春一番に咲く花、福寿草、節分草、そしてセリバオウレンに会えるのを楽しみにしていた。道端に咲く花たちももちろん美しいが、山の中に入っていかなくては見られない花たちに挨拶をするのも春の喜びだ。今年は遅くなって雪が降り、さらに雨模様の日が続いたので、花の開花が遅かった。
セツブンソウは雪の中だったし、セリバオウレンも雪の下だろうかと話しながら出かけた。森の中に重なる落ち葉は押し葉のようにペタンコになっていた。白っぽい色で艶もなく、さっきまで雪の下になっていたようだ。ゆっくり進んでいくと、「あ、咲いている」思わず声が出る。待ち望んでいた出会いだけに喜びが大きい。きっとまだ雪を被っているね、蕾がやっとかもしれないね・・・などと期待過ぎてがっかりしないように、自分の気持ちの中に予防線を張っていたようだ。
茶色の森の中に一気に花火を散らしたかのような群落、ずっと向こうまで真っ白な花が続いている。
花はすっくと立っているがその足元には緑濃い葉が広がって花のための雛壇を作っているようだ。小葉は切れ込んでセリに似ている。キンポウゲ科の小さな花、一番目立つ外側の白い花びら状のものは萼なんだそう。セリに似た葉は地面にピッタリついてその真ん中から花茎が立っている。花茎の先に2、3個の花がパッと開いている。花の季節に新しい葉が出てくると雪の下で頑張っていた古い葉は枯れていく。春を過ぎても葉を残すセリバオウレンは厳密にはスプリングエフェメラルと呼べないかもしれないが、その姿、陽の光を揺らし春一番に森の中で輝く姿を見つけると「春の妖精」と呼びたくなる。
一面の群落、踏まないようにそっとそっと見て歩くと、淡いピンク色の花が咲いている。クリーム色のもある。雌雄異株だそうだが、雌花が見つからない。雌しべと雄しべを持つ両性花があり、雌しべが退化して雄しべだけになった雄花は見つけられたが。
小さな蕾がまだたくさんある、これからもっと輝いていくのだろう。落ち葉の上をそっと一足ずつ探るように歩いていくが、その下に小さな芽吹きもあるかもしれないので、群生している中には踏み込めない。倒木に沿って数歩歩き、眺めたり写真を撮ったりした。あとはちょっと離れて眺める。言葉がなくなる。ただ「きれい、きれい・・・」と呟いている。周辺に咲くだろう、カタクリやアズマイチゲはまだ顔を見せていない。春一番の森の妖精だ。
しばらく花を眺めてから、さて帰ろうか近くの髻山に登ってこようかと話す。山が近くにあれば登りたくなるのが私たち。幸い空も明るくなってきた。今日は午前に用があったので、珍しく午後になって出かけてきたが、東の山に光が差して遠くの山の姿がきれいに見える。
登っていくと道の脇の斜面にはまだ雪が多かった。春先に降った重い雪のせいか、杉の葉が例年より多く落ちているようだ。中には大きな枝ごと落ちていて、夫が片付けようと持ち上げると花がふわりと揺れる。花粉症の大敵スギ花粉がこぼれたかもしれない。花粉症の原因はスギ花粉だけではないと思うけれど、その煙のような黄色い粉を見ると鼻がむずむずしてくる。例年より多く見える杉落ち葉が散り敷く中を登っていく。
山頂からの見晴らしは午後の日を受けた志賀、草津方面の山がきれいだ。
そして今日も髻山は貸し切りだ。カタクリの咲く季節になると山で出会う人も見えるのだが、まだ雪が残る季節はいつ来ても私たちだけだ。広い山頂でしばらく見晴らしを楽しむ。
山頂には硬い蕾のフキノトウが数個落ち葉を被って花開く準備をしていたが、まだまだ冬景色と言いたくなる風景だ。 髻山の南斜面にはカタクリの群生するところがあるので、様子を見に少し下ってみた。だが、まだ蕾も見つけることができない。ようやく数枚の葉が顔を出している。
山頂に戻り、まだ白い高社山から右に目を移していく。今日は高標山もきれいに見えている。岩菅山、横手山、根子岳と並ぶ山々を見る。白根山が奥に真っ白だ。
遠くの山の風景をたっぷり楽しんだので、そろそろ降ろうか。北斜面の雪が残る道を下っていくと、春はもう少しあとだよと言われているような気がした。