という別名がある。
ナツグミも満開だ。モミジイチゴは終盤か、この時期のは白が多いようだ。いや草木瓜の真っ赤、ミヤマウグイスカグラ、オニグルミの雌花と、赤色もたくさんある。私の目がつい白やクリーム色に向かうだけなのかもしれない。オオバクロモジも淡い黄色に満開だ。
面白いのはヤマグワ、雌しべが伸びて二つに分かれている。この小さな花の集まりがそれぞれ実になって、あのツプツプとした桑の実になるのかとちょっと感動しながら見てしまった。
咲き出したギンランに立ち止まり、チゴユリの群生に目をやりしながら登っていくと、先を歩いていた夫の足元からガサガサと音がした。「あ、蛇」、二人同時に声が出る。赤い。大きい。「ヤマカガシだ」と、私はカメラを構える。ヤマカガシは2メートルほど藪の中に入って止まった。頭を10cmくらい持ち上げている。「大きいね」「1メートルはもちろん越えているね。1メートル20〜30cmくらいあるかもしれない」などと話しながら見ている間もヤマカガシはじっとしている。時々頭をゆっくり下げたり、また上げたりするほかはぴくりとも動かない。私たちがヤマカガシに見惚れていると、女性3人のグループが通りかかった。「何かいるんですか」と聞くから「聞かないほうがいいかもしれませんよ」と私。
なぜかヘビは嫌われる。やはり、一人の女性は逃げるように数メートル先に行って待っている。残りの二人は「どこ?どこ?」と目を凝らし、見つけた。「あら〜、大きいわね」としばらく見てから、待っている女性のところへ行った。
私たちも「ヘビくんありがとう、もう動いていいよ」と、声をかけてから歩き始めた。地附山はヤマブキが黄色い壁を作っている。一重のヤマブキは終盤に入り色が褪せてきたが、ヤエヤマブキが盛りだ。山吹を見ていると、ここ地附山には4種類の花があるようだ。一重と八重と、それぞれ花びらの形が違うのが咲く。人が改良したものもあるのだろうか。
山頂でおやつを食べながら休憩し、またのんびり公園まで下った。公園には八重桜が見事に満開の枝を広げている。
車に戻る前にミニ山野草園に立ち寄ると、西澤さんが花の手入れをしていた。大切に育ててきた花が見頃を迎えてきたようだ。少し話をして、花の写真も撮ってから、車に向かった。